別れと船出
舞台から数日、俺たちは潮風を浴びながら商船に揺られていた。
ファルジアの鉄と煤の匂いは消え、懐かしい海の匂いが胸を刺す。
村を飛び出し、挫折を味わい、ボスになって居場所を見つけた――はずだった。
けれど今は、相棒とも言えるルナリスを妬む自分に気づいてしまっていた。
自分が情けなくなり甲板で一人過ごしていると、身体を手に入れて文字通り生まれ変わったララが声をかけてくる。
「元気ないね。ルナリスと喧嘩でもしてるの?」
「……まさか。俺とルナリスじゃ、喧嘩にもならないさ」
なにせ立場が違いすぎる。
あの夜、俺は痛感したんだ。
彼女がどれだけ人の心を震わせるかを。
「僕が砕けてる間に何があったか知らないけどさ。二人で話でもしてみれば?」
気持ちよさそうに風を浴びているが、首や関節を見れば作られた身体だとわかる。
ルナリスをモデルにしているだけあり、髪型や瞳の色が違ってもどこか彼女を感じさせた。
だからこそ、わかってしまう。
ララからは見えない魅力の欠片。
それは、見た目の可愛らしさ、美しさとは別の、魂に宿るものなんだろう。
「おぅ、ネモ! ここにいたのか」
一仕事終えたのか、煙草に火をつけながらギルフォードが声をかける。
それを見てララがこっそりと耳打ちをしてきた。
「気をつけて。あの人、あまり信用しない方がいいよ」
すれ違い様にギルフォードはララを見て満足そうに頷く。
それは仲間に向けたものではなく、商品としての価値を確かめているように見えた。
「どうだ? デカい街はワクワクするだろ。うまくいけばファルジアとは比べもんにならないぐらい稼げるぜ」
「……俺は別に稼ぎたいわけじゃない」
「おいおい! あの夜のことを忘れちまったのか!? 客を集めたは俺だったが、火種を燃やしたのはお前だろ?」
肩に重く腕を回され、鱗がぺたりと肌に貼り付く。
暑苦しさと煙草の匂いが混ざり、逃げ場はなかった。
「ネモ、お前には商才がある。次も一儲けしようぜ、相棒!」
ララの言う通り、ギルフォードは信用ならない。
だが、腕は認めざるを得なかった。
そして、その評価が嬉しい自分が嫌だ。
太陽がジリジリと甲板を焼いていた。
首に回された腕の重みと、鱗のざらつきが肌をじわじわと占領していく。
その弾力のある硬さが、ルナリスの舞台の後のことを思い出させた──。
◇
「「「かんぱーい!」」」
ジョッキから溢れるのも気にせず、みんなで舞台の成功を喜んだ、あの夜。
酔っ払ってギルフォードは、俺やレンゾーの肩を引き寄せながら、何杯もジョッキを空にしていた。
皮膚に張り付く彼の鱗をまじまじと見ていると、騒がしい酒場だと言うのに一際小さな声で囁かれる。
「なぁ、このショーは金になるぜぇ……。次はソリシアで公演を開こう。あそこのやつらは派手好きだからよぉ。はぶりが良いんだ」
「わしは行かんぞ。せっかく魔導人形が動いたんじゃ。ここからは改善、研究に時間を使いたいからな」
ギルフォードの言葉に耳を貸さず、もう次の制作、実験に心が躍っていた。
目が合うと、面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「……ララのことか? あれはわしの作品じゃぞ。……だが、あれにはもう魂が宿っておる。残るのも去るのもララ次第じゃ」
強がりとも言い切れない様子で、ララの気持ちを尊重しようとしているのは伝わってきた。
レンゾーはもはや娘のような気持ちで接しているのかもしれない。
「ソリシアに行くの!? いいね、こんな素敵な目と耳が貰えたんだもん。芸術都市なんて今の僕にはピッタリだよ」
芸術都市ソリシア。
その名の通り、絵描きや音楽家が多く、華やかな都市だとは聞いたことがある。
ララが浮かれて手首を外している中、横に座るルナリスの表情は曇っていた。
目が合った瞬間、ルナリスはわずかに首を振るようにして視線を外した。
その仕草だけで、胸の奥の黒いものがざわつく。
「なら決まりでいいだな! ネモも人形のねーちゃんに良い思い出を作ってやりてぇもんな! よし、決まりだ。足は俺が見繕ってやるから安心しろ!」
酒の力もあるんだろうが、終始うきうきとしたギルフォードに一抹の不安を抱いた。
その間、一滴の酒も飲まずにジッとしていたボルネがゆっくりと話す。
「ココでオワカレ。カエラナイトイケナイ。ネモ、ルナリス、ララ、ゲンキでね」
「えっ!? ボルネも? そっかぁ……、寂しいね……」
ルナリスの浮かない顔に、拍車がかかる。
今にも泣き出しそうな顔は、別れの気配を感じ取っていたからなのだろうか。
ボルネは表情は変えないものの、いつもよりも穏やかな、優しい音を奏でた。
「ダイジョウブ。ファルジアもソリシアもツナガッテル。マタアエル」
「良いこと言うじゃねぇか! ボルネ、今度わしの仕事も手伝ってくれ」
豪快に笑うレンゾーを見て、胸が満たされた。
最初は有殻族への不信感を持っていた筈なのに。
仕事に誇りを持っているレンゾーが協力をお願いするなんて。
種族の壁は高くて堅かったとしても、キッカケがあれば壊せるんだな。
◇
「ネモさん、大丈夫ですか?」
「え……? あ、ああ。ちょっとボーッとしてた。何かあったか?」
風に不安を吹き飛ばしてもらおうとしていたところを、不意に声をかけられる。
ルナリスが何を言おうとしているのかは分からなかった。
だけど、どんな感情なのかはぼんやりと分かった気がする。
何か言いにくいことがあるみたいなのに、それを言葉にするのを躊躇っていた。
「……ネモさんの村も、こんな感じの潮風でしたか?」
言いたいことを隠そうとしているのか、上手く言葉に出来なかったのかは分からない。
「……ああ。この時期だと海底まで潜って真珠貝を獲ったりするんだ」
言いたいことを隠した。言葉にするのが怖かったから。
俺は君を妬んでいる。誰からも愛され、魅了してしまう君の横にいるのが辛い。
海は穏やかに水面を輝かせていたが、波の凹凸が底の深さを俺にだけ教えてくれていた。




