忘れられない男
紫の門から連なる七色の門は、ソリシアの街のどこにいても目に留まった。
建物が白で統一されていることもあり、雲の合間にかかる虹を思い起こさせる。
港から山の斜面に沿って作られた街並みに、低層から階段状に築かれる門は、外敵を防ぐ為のものだったのが、今となっては暮らす住民の豊かさを隔てるものとなってしまっていた。
「思ったより呆気なかったね。もっと下品なおじさん達が嫌な目つきで見てくるのかと覚悟してたけど」
紫から青の門まで苦労することなく合格と言われてしまったのが物足りないのか、ルナリスは手だけクルクルと振り付けを続けている。
門を進むにつれて、野次馬も増えていき樹上から見下ろす有翼族に留まらず、少数の魔族や人間からも見物されるようになっていった。
「安心しろ。すぐに下品なオヤジに会えるさ」
いくら虹の門が人身売買の温床になっているとは言え、それは上層近くだけらしく、黄の門までは階級を上げたい、権力者に認知されたいといった一般人が芸を身につけ、その門を開こうとしていた。
「踊りや歌は披露しやすいよな。他の人はどんなもので挑戦してるんだ?」
「何でもありさ。『どうだ、俺はすげぇんだ』ってのをアピール出来ればいいんだからな。絵を描くやつもいるし、ドラゴンの首を持ってくるやつだっている」
門を越えればそれだけで箔がつく。
実力に自信がある人からすれば、認知度を上げたり、直接顔と名前を売り込めるという意味で、あながち腐敗しきった制度とも言いづらいのかもしれないな。
もし、そこまで織り込み済みで夢見る人々を食らっているのであれば、許せない。
「あの……、すみません……」
聞き慣れない足音が一つ増え、後ろから声をかけられる。
くたびれた服装の人間の男が、息を切らしていた。
「お、お呼び止めてしまい……申し訳ありません。先程、あなたを青の門で拝見しておりまして……。よ、よろしければ絵を描かせていただけませんでしょうか!」
ルナリスに頭を下げる男を見て、ギルフォードが声を上げて笑った。
絵描きの肩に手を回し、金銭を要求するがルナリスがそれを止める。
ギルフォードの話を聞いた後だと、この街の人を信用できないが、服や手についた絵の具の汚れは新しものではなかった。
「私は構わないけど……、時間あるかな……」
「おいおい、教会から司祭が来るって情報を聞いて予定を立てたんだ。そいつに付き合って大事な顧客を失ったら台無しだぜ?」
ギルフォードが絵描きの男を力づくで追い返そうとするが、足をもたつかせながら繰り返し頭を下げられる。
その熱意に、つい手を差し伸べてしまった。
「次の緑の門でルナリスが踊るところを描くってことならいいんじゃないか? 俺達と一緒にいれば同行は出来るだろ」
舌打ちはするものの、遅れないなら好きにしろとギルフォードもどうでも良さそうに承諾をする。
しかし、あいつに凄まれても、諦めずに頭を下げたのは何故なんだ……。
ルナリスが緑の門で踊ろうとしている中、声をかけてみた。
「あ、怪しいですよね……。自分でもわかってるんです。ご迷惑だとは……。でも、彼女の踊りを見て、描かずにはいられなかった……。この美しさを描かなければ一生後悔すると思ってしまったんです……」
それまで背中を丸めていた絵描きは、筆を取ると人が変わったように白いキャンパスを埋めていく。
荒々しい色遣いの中に、彼女の持つ静かで落ち着きのある神秘性が、見事に描かれていた。
「すごい……。この絵を見せれば、あなたも緑の門を昇れるんじゃないか?」
「いえ……、門を昇るには作品を手放さなければなりません……。売る為の絵ならいくらでも手放せますが、これは私が持っておきたいのです」
男がルナリスに向ける眼差しを見て、胸が熱くなる。
この男が、ルナリスの最初のファンなんだ──。
神と魔王に並ぶ為の、第三勢力なんてものが現実的ではないと尻込みたくなる気持ちもあった。
だけど、この目で見て確信する。
(ルナリスなら……、信仰を集められる!)
踊りが終わった時、絵描きの男は俺にだけ聞こえるような声でお礼を言うと、足早に去ってしまった。
大事そうにキャンパスを胸に抱く背中に、俺からも「ありがとう」と呟く。
「緑の門も越えていいってさ。……ネモ、どうしたの?」
ララに呼ばれて俺達は次の黄の門へと足を進める。
確かな手応えを感じ、ギルフォードに聞こえないようにルナリスへ耳打ちをした。
「打ち合わせ通りに。次の門でやってくれ」
唇を結んだまま、頷く。
緊張で手に汗をかいたのか、ローブの裾で掌で擦っているが、深呼吸を一つすれば。
彼女の瞳は、炎のように赤く煌めいた。
◇
「ギルフォードの話だと、橙の門から裏の商売は始まってるらしい。仕掛けるなら黄の門だ」
ダンジョンで二人に提案した作戦は、いかに逃げるかだった。
ギルフォードの剣の腕を考えると、真っ正面からの戦いは避けておきたい。
最悪のケースは想定するとしても、戦わずに済むならそれに越したことはないからな。
「あいつに付き合うのは黄の門まででいい。紫から黄の門まででも十分に人目に触れるはずだ。それが終わったら……、港まで逃げる!」
「僕がルナリスを守りながら門を駆け降りる。ネモが追手の足止め。まぁ、ギルフォードさえ止めてくれれば大丈夫かな」
「それで私が逃げ切れたら、引き寄せの魔法でネモさんを思いっきり引き寄せる……。うぅ……責任重大だ……」
黄の門で踊る時に、こっそりと俺に引き寄せる為の準備を進めてもらい、あとは合図と共に──。
大丈夫。敵となるギルフォードの手強さを考えても足止めに徹するのであれば、時間は稼げるはずだ。
ギルフォード以上の手練がいなければ。
胸に残る小さな不安の種は、見て見ぬ振りをした。
可能性を潰していくことは大事だが、考えてもキリがないこともある。
勝てない敵を想定しつづけていては、成功するものもしなくなってしまう。
◇
黄の門には、これまで以上の人だかりが出来ていた。
サリエン卿の娘も出場するということで、集客をしていると読んだが当たりだったみたいだ。
「すごい歓声だね。コツコツと色んな街でルナリスのファンを増やしていければ、もっと力が増していくはずだよ」
ルナリスが舞台で踊りながら、俺に魔法を付与し、いつでも引き寄せられることが確認できた。
これで後は逃げるだけだ。
ギルフォードは俺たちの目論みに気付いていないだろうか。
辺りを見回すと人混みで、その姿が見当たらない。
ドクン、と何だか胸騒ぎがする。
何かを……見落としている?
何を……、どこで……?
ギルフォードが観客に埋もれていたが、誰かと話をしているのが見える。
堂々とした白髪の男性だった。
それは冒険者の頃に見慣れた、中央都市で強権を払っていた聖教会の法衣。
その後ろに、一人の騎士が立っていた。
忘れられない、忘れるわけがない男。
ルナリスを手にかけた張本人。
ジークがそこに立っていた。




