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異説大東亜戦争  作者: たこ焼き
一章
12/80

ABDA艦隊

戦闘がうまく書けません。

あと遅くなってすいません。

下手すると更新状況これぐらいになるかもしれないのですが、

がんばりますので、よろしくお願いします。

                 ABDA艦隊




バリクパパンが陥落した後、

南方艦隊司令長官近藤信竹中将は、

連合国の補給地となっているオーストラリアのポートダ―ウィンへの攻撃、

またジャワ方面にいる敵艦隊を撃滅するため、機動部隊の派遣を軍令部に具申した。

山本連合艦隊司令長官は内心反対だったが、

南方作戦の終了は早いほうがよいと考えていたため、

第二戦隊……「蒼龍」「飛龍」を派遣することにした。

残りの機動部隊は敵の蠢動にそなえて内地に残しておいた。

南方に展開していた海軍基地航空戦力、

つまり第十一航空艦隊は基地をより南方に移し、

陸軍のジャワ攻略の先駆けとして、航空撃滅戦をおこなうことにした。

二月初めにスラバヤ、マジウン、マランなどのジャワの連合軍飛行場を

奇襲攻撃し、大きな戦果を収めた。




ジャワを攻略する陸軍は第十六軍で司令官は今村均中将で、

輸送船九十六隻の大艦隊がジャワに向かった。

護衛は第七戦隊、第五水雷戦隊、第五戦隊、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊が担当した。

ジャワ本島攻略の前にバリ島の攻略が行われた。

二月十八日、バリ島攻略のために陸軍歩兵一個大隊を乗せた二隻の輸送船が、

その日の夜十一時護衛の駆逐艦四隻とともに、サヌール沖合の泊地に着いた。

いっぽうドールマン少将指揮の連合軍艦隊もこれを阻止するため、

軽巡「デ・ロイテル」「ジャワ」駆逐艦九隻をもって、ジャワ南部から出撃、

日本軍攻撃の後は、ロンボク海峡を北上して脱出するという作戦をとった。

二月一九日の明けB-24とB-17の爆撃隊がジャワ島中部から出撃したが、

高高度からの爆撃のためほとんど被害がなかった。

日暮れに船団は揚陸が終了しマカッサルに引き返えそうとしたとき、

連合軍艦隊が出現した。

先頭にいるのは、旗艦デ・ロイテル、

つづいてジャワその後ろに駆逐艦三隻が航行しており、

駆逐艦「フォード」にはバリクパパンで日本軍に打撃を与えた

タルボット中佐が艦長として乗っていた。

ジャワは日本軍駆逐艦「朝潮」を発見、砲撃を開始。朝潮も応戦したが、

たがいに有効弾をあたえることなく、デ・ロイテル、ジャワは北方に消えていった。

その後、遅れてやってきた駆逐艦三隻は、

警戒中の日本駆逐艦とまともにぶつかる羽目となり、

たちまち猛烈な砲撃戦になった。戦意に勝る朝潮は駆逐艦「ピートパイン」に

ぴったり張り付き砲撃と魚雷を食わせ大破させた。

大潮もまた駆逐艦「フォード」「ホープ」に砲撃を浴びせ撤退させた。

大潮と朝潮は合同して敵を探し、炎上しているピートパインを撃沈した。

ドールマン少将のデ・ロイテルは一度も戦闘に参加することなく、

バリ島海戦の第一幕は終了した。





続いて第二幕が開幕した。

本来優勢であるはずのドールマン部隊が、

駆逐艦四隻の日本部隊をたたけなかったことは、

日本駆逐艦の錬度そして勇猛さを物語ることになった。

このとき久保少将指揮の軽巡「長良」と第二十一駆逐隊からなる支援隊が、

ロンボク海峡を南下中だったが、敵艦隊出現の報を聞きサヌールに急いだ。

深夜にいたって、大潮と朝潮が警戒行動をとるなかを、

敵の新たな攻撃隊が南方から高速で北上してきた。

こんどは、メーステル中佐指揮の軽巡「トロンプ」と米駆逐艦四隻である。

トロンプは海峡に入ったところでしんがりに下がった。

駆逐艦に魚雷攻撃をさせるためである。

米駆逐艦「スチュワート」「パロット」「ピルスベリー」「エドワーズ」が単縦陣を

つくってジグザグ航行を行いながらサヌール泊地にむかった。

泊地の海面は第一次海戦の煙霧におおわれていたため、米駆逐艦は

目標未確認のまま、十五本の魚雷が発射された。

しかしいずれも日本艦には、届かなかった。

このときの米軍魚雷はさまざまな問題を抱えていた。

駛走距離が短い、発射後の沈降深度が一定しない、磁気信管がうまく働かないなどである。

警戒中の大潮、朝潮は高速で接近してくる敵艦を認めると、

その鼻面を抑え込むように直角に突進した。これがT字戦法である。

ちなみに、これは東郷平八郎元帥が発明したわけでもなく、昔からある戦法である。

鼻面を抑え込んだ大潮、朝潮は砲撃開始とともに魚雷を発射した。

スチュワートに砲撃が命中し、敵の動きが混乱したが、それでも必死に北に離脱し、

遅れてやってきたトロンプは、乱戦のどさくさにまぎれて何もせずに通過した。

しかし、大潮、朝潮ともに追跡を開始、トロンプと砲撃戦に入ったが、

近距離砲戦だったため、双方ともに命中弾多数を出し、

大潮は二番砲塔を破壊され戦死者も出した。

敵艦隊はそのあと急速に戦場を離脱し、闇の中に消えていった。

夜戦は日本の御家芸であるが、

連合軍はレーダーを装備するまで、夜戦はからっきしである。

一般的には欧米人は目の色素が薄いため夜戦は苦手であるといわれている。

日本人は夜目がいいだけでなく、

見張員は日中暗い部屋に入って夜目に慣れさせておくなどして訓練しているため、

レーダーが開発されてもしばらくは、

日本軍の目の方が機械より優秀だったぐらいなのだ。

この世界では日本軍は航空戦重視のため、レーダーの開発が

早まり主力艦や新鋭駆逐艦などは、電探を装備している。

たとえ百キロ離れていても二十分もあれば航空機は戦闘区域に到着できるのだ。

そのため日本軍は広範囲を探ることができる電探を開発している。

次の最新電探は百二十キロの索敵範囲を誇っており開発が急がれている。

ともあれ、このバリ島海戦は連合軍の駆逐艦一隻が沈んだことと、

日本軍に大きな被害がなかったことを考えれば日本軍の勝ちだろう。

もし蘭軍にもっと戦意があれば戦況は変わっていたと思うが。

しかし、

この海戦はやがて起きるスラバヤ沖、バタビア沖海戦の前哨戦にすぎなかった。



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