煙の向こう側で
「へぇ、お嬢ちゃん達もやる気になってくれたのか。そりゃあ良かった」
三人で話し合ってから一夜明けて、俺はギルフォードの元に訪れる。
二人はギルフォードへの不信感を顔や態度に出す為にダンジョンに残らせた。
「ルナリス達はパフォーマンスに集中してもらえるように今はのんびりしてもらってるよ。裏方は俺一人で十分だ」
「随分顔つきが良くなったじゃねぇか。……まぁ、野暮な詮索をする気はねぇよ」
カッカッカと渇いた笑い声が、薄暗い部屋に響く。
ギルフォードに案内された路地裏の地下にある酒場は、意図的に照明を絞られていた。
人を見た目で判断してはいけないと言うが、そこにいる人達はどうにも信用ならない人相をしている。
一方的に当てられたグラスの音に、ギルフォードなりの親しみが込められていた。
「虹の門ってやつの下見はしておかなくていいのか?」
「いらねぇよ。ネモが何を想像してるか知らねぇが、最悪突っ立ってるだけでいいんだ」
テーブルの脇から乱暴にコースターを数枚引き寄せ、それを並べ始める。
「港から門が見えただろ? 門の下にはこんな感じの丸い広場みてぇのがあるんだ。元々は門番が侵入者をチェックする為のもんだったらしい」
煙草に火をつけ、ゆっくりと味わうように煙を吐き出した。
少し甘い匂いが鼻をくすぐる。
「昔の名残でな。不審者やらモンスターを弓で射るように、門の中は兵が待機していたんだ。今はそこが観客席だ」
「やけに物騒だな……。芸術都市って名前のわりに戦争でもしてたのか?」
フゥーっと深い息と煙を吐くギルフォードの目がとろけていく。
肩がダラリと落ち、焦点が合わなくなっていた。
おそらく、煙草に何か混ぜてるんだろう。
「芸術都市なんて名ばかりだ。気づいてると思うが、この街はこんな葉っぱや人攫い、他じゃ出来ない商売の温床だ」
「……まぁ、この店に入った時には覚悟してたよ」
本当にルナリスとララを連れて来なくて良かった。
俺だって居心地は悪いが、一人だったら逃げるくらいは出来る。
そうか。ギルフォードの目的は……。
「ルナリスとララを金持ちに売りつけようって魂胆か」
だらしなく笑うギルフォードの顔に、普段の鋭さは無くなっていた。
まだ舌は回るようで、二つに割れたそれを挑発するように動かしている。
「あれは高く売れるぜぇ……。芸術家気取りの変態が向こうから寄ってくる」
教師、医者、政治家と指を折りながら買い手を挙げていく。
確かに聞いているだけでこの街が腐っているのが伝わってきた。
「でもな、安売りをしちゃダメだ。赤の門まで行けばサリエン卿はもちろん、教会の司祭だってお忍びで出てくる。そこと繋がれば遊んで暮らせる金が手に入る」
トントン、とコースターを指で叩く。
教会という言葉が、あの日のジークの狂気を思い出させて首筋に汗が伝った。
グラスに手を伸ばしかけるが、ギルフォードの様子を見て手が止まる。
「大丈夫だ。それには何も入ってねぇ」
「信用できるかよ。本当はその煙だって吸いたくないんだ」
金払ってでも煙を吸いてぇやつもいるのにな、と言いながら揶揄うように煙を吐き出す彼を見て、どこか寂しさを感じてしまう。
ギルフォードは何から逃げたくて、それを吸っているのか。
何が欲しくて、人を売ってまだして金が欲しいのか。
貧富の差か、種族の差か。それとも俺の知らない闇か。
いずれにせよ、二人を人身売買の商品にする気はない。
だが、俺達を獲物にしようとした蛇は。
俺達だって獲物にしてやる。
「ギルフォード、お前は金が稼げればそれで満足なのか?」
「……腐った飯を奪い合ったことがあるか? 母親が汚ねぇオヤジに犬みてぇに蹴飛ばされたことは?」
「……ないな」
「だろうな。あったらそんなお坊ちゃんみてぇな言葉は出てこねぇ。気をつけろよ、ここにいるのは俺を含めてクソみてぇなところで生きてきた連中だ」
薄暗い店のあちこちから野太い笑い声が聞こえてきた。
どうやら、店内の人影は全てギルフォードの仲間らしい。
ここで俺がやられてしまえば、ルナリス達を拉致すればいい、という計画か……。
「いいのか? お前は虹の門を昇っていくことに執着しているかと思ったんだが。俺を殺したらルナリス達は協力しないだろうな」
「だから俺は力づくなんて真似はしたくねぇ。お前は使えるからな。あんなガキのことは忘れて協力してほしいんだ」
ギルフォードは虚な目で俺を見ていた。
怪しげな煙草を吸って判断力が鈍っているとはいえ、その瞳の奥には黒い炎のような意志が燃え盛っている。
「ギルフォード、何か勘違いしてるみたいだから教えてやるよ」
テーブルに置かれたグラスを手に取り、一気に空にする。
煙で渇いた喉に、冷たい水が染み渡った。
「俺達はルナリスを推してもらう為に、舞台に上がる。虹の門は昇ってみせるが、お前の思い通りにはさせない」
俺の言葉が癇に障ったのか、後ろから太い腕に肩を鷲掴みにされる。
「てめぇ、調子に乗ってんじゃ──」
ヒュッと頬を風が切る。
ギルフォードの剣が伸びてくるを目で捉えられなかった。
脱力して首が傾いているのにも関わらず、その速い剣筋が、後ろの男を貫いている。
「やっぱり商売はお互いに利益がないといけねぇよなぁ……。最高だぜ、ネモォ……。俺の相棒はお前しかいねぇ……」
煙草のせいで幻覚でも見ているのか、まだ俺のことを仲間だと思っているらしい。
歪んだ信頼と愛情が、ギルフォードから向けられた。
しかし、お前に信じられても俺の心は強くならない。
「俺の相棒はルナリスとララだ。お前じゃない」
亡者のようにうわごとを呟くギルフォードに、もう俺の言葉は届いていないようだった。
揺れる舌先だけが、まだ彼の魂がそこにいるのを証明していた。




