弱さを抱いて、強さを示す
目が合った瞬間、音や匂いが全て消し飛んだのかと錯覚した。
大勢の人々がいるはずなのに、クッキリとそこだけが色濃く見える。
──また会いましたね。
呟いた声が聞こえる距離じゃない。
だけど、そう言っている気がした。
「キャァァァァ!!!」
ルナリスへの歓声とは明らかに違う、女性の悲鳴がソリシアに響き渡る。
白い街に金色の絵の具を溢したように、ジークの炎が広がっていった。
「ネモ、あいつって……」
「あぁ、ジークだ……。クソッ、何でこんなところに! 急いでルナリスを連れて逃げ──」
ララとの間に、炎が走る。
蜘蛛の子を散らすようにごった返す人々の群れ。
地面に転がるいくつかの人影。
「お久しぶりです、ネモさん。そこの有紋族が何でまだ生きているのか教えていただけますか?」
混乱の中、ジークの声が耳に届いた。
あの時の絶望が、呼吸を浅くする。
ルナリスが腕の中で項垂れた、あの重みが──。
「ネモさんッ! しっかりして!」
揺さぶり、俺に正気を取り戻させたのはルナリスだった。
肩を掴む手は震えていながらも、ギュッと力んでいる。
あの時とは、違うんだ。
「ジーク……。何でお前がここにいるんだ」
「それは私のセリフですよ。あの時、確かにこの炎で焼き尽くしたと思ったんですが……。有鱗族まで連れて、そちらは……まさか人形ですか?」
頭を抱えるようにして天に赦しを乞う。
まるで世の中の悪は全て自分の管理が悪い、とでも言うように。
俺達を全ての元凶とでも決めつけるように。
「ジークよ、何を急いておるのだ。赤の門で焼き払う計画だったろう。″薬箱″が調子に乗るなよ」
白髪の男がジークを嗜める。
その言葉に反応したのか、端正な顔が初めて歪む。
あのジークを一方的に押さえつけられるなんて……。
歯を食いしばり感情を抑えようとしながらも、隙らしいものは見つからなかった。
「お、おい!!司祭様よぉ!? 何をしてんだよ、女を買いに来たんじゃねぇのか!?」
取り乱し狼狽するギルフォードが、司祭に掴みかかろうと腕を伸ばす。
が、その身体は司祭の拳により、民家まで跳ね飛ばされた。
ギルフォードも決して弱くはない。それを一撃で……。
「貴様の役目は終わりだ、トカゲ風情が。ジーク、私は先に行っているぞ。すぐに終わらせろ」
「もちろんですよ、司祭様。不死鳥イグナシアの加護があらんことを」
司祭を見送り、振り向いた顔は。
怒りで覆い隠そうとしても、その奥に沈む悲しみが滲み出ていた。
「……神の加護を受けない愚か者め」
吐き捨てた言葉は、ジークを初めて人間らしく見せる。
が、その形相はゆっくりと鬼へと変わっていった。
「ネモさん、申し訳ありません。これは八つ当たりです。でも、貴方も悪いんですよ。一度の反省で更生されないから」
咄嗟に足が前に出る。
もう一度あの炎に焼かれたら、今度こそルナリスを失う気がして。
振るった槍は鞘で受けられてしまうが、ジークの顔色が変わる。
「へぇ、ちゃんと強くなってますね。でも、それぐらいじゃ──」
後ろからギルフォードがジークを斬りつけるが、身を翻し弾かれてしまった。
相変わらずの強さに、思わず息を呑む。
「俺の商売の邪魔しやがって……! 金払えるんだろうなぁ、イカれ野郎がぁ!」
「……うっとうしい。穢らわしい有鱗族が、我々と対等だと本気で思ってたんですか? 人攫いが図々しいですよ」
二人の剣がぶつかり合い、激しい音が耳をつんざく。
逃げることが出来た人々は街を駆け下り、残されてのは俺達と、亡骸に向けて泣く子供だけ。
当初の予定とは大きく変わってしまったが、逃走経路は俺達の背後にある。
「ララ、予定通りルナリスを頼む」
背中越しに、声をかけた。
ジークとギルフォードから目を離せば、その刃はすぐにでもこちらに向かってくる。
もう怒りに任せた行動はしない。
今度こそ、仲間を逃してみせる。
「わかった。ネモも気をつけて!」
「ネモさん、もう魔法はマーキング出来てます。所定の位置まで行ったら引き寄せますからね。無茶しないでくださいね!」
走り出す二人の靴音に、ジークの注意が逸れる。
ギルフォードの剣を抑えながら、魔法を放つために右手を空けた。
ようやく隙が生まれる──。
ジークの腕を下から叩き上げ、金色の炎は上空に向けて放たれた。
腕を砕くつもりで振り上げたのに、顔色一つ変えないところを見るに、まだ力の差は埋まりそうにない。
息が切れるギルフォードに比べても、涼しい顔で髪を掻き上げていた。
「クソッ、全然本気出してねぇなぁ。おい、ネモ! 顔見知りみてぇじゃねぇか。どうにかしろよ!」
「残念だけど、俺達は三人ともあいつに一度殺されかけてる。お願いして帰ってくれる相手じゃない」
何かを諦めるように、フゥーと息を吐いたギルフォードはそっと小声で提案をしてきた。
「港に俺の船がある。どうにかしてお嬢ちゃん達に伝えろ。それで逃げるぞ」
「……簡単に言ってくれるな」
ギルフォードの腕前で苦戦することを考えると、二人がかりで戦っても時間稼ぎが精一杯だ。
せめて、ルナリスが俺を引き寄せてくれるまで時間が稼げれば……。
「なぁに、簡単さ。こうすんだよぉ!」
突然、後ろから背中を思い切り蹴飛ばされる。
体勢を立て直す頃には、視界の端でギルフォードが街を降っていく背中が遠ざかっていった。
「だから魔族なんて信じるべきじゃないんですよ。安心してください、ネモさんには聞きたいことがあるのですぐには殺しません」
先にあの魔族達を焼き尽くしましょう、とジークも街を駆け下りていく。
──追いかけようとしたその時、戦う者がいなくなった広間には子供の泣き声だけが響いていた。
「パパ! パパ! しっかりして!」
走るのを躊躇ってしまった。
仲間に危機が迫っているのに。
関係ない。あの炎じゃ助からない。行っても何も変わらない。
なのに──。
「……あぁ、くそっ!」
ルナリスとララを信じて、一人で泣いている子供のところに足が向かってしまう。
ルナリスの魔法があれば追いつける。
それなら、せめてこの子を。
「おい、大丈夫か!?」
「パパが……、パパが動かないの……」
有翼族の少年が、父親だったものの横で泣き崩れていた。
あの時の、ルナリスの姿が重なってしまう。
この人にも精霊の加護があれば……。魔王に何とかお願いできないか……。
苦し紛れの考えは、どれも今を変えられそうにない。
なら、せめて。
この父親の想いを。
「ママは? 一緒じゃなかったのか?」
「マ、ママはお家……、ひっぐ、パ、パパと……二人で見に来たから……」
俺はこの父親が誰なのか知らない。
子供もいないから親の気持ちなんて想像もつかない。
だけど……。
この子を一人でここには置いていけない。
「ママを安心させてやろう! とにかく、ここから離れるんだ!」
「やだぁ! パパがいない! パパも一緒じゃないとやだ!」
「うるさい! このままじゃお前も死ぬぞ! ママを一人にしていいのか!」
泣きじゃくる子供に、こんなことを言っても仕方がない。
だけど、こんな理不尽な目にあったこの親子に出来ることなんて。
今の俺には思いつかない。
暴れる少年は、俺に抱き抱えられると抵抗する力が弱まった。
頭ではわかっているんだ。今すべきなのは泣くことじゃないと。
随分と遅れるが、緑の門へと走り出す。
喉が潰れても泣き続ける少年にかける言葉を、俺は持っていなかった。




