彼は申し訳なさそうに微笑んで
ポイントや誤字報告を下さる皆さま、いつもありがとうございます。お陰さまでまた新作が書けました。
10年前。
当時六歳だったスイ・ロウリー伯爵令嬢は、結婚式に憧れる女の子だった。純白のドレスを着てブーケを持った自分。そして隣には、燕尾服を着たカッコいいお兄さんがいる姿を夢想して、胸を膨らませていた。
「ねぇ、サボ様。大きくなったらスイと結婚式をしましょう」
サボ・ミナノスタ伯爵子息。
親同士が懇意にしておりしばしば交流のあった八歳年上の優しいお兄さんに、スイは微笑ましい恋をしていた。
今まで、どんな遊びをお願いしても嫌な顔ひとつせず応えてくれていた大好きなお兄さん。しかし彼は、スイの言葉に申し訳無さそうに微笑んで、
──ごめんね、スイちゃん。将来僕達は結婚式を挙げるわけにはいかないんだ。
目が覚めた。
「懐かしい夢……」
寮のベットから起き、ノブレス学院高等部の新制服に袖を通しながら十六歳になったスイは呟く。
バレッタで纏めた蜂蜜色の髪に、狸を彷彿とさせる可愛らしい顔立ち、さくらんぼのような赤みと艶のある唇、きめの細かい肌に形の良い手足を持つ彼女は、中々の美少女だ。
「彼は教師、わたくしは学生、立場を弁えて困らせるような言動はしない。この感情は上手く隠す」
身支度を整え、鏡に映る自分に向かって今日も呟いてから、彼女は部屋を出る。
「はあー、サボ先生、やっぱりカッコいいなぁ…」
「全く奥様が羨ましいわよね」
昼休み、花壇の見えるベンチで友人達と雑談に興じているとそんな話題になった。
サボのことを褒めそやす親しい学友達に、スイは口を開かず曖昧な微笑みで返す。
サボは、実家が教育関連事業の名家ということもあり、実地経験を積むため今春から学院で教師をしていた。
精悍な顔立ちに、丁寧で分かりやすい授業、生徒一人一人をよく見る面倒見の良さまで兼ね備えた彼は、新任紹介で既婚者と周知されたのに、女生徒達のアイドルのようになっている。
10年前から変わらず……いや年々恋慕の情が増しているスイとしては、複雑な心境である。
「やあ、君たち。高等部の生活には慣れたかな?」
そんな折、彼女達に3人組の男子学生が声をかけてきた。
年次別に色分けされたタイの色を見ると、どうやら一学年上の二年生らしい。
いかにも輝かしい青春の1ページ目が始まりそうな展開に、スイの学友2人は色めき立つ。
「ありがとうございます。先輩」
「親元を離れての寮生活とか、新しい環境で中々覚えることも多くてぇ」
ガールズトークから一転、可愛い後輩モードに切り替わった友人達と先輩学生達の会話は弾む。
結果「気晴らしに、今度皆で街に出かけよう」という話がトントン拍子で決まってしまった。
街に出かける日の朝、スイは気乗りしなかった。
しかしだからといって、一度決まったものを身勝手にドタキャンするような選択肢は彼女にはない。
「ごめんね、スイちゃん」
過日、そう言って謝るサボを、泣いて困らせる幼い自分。
穴があったら入りたくなる恥ずかしい記憶が、彼女を義理堅い性格にさせていた。
行ってみれば、6人組での街遊びは思ったより楽しかった。従者を連れず自由に街を散策するのも新しい経験だった。
「ところで君たちは、婚約者とかいるの?」
「ああ、このお出かけに後ろめたいところや含みはないんだけど、ただの雑談としてね。」
「ちなみに俺はいるよ。あと2人はフリーだね」
スイ達がリラックスしてきたところで、男子組がそんな事を切り出してきた。
何と答えるべきなのだろう。やはり正直に答えた方がいいのだろうかと、スイは思案する。
貴族の結婚と言うのは家同士の都合で決まることが多い。本人の恋愛感情は反映されず親子程も歳の離れたもの同士で縁談が組まれることだってある。
そして「だからこそ学生の間だけでも自由な恋愛がしたい」と言う者も、相当数いることは知っていた。
「わたくし達、3人とも婚約者はいませんよ」
「でも、スイには長年の想い人がいますけどねー」
思案している間にサラッと答えた友人に「ちょっと、やめてくださいませ」と言いながらも、スイは安堵した。
この回答なら嘘をつく罪悪感もなく、恋愛対象外の彼らから今後アプローチをされることはないだろう。
そう思っていたのだが。
半年が経った頃、スイ達は変わらず「友人」として6人でよく出かけていた。
ただその自然な成り行きの中で、フリーの男子学生達とスイの友人達は、それぞれ個別に「良い感じ」になっていた。
すると必然、唯一婚約者のいた男性学生は、スイと話す機会が増えていく。
その学生は名前をカーマ・チェアスと言った。
幼い婚約者がいたが、その少女は彼にとって恋愛対象とはならず、次第に、可愛く性格も良いスイを「学生の間限定の恋人」にしたいと考えるようになっていく。
いわば浮気な訳だが、彼の婚約は愛情よりも血筋や利害関係を重んじたものであり、両親も互いに愛人をもっているような家系だった。
「俺の婚約者は五つ年下なんだけど、正直子供すぎて恋愛対象としては見れなくて……仕方なく一緒にいる時間は取るんだけど楽しくはないんだよね。やっぱり君みたいな、同世代の女の子といる方が楽しいや」
そう言ってカーマが遠回しなアプローチをした際、スイは不本意ながら「そうなのですね…」と答えてしまった。
カーマの言葉が婚約者に対して不誠実なものだとは感じたが、過去の自分もサボにそういう思いをさせてしまったかもと思うと、批判や否定することは躊躇われたからだ。
その後、彼はよくスイが1人でいる時にも話しかけるようになる。
今まで異性から恋愛絡みのアプローチを受けた事がなく、その方面ではちょっと鈍感なところがあったスイ。だから戸惑いつつも「わたくしが自意識過剰なだけで、友人としてこれくらいは普通の範疇なのかしら」と考えて相手をしていた。
それがまた、カーマの「押せばいけるんじゃないか」との誤解に拍車をかけることになる。
カーマが本腰を入れたのは『ハーベスト・ドロワット』を十日後に控えた日のことだった。
秋の収穫を祝う全学年参加の学院行事『ハーベスト・ドロワット』。
女生徒達は裁縫の授業にて自ら仕立てたドレスを着てダンスパーティーに参加する。
ただしフロアで踊るか踊らぬかは本人達の自由だ。
またそれとは別に、イベントの目玉として特設ステージで踊る社交ダンスのコンテストがある。
ダンスに自信がある者だけでなく、恋人同士がパートナーとの思い出作りに参加する事こともある。
「恋人として一緒にコンテストに出よう」
そう言ってカーマから告白された。
スイが1人、服飾室に残ってドレスに着色の仕上げをしていた時のことだった。
従来品をサイズオーダーして完成とする生徒が多い中、フルオーダーで作ることを選んだスイは時間がかかったのだ。
「お気持ちは嬉しいのですが……ごめんなさい」
「好きな人がいるんだったよね。それって、サボ先生でしょ?でも報われない感情だと思うんだ」
拒否の返事に対して、カーマが言った言葉をきいて息をのむ。
「半年みてきたからわかるよ。悲しい片思いを続けるよりも俺にしときなよ。きっと忘れさせてあげるから」
そう言って距離を詰めてくるカーマ。
スイは動揺しながら、その分後ずさる。
とその時、机の上に置いていたバケツにぶつかりひっくり返してしまった。カン高い音がたち、飛び出した染料がドレスを汚す。
「きゃっ……ああ!」
「わわわ、ど、どうしよう」
スイはドレスのシルク生地に水性の塗料を滲ませて美しいグラデーションをつけていた。しかしそれが、飛び立った染料により台無しになってしまっている。スイは泣きたい気持ちになったが、カーマはなにもできず、ただオロオロとするばかりだった。
「どうした、大丈夫か……何があった?」
それは、巡回でたまたま近くを通りかかっていたサボの声だった。
サボの対応は的確だった。
まず2人を落ち着かせて、事情をきく。それから、生地と染料から考えれば一度ブリーチしても染め直す時間は十分にあるはずだと説明し、励ます。その後は、淡々とドレスの処置と片付けを手伝ってくれた。
それらが終わるとサボは言った。
「カーマ......君はこれからスイと距離を置いて欲しい」
カーマは当然、これには反発した。
スイには迷惑をかけたが悪意からではない、教師が生徒の交友を制限するのは越権ではないかと。
その言葉に、サボは「これは教師としての言葉ではないよ」と、申し訳無さそうに微笑んでから言った
「スイ・ミナノスタの夫としての言葉なんだ。私達は13年前から結婚しているんだよ」
ふらふらとカーマが立ち去ったあと、服飾室には2人が残された。
「サボ様……その、申し訳ありませんでした。」
「いや、謝るのは私の方だ。こういった事態を避けるために、もっと堂々と周知しておくべきだった。私達の婚姻にやましいところは無いのだから」
「そんな……それはわたくしを守るための選択だったではないですか」
ああ、まただと、スイは思う。
またサボに謝らせてしまった。
カーマに勘違いをさせたのは自分の至らなさからだし、2人の関係を親しい女友達以外に秘密にしていたのは、教師と結婚している自分が好奇の目で見られないように配慮してもらったが故だったのに。
守ってもらって、迷惑をかけてばかりの現状に、カーマに言われた言葉が思い出される。
──正直子供すぎて恋愛対象としては見れなくて……仕方なく一緒にいても楽しくないんだよね。
──好きな人がいるんだったよね。それって、サボ先生でしょ?でも報われない感情だと思うんだ。
スイは両家の都合により僅か2歳の時、物心つく前にサボと結婚した。
貴族は平民と違い婚姻に下限年齢の定めはない。国や家の利益のためなら、実態がなかろうが本人の意思や判断がなかろうが実行されるのが政略結婚というものである。
スイが5歳の時「大きくなったら結婚式をしたい」と言ったとき、サボが申し訳なさそうにほほ笑んだのはそういった事情からだった。
愛のない結婚も多いから「学生の間だけでも自由な恋愛がしたい」と言う貴族も相当数いるのだが、「サボ君はとても義理堅く浮ついた話がひとつない」と、両親が誉めそやしているのを、スイはよく聞かされて育った。
「10年前からご迷惑をかけてばかりで、本当に申し訳ありません。サボ様の学生時代も、楽しい思い出を作る機会を沢山奪ってしまったことは分かっています」
そう、サボの誠実な行動はきっと愛情ではなく義理からだ。
恋愛対象とならない八歳も年下の自分のために、彼が青春を楽しめなかったと思うとスイは申し訳なく思う。
「確かに貴族の結婚は本人の感情は反映されにくい……当時の君はまだ10にも満たない子供だったし、恋愛感情を持ちにくかったのは否定しないよ。ただ、夫婦としての生活は長い。お互い慈しみ合えるならそれが一番だし、その為に節度ある行動を心掛けるのは当然だと思うんだ」
「それでも、サボ様がそういう方だからこそ......貰ってばかりの私は心苦しく思うのです。今からでも何か埋め合わせのしたいのに、何もできない自分が情けない……」
言いながらスイは萎れるが、サボはその言葉を軽く首を振ることで否定する。
「君は本当に成長した。本心からその言葉が言える女性は、なかなかいないよ。それに、例えばそのバレッタ......昔僕が贈ったものをいつも律儀につけてくれているだろう。君のそういう配慮が、私は嬉しいんだよ」
「配慮だなんてそんな......カーマ様にもあらぬご誤解を与えてしまっていましたし」
「念の為確認するけど、君は彼に恋心を抱いたり、誘惑したりはしていないんだろう?」
サボの言葉にスイは「まさかそんな」と驚く。
「心根の悪い方では無いと思いますが、とても恋愛対象としては見れませんでした。サボ様と比べると正直考え方が幼く見える所も多くて……」
「なら彼の暴走まで君が責任を感じる必要はないよ。婚約者がいる身で浮気しようとしていたようだし、軽薄な彼には逆にいい薬になったんじゃないかな」
サボはピシャリと言い切る。
そして、なおも謝ろうとするスイの唇を人差し指で軽くふさいで続ける。
「もし、それでも埋め合わせをしたいというのなら......その素敵なドレスで、コンテストに一緒に出てくれないかな。以前の発言を撤回する形になり申し訳ないが、この機会に君は私の妻だということを、大々的に学園中に知らしめたいと思うんだ。勿論、君の実家にも話は通しておく」
「私は全く構わないのですが、それが埋め合わせになるのでしょうか?サボ様も仕事がしづらくなりませんか」
「それはもちろんあるだろうけれど、今の私にはもっと憂慮することがある。わかるだろう」
きょとんとしたスイに、サボはやれやれと言った顔をしてを続ける。
「愛する伴侶が他の異性から言い寄られるのは、誰だって避けたいものだよ?」
目を見開いたスイに、サボは続ける。
「今の君はもう十分、僕にとって愛すべき淑女だ」
『ハーベスト・ドロワット』イベントの目玉、特設ステージで踊るコンテストにて、今年はあるカップルが注目を集めた。
それは、燕尾服姿の教師とフルオーダーのドレスを着た女学生の二人組。
カップル紹介の折に夫婦であることが周知され、それぞれにほのかな恋心を抱いていた者達はショックを受けたようだった。
しかしこの半年余りで二人が培った周囲との人間関係ゆえ、イベント後の二人は大多数から温かい目で見られるようになる。
その後2人は見事に審査員特別賞を受賞し、花束を贈呈された。
花束を持ち周囲から祝福され笑顔を浮かべる少女。
脱色後、染め直しをしなかった純白のドレス。
代わりに付けたスパンコールが星の様に輝く。
それはまるで、ブーケをもった花嫁のように見えた。
◇
2年後、成人したスイはサボと寝室にいた。
「や、優しくしてください…」
赤面した彼女に、彼は申し訳無さそうに微笑んで
「ごめん、ちょっと理性がもたないかもしれない 」
読んで下さりありがとうございました!
新作書きました↓
それが貴族の結婚システム
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