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異説大東亜戦争  作者: たこ焼き
一章
8/80

日本軍進撃

遅くなってすいません。

卒業式とかいろいろありまして。

                日本軍進撃




香港とシンガポールの占領も順調に進んだ

イギリス植民地香港は、日本二十三軍により占領。

一方、マレー半島攻略も予想外のスピードで進んでいた。

シンガポールといえば、東洋における、イギリスの牙城で、

当然防備は固いはずだと日本は考えていた。しかし、インド兵主体の

イギリス軍の抵抗は微弱であり、日本軍の進撃速度は予想をはるかに

上回るものだった。

日本軍は三個機械化師団をもち、その中核は、一式中戦車であった。

一式中戦車は当時としては水準を超える新鋭戦車である。

この後継機である、三式戦車も開発中であり、戦車先進国のドイツと

ためを張れる、七五mm戦車砲を装備している。

この世界でも、日本は独逸、イタリアと同盟を結んでいた。

ヨーロッパ方面の戦況も後に書くつもりだ。

話を戻そう。

日本の歩兵にも「車両」が支給されている。……つまり自転車である。

工兵隊の活躍により銀輪部隊は快調に進んだ。

クアランプールは、

一月十一日に占領され、第二十五軍はジョホール・バルを目指した。

ここは、ゴードン少将指揮の第八オーストラリア師団がいる。

オーストラリア兵は、インド兵主体のイギリス兵より、勇猛である。

ゴードン少将も、日本軍を追い返すつもりでいるほど、意気盛んだった。

…だが、結局は日本の大兵力におされ、善戦しながらも、後退した。

もはや日本軍の進撃をはばむものは何もなかった。

一月三十一日、第五師団は、ジョホール・バルに入城した。

その先に横たわるジョホール水道の向こうはシンガポールである。




シンガポール防衛の指揮官パーシバル中将は籠城策をとるつもりでいた。

三か月籠城するに足る、武器弾薬食料は、備蓄していた。

それまでには、必ず救援もやってくると踏んでいたのだ。

しかし、マレーのイギリス部隊は意気消沈しており、

頼みのオーストラリア部隊も弱体化していた。

それに、日本軍は籠城の余裕を与えるようなことはしなかった。




二月六日、日本軍は進撃を開始した。猛烈な砲撃のあと、

近衛師団が、陽動作戦をとる間に、

ジョホール水道を、第五、第十八師団が舟艇に乗って上陸を開始した。

日本軍は浮き足だつ、イギリス兵を後退させブキテマ高地へと進む。

ここを守るオーストラリア旅団は頑強に抵抗した。

ここに日本軍が陣地を敷くと自在な砲撃が可能になるからだ。

丸二日の激戦が続き、多数の損害を強いられながら、

ブキテマを陥落させた。

ブキテマが落ちるとシンガポールを守る砦は無くなった。

十五日、シンガポールは日本軍によって完全に包囲された。

パーシバル中将は降伏を決意した。武器も燃料もないばかりか、

兵たちの士気は最低だったからだ。

日本は降伏を受諾した。




日本軍の損害は死傷者約六千人、イギリス軍は、マレー義勇軍、

華僑義勇軍も含めると、死傷者は約十三万人で損害は大きく

相当に奮戦したといえるが、チャーチルは不満だったようだ。

「数日間の混乱は続いたが、決戦は行われることなく、

シンガポールは降伏した。」

と、議会で演説したほどである。

チャーチルはパーシバル中将達の作戦指揮のまずさ、戦闘での

弱腰がご不満だったのだろうが、日本軍の暗号解読によって、

日本がマレーに侵攻してくることを知りながら、

正しく評価しなかったことを忘れてはいけないだろう。





しかしこの南方攻略の第一段階によって、すべてが順調に進んだわけではない。

中部太平洋のウェ―ク島攻略、フィリピン侵攻には、てこずった。

しかし、フィリピン侵攻には、零戦が大活躍した。

フィリピンの海軍力は、ハート提督率いる重巡一隻、軽巡二隻、十三隻の駆逐艦

二十九隻の潜水艦という、あまり強力なものではなかった。

しかし、航空隊の力はかなりのもので、ニコルズ、クラークフィールド、イバ

の三基地には、B-17三十五機以下七十四機の爆撃機、P-40を主体とした、

戦闘機百七十五機が配備されていた。

カーチスP-40トマホークは、のちにウォ―ホークとも呼ばれ、

この時期のアメリカ陸軍の主力航空機である。

スピードは零戦に少し劣るが、十二,七mm機銃六丁の重装備を誇っていた。

しかし、格闘戦性能については、格段に劣った。

もともと米戦闘機は、格闘戦を重視しておらず、一撃離脱の思想のもと

つくられているからだ。

そのフィリピン攻略はまず航空機撃滅から始まった。

台湾基地の司令長官塚原中将は、ルソン海峡を越える渡洋作戦を立案した。

普通の戦闘機では、とても往復可能な距離ではない。

しかし、航続距離三千キロに達そうかという零戦なら、十分陸攻の護衛ができる。

こうして、陸攻百五十五機、零戦百五機による渡洋作戦は実行された。

真珠湾が奇襲されたあとの作戦のため奇襲にはなりえないと

日本側は覚悟していたが、

当日発生した霧が思わぬ味方をすることとなったのだった。





「分隊長、霧が出てますよ。」

「なんてこった。」

桜井大尉舌打ちした。

「これじゃ飛べやしない。」

中隊長をはじめ、みながいらいらしながらまったが、

霧は深くなるばかりだ。

「今暁六時、味方機動部隊、真珠湾奇襲に成功せり。」

わっと歓声が上がるなか、桜井はどこか冷めていた。

確かに連中は腕がいいがこちらだって負けてはいない。

一刻も早く出撃したくてうずうずしていたとき、

ようやく指揮所から発進命令が下された。

次々と離陸していく機を見ながら、桜井はフィリピンを目指した。

戦闘機隊は高度六千メートルを保って飛んでいる。

不思議なことに敵戦闘機の反撃どころか、敵偵察機すら、いない。

やがて、桜井の目に緑の中に広がる飛行場が見えてきた。

大小の飛行機が整然と並んでいる、何とものんきな光景に

桜井は呆れた。





クラークフィールドの西にあるイバ飛行場のレーダーに、航空機の大編隊が

映ったのは、十一時二十七分だった。

しかし、クラックフィールドでは、直ちに迎撃機をあげられなかった。

今朝早くから、日本軍の来襲を警戒して、B-17全機を空中退避させ、戦闘機には

哨戒と迎撃のため、飛びあがらせた。しかし、いつになっても日本機はやってこない。

ついに燃料切れになり、着陸させ、昼食と補給を行っている最中だったのだ。

霧によるタイムラグが日本軍に幸運にも味方したのだ。


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