その魂に、価値はあるか?
取り返しのつかない場所まで来てしまった。
成果が出なかったとはいえ、冒険者として生きていた者として。
魔王に名前を呼ばれることになるなんて、考えもしなかった。
唾を飲み込む音すらも、彼の機嫌を損ねないように。
まるで、今にも握りつぶされそうな重圧を感じ──。
「せっかくボスとして軌道に乗ってきたのに、残念だったな」
「え……、あ、はい!ありがとうございます」
額から汗が流れる。
迫力の前に頭が真っ白で、思わぬ言葉に喉が詰まった。
一瞬で心を鷲掴みされるような、吸い込まれるような瞳に不思議な引力を感じる。
かしこまらなくていい、君の前にいるのは人間の敵だぞ、と冗談めかす笑い声に頬が引き攣る。
笑うことすら失礼にあたるんじゃないかと、怒らせたらその場で消し炭にされないかと思うと、うまく声が出なかった。
「ふむ……。まぁ、君のことを考えれば笑ってられる状況ではないか。では本題に入ろう。ルナリスのことだ」
ルナリスの名前が出て、胸が締め付けられる。
カタリナの話では最悪の事態は免れたように思えたが、依然として何が起こったのか俺は理解出来ていない。
魔王の次の言葉を聞きたいが、怖くて耳を塞ぎたくなる。
「どうやら、あの不死鳥の炎に魂を焼かれたようだな。灰となった魂は跡形もなく彼方へと消えていく。普通はな……」
言いながら魔王は魔法でワイングラスを出現させた。
それを床に放り投げると、当たり前のようにバラバラに砕け散る。
どこからともなく吹く風が、グラスの破片を掃いてしまった。
「ネモ、このワイングラスを拾い集めて完全な姿に戻せるか?」
「……いや、細かい破片も飛んでしまいましたし、形を整えるぐらいしか……」
「そうだ。灰になった魂を全て余さず戻すなんて不可能だ。魔石の力で出来ることと言えば、せいぜい破片を集めておく程度」
まさに奇跡だ、とため息をつく。
俺は彼が何を言いたいのか理解できず、沈黙を見守るしかなかった。
玉座を立ち上がり、悠然と歩く魔王が俺の前で立ち止まる。
いつの間にか、外は雨が降りしきり窓を叩いていた。
雷鳴が、魔王の肌を青白く照らす。
「時にネモ。お前は魔法が何故使えるか理解しているか?」
「えっと……、唯一神である不死鳥イグナシアを信仰することで加護が得られ、その力を魔法として顕現……させます……」
「概ね正しい。だが、それは人間の解釈だ。我々魔族はイグナシアを信仰しない。古来より、この星に住んでいた精霊を信仰し、その加護を得ている。……要は信仰する対象から力を借りているということだ」
人間と魔族の対立は、何百年も前に遡ると聞いている。
唯一の神を信じる人間と、数多の精霊を信じる魔族。
まぁ、人間の中でもそこまで熱心に信仰しているのは教会のやつらと、一部の信徒ぐらいだろう。
俺みたいにそもそも神を信じていない人間だっている。おかげで大した加護を受けられずにいるが……。
「それがこの世界の理だ。人間も魔族も関係なく、神と精霊のどちらを信仰するかの違いでしかない。私はこれを″推す″と言っている」
踵を返し、玉座に戻る。
魔法でワインとグラスを出したかと思うと、悩ましげに揺らしては香りを楽しんでいた。
大事そうに舌の上で転がす姿は、まるでこの時を待ち侘びていたように見える。
「ルナリスは何者かの力によってその粉々になった魂を維持することが出来ている。神でも精霊でも、ましてや私にもこの世界のものには不可能だ」
冷たく、刺すような目が俺に向けられた。
「それが……、何を意味するかわかるか……?」
飲み干したグラスに血のようなワインを注ぐ間の暇つぶしのように、俺に問う。
トクトク、トクトク。
それが終わる前に答えないと、という焦りが胸を締め上げた。
「この世界ではない……、誰かに推されている……?」
魔王は何も言わなかった。
しかし、グラスをゆっくりと回すその口元は怪しげに笑っている。
「結論を言おう。ルナリスは一命を取り留めたので、あの状態なら私でも助けられる」
その言葉を聞いて、膝の力が抜けた。
助かると、ハッキリと言われるまで虚勢を張っていたけど、これでようやく息が出来る気がする。
しかし、続く魔王の言葉は予期せぬものだった。
「さて、ネモよ。ルナリスは助かるべきなのか? 彼女の魂の価値を私に示してみせろ」
何を言っているのか、言葉の意味が理解できない。
きっと、窓を打つ雨音で聞き違えたんだ。
しかし、それを嘲笑うように魔王は唇を舐めている。
目の前の魔王は、やはり俺の敵だったのかもしれない。




