神谷少佐の長話
神谷少佐の長話
「神谷少佐。」
安藤少尉の声に神谷は振り向いた。
「今日の自分の訓練はどうでした。」
安藤が言葉を続けても無言のままである。
何とも言えない気まずい空気が流れる。
「すみません。」
そう言って安藤が背を翻そうとすると腕を掴まれた。
振り向くが神谷はぼそぼそと呟くだけで良く聞こえない。
「すみません、聞き取れないのですが。」
「なかなかよかった……。」
ぽつりと呟く声に安藤は思わずホッとした。
零戦にこだわる神谷少佐のことは気になっていたが、
同僚に聞くと皆が口をそろえて気難しいというからなかなか声を掛けづらかったのだ。
どうやら気難しいというわけではなさそうだ。
「ありがとうございます、よかったら一緒に飯でも食べませんか。」
安藤がそう言うと神谷は無表情のまま頷く。
「じゃあ、行きましょう。」
そう言うと安藤と神谷は一緒に食堂の方に向かって行った。
「すまないな。」
飯の最中に何の脈絡もなく神谷が呟いた。
「何がです。」
「私は人見知りなんだ。」
いまいち、言葉が噛み合わないなと思いながらも安藤は神谷の言葉を待つ。
「だから君に話しかけられて驚いたんだ。
君の言葉に返答を返さなかったのはそのためだ。他意は無い。すまなかった。」
そう言うと神谷は安藤に頭を下げる。
安藤は思わず慌てる。
上官が部下に頭を下げるなどとんでもないことだ。
「ちょっ、神谷少佐、止めてください、自分は気にしてないですから。」
「悪かった、自分にできることなら何でもやろう。」
淡々と言う神谷に安藤は呆れつつも言った。
「あ、じゃあ質問していいですか。なんで神谷少佐は烈風に乗らないんですか。」
意外と厚かましい奴である。
「無線機だ。」
「はい。」
安藤が疑問の声を上げる。
「いや、無線機が高性能だから交戦の時に頻繁に連絡を取らないといけないだろ。
私は人見知りだからそう言うのは苦手なんだ。」
「……。」
「冗談だ。」
「あ、はい、そうですよね。」
「すまない、きちんと言おう。だが話すと長くなる。
私はあまり喋るのは好きではないし、君も長いのは嫌だろう。」
「いえ、そんなこと無いです。」
興味津々の眼で言う安藤を見ながら神谷はため息をつく。
「わかった。長くなるが話そう。
私が零戦に初めて出会ったのは南方作戦の時だ。
一目惚れだったよ。乗ってからはまた惚れ直した。
バッファローだろうが、P-40だろうが、スピットだろうが、
零戦に乗っていれば負ける気はまったくしなかった。
私には妻も子もいない。
だから私の伴侶はこいつしかいない、そう思っていたよ。
南方作戦でそれなりの手柄を上げて、空母搭乗員へのお呼びがかかった。
別に私は零戦に乗れるならどこへ行こうが良かった。
珊瑚海でもミッドウェーでも私はずっと零戦と一緒だった。
だが、ミッドウェー海戦からしばらくして、
空母搭乗員に零戦から烈風に乗り換えろとの命令があった。
私は声を荒げたよ。未だ零戦の前にかなう敵機は無い。搭載機を変える必要は無いとね。」
「神谷少佐がですか。」
こんな人見知りの人が声を荒げるとは安藤は信じられなかった。
「ああ、しかし、知っての通り私は空母から降ろされ本土防空隊に入った。
機体は旧式の二十一型。零戦に乗れるだけでいいとは思っていたがあれはきつかった。
そこにハワイ航空部隊への移転命令が来た。
私は烈風ではなく零戦五二型に乗ることを条件に命令を受けたというわけさ。」
そう言うと神谷は茶碗の水をぐいっと呷る。
「久しぶりにこんなに喋ったな。」
「え、終わりですか。」
「ん、ああ。」
どこが長いんだ。安藤はその言葉をかろうじて飲み込んだ。
「つまり、零戦に惚れているから他の機に乗る気は無いということですね。」
「そう言うことだ。」
「どうして惚れたかとか、そういう話は。」
「一目惚れにどうしたもこうしたも無いと思うが。」
「確かにそうですけど…、まあ、ありがとうございました。
丁寧に教えてくださって。」
「いや、私も喋るのは嫌いだけど、君と話すのはなかなか楽しかったよ。
こちらこそありがとう。」
そう言うと神谷は微笑した。
安藤も笑顔を返す。
「これからもたまに飯に付き合ってもらえますか。」
「ああ、構わないよ。」
そう言うと二人は宿舎の方に戻っていった。
その頃、欧州では再び停滞していた独ソ戦線が動き始めていた。
その原因はミハエル・エフレモフ中将の反乱である。
ジューコフ元元帥への反乱助成嘆願は失敗したが、
スターリンに反対する者の数は意外に多く、独逸の援助も受け、
七万五千の兵力が集まっていた。
反乱と同時に独逸軍も攻勢を開始し、
わずか三日で、回復しつつあったソ連の戦車千二百輌、航空機千機を壊滅させた。
スターリンは怒りきって責任者であるパウエル元帥を粛清し、
その代わりとして反乱に加わらなかったジューコフ元元帥を呼び戻した。
「久しぶりだな、同志ジューコフ。」
「ええ、同志大元帥。」
「私は間違っていたようだ、君ほどの有能な男をシベリアに流刑させるとは。
すまなかった。君を元帥に戻し、軍を与えよう。」
「ありがとうございます、同志大元帥。必ずナチの手からモスクワを取り戻して見せます。」
「ああ、頼んだぞ。」
部屋から退室したジューコフは薄く笑みを浮かべた。
ようやく、動く時が来たようだ。いままで待っていた甲斐があった。
彼はミハエルに感謝しつつ独逸軍が待つ西に歩を進めた。
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