王宮からの帰り道
王との謁見のあとはさっさと宿に戻りたい二人。
「ちょうど、あなた方の泊まっているホテル付近まで行く馬車がいる」
そう言いながら外からもどってきたこの家の主人。
セレナはおでこを冷やして、薬をもらい今はぐっすりと眠っていた。
この家の妻の見立てでは、
疲れが出たのだろうから、少し寝ていればすぐに良くなる、とのことだ。
それでもイレーネは心配でたまらない。
「病気」だというのに医者の診断がないということに。
クリスタルホテルに戻れば、医師の手配は可能だろう。
「24時間、ドクター駆け付けサービス」
というものがあると、案内書に書いてあった。
クリスタルホテルに戻り、セレナを医者に診せないと。
そんなイレーネの気持ちを察したかのように、
「この集落近辺で集荷をしていた馬車が、センターシティに戻るようだ。
君たちが止まっているホテルまで、乗せてもらえるよう話を付けたから急いで」
と主人が言った。
セレナを抱き上げ、荷物をもちヘリオスの手を引く、イレーネとハンス。
イレーネは立ち去り際に、
「あのこれを」
とゴールドのネックレスを手渡した。
これはただ普通のゴールドのチェーンネックレスで、特に王家の紋章もない。
氷の王宮で、髪飾りを探したとき、バッグの底にあるのを見つけたのだ。
手持ちの品で、「身バレ」の心配なく売り払えそうな数少ない品だ。
ゴールドのネックレスを渡され、顔を見合わせる夫妻。
「これでは、高価すぎるわ」
と妻が言う。
「もしもあなた方が病気になったりしたとき、これがあればお医者様を呼べるんでしょう?」
とイレーネ。
「でも、もう私たちには必要ないの」
そう言いながらネックレスをイレーネに返す妻。
「こんな状況にいる者たちがいる、そのことを知ってもらえただけでいいの。
私達のような者のことを忘れないで」
家の中の中心にある飾り棚、その上に子供の写真が飾ってある。
その写真の周りには、花が飾られている。
「この子は?」
イレーネが聞くと、
「この子はユリアナ、私達の娘よ。5歳になる前に死んでしまったの。
熱病にかかったけれど、医者に診せることもできなくてね」
と妻が言う。
「この子に呼んでやれなかった医者を、自分たちが病気になったからと言って」
と主人も言い、口をつぐんだ。
結局、この家の夫妻はゴールドのネックレスはもちろん、他の何も受け取ろうとはしなかった。
吹雪から避難した時の取り立てはなんだったのだろうか。
家を出るとき、
「貴女は下々の者の心がわかる女王におなりください」
と夫が言った。
「貴女ならできるはずです、イレーネ王女」
と妻。
馬車の中、シャトル馬車と比べると貨物用のその馬車は乗り心地が悪いが、
何とか、座る席を作ってもらえた。
イレーネもハンスも口を開くことなく、黙ったままだ。
あの夫妻の子供、
「生きていれば、今16歳になっています。どんな娘になっていたのかしらね」
という妻の言葉が耳から離れない。
自分と同い年の子。
その子は5歳にも満たず死んでゆき、自分はいまこうして16歳になっている。
医者が呼べなかったばかりに。
「私は恵まれているのかもしれない」
不自由ばかりだと思っていた自分の生活。
しかし自分がいかに恵まれた環境で暮らしてきたのか、この旅に出て何度も思い知らされていた。
今、ここでも改めてその思いを強くした。
あの家の主人の言った通り、馬車はクリスタルホテルの近くでイレーネ達を降ろした。
ホテルに戻ると、フロントの係員が直ちに医師の手配をしてくれた。
ファミリールームに戻り、ベビーベッドにセレナを寝かせる。
その頃には、熱はだいぶ下がってきていて、顔色も良くなってきていた。
すぐに医師と看護師が部屋を訪れ、セレナを診察してくれた。
「なにかとてもはしゃいだりしましたか? はしゃぎすぎて疲れたのでしょう。小さな子にはよくあることだ。少し眠ればすぐによくなるでしょう」
そう言うと、看護師が薬をイレーネに手渡した。
あの家の妻の見立て通りだった。
「ありがとうございました」
そう言いながら医師を見送るイレーネ。
医師は
「じゃあ、お大事に。次はあの先の客室のお子さんだ。やはり熱をだしたそうだよ」
と言い、片手をあげて看護師と共に去って行った。
具合が悪ければ医者にかかる、これが当たり前の日常だ。
ここではその当たり前の日常がある。
しかし、まさに、つい先ほど見てきたものは。
「イレーネ、セレナが回復したら、まずこの子たちの親をさがして親元に返しましょう。
この先、この子たちがいない方がいいことが起きそうだ」
とハンス。
「そうね、ヘリオスもセレナももうママが恋しいでしょうから」
イレーネは少し前からヘリオスが時々自分の事を間違えて「ママ」と呼び、その間違えに気付いた時、
何とも言えない悲しそな顔をするのに気が付いていた。
「でも、どうやって」
とイレーネ。
するとハンスがヘリオスを呼び寄せた。
「ねえ、そろそろ教えてよ、君のママの居場所」
とヘリオスに聞いた。
「ママはね、もうここに来ようとしているよ。セレナのお熱のお陰で場所がわかったんだって」
とヘリオス。
どうやら彼らのママはただ者ではないらしい。
ガシャーーーン
その時、客室の窓が大きな音を立てて開かれた、カーテンが風に吹かれて激しくなびいていた。
その窓から、人影が部屋に入ってくるのが見えた。
思わずヘリオスを抱き寄せ身構えるハンス、イレーネはセレナのそばに駆け寄った。
「あらら、驚かせちゃったかしら。ごめんねー」
風が吹いたせいで部屋の中にもやがかかっていたがそれが晴れるとともに人影がはっきりと姿を現した。
「ママー」
そう言いながらヘリオスがその女性に縋りつく。
「私はこの子たちの母親、女神のテイアです。子供たちがお世話になりました」
ぴょこんと頭を下げる、テイアと名乗る女性。
「あの、女神?さまなの?その格好で?」
とイレーネとハンスが同時に言う。
黒いマントに黒い帽子、長い杖をもったその姿はどう見ても、女神ではなく魔法使いそのものだった。
「子供たちのこと、本当にありがとう。じゃあ」
そう言うと、セレナを抱き上げヘリオスの手を引き、そのまま開け放たれた窓に向かうテイア。
「え、このまま行っちゃうんですか?」
とハンス。
「待って、そのままいっちゃうなんて。」
とイレーネも慌てた様子で言った。
このまま子供たちがいなくなれば今夜はこの部屋でハンスと二人だけで過ごすことになる。
「せめて明日の朝ごはんたべてからにしてよ」
イレーネは咄嗟にこう叫んでいた。
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