ミッドウェーへ
短いですし、作戦要領の説明なのでつまらないかもしれませんが、
よろしくお願いします。
ミッドウェーへ
最終的に決定された日本海軍のミッドウェー攻略要領は次のようになった。
一般作戦要領
第二機動部隊(三航戦、瑞鶴)、および第一機動部隊(一航戦、二航戦、六航戦)
の余力をもってミッドウェーを空襲し、兵力、防衛施設を壊滅させる。
その後占領部隊をもって占領せしめ、敵艦隊の出撃あらばこれを捕捉、撃滅する。
敵艦隊のハワイ出撃に備え、N日の五日前には潜水艦部隊を散開せしめ哨戒を行う。
戦艦部隊は機動部隊と連携しつつ、この艦隊を邀撃、撃滅する。
N日は二週間ほど延期され六月二十五日となった。
実戦部隊の意見を重視したのだ。
これのおかげで、五航戦の瑞鶴が戦線に復帰することが可能になった。
第二機動部隊の三航戦の陣容は
軽空母「龍驤」「飛鷹」「隼鷹」「龍鳳」の四隻で、
合計搭載機数は一六五機である。
これに瑞鶴の搭載機が加わるのだから、かなり強力な部隊である。
しかし、三航戦の「龍驤」「龍鳳」はアリューシャン攻略のために、
第三機動部隊として抜けているため、
ミッドウェー島の航空部隊とは互角と考えられていた。
そのため、本来敵機動部隊と戦うための部隊であった二航戦にも、
ミッドウェー攻撃の命令が出ている。
だから正直、大多数の日本海軍軍人が考えているような
簡単な作戦ではないのである。しかし、どの将兵も浮かれきっていた。
次の手紙はミッドウェーから出すと言ったものもいるほどである。
空母搭載員も浮かれていた。妾の子と馬鹿にしていた五航戦、六航戦ですら
敵機動部隊に圧勝したのだ。一航戦、二航戦が出れば鎧袖一触だと騒いでいる。
勝って兜の緒を締めよという山本長官の訓示も耳に入らなかったらしい。
……話を攻略要領に戻そう。
各部隊作戦要領
(一) ミッドウェー占領任務をおびる海軍陸戦隊二個大隊と陸軍一木支隊二千名は
第七戦隊(重巡「三隈」「最上」「赤羽」「熊川」)と第二水雷戦隊の護衛のもと、
六月二十日、サイパンを出撃、ミッドウェーに向かう。
(二)第一機動部隊は主体(山本長官直卒)第一艦隊第一戦隊
(戦艦「大和」「武蔵」「長門」「陸奥」)とともに六月一九日瀬戸内を出撃、
所定の位置に到達N日マイナス二日には到達しているものとする。
主任務はハワイから来ると思われる敵艦隊の撃滅、
ミッドウェー占領後は一部艦載機を同島に進出させるものとする。
(三)攻略部隊(司令官近藤信竹中将)は、
第二機動部隊(「瑞鶴」「飛鷹」「隼鷹」)と共に六月二十日、
瀬戸内を出撃、サイパンからの上陸部隊を援護しつつN日マイナス一日の
黎明までに、ミッドウェー島西方四百海里に進出するものとする。
第二機動部隊はミッドウェーより二百海里まで接近、航空攻撃を行うものとし、
攻略部隊は上陸部隊の直接援護を行う。
一方アリューシャン攻撃要領は次のようなものである。
(一)六月二十四日より、
ダッチハーバーを第三機動部隊(「龍驤」「龍鳳」)をもって奇襲攻撃する。
これはミッドウェー攻略に対する陽動作戦を意図したものである。
北方の敵の動きを牽制しつつ、潜水艦部隊とともに警戒行動を取りながら、
アリューシャン列島西部の攻略を行う。
(二)N日、海軍部隊五百名をもってキスカ島を占領、
また陸軍部隊千二百名をもってアダック島に上陸。軍事施設破壊後、アッツ島に転進し、
これを占領する。この間、第三機動部隊はこれを援護する。
ざっとこのようなものだが、事実上連合艦隊の大部分の出撃する作戦である。
参加人員は十万名に及んだ。
N日が六月二十五日に決定されたのは、
六月がミッドウェーの気象のもっとも穏やかな時であるため、
これ以上引き延ばせなかったからである。
珊瑚海で空母を二隻失い、敵機動部隊の戦力がじり貧の今こそ、
ミッドウェーを取らなければならない。
その判断が優先したのだった。
次は米軍のやり取りですね、
海戦に行くまでいつまでかかるのか…。
気長にお待ちください。