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62 王の条件

 丘の斜面に伸びる道を駆けながら、ハザムは何度か街の風景を見渡し、そして眉をひそませた。


 ひどいありさまだ。

 眺めるたびにそう思う。どす黒く垂れこめる雲の下、滝のように降りつづける雨にさらされた街は、遠目にも水浸しだ。あれではまともな暮らしはできまい。道の大部分は冠水しているだろうし、家の中も水がめのようになっているだろう。


 もっと、素敵な世界だと思っていた。自分の生まれ育った乾燥した砂漠とは違って、水の豊かな、美しい国だと。しかしハザムがあこがれていたこの国は、想像とは全く違う姿をしていた。ヒエイとアトラスとアンジュが旅をしている理由は知っていたが、心の底から理解しているわけではなかったことを、この風景を目の当たりにしてようやく彼は悟った。


(そうか。これが、あんたたちが変えたかった世界か)


 ハザムは今度は天を仰ぐ。さっき、おびただしい数の龍が雲に突っ込んでいくのを見た。壮麗な宮殿の立ち並ぶ一角で、身を震わせるような轟音と光が何発も発生しているのも見た。


 ヒエイもアンジュも頑張っている。俺は、いったい、何をする?

 その答えはとうに決まっていた。それを初めて口にした時のことを思い出して、ハザムはひとり苦笑をこぼす。ナイアスの神聖図書館でのことだ。それを聞いた師匠のガイアは、腕を組んであきれたような顔をした。


「フレイア国を統べる新しい人物を見つけ出し、その補佐をする?」

「ああ、そうだ。天使をやっつけても、国を統治している者たちがその無能なやつらのままでは、結局民は救われない」

「たしかにね。しかし、そんな人物、簡単に見つけられるかね」

「いるだろう。それなりの歴史のある国だ。いろんな組織やいろんな人材がいるはずだよ。教会もあれば大きな商会もある。そのなかからしかるべき人物を見出すのは確かに大変だと思うけど、きっと見つけ出せる。そのためにも勉強しているんだ」

「なあ、ハザム君」


 あの時のガイアの表情を、ハザムはよく覚えている。いたずらっぽく目を輝かせて。どこか励ますようにほほ笑んでいた。


「君が、王様になっちまえよ」

「まさか。無理ですよ」


 そう、ハザムが即答したのは言うまでもない。


「突然降って湧いた見知らぬ外国人に、国を任せてくれるわけがないでしょう。誰も支持しないし、誰もついてきませんよ」


 むきになって食って掛かるハザムに、ガイア先生は肩をすくめてみせた。おどけた表情で。その口から笑いが漏れ、緊張の解けたハザムもまた、彼と一緒に笑った。

 雨の中を走るハザムの口から、あの時の余韻のような笑いがこぼれる。

 とにかく、見つける。見つけられるはずだ。今の俺なら。

 見据える視線のその先に、広大な緑地が広がっていた。


     〇


 シエルサラム公園は、王宮の丘のすそに位置する、広大な公園である。丘の中腹から舌ベロのようにつきだした台地の上にあり、長雨や洪水などの災害のとき、王都の人々はこの公園に避難することが常となっていた。


 ハザムはもちろん、それを知っている。街の地理も、公園の位置も。長年の勉強の日々で得た知識の一つだ。そしてその知識は、その中にこそ国をすべるにふさわしい人物がいるはずであると彼に教えていた。どんなに大きな組織を率いていても、どれだけお金を持っていても、どれだけ人脈があろうとも、民の危機に自分だけ安全で快適なところでのほほんとしている者に、国を率いる資格はない。国を統べる者は、常に民の中にあるのだ。……というのが、彼の信条だった。だから、彼は確信していた。目的の人物は今、あの公園にいる。あの公園に集った避難民の中に。


 その人物は、すぐに見つかった。

 予想していたよりもずっと簡単に、あっさりと。それはハザム自身が驚くほどだった。

 その人はハザムには、マーキングでもされているみたいに、はっきりと光をまとって見えたのだ。彼は炊き出しをしているテントの下で、民の差し出す椀に鍋の食べ物を注いでいた。白いひげを蓄えた老人だった。


「もし……よろしいですか」


 と、声をかけたのは、老人がテント裏に座って休んでいる時だった。ハザムは彼の隣に腰かけて、彼と一緒に雨空を見上げながら、ためらいがちに言った。


「あなたは、この国を、どう思われますか」

「ひどい、ありさまだな」

「この国を変えたい……。そうは、思いませんか」

「ああ。きっとそれは、誰もが思っていることだろうね。貴族と王族以外は」

「あなたは……いかがですか」


 老人は振り向いてハザムの顔を見た。その目はハザムが気圧されるほどに澄んでいて、老人とは思えぬほどに強い光を抱いていた。どこかガイア先生の瞳に似ている。そう思いながらハザムは話をつづけた。


「失礼ながら、あなたは優れた徳をお持ちのお方ととお見受けいたしました。あなたこそ、この国を統べるにふさわしいと……」


 老人の笑い声が、ハザムの言葉を遮った。


「わしは、ただの老いぼれだよ」


 言い切ってから、また、空を見上げる。ヒエイたちが戦っている丘の上を見晴るかして、彼は目を細めた。


「わしの出る幕はないさ。わしの遺志を引き継いだ若い者が、帰ってきたからね」

「それってまさか……」

「あの子にはわしの力と技を受け継がせた。風の申し子である彼に、時代は引き継がれたのだ」

「ヒエイ……」


 ハザムがつぶやくと、老人は彼を見ておやっという顔をした。


「知っているのかね」

「私は、彼と一緒に旅をしてきました。あなたはいったい……」

「わしは、デロス。ヒエイの師だ。かつては教会に勤めていたが、今はごらんのとおりさ。ヒエイとアトラスは、元気かね」

「アトラスは、死にました」


 デロス元司教は黙り込んだ。大きく息を吐いて祈るように目をつむる。


「ヴォルヴァ様は」


 短い問いに、ハザムは短く答えた。


「来ません」

「では、誰が」

「ヒエイが、天使の代わりを務めます」

「しかし、あの子には、そんな力は……」

「彼は、刻印の儀式を行いました」

「なんということだ」


 デロス元司教は嘆息して、また空を見上げた。茫然とする彼の耳元で、ハザムはまくしたてた。


「だから、あなたにお出まし願いたいのです。ヒエイの師匠なら願ってもない。ヒエイは天使の代わりを務める。アトラスはいない。だからあなたに」


 聞こえているのか聞こえていないのか、デロスは返事をせずに空を見続けている。その表情には慈しみと不安とが入り混じっているように見えた。


「天使を倒さなければ、何も始まらぬ。あの子は、やれるのだろうか」


 その声と言葉を聞いて、ハザムの胸が、カッと熱くなった。


「どうして、そんなことを言うのです」


 気が付くと彼は立ち上がっていた。


「私はアタナミから彼と行動を共にしたに過ぎない。私の知っているのは彼の一部だけかもしれない。でも、それだけでもわかります。信じることができます。彼はやる。必ず天使を倒せる。師匠であるあなたがどうして、彼を信じてあげないのですか」


 デロス元司教が顔を上げた。ハザムを見つめ、何か言おうと口を開ける。

 その時、公園の端のほうで喚声が沸き上がった。


「何がおこったんだ」

「わからぬが、あの様子はただごとではない」

「私は行きます」


 ハザムはデロスから目をそらせると、喚声のするほうへ一目散に駆け出した。


     〇


 公園と王宮の丘の間は城壁と城門で区切られていた。庶民が勝手に王室と貴族のエリアに立ち入らないためだ。庶民は丘へはいけないが、丘の貴族は自由に公園へと出入りできる。


 騒乱は、その城門の前で起こっていた。

 大勢の人間が門の前に集まっていた。男も女もみな、きらびやかな衣装に身を包んでいる。それが貴族の連中だと、ハザムにもすぐに分かった。


「なぜ、貴族たちがこちら側に。丘の特別区域にいればいいものを」


 ハザムはそばにうずくまっている男にきいた。その男だけでなく、その界隈に集まった庶民たちは貴族を前に皆ひざまずいている。


「俺たちに、この公園から立ち退けと言うんだ」


 男は絞り出すように答えた。


「説明はないよ。ただ、従えと。わかっている。でも、ここから出て、どこへ行けっていうんだ。街も家も水浸しだっていうのに」


 そう言ってうなだれる。そのまま動こうとはしない。見渡すと、その場にいる庶民たちは皆うずくまったまま、無言でうなだれかたくなにその場にとどまっているのだった。

 言うことをきかない人々に業を煮やしたのか、貴族たちの先頭に立つでっぷりと太った男が怒鳴った。


「さあ、はやく出ていけ庶民ども。この公園はこれから王室と貴族の所有地と決まったのだ。ここに残るものは国家反逆の罪で処罰するぞ」

「ちょっとまて」


 うずくまる群衆をかき分け、ハザムは敢然と群衆の先頭、そして貴族たちの前に躍り出た。


「あんたらは上にいればいいだろう。なぜ、ここを占有しようとする」


 太った貴族はハザムのほうに顔を向けて目を剝いた。それと同時に彼の周囲にいた衛兵がハザムにとびかかり、遮二無二殴り掛かる。殴りながら彼らは主人の素性を教えてくれた。


「貴様、誰にものを言っている。このお方こそは、この国の摂政ダラク様だぞ」


 ハザムが地面に這いつくばると、摂政ダラクは、さげすむように彼を見下してようやく口を開いた。


「まあ、よい。わしは優しいからな。答えてやろう。特別区域で、乱心した女が暴れまわっておるのだ。危険なので我ら王室と貴族はここに避難することになったのだよ」

「なら、ふつうに避難すればいいじゃないか。ここにいるみんなを追い出す必要なんか、ないだろ」


 ハザムが言うと、摂政ダラクは馬鹿にするように鼻で笑った。


「なんで、我らが庶民どもと同じ場所で同じ空気を吸わねばならんのだ。奴らと一緒では、我らの快適性が損なわれる。わからぬか。我らのいる場所に庶民どもはいてはならぬのだ。奴らは常に、我らより下層にいなければならぬ。丘の上が危険さらされている今、ここは王室貴族の所有地。庶民どもがここから出ていくのは当然の理。我らが快適であるためにな」

「ここが、王室の所有地だと。そんなの、いつ決まったんだ」

「ついさっき、わしが決めた」

「ふざけるな」


 ハザムは立ち上がろうとする。彼を取り押さえていた衛兵たちがあわてて力を込めるが、皆ハザムの気合に吹き飛ばされてしまった。


「なんだこいつは」

「おのれ、反逆者め」


 残りの衛兵がつぎつぎとハザムへと襲い掛かる。しかしそのなかの誰一人としてハザムに手をかけることはできなかった。ハザムが右足で強く大地を踏みつけると同時に、皆吹き飛ばされてしまったのだ。


「ああ。ヒエイやアトラスからきいていたとおりだ」


 ハザムは嘆息してから貴族連中を見渡した。


「貴族諸君に問う。君たちはこれでいいのか。心は痛まないのか。君らも人間だ。避難したいなら避難するがいい。しかしそれは、民と共にだ。それができるものは民に交じり彼らとともに跪くがいい。できぬものはそこに残れ」


 高らかに宣告する。一言一言、声を絞り出すたびに、まるで階段を上っていくように己の胸が次第に高揚していくのを感じる。


(君が、王になっちまえよ)


 ガイア先生の言葉が脳をよぎる。王に……王になったぐらいの気持ちで今、立ち向かわなければならないと、ハザムは顔を上げ、威厳を込めて声を張り上げた。


「さあ。いかに!」


 貴族の中から、ほんのわずか……数家族ほどの人々が前に出てきた。彼らは恐る恐る民たちの中に入り、膝をついた。

 後は誰も動かなかった。騒々しくわめきたて、ハザムに向かってヤジを飛ばす。


(でも、誰も支持しないし。誰もついてきませんよ)


 再びハザムは、ナイアス神聖図書館でのガイア先生との会話を思い出す。

 おどけた顔で笑った後、先生はこう言ったのだ。


「降って湧いたような外国人でも、民を導く方法を、教えてあげようか。それはね……」


 バザムは拳を振り上げる。


「ほんのちょっとの奇跡を、観せるのさ」


 先生の言葉とともに、その拳を思いっきり摂政ダラクの顔面に叩き込んだ。奴の醜い顔がひしゃげ、血と、何本もの歯と、よだれが飛ぶ。その場のすべての人が、民も貴族も、みな息をのんだのが分かった。かまわずにハザムは拳をふりきる。ダラクの肥満体ははるか城門まで吹っ飛んで、木の扉を破壊した。


 それを合図としたかのように、突然王宮の丘の崖の一部が割れた。

 崩れた土石はなだれを打ってこの公園へと流れてくる。

 民衆からも貴族からも悲鳴があがる。


「動くな!」


 そう叫んでハザムはうずくまり、地面に手を当てた。


「大地よ。割れよ!」


 ハザムの前に、丘と公園を分断するように亀裂がはしった。と、同時に、その亀裂に沿って貴族側の地面が陥没する。陥没というよりは、長く深い溝が突然大地を穿ったという感じだった。城壁も城門も、皆溝の底に沈んだ。大部分の、民に混ざらなかった貴族と王族も。溝から這い上ろうと死に物狂いの彼らの顔が見えたのは一瞬だった。貴族王族の悲鳴と怒号をシャットダウンするように、その上に土石流が流れ込む。溝を埋め尽くしたところで土石流はやんだ。民側への被害は皆無だった。


 振り返ると、広場に集ったすべての人が両膝を地面につき、ハザムに対し頭を垂れていた。

 静かだった。しわぶき一つする者はいなかった。


 ハザムはふと、故郷アタナミを思い出す。見たこともない、二十年前の王都アマンダの光景が、彼の脳裏に広がる。

 大地の乙女の見ていた風景も、こんな風だったのだろうか。

 そう思いながら彼は、民衆に向かって手を上げた。彼女のように道を踏み外すまいと誓いながら。

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