大東亜会議
大東亜会議…。
早すぎる気もしなくは無いですけど、
書いてみました。
大東亜会議
一九四二年八月二日、大東亜共栄圏各国の代表者が集まる第一回大東亜会議が
東京帝国ホテルで開催された。
帝国ホテルでの開催は米内総理の提案である。
帝国議会の議事堂内でという意見もあったが、
平等を原則に民間施設が利用されたのだった。
帝国ホテルの建物は、
東南アジアの仏教寺院のような荒削りの良さを取り入れたもので、
正面には大谷石の烈柱があり、池を取り囲むような作りになっている。
この建物が日本との同朋意識を抱かせるのに一役買ってくれた。
この会議では、
満州国、中国国民党、タイ、ベトナムと平和条約を、
フィリピン、ビルマは独立。
マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスはインドネシアとして独立し、
これらの国とも国交を結んだ。
宗主国の了承が無いため正式な独立とは言えないのだが…。
ちなみに日本軍の駐留は各国の依頼により行われるという形をとっている。
この日採択された共同宣言の内容は、
「アジア民族は独立平等の立場で互いに主権を尊重し、
共存共栄の精神の元、アジア発展のために協力しあうものとする。
この目的に協賛し、
参加を希望するものは大東亜会議で審議し、諾否を問うものとする。
本会議に対する妨害に関しては、
加盟国は一致して、断固これに対抗するものとする。」
大東亜共栄圏の国々は日本による兵器援助により軍隊の創設を開始している。
その見返りとして各国の資源を手に入れ輸送しているというわけである。
護衛艦隊は今、軽空母二隻、軽巡四隻、駆逐艦二十八隻、海防艦三十隻という
かなり大きなものになっている。
軽空母も九月に「神鷹」「海鷹」が就役する予定である。
ただ、すべてが順風満帆にいっているわけではない。
インドネシアの内紛である。
マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスを一つの国としてまとめるのは
無理があったのである。重光外相はせめて二カ国に分けることを提案したのだが、
強力な政府をつくるという理由で押し切られてしまったのだった…。
会議が終わった後、
各国の代表者は連合艦隊の大演習を見学すべく、呉に移動した。
各国を脅しているふうに取られるのではと外交官達は心配したが、
各国の代表者たち自身の希望である。
結局見学することとなった。
「凄まじいですな、日本はこれほどの艦隊を運営できるのですか…。」
フィリピンのラウエル大統領が感嘆の声を上げる。
この演習は極秘存在である、信濃、葛城を除く、
正規空母六隻、軽空母四隻、戦艦八隻、重巡十二隻、軽巡四隻、
駆逐艦多数という大艦隊での演習である。
上空には空を覆い尽くすように烈風、彗星、天山、二式艦偵が飛んでいる。
「これが英国東洋艦隊、米太平洋艦隊を撃滅させた日本の連合艦隊か。」
ビルマのバー・モウ首相も呟く。
「連合艦隊はアジアの秩序を守るために存在しているのです。」
そういったのは米内総理である。
やはり一際目を引くのは連合艦隊旗艦「武蔵」とその姉妹艦の「大和」だろう。
空砲を撃ちながら疾走するその姿はまさしく壮観だった
「我らの国もいずれこのような艦隊を保有したいものです。」
タイのワンワイタヤーコーン親王はそう言うと米内に話しかけた。
「米内閣下、我が国の海軍はアジアでは日本に次ぐ力だと自負しておりますが、
それでも自国の防衛ができるほどの戦力ではありません。
今は日本も大変な時期だとは思いますが、
将来的にタイは空母保有を考えています。」
「それは喜ばしいことです。しかし、我が国はいまだ英米蘭と戦争中です。
講和が実現すればおそらくタイの空母保有は実現に向かうでしょう。」
そう言って米内は親王と握手をした。
「隊長聞こえますか。」
「ああ、聞こえているよ、今は演習中なんだ。あまり勝手な行動は控えろ。」
「すみません、でもこの無線機は何て名前でしょうね。前のとは大違いです。」
「烈風に装備されているこの無線機は二式空一号無線電話機といって、
性能は零戦の倍らしいです。」
大鳳第一分隊隊長工藤大尉と同隊二番機山下少尉の話に、
同隊三番機黒江少尉が答えを返す。
「物知りだな、黒江は。」
あきれたように言う山下に工藤は言った。
「もう無線は使用禁止だ。演習に集中しろ。」
三機の烈風は編隊を崩さずに見事な左旋回を行う。
零戦のように身軽ではないが、力強い動きが烈風の特徴で、
搭乗員には思いのほか好評な機体である。
工藤は格闘戦にも自信はあるが、
敵機の視界の外からの一撃離脱を一番得意としていたため、
急降下速度に優れているこの機をとくに抵抗もなく受け入れたが、
搭乗員のなかには烈風に乗らず零戦に固執する者もいたが、
それらの搭乗員は基地航空隊に移転させられた。
演習終了の報告を受け工藤は空母大鳳に着艦する。
工藤は搭乗員の集合する待機室に向かって行った。
一方そのころフィジー・サモア沖に二十二隻の日本潜水艦が集まっていた。
ミッドウェーから十日後の七月初旬にサモア島は日本軍の奇襲上陸にあい、
日本軍の手に渡っていた。
オーストラリアと米国の輸送船を繋ぐ重要な島だが、
日本軍の手が広がり過ぎていることは否めないだろう。
日本としてもこれ以上占領地を広めたくないのが本音である。
護衛艦隊のおかげで今のところほぼ被害が無いとはいえ、
ミッドウェー海戦の後、敵潜水艦の数は増えるばかりである。
そろそろ広がり過ぎた手をおさめるときが来ているのかも知れなかった…。