フィリピンとウェーク
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フィリピンとウェ―ク
まもなく爆撃隊がやってくる。このぶんなら楽勝だと桜井大尉は思った。
そのとき、別の飛行場から駆けつけてきたのであろうダークグリーンの
戦闘機が十機ほど、同高度で反航してくる。
反航ではたちまち彼我の差は縮まる桜井は翼を大きくバンクさせ、
列機に敵接近を知らせると、増槽を落した。機体が身軽になる。
敵は高度をいったん上げると、その優位を利用して、一気に突っ込んできた。
怖いもの知らずなのか、それともこっちをなめているのか。
バッファローより、スマートな機体、太いプロペラ軸…カーチスP-40だ。
反航戦、つまりすれ違いざまの銃撃では弾はまず当たらない。
桜井は得意の左捻り込み…これは、熟練の操縦士にやられると、
錬度の低い奴は何が何だか分からない。
坂井三郎の左捻り込みは神技と呼ばれたほどだ。
このときの敵機もおそらくそうだったのだろう。
後ろに食いつかれたことはわかった敵機は垂直旋回で逃れようとしたとき、
腹を見せた。その一瞬を逃さず、愛機の零戦五十二型の引き金を絞る。
敵は錐もみに入りそのまま落ちていく。操縦士は飛びだす暇もなかった
らしい。桜井は翼をひるがえし周りを見る。残った敵機は三機ほどだ。
その三機は必死に逃げている。P-40の急降下性能は素晴らしく、
どちらかというと、急降下性能が良くない零戦は追いつけない。
クラークフィールドはいまや大量の黒煙におおわれている。
さきほどまでの整然と並んだ敵機はそのほとんどが破壊、炎上していた。
この日のクラークフィールドの損害は、B-17十五機炎上、八機大破。
P-40、三十五機大破、二十五機撃墜。たった一日で米軍航空隊の大半が
失われてしまったのである。
日本の空襲は連日行われた。わずか三日で米空軍は壊滅的な打撃を受けた。
キャビテ軍港でも、駆逐艦二隻と潜水艦五隻が直撃弾を食らったほか、
海軍工廠が完全破壊された。このとき集積してあった魚雷すべてが破壊され、
フィリピンの潜水艦は、その武器を失うこととなった。
フィリピンのその軍事機能は完全に失われたのであった。
ウェーク島は完全な環礁ではなくV字形をしており、ウェ―ク、ビール、ウィルクス
の三つの島からなる、サンゴ礁の小島である。
西太平洋のちっぽけな島だが、米にとっては、極東交通の重要な拠点である。
1935年に民間の航空会社が飛行場をつくって、サンフランシスコとマニラ
を結ぶ定期航路を開通していた。
米海軍もこの島の重要性を重視しあの「オレンジ計画」の拠点ともなる島である。
1941年から日米開戦を睨んで、本格的な基地づくりが、開始された。
米軍の基地建設は、史実よりは、工業化も進んでいるこの世界の日本でも、
比べ物にならないほど、迅速かつ重厚だ。
米はのちに、シービーズ(海の蜜蜂)と呼ばれる、民間人を徴用した、
建設部隊をつくりあげ、軍人にも劣らぬ活躍を見せた。
しかし、武力は貧弱だった。
兵力は、
海兵隊大隊が一個、五インチ湾岸砲が六門、三インチ高射砲が二十門である。
ウェーク島の増強を考えたキンメル大将は、十二機のF4Fを配備した。
配備を行ったのは、
ハワイ沖で第一航空艦隊に叩きのめされた、第八機動部隊である。
空母八隻と一隻の差だけでも大きかったのに、
艦載機の減っていた第八機動部隊では、かなうはずもなかった。
そのため貴重な正規空母が失われたのだ。
まあ、ともかくウェ―ク島には十二機のF4Fがいる。
この部隊の指揮をつとめるのは、ベテランのパットナム少佐である。
史実では、クェゼリン基地に零戦を置いていなかったため、二機の陸攻が
やられるが、この世界では、旧式とはいえ米戦闘機には十分すぎるほど渡り合える
零戦二十一型が十二機置かれていた。
開戦と同時に井上中将の南洋艦隊はクェゼリン基地から、一式陸攻、零戦を送って
爆撃をさせた。
「くそ。」
空中哨戒のために上げられていた四機のF4F小隊隊長のリチャード中尉は叫んだ
もう部下の機は落されてしまったようだ。彼は、急降下して、零戦を狙った。
「死ね、ジャップ。」
奴は、もう全機落していたと思っていたらしい、
ジャップの陸攻が爆弾の雨を落しているのを見ていたらしく反応が遅れた。
回避する間もなく、リチャードの機銃を受け落ちていく。
その後三日に渡る空襲にも残された四機のF4Fは耐えた。
しかし、無線通信所が破壊され人員も多数被害を出した。
三日目の朝ついに日本軍の上陸作戦が開始された。
陸攻隊から、ウェ―ク島の守備兵力はほとんど全滅、敵機も
叩き潰したという報告があったからである。
日本軍の攻略部隊は、軽巡一隻、駆逐艦六隻、潜水艦八隻からなる、
第六水雷戦隊に守られた、陸戦隊八百名が主力であり、
それを第十八戦隊が支援していた。
日本軍は楽な上陸作戦になると楽観視していたが、米軍はてぐすねひいて
待ち構えていた。まだ砲台は無事だし、四機の航空機もいたからだ。
夜間上陸をしようとしていた日本軍だが、波が荒すぎて大発を降ろせないため、
朝からの上陸に切り替えた。その前に支援部隊に艦砲射撃を行わせた。
島からは何の反応もない。総指揮官カニングム中佐は敵を十分に引きつけ
叩こうと考えていたからだ。上陸しようと、大発を出していた輸送船に
砲台が火を噴く。戦闘機も爆弾を抱え飛び立つ。
あまりにも島に接近していた、軽巡「夕張」駆逐艦「疾風」がこの砲を受け、
疾風は轟沈した。四機のF4Fは、百ポンド爆弾を軽巡「天龍」「龍田」に
たたきつけ、中破させた。
泡を食らった支援部隊は離脱を図ったが、戦闘機は執拗だった。
飛行場に戻り、弾薬爆弾を補給すると、駆逐艦「如月」を轟沈させた。
疾風、如月共に一人の生存者もなかった…。
しかし、米軍機も無事では済まなかった。二機が対空砲火で破壊されたのだ。
しかし、四機の戦闘機が挙げた戦果は望外すぎるものだった。
日本部隊の各指揮官は顔を青ざめさせた。それと同時に
要塞化された島嶼を攻略するときの貴重な戦訓を日本にもたらした。
しかしこのまま日本軍が諦めるわけではなかった。
日本軍の面子にかけて、ウェ―ク島は占領しなければならない。
そのため、真珠湾作戦から、帰投中の南雲機動部隊に支援命令が下された。
各艦とも燃料が心もとないので、南雲は弾薬爆弾を角田少将の第六航空戦隊に集め、
阿部弘毅少将の第八戦隊もつけてやった。ほかにもクェゼリンから重巡三隻「青葉」
「衣笠」「古鷹」が駆けつけた。陸戦隊もサイパンから増援をうけた。
まさに、連合艦隊の面子にかけての大兵力である。
無論米海軍も行動を起こしている。
フレッチャー少将の率いる空母「サラトガ」重巡三隻、駆逐艦四隻の
第十四機動部隊が、真珠湾を出港した。
太平洋には、米軍の空母はエンタープライズ無き今、二隻しかいない。
ハルゼー中将は参謀本部に空母「ホ―ネット」「ワスプ」を回航させるよう、折衝していた。
ハルゼーは日本に対する猛烈な戦意と復讐心に燃えていた。三隻の空母を中心に
強力な機動部隊を再建する心づもりだった。
一方、第十四機動部隊は同伴したタンカーの足が遅く、航行速度が上がらないため、
ウェーク島まで一週間かかる見込みだった。