大きな樹の下の小さな幸せ
まるで自分が小人にでもなったのかと思った。
ノルディアの至るところから見える大木は、一つ一つが空を支えているかのようで。
身の丈ほどの花やキノコが、遠近感を狂わせる。
「霊樹のお陰で魔力が漲ってるから大きいんだよ。そのせいか有紋族って自分達は特別だって思ってる人が多くて……」
苦い過去を思い出すように、ルナリスは笑う。
有紋族は高い魔力を誇る人が多いとは聞くが、そういった背景もあるのか。
「でも、俺はルナリスをそんな風に感じたことないぞ」
「……私は南方系の有紋族だからかな。あ、あれが私の家だよ!」
歯切れの悪い言葉をしまうように、自宅のお披露目をしてしまう。
大きな葉を屋根として縫いつけられた家は、周りに比べて慎ましく見えた。
裏の畑から、土で汚れた男性が顔を出す。
「おぉ、ルナリスじゃないか! 帰ったのか!」
「お父さん! ただいま!」
丸い鼻に目尻の下がった顔つきを見て、ルナリスは母親似なんだろうなと直観した。
だけど、再会に喜ぶその笑顔はとてもよく似ている。
その光景に微笑んでいると、ルナリスの父親が頭を下げた。
「はじめまして、ルザークと申します。いつも娘がお世話になっております」
「ネモと申します。娘さんの……、ルナリスの助けもありダンジョンのボスをやっています」
柔らかい表情が一際晴れると、ルザークは俺の手を嬉しそうに握る。
土のついた頑丈な掌に、心がじわりと暖かくなった。
中へどうぞと家に通されると、野菜の甘い匂いが広がっている。
「ニンジンとビーツのパイだ! お父さんの得意料理なんだよ!」
決して広くはない家だったが、幸せな家庭の空気で満ちていた。
幼いルナリスが描いた家族の絵。
壁に掛けられた拙い手編みの手袋やマフラーは、娘からのプレゼントを大事に使ってきた父親の姿が想像できる。
「ネモさんにはお肉や果物がないと物足りないかもしれませんが、よろしければ召し上がってください」
口いっぱいに広がる野菜の甘み。
肉の脂も恋しくないと言えば嘘になるけど、これはこれで身体が元気になる気がした。
何より、ルナリスの満足そうな顔を見れたことで疲れが飛んでいく。
「とても美味しいです。最近まともな食事が取れていなかったもので……」
「大変でしたね。マーテルの恵みが身体を巡りますので、ゆっくりどうぞ」
ルザークの口から聞き慣れない言葉が出てくる。
マーテルの恵み? それはおまじないや作法のことか?
この街や有紋族の大事にするものであれば、失礼の無いようにしたい。
「すみません、そのマーテルというのは食事の作法とかですか?」
「いえ、古い神の名前ですのでご存知なくても無理はありません。ちょっとした言い伝え程度ですよ」
俺が興味を持ったのが嬉しかったのか、ルザークは食事の手を止めて歌い始めた。
地母神マーテルは地の底で眠る。
だから野菜は地面に根を張る。
地母神マーテルは魔力を授ける。
だから野菜で魔法が使える。
「──聞いたことありますか? もしかしたら人間でも子供に野菜を食べさせる為に歌う方もいるかもしれません」
「それってお父さんが作った歌じゃなかったんだ!? 他で聞いたことないよ」
記憶のどこかに引っかかりそうではあったが、ルザークの歌い方が独特だったこともあり聞いたことがないかもハッキリしない。
ルナリスも家でしか聞かないとなれば、一般的な歌じゃないのかもしれないが。
「もし良かったら図書館で調べてみるといいですよ。ネモさんが有紋族をはじめとして魔族のことに興味を持ってくれるのは嬉しいです」
学術都市と名高いノルディアに来て、図書館に行かないのは勿体無い気もする。
レンゾーとボルネを待ちながら、たまには本を読むのも良いかもしれないな。
パイを頬張りながら、この後の計画を考えているとルナリスがお茶をカップに淹れながら口を開く。
「良かったらお母さんのお墓にも手を合わせてもらえるかな。……ネモのこと紹介したいから」
パイを喉に詰まらせたルザークが俺とルナリスのことを見渡し慌て始めた。
照れて赤くなるルナリスを見て、男性を呼び捨てにすることが好意の表現なのだと確信する。
ルザークとの間に緊張感が走るが、席を立ち固く手を握られた。
複雑そうな表情ではあったが、娘の想う人を迎える気持ちは俺にはまだわからない。
「ま、守ります!」
咄嗟のことで脈絡のない言葉が出てきてしまった。
ゆっくりと椅子に掛け直しながら、ルザークは落ち着かないように鼻の頭を掻く。
「いやはや……、ルナリスも大人ですからね……。彼女の名前は妻がつけたんですよ」
壁に掛けられた絵に視線を送る。
子供の描いたものとはいえ、三人が笑顔で手を繋いでいる場面なことは十分に伝わった。
二人の表現から、気持ちの整理は出来ているようだが、色褪せていない思い出なんだと理解できる。
きっと綺麗で、優しい女性だったんだろうな。
「月の精霊の加護を受けた、私達の自慢の娘を今後もよろしくお願いします」
精霊の加護。
その言葉を聞いて、足元がぐらついた。
ルザークは知らないのだ。ルナリスが命を落としかけたこと、その身に起こった奇跡を──。
ルナリスは無言で顔を振っていた。
父親に無用な心配をかけたくないからだろう。
俺もいたずらに不安を募らせるつもりはない。
だけど……。
俺を信じて娘を預けてくれた父親に、隠し事をしていると自覚した。
カップを持つ手が僅かに揺れていることを、お茶の波紋が問い詰めてくるようだった。




