まだ見ぬ勝利への一歩
どれぐらい走り続けたんだろう。
張り裂けそうな太腿と、重い腕。
呼吸の音が、自分のものではないような違和感。
止まったら、もう走れない。
港に着くとギルフォードが船員に指示を出している。
そこには羽交い締めにされたルナリスとララの姿があった。
地面が揺れて、視界が白くちらつく。
槍の石突で身体を支えながら、ありったけの声を。
「ギルフォードォォ!!」
振り向く顔は、いつものように舌をチラつかせながら笑う。
「遅かったな。全く……この日の為にどれだけ金を使ったと思ってんだ。いつか教会には復讐してやる」
「ルナリスとララを離せ!」
「何言ってんだ。このままじゃ赤字だぜ? 幸い商品に傷はついてないから別の客に売るしかねぇだろ」
ルナリスとララを抱えた男が、船のタラップを昇っていく。
その顔は、地下の酒場で見た覚えがあった。
この船と、あいつらがギルフォードの本当の仲間ってことか。
「ネモさん! 槍を揚げてくれれば……キャア!」
男に捕まれるルナリスの姿が影に隠れる。
槍を揚げる──それを合図に魔法を発動してくれるということか。
最後の力で槍を握りしめた。
肺の空気を搾り出すように二度、三度と打ち合うが、いずれもこちらの力は押し返されるばかりで、ギルフォードの剣は容赦なく肉を裂いた。
万全だったとしても押されていただろう力の差に、地面に膝がついてしまう。
「おいおい、既にズタボロじゃねぇか。悪ぃけど、もう準備は終わってんだ」
手を挙げて合図をすると、船のタラップは外されゆっくりと港から離れていく。
それに動じず、立ち上がり槍を構えた俺を見て、ギルフォードのニヤけた顔が曇っていった。
「おい……、お前まさか一人残ろうってのか?」
「あぁ。俺は二人を信じてる。俺の仕事はここでお前を足止めすることだ」
ルナリスの魔法があれば、俺は二人に合流できる。
何より避けたいのは、ギルフォードを船に乗せてしまうことだ。
俺の意図を理解出来なかったのかギョロギョロと目を丸くするが、大きな口を開けて笑い出す。
「俺を止めて何になるんだ。そういや言ってなかったなぁ、俺はこの辺をナワバリにしている海賊でよぉ」
可笑しそうに腰に下げた剣を触る。
いくら裏社会で生きているとはいえ、あの剣の腕で商人に留まるのは勿体無いからな。
陽の光に照らされた鱗が、怪しく光っていた。
「ありがてぇことに俺を頭だって慕ってくれる可愛いやつらなんだ。良く教育してるからよぉ、俺がいなくてもしっかり売ってくれるぜぇ」
沖へ向かう船を指差し、膝を叩いて笑う仕草は隙だらけのはずなのに。
槍を突いても、軽くかわされてしまった。
俺はまだ、何かを守れるような強さを持っていない。
「ケチな商売なんかやめろ、ギルフォード! お前の強さがあれば、海賊なんかしなくても食っていけるだろ」
「説教してぇのはこっちの方だ、ネモ。お前は人間にしては頭が回るし教会に恨みもありそうだ。今からでも遅くない、俺の仲間になれ」
仲間を攫われて、それを見過ごせる訳がない。
ギルフォードは本気で俺を口説いてはおらず、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。
善人だったら良い商人になりそうなのに……、なんて思ってしまうのも俺の驕りなのだろうか。
「……なぁ、ギルフォード」
この状況を打開したかった。
何とかして、彼の隙を作り出したかった。
それと同時に思ってしまう。
ギルフォードの力があれば、俺達の野望が現実に近づくんじゃないか、と。
「お前を商人と見込んでの相談なんだが……。俺達に″投資″してみないか?」
「……ハァ?」
予期しなかった言葉だったのか、ギルフォードの目がパチパチと瞬く。
俺自身、舌が勝手に動いている気がする。
時間稼ぎの為に、勝てない戦闘を引き延ばしたい、という狙いもあったが。
一度口から出た言葉が、ズルズルと溢れてしまった。
「俺達は教会と魔王を敵に回そうとしている。それにはルナリスの知名度を上げて、この大陸中に広めていくつもりだ」
ルナリスとララは反対するかもしれない。
だからこそ、今なら。
俺とギルフォードしかいない、二人だけの密約。
「ルナリスの公演を、もっと大規模に。もっと大勢の人を巻き込んでやるんだ。お前ならこの話が金になるのがわかるだろ?」
煙草に火をつけて、空に向かって息を吐いた。
葉の焦げた匂いが、彼の判断力を鈍らせていないことを教えてくれる。
当初の目的である時間稼ぎは出来ているが、それよりもギルフォードの答えが聞きたかった。
紫煙と共に、言葉が吐かれる。
「……お前、狂ってんのか?」
「あいにくだけど、煙草は吸わないし酒にも酔わない。至って真面目だ」
「はい、わかりました。…なんて言うと思ってんのか? このまま奴隷商人に売り捌いた方が早えし楽だろうが。仮にその話が本当だとして、いくら儲かるか言ってみろ!」
もっともな反論だ。
この話は商談のテーブルに乗せるにはあまりにも不細工だ。
しかし、俺も言葉を止めない。なぜなら──。
「お前なら出来るんじゃないか? 俺はギルフォードの商人としての腕を信じてる」
悪事を働いた過去も、人を貶める性根も許されるものではない。
心を許す仲間とは言えないかもしれないが。
神と魔王を相手取るのに、綺麗事を言ってられるほど俺は強くないんだ。
船は泳いでも追いつけない。
それはギルフォードの追走を無くせるだけの時間を稼いだということだ。
「ギルフォード、俺はまだお前にもジークにも勝てない。無様に逃げさせてもらう。だから、これは貸しにしてくれ」
船まで聞こえるんじゃないかと思うほど、大きな声で笑われる。
堰を切ったように腹を抱えた彼を見て、思わず槍を握る手が緩んだ。
「笑いすぎて腹が痛ぇ……。ハッ、俺に貸しを作るとは良い度胸だ。安心しな、返す奴には俺は優しいぜぇ」
手をヒラヒラと振り、背中を向けて煙を立てている。
船に向かって高く、槍を掲げた。
ルナリスに届くように。彼女を信じて。
「ありがとう。俺を信じてくれて」
「勘違いするな。より儲かる方を選んだだけだ。それに船の連中がどうしようと俺は知ったこっちゃねぇからな」
身体が、フワリと軽くなる。
勢い良く海に向かって走り踏み切ると、まるで空を翔ける飛魚のように、波を跳ねていく。
以前に比べて魔力の上がったルナリスの魔法は、引き寄せる速度を上げていき、ものの数秒で船に追いついた。
勢いがつき、甲板にいた男を思いきり蹴飛してしまう。
「ルナリスッ! ララッ! 大丈夫か!?」
まさに二人を押さえ込もうとしていたのか、偶然にも窮地を救う形で登場できた。
「ネモさんッ! 心配したんだから!」
「ネモ、せっかく駆けつけてもらって悪いんだけど……。ここにいる敵の他にも船内にまだたんまりいてさ。絶賛大ピンチなんだよね……」
突然海から現れた俺に驚いてはいたものの、構えを解くことなく、甲板にはまだ五人の船員がいる。
船上での戦い、おまけに自分たちの船、さらには援軍がまだまだいるとなると……。
「どうやってここまで来たのかは知らねぇが、サメの餌にしてやるよ!」
船まで飛んできた時に、考えていた。
もし、ルナリス達に合流出来たとして勝ち目が無かったらどうするかを。
全く……海で生まれ育って本当に良かったよ……。
「そうだな。お前らよりもサメの相手をした方がマシだ」
ルナリスとララを両腕に抱き寄せ、手すりに足をかける。
「二人とも、しっかり鼻と口を押さえといてくれ!」
「ちょ、ちょっとネモさん!? 私、泳げないんですけど!」
「僕って海水でも壊れないかなぁ……。まぁ、でもこうするしかないよね……」
二人を抱えて、思いきり海に向かって足を踏み切る。
まだ弱い俺は逃げてばかりだけど、今度は仲間を失わずに済んだ。
深く沈む海の中。
日が差し込まないその冷たさと暗さは。
俺にとってはどこよりも安心する居場所だった。




