春の国での過ごし方
裏道で、絡んできた、とても「お上品」ではないまるで荒くれ者から何とか逃げ出して
宿に帰りついたハンスとイレーネ。
二人とも、息を切らしながらフロントに駆け込んできた。
受付にいホテルの従業員が、驚いた様子で、
「どうしました?何かありましたか」
と言いながら飛んできた。
二人が事情を話すと、
「このあたりの裏道は治安の悪いところもあります。あなた方のような旅行者は特に狙われやすい。
気を付けてください」
そう忠告した。
荷物をまとめるために、一旦部屋に戻ったイレーネを待ちながら、ハンスは今後について考えていた。
シャロンの話によると、ここは神直営国家、春の国。
神の直営国家がこの世界には点在しているが、春夏秋冬、この4つの国はそれぞれが隣接しており、
4つの国で一つの連邦となっている。
「春の国か」
ハンスがつぶやく。
ハンスはこの神直営国家のことをよく知っていた。
荷物を持ったイレーネがハンスの元に戻ってきた。まあ、荷物と言っても飛ばされた時に持っていた
小さなバッグひとつなのだが。
「じゃあ、行こう」
そう言って、宿を出るハンス。
すでに会計などは済ませてあるようだ。
外に出て、今度は裏道に入り込んだりしない様大きな通りを歩く二人。
イレーネはこれからどうなるのか、どうすればいいのか、全くわかっていない様子だ。
「これから、どうするの?」
イレーネが聞く。
「ちょっと郊外まで行こうと思います。バス乗ろうとおもうのですが、その前に」
ハンスが向かったのは街のスーパーマーケットだった。
食料品から日用品、雑貨、工具器具までそろっている。
店内は多くの買い物客がいた。
イレーネはこんなところに来るのは初めて、いやかつて父の国王とともに、アデーレ王国にあるスーパーマーケットを視察したことならある。
その店と運営している会社のお偉いさんたちにうやうやしく出迎えられ、
店内では引きつった笑顔の女性店員が案内をした。
イレーネはそこで、事前の打ち合わせ通り、決められた品物を手に取り、
決められた事を店員に尋ねた。
内心、死ぬほどつまらなかったが、バラ色のほほと大きな瞳を輝かせ、笑みを絶やすことなく
店内を回った。
その翌日の王室ジャーナルや平民たちが大好きなタブロイド紙に
「イレーネ王女、お買い物を楽しまれる」
という見出しで、スーパーマーケットを訪れた様子が記事になっていた。
「イレーネ、普段着を調達しましょう」
そんなことを思い出していると、両手に何かを抱えたハンスが言った。
そこにはたくさんの女性用の衣料品が並んでいた。
どれも、庶民が着ているような物ばかりだ。イレーネに言わせると「すっごくだっさい」洋服だ。
「ここにしばらく滞在することになるのですから、ここの庶民と同じような恰好をした方がいいと思いますよ」
ハンスに言われて、イレーネはいくつかの洋服を選んだ。
同じくハンスも何着か普段着を調達した。
「ほかに何か欲しいものはありますか?」
イレーネにそう尋ねるハンス。
食料品のお菓子売り場でイレーネはいくつかのスナック菓子を選んだ。
それは従妹のヘレンお勧めの品だった。
それまでのイレーネはもちろんそんな物を口にしたことはなかった。
お菓子を食べるときでさえ、何人もの毒見が改めた物だけを食べることが出来た。
いつも、豪華な皿に乗せて。
こういう菓子類が袋や箱に入っていることを、イレーネはこの時初めて知った。
「それでは、行きましょう」
ハンスが向かった先はバスターミナルだった。
並んでいる幾つものバスの中から、ハンスが行先を確認し乗るべきバスを探した。
バスに乗り込むと、奥の方の二人掛けの席に並んで座った。
イレーネは先に座ったが、ハンスはたくさんの荷物を網棚に乗せたり、
バスの乗車券を車掌に渡したり、すぐには座らない。
そんなハンスの姿を見て、なんだか頼もしいと思ったイレーネ。
あの勇者ロードレース大会の出発の際、国王や自分に挨拶をした時のたどたどしい様子、
のろのろと、最後尾を走っていたあのハンスとは別人のようだ。
「それで、私たちはどこに行くの?」
やっと座席に座ったハンスに聞いた。
「そうですよね、心配ですよね。
ここから小一時間行った先に農場が広がっています。
そこで僕たち、そこで働くんですよ」
ハンスがハツラツとこう言った。
「働く?働くですって?私も?」
イレーネが驚いて聞き返した。
働くなんて、王女としての公務だって仕事だけれど、それとは違うようだ。
働くなんて、庶民のやることではないか。
動揺しているらしいイレーネに、
「ここは春の国、生命の息吹が始まる場所です。この時期農場では種を撒いたり、苗を植えたり、
収穫に向けての最初の作業が始まります。人手はいくらでも必要です。
僕たちは次の国に進むまで、農場で働いて資金を稼ぐことにしましょう」
と説得するように言った。
「でも資金なら、あなたの金貨もあるし、私の装飾品を売ってもいいじゃない。
なんで働かないといけないの?」
イレーネはなおも不満そうだ。
「イレーネ、女神アフロディーテが僕たちをここに飛ばした、それには意味があるはずです。
ここでできることをする、それがアフロディーテの願いなのではないでしょうか」
神直営国家ならこの世界にいくつでも存在する。それなのにこの連邦、最初に春の国に来た、
ということは、ここでしか体験できないことをせよ、そういうことなのだ、
イレーネも少しだけ理解した。
それに、今はハンスだけが頼りだ、自分一人ではバスに乗ることも出来なかっただろう。
ハンスとともに農場とやらに行ってみるか、そんな気分になっていた。
「それで、貴女のバッグ、ここに入れてしまってください、農場に着いたら誰にも見せてはいけませんよ」
そう言ってハンスはさきほどスーパーで買っておいた、布製の質素なカバンを取り出した。
そこにイレーネのバッグを入れるのにちょうどよい大きさだった。
「誰にも見せるなって?」
そういうイレーネに、
「貴女のそのバッグ、とても高価なものです。一般庶民が持てるような物ではない。
そんなのを農場に来た労働者が持っていたらどうなると思いますか?
強奪されますよ、下手をすれば身の危険もあるかもしれません。
だから、ぜったいに誰にも見せてはだめですよ」
ハンスの言葉に無言でうなずくイレーネ、その目は真剣そのものだった。
ハンスはシャロンが持ってきてくれた剣、シュバをやはりあのスーパーで買った、麻袋にしまい込んだ。
剣を持った勇者の姿は、この国でもあちこちで見受けられたが、
この剣はロイヤルの称号をいただいている名剣だ。
こんなものを持っていることが知れたら、やはり厄介なことになる。
そう思い、ハンスは剣を麻袋に隠した。
「それに、こんなの持ってて、すごい勇者だって思われたら困る」
それが本音のようだった。
バスは、街中を抜け郊外に出て、順調に一本道を走る。
そして1時間ほどたったころ、そこは見渡す限り農地が広がっていた。
そんな農場の真ん中にあるバスターミナルにバスは止まった。
乗客たちが全員そこで降りる。みなここで働くためにやってきたようだ。
バスターミナルには、それぞれの農場から労働者を迎えにたくさんの人が出迎えに来ていた。
名前の書かれたプラカードを掲げている者、大声で人の名を呼ぶものなど。
そこに
「ハンスさーん、イレーネさーん、マルクさーん、ルシーダさーん」
と声をからしながら呼び続けている男ががいた。
「ハンスさん、イレーネさんですね、ようこそ、ホッピイ農場に
さあ、行きましょう」
その男はハンスたちを見つけるとすぐさまそう言って、近くに止めてあったオンボロのバンに連れて行った。
数人が乗れるそのバンには既に、4人の男女が乗っていた。
皆、ホッピイ農場で働くようだ。
「僕は、ホッピイ農場、人事担当のアイルと言います。みなさんのお世話係です。
よろしくお願いします」
アイルと名乗ったその男は、バンの運転席に乗り込みながら言った。
バンはすぐにホッピイ農場の入り口に着いた。
車を降りると、そこには農場の主らしい男とその家族がいた。
ハンスはなんだかうれしそうにだが、イレーネはこの状況が理解できておらず、
ほとんど固まっていた。
「私、ここでやっていけるかしら」
小さな声でそういうのがやっとだった。
その時、主の子供らしき小さな男の子がイレーネの側に駆け寄ってきた。
7,8歳と思われるその子は、そばかすのあるいたずらっ子のような愛嬌のある顔立ちをしていた。
その子はイレーネをまじまじと見つめると、
「ねえ、あなたを僕のお嫁さんにしてあげる」
そう大きな声で言った。
「お嫁さんですって、お嫁になる試験に落ちたからこんなところにいるのよ、私。
ふざけてんじゃないわよ」
イレーネはそう小声で言った。
「ごめんなさ、あいつ私の弟、ルシアン、今結婚ブームなの」
そばかすのいたずらっ子、ルシアンの姉だという女の子がイレーネにそう言った。
すると少し離れたところから、ルシアンがイレーネに向かって
「うそだよーーっだ、だれがお前をお嫁さんになんかするものか、
やーい、ひっかかった、ひっかかった」
そう言ってはやし立てた。
「こら、せっかく来てくれ働き手の方に何を言うんだ」
父親である主がルシアンを叱るが、全く動じていない様子だ。
「ほらね、やっぱり私、お嫁さんにはなれないのよね」
今度のつぶやきはハンスにも聞かれてしまった。
イレーネとハンスのホッピイ農場での生活が始まった。
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