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異説大東亜戦争  作者: たこ焼き
一章
10/80

南方攻略作戦大詰めに

おそくなってすいません。

友達のとこに泊ってたので。

あと少し短いです。本当にすいません。

がんばりますので。

南方攻略作戦大詰めに




二十一日から二十二日の両日、大鳳、海鳳から飛び立った、

艦載機がウェーク島を空襲した。

天山艦攻とそれを護衛する零戦隊である。

ウェーク島に残されたたった二機のF4Fは勇敢にも、飛び立ってこれを

迎撃したがたちまち撃墜された。

こんどこそ、航空兵力がなくなったことを確認した日本軍は

二十三日の真夜中に上陸を開始した。

この日はちょうど皇太子誕生日であり、指揮官たちは

なんとしてもこのめでたい日のうちにウェ―クをとるつもりだった。

哨戒艇が首尾よく着岸に成功したが、

その音を聞きつけた守備隊から猛烈な機銃掃射を受け、

第二次ウェーク島攻防戦が始まった。

いったん足掛かりをつかんだ日本陸戦隊は勇猛だった。

米軍の掃射をかいくぐり島にとりつく。そして激しい肉弾戦が繰り広げられた。

米海兵隊もまた、伝統的に勇猛である。

海兵隊は全米軍における最強部隊の誇りを持っている。

入隊は難しく訓練も厳しい。

しかし、兵力の差はいかんともしがたく次第に追い詰められた。

長い夜が明けたとき、指揮官のカニンガム中佐は島が敵艦隊に完全に包囲

されていることを知った。敵艦載機と思しき飛行機が乱舞している。

もはや、抗戦のしようはない。彼は降伏を決意した。

二十三日正午、梶岡少将は島の占領を確認。

日本軍、戦死者四百名。米軍、百七十名。

日本軍は多大な出血を強いられた戦いだった。

一方、第十四機動部隊は、臨時太平洋司令長官パイ中将がくるくる命令を変え、

ウェーク島が敵艦載機らしい敵機の攻撃を受けていると知ると、

真珠湾の司令部は機動部隊に引き上げを命じた。

フレッチャー少将は歯噛みしたが、命令には逆らえず撤退した。

こうして米海軍がハワイ沖の敗戦の名誉を回復することはできなかった。




陸軍によるフィリピン攻略は順調だった。

マッカ―サー大将はマニラを放棄。

全部隊を連れてバターン要塞にたてこもった。しかしこれは掃討戦にすぎない。

それを受けた連合艦隊司令長官山本大将は、第三艦隊を主力として、

蘭印部隊を編成、ボルネオ、セレベス攻略の準備をさせた。

日本海軍虎の子、機動部隊は北東太平洋にいた。

いまは米軍の回復力を叩かねばならないときだからだ。

エンタープライズを失った米軍は空母機動部隊を再建するだろうと

山本は考えていた。

それが力をつけないうちに全力で叩くべきである。

そのためには、敵をおびき寄せることが必要だ。

そのためにはハワイ占領も考える。

ハワイをとったとしても維持は困難だろう。今護衛艦隊を建造しているが、

これは南方の資源調達を安定させるためのものであり、ハワイには持ってこれない。

しかし、米本土を叩く足掛かりになるハワイは他の海軍将官たちも占領を具申している。

もし本土を攻撃できたら米の戦意も落ちるだろう。

有利に講和を結ぶ状況が生まれるかもしれない。

山本はもちろん、海軍、陸軍のすべてが、

いや陸軍の若手将校は除くが、米を全面降伏できるとは考えていない。

これは後に書くが、この世界では、

陸軍はソ連だけではなく、米も仮想敵国として、日中戦争終結の後研究されていた。

米機動艦隊を叩くことを考えていた山本にとって、大本営が蘭印攻略のために

第六航空戦隊を派遣すると決めたことは、正直不満だったが、蘭印の攻略は、必要不可欠

なのはわかっていたし、機動部隊の中では、第五、第六は錬度が少し不安であるため、

しかたないと理解した。もともと南方作戦の最大の目的はボルネオの油田である。

日本が生き延びるためにはどうしても確保しなければいけなかった。

マレー、フィリピンが予想より早く攻略できたので、

大本営は蘭印攻略を繰り上げることができた。これはうれしい誤算である。




大本営が蘭印攻略の際、極度に恐れたことは、油田施設の破壊である。

そうならないよう、陸軍の秘密工作員を事前に送り込むだけでなく降下部隊による

占領も考えられた。史実では三百三十人だったが、五百八十人に降下部隊を増強した。

全員志願制であり、屈強な兵士たちである。




一月二十一日第四水雷戦隊司令官西村少将の第一護衛隊(軽巡「那珂」駆逐艦十隻)に

守られた攻略部隊はタラカンからバリクパパンに向かった。

連合国はもちろん防衛を重視しており、最高司令官イギリスのウェーベル元帥、

海上部隊指揮官米のハート大将、連合攻撃部隊指揮官は蘭のドールマン少将だった。

しかし、各国の守る利益はバラバラで指揮系統も混乱していた。

一方、日本陸軍の事前工作は失敗した。

もはや正攻法に頼るしかなくなっていた。

今、すごい悩んでいるんですが、ミッドウェー海戦は

大勝利と、勝利と、敗北どれがいいですか。

どれもまあまあいいできなので悩んでます。


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