北国への支度
北の国へ行く準備
フーベル伯爵と妻のテレーズが、お抱えの衣装係を呼び寄せた。
イレーネとハンスのために、冬用の外套や防寒具を大急ぎであつらえるように指示をする。
夫妻の居間で、採寸のため鏡の前に立つ二人。
イレーネは手慣れた様子だが、ハンスはどうもぎこちない。
「ハンス様、動かないでください」
採寸係の仕立て屋が何度もそう言う。
あっという間に採寸を終えたイレーネとは対照的に何度も計り直したハンス。
「お手間をかけてすみません」
申し訳なさそうに採寸係に言った。
「あなたたちが冬の国で過ごすために必要な装備よ。出来上がるのは最短であさってね」
テレーズの言葉に、
「じゃあその後ね、冬の国に行くのは」
とイレーネ。
それを聞いたハンスが、
「イレーネ、なんだか当たり前みたいに」
と釘をさす。
「伯爵、そこまでのご厚意を、申し訳ないです」
とハンスはどこまでも控えめだ。
「君たちの旅支度で冬の国に行くのは無謀すぎる。年配者のおせっかいをどうか受け入れてくれないか?」
と伯爵が言う。
「そうよ、私たちのような若輩者は年長者の言うことを聞くべきなのよ」
とすまして言うイレーネ。
「伯爵たちは冬の国に行ったことがあるのですか?」
と言うハンスの問いに、顔を見合わせる伯爵夫妻。
「冬の国へはね、私達の新婚旅行で行ったのよ。もう何年前の事かしら」
とテレーズ。
「私は夏の国の生まれで、暑いところしか知らなかったの。だから伯爵が寒いところに連れて行ってくれたのよ」
テレーズは、自分がかつて、住んでいた村の領主の無駄な決闘のために、親も兄弟もなくしただ一人、秋の国に連れてこられた事を語った。
「そこで伯爵に拾われたのよ。伯爵の決闘の勝利品としてね。前に聞いたでしょう?」
「それで、お二人は結婚したのね」
イレーネはもう夢見る表情だ。
「こんなに素晴らしい女性はいないからね。あの時の決闘相手に感謝だ。私はテレーズと巡り合えて本当に幸せ者だ」
そんな伯爵の言葉を頬に手を当てながら聞くイレーネ。
ハンスも同様に聞いていたが、イレーネとは違いこの二人が正式に夫婦となるためにどれほどの困難を乗り切ったのかを思った。
由緒ある伯爵家の子息と、奴隷同然の娘の結婚、万人が祝福するはずがない。
それでも伯爵もテレーズもお互いをつなぐきずなの強さはハンスも感じていた。
「すごいな」
とつぶやくハンス。
「そうだろう、愛の力ってやつさ」
その言葉を聞き洩らさなかった伯爵がハンスにささやいた。
「冬の国は雪と氷に閉ざされた寒いところだけれど、温泉という天然のお風呂が色んなところにあるわ。
とても温まる素敵なところよ」
テレーズの言葉に、
「温泉があるんですね、入ってみたかったんだ」
とハンス。
「温泉には色んな効能があるのよ。疲労回復やリラックスできたり、お肌に良い温泉もあるわよ」
「わあ、お肌にいいの?すべすべになるとか?私も入りたいその温泉」
とイレーネ。
「イレーネは大勢が出入りする浴場なんかに入ったことがあるの?」
テレーズが聞くが、
「ルルカ村の孤児院では大浴場に入ったわ。孤児の皆と一緒に」
とイレーネ。
「この旅に出てから、自分でお風呂に入れるようになったのよ。
自分で服を脱いで、自分で体を洗って、自分でタオルで拭いて、すごいでしょう」
と得意げだ。
「姫君はちがうね」
と伯爵が笑う。
「温泉には混浴っいうのもあるから、入る前に確認をした方がいいわよ」
とテレーズ。
「混浴?」
「そうよ、男女が同じ風呂に入ることよ」
テレーズからそう言われ、
「絶対に無理」
とイレーネは言い切ったが、ハンスは
「いいですねえ、混浴」
と思わず言ってしまった。
そんなハンスをにらむイレーネ。
「温泉は楽しみだけど、混浴はお断りだから」
と念を押すように言った。
ーネオ・トワイライトの中心部、高級ホテルの一室ー
ホリデイ伯爵ご一行が最上階を貸し切っていた。
その中の広いリビングの付いたスイートルームにジャックが滞在している。
収穫祭も終わり、ここネオ・トワイライトに留まる必要はないのだが、イレーネを国境までお送りする、そのためにこの地を離れないでいるのだ。
「ジャック、お前本当にあのイレーネって娘の事を諦めたのか?」
と同行している取り巻きが言う。
ジャックには話し「友達」という名の取り巻きが数人いつも付き従っていた。
「ああ、あの娘ならもういい。イレーネが身分違いを気にしすぎていて不憫になった。せめてもの好意で俺が国境まで送ってやるんだ」
取り巻きにはそういう説明をしているジャック。
取り巻きから離れ、一人テラスに出るジャック。
最上階のテラスからは、ネオ・トワイライトの街が一望できる。そして街の向こう側に見えている広大なフーベル伯爵の館。
イレーネに決闘を中断させられて、父ホリデイ伯爵と共にホテルに戻ると、父の部屋に呼ばれた。
まずは安易に決闘を申し込んだことを叱責された。
そして、
「お前にはあの方が何者なのか、まだわからないのか?」
と父が言う。
しかし、ジャックには何のことだかさっぱり。
ホリデイ伯爵はイレーネがアデーレ王国の王女だということに気付いていた。
それだけの感性を持っていた、が、ジャックというとまるで感じとれていない様子だ。
そんなジャックにあきれながら、
「あのお方は王族の血筋だ。どこかの国の王女だろう」
とあえてアデーレ王国の名は出さずに伝えた。
「でも、父上、私の専属魔法使いに血筋を調べさせたところ、貴族の血筋ではない、という判定をして」
そんなハンスの言葉に、
「貴族な血筋でなければ、平民と言う事か。なんと安易な。王族の血筋というのもあるのだぞ」
父、ホリデイ伯爵にそう言われてもジャックにはイレーネの正体を感じることが出来なかった。
「イレーネ、父とホリデイ伯爵家のためにお前の事は諦める。
国境までの間が最初で最後のお前とのデートだ」
テラスからフーベル伯爵邸を眺めながら、ジャックは寂しそうにつぶやいた。
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