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60 アンジュ対ゼノ 前

 一瞬、空が滝になったのかと思った。

 突然降り落ちてきた大量の水に押し流されたアンジュは、立ち上がってあたりを見回し、やれやれと嘆息した。今までゼノと干戈を交えていた議員会館前の広場はすっかり水浸しだ。


「とんだ邪魔がはいったね」


 つぶやきながらゼノの姿を探し、そして舌打ちする。探すまでもなかった。相手は水が落ちてくる前と同じ、広場の真ん中に突っ立っていたから。水の勢いに負けて流されたのは自分だけだということだ。


「これが、メルラさんの本気か。すげえ力だ。たいしたもんだぜ」


 そう言ってゼノは愉快そうに笑う。

 対してアンジュは不愉快そうに口を曲げた。


「ああ。たいした威力だ。あんたでもそう思うのかい」

「まあな」

「あんたより、強いかい」

「強い。というか凄い。技の規模と威力だけじゃねえ。そのあとの、爆発みてえな水の飛散を、制御しやがった」

「制御? どういうことだい。どうしてあいつが、そんなこと……」

「あの威力だ。湖の水みんな外にこぼれだしてもおかしくなかった。だけど、そのほとんどを湖の範囲内にとどめやがった。そうでなければ今頃ここは水浸しなんかじゃ済まなかったろうよ。下の街は壊滅してたかもしれない。それを、あいつは防いだんだ。渾身の技をはなった直後にな。たいしたもんだ」

「ああ、そうかい。気にくわないね」


 メルラのやつめ、ヒエイと闘いながら民への被害を気遣っていたっていうのか。


 メルラは民を想っている……。港町ムールでそう語っていたヒエイの表情を思い出しかけて、アンジュは思わず苦笑した。そんなこともあったな。嫉妬して心乱したこともあった。今でも思う。自分はあらゆる面であの天使の付き人にはかなわない。


(でも……)


 アンジュは曇りない眼で前を見据えた。でも、あれからいろいろあったんだ。メルラが何を考えていようが、ヒエイが彼女のことをどう思おうが、どうでもいいことだった。ただ自分は、自分のやるべきことをやるだけだ。


 腕組みをしてアンジュのほうを向いたゼノが、からかうように口を曲げる。


「あの若造は、もう、生きていないかもよ」

「バカにしてもらっちゃ困るよ」


 アンジュは両手で剣を持ち直し、正眼に構える。銀色に輝く細身の剣の、切っ先に白い光が瞬いている。自分は自分のやるべきことを、やるだけだ。


(ホノカ。いくよ)


 剣に語り掛けると同時に地面を蹴る。

 視界からゼノの姿が消える。

 とっさにアンジュは横へととびすさる。直前までいた地面が砕け水しぶきが飛ぶ。


「やるねえ」


 地面に突き入れた右のこぶしを引くがはやいか、ゼノが左のこぶしを繰り出してきた。

 それをかわし、ゼノの懐へともぐりこむ。


(隙あり!)


 構える剣の刃がほの紅い光をまとう。横に一閃。紅い軌跡が相手の腹を薙ぎ払う。

 金属をはじくような音。剣が跳ね返される感触。

 手ごたえなしと見るや、すかさず後ろへ飛び退る。目の前で水しぶきがあがり、砕けた瓦礫がふりかかる。


 水上をすべるように後退したアンジュは、ゼノの姿を見て、悔しがるより感嘆してしまった。腹は無傷。本当に頑丈な野郎だ。


「まさか、これで終わりじゃないよな」


 ゼノが腹筋を見せつけるようにして言うと、アンジュも片頬をあげて応じた。


「もちろん。ここからだよ」


     〇


 水しぶきが広場のいたる所で上がり、そのたびにほの紅い閃光が明滅し、硬い金属音が響き渡る。


「はは……いいねえ。もっとこい」

「まだまだ!」


 飛び退ったアンジュは着地するやすぐに地面を蹴ってゼノにとびかかる。振り上げた剣に紅い光がともる。力いっぱい振り下ろした刃はしかし、ゼノの腕に防がれる。


「なかなかの力だ。あんときとは大違いだな」

「修行……したからね。あんたを倒したくてさ」


 歯を食いしばりながら、彼の腕にくいこんだ剣を押す。剣の当たっている個所から、かすかに血が流れ出た。ゼノに与えた、初めての傷。かすり傷だが、その腕が震えながら、少しだけ下がっていく。いける。このまま押し切る。


 剣を握る手にさらに力を籠めようとして、しかしアンジュはハッと息をのみ、後ろへととんだ。頭上から降りてきた風圧が、よけた彼女の鼻先をかすめる。目の前で轟音と水しぶきが上がり、水に混ざって瓦礫が散りかかる。それをかわしながらアンジュはさらに後退をつづける。二歩、三歩と下がる彼女を追いかけるように、ゼノの腕が振り下ろされ、地面から水と瓦礫が盛大に飛び散った。


(まるで爆撃だね。このまま逃げ続けるのは厳しいな)


 一瞬、ゼノのこぶしに炎の剣が重なった。ああ、あれは真なる炎の使徒スカーレットの技だ。降りかかる無数の炎の剣……。


 アンジュの目が見開かれる。体勢を立て直した彼女は地面を蹴って横にとんだ。姿勢を低くし、こぶしの嵐の下を駆け抜ける。


(逃げるのはだめだ。攻めなければ!)


 右に左に舵を切り、時に反転しながらゼノの動きをほんろうし、隙を窺う。足は止めずに加速する。トップスピードで、斬り込んでやる。

 構えた剣が紅い光をまとう。さっきよりも強い光。いける。スピードに乗せてこの剣を叩き込めば、きっと……。


 一瞬、こぶしの空襲がやんだ。気づくとゼノの背中が見えていた。彼の背後に回り込んだんだ。アンジュは剣の切っ先をゼノの心臓に向けた。と、同時にゼノが肩越しにアンジュを見る。その顔に初めて焦りの色が浮かんでいるのがわかった。防御の姿勢を取ろうとするが遅い。烈火の剣の先は、もう、ゼノの背中に届くところだった。


(いける!)


 突然体に衝撃がはしる。剣は空を切り、次の瞬間には体が激しく地面にたたきつけられていた。


「なっ……」


 地面に倒れたアンジュはすぐに立ち上がって、剣で防御の姿勢をとりながら周囲の様子を窺った。


 何が起こったのかはすぐに分かった。

 ゼノがずいぶん離れた場所にいた。彼の体は赤く発光し、その皮膚のいたるところから蒸気を発している。離れたところからでも、発散している闘気のすさまじさがよくわかった。


(吹き飛ばされたんだ。奴の闘気で)


 アンジュは踏みしめる足に力を込め、剣を強く握りなおす。いよいよ、あれが来る!


「やるなお前。ヒヤッとしたぜ」


 愉快そうに笑ったゼノは、アンジュに向き直って構えた。踏ん張った脚や腕の筋肉が盛り上がり、皮膚から発する紅い光が強くなる。


「楽しませてくれたお礼に、俺の本気を見せてやる」


 大地が揺れる。水が波打ち瓦礫が飛び跳ねる。

 ゼノが腕を振り上げる。その右腕を取り巻くように、いくつもの紅い閃光がはしった。


「くらえ。『天使の斧』」


     〇


 赤い光が地面にたたきつけられるのを見たのは一瞬だった。


 アンジュは避けようとはしなかった。

 これだ。この時のために修行したんだ。こいつを跳ね返せなければ、意味がないんだ。


 跳ね上がる大地を、アンジュの足が蹴る。轟音とともに吹き上がる水と瓦礫にまっすぐ突っ込んでいき、彼女は剣を振った。


 勝負は一瞬だった。

 そのガラスをはじくような音は、アンジュの耳のなかで、やけに大きく響いた。それと同時に彼女の鼻先で、烈火の剣が真っ二つに折れた。


 まるでスローモーションのように飛んでいく刀身を唖然と見上げた次の瞬間、全身を襲った激しい衝撃とともに、アンジュは意識を失った。

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