ダウンタウンへ
ホテル脱出成功、これからどに?」
イレーネ達がクリスタルホテル脱出を手助けしてくれたボーイの言う通り、
ホテル裏口を出て、まっすぐ行くとそこには馬車乗り場が並んでいた。
ここは北の国、気温は低く外気がピンと張り詰めているが、雪が積もっているなことはなかった。
凍結している道もあったが馬車は普通に往来しているようだ。
6番乗り場には「ダウンタウン・バッド行」と言う表示が出ている馬車が停まっている。
「これだ、6番乗り場」
ハンスがそう言いながら、御者に掛け合う。
しばらく御者と話すと、
「さあ、乗りましょう」
とイレーネを馬車に乗り込むよう促した。
馬車の中はすでにほぼ満席だった。
それでも、なんとか二人分の隙間を見つけて座り込んだ。
それでも二人の荷物は置き場に苦慮したが、なんとか場所も確保できた。
「わかってますよ、イレーネ」
とハンス。
イレーネが何とも言えない表情でハンスを見つめていたから。
この馬車に乗っているのは、一目見て「荒くれ者」とわかるような輩ばかりだった。
この旅に出てから、相乗り馬車にはずいぶん世話になったが、こんなにガラの悪い客と乗り合わせたことはなかった。
イレーネはフーベル伯爵夫妻が用意してくれた服を着ていた。
冬用の衣類の持ち合わせがなかったので、ここで着用するのはすべてフーベル伯爵夫妻からの頂き物となりそうだ。
既にこの格好がこの場では浮いていた。
ここにいる誰もこんな上等な服は着ていない。
イレーネがそれに気づいて不安に思っている。
ハンスはそう危惧していた。
下手をすれば金品を強奪されかねない、もしかしたらイレーネ本人が連れ去られるかも。
イレーネの荷物には貴重品がたくさんある。
それを彼女もわかっているはずだ、不安でたまらないのだろう。
「え?」
そんな事を思っていたハンスは周囲を注意深く見つめていたが、イレーネはというと、
隣に座っている女性から何かをもらっているではないか。
それも満面の笑みで受け取っている。
「ねえ、ハンスこれ。美味しそうだよ」
とイレーネ、その手にはクレットリアを持っている。
小麦粉を水で溶かして焼いた、春の国で買い物に出かけた時、みんなで食べたあの庶民の味だ。
「兄ちゃんもどう?」
とその女性はハンスにも手渡した。
「クレットリアか、ここにもあるんですね。僕これのあんずジャム味が大好きで、よく村の駄菓子屋さんに買いに行ったな」
先ほどクリスタルホテルで朝食を食べたばかりだが、これはなんとも素朴な味がおいしく、
もらったクレットリアをあっという間に食べてしまった。
「ねえ、この馬車で終点までいけば、降りたところすぐに宿屋があるって。
この人たちはダウンタウン・バッドに住んでいるそうよ、ここには仕事で来ていてこれから家に帰るんだって」
いつの間にか、周囲の乗客と親し気に話をしているイレーネ。
「え、そうなんですか?この馬車の御者は、ひとつ前のバッドアースで降りればそこに、
ホテルダウンタウンがあると教えてくれたんだけどな」
とハンス。
ハンスは馬車に乗る前、御者にあれこれ尋ねておいたのだ。
「ホテルダウンタウン?だめだあそこは。おノボリりさんの泊まるホテルだよ」
と乗客の一人が言う。
「お前さん達、ダウンタウンの本来の姿が見たいんだろう、それだったらあんなスカしたホテルはだめだ」
別のいかにも「荒くれ者」が言った。
「そうよ、ダウンタウンに住む人たちと本音で話がしたいの。それにはそのお勧めの宿がいいって、ねっ」
イレーネが周囲に同意を求めるように言う。
「おまえさんたちは外国からの旅行者なんだってな。外国からくるとセンターシティなんかのいいところしか見ないから、お前さんたちは変わってるなあ」
そんな声が聞こえてくる。
よく見ると、その声の主には片腕がなかった。
他にも、片眼に眼帯をしている者、杖を突いている者、いろんな者たちが乗りあっている馬車だ。
「めずらしいのかい?」
とイレーネの隣の女性が言う。
五体満足ではない人たちを目の前にして、イレーネは少しの動揺があった。
それを見逃さなかったのだ。
「こんなに近くにいるのは初めてかも。あの、身体が」
とイレーネ。
アデーレ王国にも身体の不自由な人たちはいた。
大人も子供も。
そんな人々を王宮に招くこともあった。
身体に麻痺のある小さな子が、ダンスを披露したこともあった。
王も王妃も、慈悲に満ちた顔でその姿をたたえていた、
イレーネも拍手をした。
そして踊ってくれた子と握手もした。
でも、
「からだ動かないのに、なんで踊るの?」
としか思っていなかった。
イレーネンの教育係兼しつけ担当だったマダム・フランチェスカが、
「世の中にはいろんな人がいるのです。身体が不自由な人、足や手がない人、目が見えない人、耳が聞こえない人。でもそれはその人のせいではありません。
完全な身体でない、というだけで不遇な待遇を受けたり、好奇の目にさらされることはあってはならないことです」
とイレーネにとくとくと説いていたが、うわの空だった。
「マダム・フランチェスカの言葉、今ならちゃんと聞けるのにな」
とイレーネ。
あのころとは感じる心が違いすぎる。
馬車がそろそろダウンタウンに入って行ったようだ。
終点まであと少しだ。
やがて馬車が停まった。
終点のひとつ前、「バッドアース」に着いたのだ。
御者が
「バッドアース。お降りの方はお急ぎください」
と声をかける。
ハンスの方を見る御者。
降りる気配のないハンスを不思議そうに見ていた。
「外国からの客には、バッドアースのホテルダウンタウンを薦めろって上からの命令なんだけどなあ、俺は薦めたぜ、従わないのはあいつらの意思だ」
そんな独り言を言いながら、御者は再び馬車を走らせた。
しばらくして、終点、ダウンタウン・バッドに着いた。
乗客の皆が馬車を降りる。
荒くれ者たちが、イレーネの荷物を下ろしてくれた。
「あれが、ここの宿屋だ」
と指さされた先に、
「宿所 自由荘」
と書かれた看板が出ているのが見えた。
馬車から降りて、乗客たちを別れる。
「また、どこかで」
そう言いながら乗客たちはそれぞれの家に帰って行った。
「僕たちも行きましょう、自由荘」
とハンス。
見た目は下町の宿と言った感じだ。
扉を開けて中に入る。
その中は、大勢の人々であふれかえっていた。
「混んでない?部屋、空いてるかな」
とイレーネ。
「ジール様御ご一行様」
と宿の主人が大声で言っている。
するとその場にいた大勢が一斉に立ち上がった。
「はい、みなさん、こちらのお部屋にどうぞ」
と主人は鍵を渡していた。
「あれ?この人たち」
とイレーネ。
やっと受付の順番が回ってきたハンスとイレーネ。
受付の担当者が
「お待たせいたしました。慌ただしくてすみません。本日、ジール魔法団の皆さんがお越しになったので」
と言う。
「ジール?」
そうだ、ジール、
夏の国でアンを連れて行った人たちだ。
アンの親戚だという。
すると
「イレーネ」
と言う声がしたと思うと、何か暖かい感触がイレーネの身体に伝わった。
夏の国で別れたはずのアンがイレーネに飛びついていたのだ。
応援していただけるとうれしいです。




