友達
イレーネたちの休日。
ホッピイ農場での生活は、
朝は9時から農作業が始まる。
農場の生活としては遅い開始だが、最近は「働き方監督局」の指導により一日8時間以上の労働、理由もなく早朝や深夜の勤務、休息時間なしでの勤務などが厳しく禁じられていた。
ホッピイ農場は毎年「働き方監督局」から理想的な職場環境のお墨付きをもらっている優良農園だ。
「ねえ、明日、お休みじゃない、街まで買い物に行かない?」
夕食時、そう言いだしたのは少し遅れてこの農場にやってきたルイザだ。
「そうね、日用品を買い足したいし、行きましょうか」
即座にそう答えたのは、ビオレーヌ。
「私も、行ってもいいわ。何も買わないかもしれないけど気分転換になりそうだし」
と答えたのはジョセフィンだった。
「ねえ、イレーネあなたも行くでしょう?」
ルイザに言われて思わす頷くイレーネ。
「お買い物?、何をすればいいんだろう」
買い物が、なんたるものか、それくらいはイレーネにもわかっていた。
お店に行って、品物を買う。これが買い物だ。
しかし、イレーネにとって買い物とは今までほぼ経験のない未知の世界だった。
農園に来る前、「買い物」をしたが、それはすべてハンスが仕切ってくれたことだ。
自分では何もしていない。
夕食後の自由時間にハンスの元に行き、明日のことを話すイレーネ。
「買い物なんかほとんど行ったことないでしょう。きっと新しい発見がたくさんありますよ」
ハンスは随分と年上のような言い方をした。
「なんか、私が何も知らないみたいな言い方」
そういうイレーネに、
「実際そうじゃないですか。貴女は一般庶民のことは何も知らない。いい機会だ、街とそこにいる人々をよく見てくるといい。さ、これは明日のお小遣いです」
そう言って、イレーネに硬貨を何枚か握らせた。
春の国で使われている通貨は世界共通通貨、アデーレ王国と同じものだ。
国により多少の物価の違いはあるが、貨幣価値は大きく違わないはず。
ハンスがイレーネに渡した硬貨があれば、街で一日過ごすのに十分なはずだ。
「ありがとう、でもなんでハンスがこんなお金持ってるの?名誉の金貨を持っているのは知っていいるけど、このお金どうしたの?」
イレーネの問いに、
「僕、農作物の植え付けなんかのアドバイスをしているんです。専門分野なもので。
そういう時に臨時収入がもらえるんですよ」
とハンス。そういうことらしい。
「ハンスは明日、何をしているの?」
明日の休日、イレーネたち以外にも街に出かける予定にしている者が何人かいるらしい。
しかし、ハンスはこの農場に残っているという。
「明日はこの前、植えた作物の観察をするつもりです。だいぶ育ってきているから。
そろそろ春が終わります。これから忙しくなりますよ」
というハンスにイレーネは首をかしげていた。
「春が終わる?どういうこと?」と。
「明日は繁忙期前の最後のお休みになると思いますよ、楽しんできてください」
そう言うと、ハンスは自分の宿舎に戻っていった。
翌朝、農場から近くの街、ローエンまで人事担当のアイルがバンを運転して送ってくれた。
イレーネたちをバスターミナルまで迎えに来てくれていた、あのおんぼろなバンだ。
「帰り、5時にはここに戻ってきてください、また迎えにきますから。
遅れたら、歩いて帰ることになりますよ」
そう言って、アイルは皆を見送った。
イレーネたちがやってきた、ローエンという街は大きくはないが、商業施設、飲食店などが
それなりに揃った街だ。
まだ朝だというのに、多くの人々が歩いている。
イレーネ、ビオレーヌ、ジョセフィンそしてルイザ。
4人で街を歩く。
かわいいアクセサリーが並んでいる店、流行りの洋服屋、このあたりの名産品である焼き栗を売る露店もたくさんあった。
「あ、クレットリアとジンジャーティのお店だ、ここにもあるんだ」
目を輝かせて、ジョセフィンが言う。
そこは人気のチェーン店だ。
「じゃ、ここでお昼にしましょうか」
ビオレーヌの言葉に皆頷き、店に入る。
中庭にあるテラス席に通された4人。
そこで、クレットリア、小麦粉を水で溶いて焼き、その上にいろいろな具材を乗せてソースやジャムをかけて食べる。
アデーレ王国でも人気の庶民の食べ物だ。
「イレーネはこんな店に来たことあるの?」
とジョセフィンが聞く。
最初こそ、イレーネへの敵対心をむき出しにしていたジョセフィンだったが、
ともに過ごすうちに、なぜか穏やかに友好的になっていた。
「ないかも」
そういうイレーネに
「やっぱりね、お嬢様」
と突っ込むことは忘れなかったが。
「今日はね、今まで頑張ったご褒美ってことで、100ペイカまで使っていいって自分で決めたんだ。
ここで30ペイカ使っちゃうから残りは70ペイカ、何買おうかな」
ジョセフィンは、農場で働いて得る賃金を最終日にもらうことにしていた。
そのため手持ちの金がほぼないため、特別に100ペイカだけ、先にもらってきたのだ。
「え、私も、100ペイカ持ってきた。私は安いの食べたからあと80ペイカ残ってる」
とルイザ。
二人の話を聞き、少し気まずそうに、
「私は日用品が切れてしまって、夫にも届けないといけないので、300ペイカ持ってきたわ。
それで足りると思う」
とビオレーヌが言った。
最低限の日用品は農場に備えられているが、ビオレーヌの夫はシャンプーやコンディショナーのこだわりがあり、特定の商品しか使わないのだそうだ。
イレーヌは,ハンスから「お小遣い」として渡された1000ペイカのことを思った。
とてもみんなには言えない。
そして、100ペイカ、アデーレ王国の王宮で、庭の草むしりに来る貧民の子に渡す手間賃が100ペイカだ。
イレーヌは少し複雑な心境になった。
「ねえ、イレーヌは何か買うものあるの?」
ルイザに聞かれて、返答に困っていると、
「イレーネは自分で買い物なんかしたことあるの?外商さんってのが付いているようなお家柄とか」
とジョセフィン。
外商どころか、イレーネの持ち物はどの品々も専属の職人によって超一流品がそろえられていた。
世界に名が知られている職人たちだ。
イレーネが身に着ける品々には「アデーレ国王王女イレーネ」の紋章が刻印されており、
そのすべては一品物だった。
クレットリアのお昼ご飯を食べ終わると、また4人で街を歩いた。
お店を覗いたり、露店でアイスクリームを食べたりしながら。
みんな、気に入った品があると、手持ちのお金と相談しながら買ったりあきらめたり。
いつの間にか、手にはいくつもの買い物袋がぶら下がっていた。
「イレーネ、何も買わなくていいの?
もしかしたら、意外と倹約家とか、たまーにいるよね、そんな金持ち」
イレーネにはこの街で何か買いたくなるような品がなかった。
今、何か不自由があるわけでもない。
使わなかったお金は、帰ったらハンスに返そう、そう思った。
そろそろ帰りの時間が近づいた。
アイルが迎えに来る場所に、向かってい歩いていると、店先のワゴンにたくさんのヘアアクセサリーが売られている店があった。
駆け寄るルイザとジョセフィン。
そこにはきらびやかなヘアピンや、髪留めなどが並んでいた。
「ねえ、これかわいいね。
この髪留め、みんなでお揃いにしない?」
とジョセフィンが言った。
嬉々として髪留めを選ぶジョセフィンとルイザ。
そこにビオレーヌも合流した。
「ねえ、イレーネも選ぼうよ」
ルイザに言われて、イレーネも加わる。
4人、色違いできれいな模様の髪留めを選んだ。
明日からの作業にはこの髪留めを使って、髪をまとめよう、そう決めた。
帰り道のバンの中で、
「あー100ペイカ、きっちり使い切っちゃったよ」
とジョセフィン。ルイザも同じようだ。
「ま、イレーネが意外としまり屋さんだってわかったよ。
もっと贅沢三昧、浪費大好きなのかと思ってた」
とジョセフィンが笑う。
農場に戻り、ハンスに硬貨を返しながら、
「私、経済観念、けっこうあるらしいわよ」
と言ってみるイレーネ。
イレーネの様子を見たハンスは今日が楽しかったのだと、察するに十分だった。
それほど、イレーネの表情は柔らかいものだった。
部屋の中、女子4人は今日のことを楽しげに話す。
「ここでも仕事が終わっても、また会いたいな、みんなと」
とジョセフィンが言う。
「会えるよ、だって私たちもう友達だもん」
とルイザ。
「友達」
イレーネがつぶやく。
自分に友達なんていたことがあったのだろうか。
妖精のシャロンが唯一友達と呼べる存在かもしれないが、妖精は妖精だ。
「姫様にはお友達は必要です」
侍女たちから何度もそう言われていた。
そして、同年代の少女が何人も自分の前に連れてこられた。
イレーネの「お友達」として。
いつもおどおどしていて、何を言っても「はい」としか答えず、
そしていつの間にかいなくなっている。
そんな存在だった。
イレーネにとって「友達」とはそんな少女たちのことだと思っていた。
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