白鯨
白鯨
「そろそろか…。」
日本軍と米軍がハワイで激戦を繰り広げているとき、
マルベル島沖にいた第四潜水部隊司令官絹見少将は呟いた。
「浮上する。メインタンク、ブロー。」
「メインタンク、ブロー。」
ぬらりと現れたその二隻の潜水艦は排水量五千トンを超えている。
史実でも大戦末期に登場した、伊400型潜水艦である。
ただ潜水空母の実用性の低さを指摘するものも多い。
確かに費用の割に実用性は低い。
ただ、一度きりの奇襲攻撃には絶大な力を発揮する。
春嵐を三機搭載した、この艦の目標はパナマ運河で、
伊400型潜水艦はパナマ運河を破壊するためだけに作られた艦である。
スペックは、
排水量五千二百二十三トン
全長百二十二メートル
全幅十二メートル
水上速力十九ノット
水中速力九ノット
最高深度百二十メートル
兵装
十四センチ単装砲一門
二五ミリ三連装機銃三基
魚雷発射管 艦首八門
魚雷二十本
搭載機「春嵐」三機。
春嵐のスペックは、
最高速度(フロート付き)五百二十二キロメートル
航続距離千二百八十キロ
兵装
十二,七ミリ機銃2丁
八百キロ爆弾、又は航空魚雷である。
エンジンはアツタ五十二型水冷エンジン二千百馬力である。
春嵐もまた、パナマ運河を破壊するためだけの兵器であり、
日本がどれだけパナマ運河破壊に力を入れていたか分かる。
「ここまで、運んでくださってありがとうございます。
大井艦長、絹見司令官。」
春嵐隊隊長黒崎大尉が二人に話しかけた。
「いよいよだな。……すまないな、この作戦、帰還は望めない。」
「わかっています。
募集の紙に特攻になると書かれていたんですから、覚悟の上です。」
黒崎は部下達を振り向く。部下達も頷いている。
「私も部下も農家の三男坊や四男坊で、
食い扶持を減らすために海軍に入れられたんです。
それにこの作戦は皇国のすべてを決める作戦だと聞かされました。
我々の命で、日本が救えるのなら安いもんです。」
絹見はもう口を開かなかった。
司令室に置いてある日本酒を持ってくると絹見はそれを杯に注いだ。
「餞別だ。」
黒崎はそれを見て嬉しそうに微笑んだ。
本来なら水杯である。
「頂きます。」
一口でそれを煽ると彼らは春嵐に乗り込む。
それに甲板に出た絹見ら乗組員たちは敬礼で見送った。
彼らがカタパルトで射出され、六機の機影が見えなくなっても、
しばらくの間、彼らは敬礼を続けていた。
黒崎大尉を隊長とする春嵐部隊は射出して早々にフロートを外した。
速度は六百キロになろうかというところまで速度計がきている。
彼らが狙うのは、ぺデロ・ミゲル・ロック、ガトゥーン・ロックである。
六機の内三機は八百キロ爆弾、三機は航空魚雷を積んでいる。
レーダーを避けるため超低空で飛行しているがいつ見つかるかは分からない。
地形図は頭に叩き込んでいるが、実際の地形とは違うかもしれない。
「隊長、見えてきました。」
六機の中で一番視力のいい木下少尉が叫んだ。
深く湾曲した湾が見える。おそらくリモン湾だろう。
多数の軍艦が見えるが恐怖はかけらも感じない。
死とは伊401に乗り込んで一カ月近く向き合ってきたのだ。
その時、リモン湾に停泊していた駆逐艦「リスバル」勤務のジョン二等水兵は
海から昇る朝日を眺めていた。
カリブ海に昇る朝日は美しい。
ハワイでの激戦は聞いてはいるが、こちらはまだまだ平和だ。
流れる雲を目で追いながらそう考えていると、
雲の切れ間から、三機ほどの航空機が見えた。
見たこともない機影だ。
雲に隠れていた三機も姿を現し、見事な編隊を保っている。
「おーい。」
のんきにジョンは航空機に手を振った……が、次の瞬間、彼は胆を潰した。
航空機には日の丸のマークが見えたからだ。
「ジャップだ。」
彼は叫びながら機銃に向かって走り出した。
「馬鹿野郎、寝ぼけやがって。」
機銃に飛び付く彼を見つけ、当直のロイ大尉が怒鳴りつける。
「大尉っ、あれです。ジャップの戦闘機です。」
「ジャップの機動部隊は、今はハワイだ。」
そう言いながらも彼は双眼鏡を目に当てる。
灰色の機体を視野に収めたとき、彼は腰が抜けそうになった。
主翼には日の丸が輝いている。
とにかく急いで艦長に報告する。
しかし、艦長が来た頃には、編隊は南の方に向かっていた。
「まあ、司令部に連絡しておけ。」
艦長は欠伸を堪えながらそう言うと艦長室に戻っていった。
だが、その時にはコロン市内に空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。
ガトゥーン・ロックを目指している黒崎ら三機の春嵐は、
運河に沿って飛び続けていた。
「見えました。」
木下少尉が声を上げる。
巨大な閘門である。
黒崎は思わず感嘆の声を上げる。
「やるか。」
「隊長、お世話になりました。」
「ああ、不甲斐ない指揮官だったかもしれんが貴様らと飛べてよかった。」
「そんなことありません。隊長は最高の指揮官でした。」
「ありがとう。」
そう黒崎が呟いた時、視界の隅に接近してくる機体を見た。
「ここは俺が止めます。」
三番機の萱森少尉が八百キロ爆弾を落とし、敵機に突っ込んでいく。
のろのろしている時間は無い。
「木下、やるぞ。」
二機の春嵐はそれぞれ同じ目標に突撃した。
黒崎は航空魚雷、木下は八百キロ爆弾である。
黒崎は超低空で魚雷をふわりと落とす。
木下は一度上昇すると急降下爆撃を仕掛ける。
轟音と共に火柱が立ち、厚い鋼鉄の塊は爆砕される。
湖水はうねりを上げ、航行中の貨物船を飲み込んでいく。
そこに木下の八百キロ爆弾が直撃する。
さらに激しい火柱が立ち、湖水は濁流と化す。
下で待機していた別の貨物船も、
真上から落下してきた濁流に押し流されていく。
黒崎は電信を打つ。
「白鯨からエイハブは勝利を掴めり。」
これがガトゥーン・ロックを破壊したときに打つ電信だった。
彼は孤軍奮闘中の萱森と共に戦おうと米軍機の中に突っ込んでいった。
旧式のP-40である。数は二十機ほど。
黒崎ら三機は熟練した腕を見せつけた。
敵は日本では乙合格も取れないような未熟なパイロットばかりだった。
米国の熟練した陸海パイロットはみなハワイか機動部隊、
そして、欧州戦線にいるのだからしかたない。
それでも次々と米戦闘機が応援に駆け付ける。
黒崎が四機目の敵機を撃墜した時、ついに弾が切れた。
もう萱森、木下の姿も見えない。
彼は一息吸うと、
ガトゥーン湖をせき止めているダムに向かって最高速度で突っ込んでいく。
「天皇陛下万歳。」
黒崎は激突寸前に最期の言葉を叫ぶ。
凄まじい衝撃音と共にダムに亀裂が走る。
亀裂は広がっていき、ついにダムが崩壊した。
別働隊もペデロ・ミゲル・ロックを破壊することに成功した。
日本のために命を賭けた者たちは見事その使命を遂行したのだ。
春嵐は史実とは、性能もエンジンも違います。
ご了承ください。