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53 ヒエイの決意

 マホロバは、なだらかな山々に囲まれた、水と緑の豊かな盆地である。

 その盆地の東側に連なる山裾に、ヴォルヴァ様の御座所はあった。


 延々と伸びる参道を歩き、途中にそびえる二層の山門をそれが住処とヒエイが勘違いすること三度。三つめの門をくぐり広い前庭を渡ってようやくたどりついたその建物は、見上げるばかりに巨大な木造瓦葺きの建物だった。


 その建物の、広い階をのぼったすぐ先にある広間にて、ヒエイは改めてヴォルヴァ様に謁見した。

 太い柱が幾本も連なる大きな空間の奥の座で、ヴォルヴァ様は身じろぎひとつせずに手紙を読んでいる。デロス司教から託された手紙だ。そんなに長い手紙ではないはずだが、彼は時間をかけて、何度も何度も読み返しているようだった。


「うーん。あやつめ……」


 やがて顔を上げたヴォルヴァ様は、すまなそうに眉を下げた。


「悪いが、フレイアには、行けないよ」

「はあ……そうですか。無理ですか」


 なぜ、と訊きたかったが、ヒエイはそれができなかった。ヴォルヴァ様がそういうのなら、無理なのだろう。それを覆させるようないかなる言葉も、彼は考えつかなかった。


 なぜと聞かなかったが、ヴォルヴァ様は理由を説明してくれた。


「わしはこの国を離れるわけにはいかないからね」

「ちょっと、天使をやっつけてくださるだけでも……というわけには、いきませんか」

「ことは、天使をやっつけるだけでは済まないんだよ。その後の世界に調和をもたらさなければ、結局はフレイアは極端な気候のままになる。そう、アタナミのように」


 それでは困る、とヒエイは思う。極端な気候をどうにかしてほしいのに、雨がなくなって砂漠になるのでは意味がない。


 だが、ここで簡単に引き下がるわけにもいかない。ヒエイはためらいながらも食い下がる。


「それでしたら、ヴォルヴァ様の側近のどなたかを派遣していただくことはできないでしょうか」


 ヴォルヴァ様は目を閉じ、しばし沈思してからおもむろに首を振った。


「昔、それをやろうとして、フレイアへと旅立った者がいたんだ。しかし、この手紙を読む限り、その者はうまくやれなかったようだね」

「そのお方は、ヴォルヴァ様が、これはと思う方だったのですか」


 ヒエイの問いに、ヴォルヴァ様はかすかに笑った。その人物をいかに信頼していたか、その笑みは表しているようにヒエイは感じた。


「わしの側近について、少し話をしようか」


 そしてヴォルヴァ様は広間の高い天井に目を向ける。まるでそこに遠い過去を見るように。


「私を支える側近は四人いてね。四天王と呼ばれている」

「四天王……ですか」

「君はすでに、使徒という存在を知っているね。風、炎、大地、雷、水……それぞれの事象と語らい心身と同一して操る者だ。彼らの中で特に優れた者には『真なる』の称号が冠せられる。その称号を得るのは事象につきひとりだけ。私の側近は、その『真なる使徒』たちだ。すなわち『真なる風の使徒』、『真なる炎の使徒』、『真なる大地の使徒』、『真なる雷の使徒』」


 ヴォルヴァ様の口はそこで閉じられる。話を聞きながら指折り数えていたヒエイは首をかしげた。


「おひとり足りません。『真なる水の使徒』が」


 ヴォルヴァ様はヒエイをみて、懐かしむように目を細めた。


「その者がいたときは、四天王は五芒星と呼ばれていた。だが、その者はフレイアの噂を耳にして、その国を救おうと、この国から出て行ってしまったのだ。若い使徒を引き連れてな」

「その人って、まさか……」

「君は、その者に会っているはずだね」


 ヒエイの目が大きく見開かれる。真なる水の使徒。水を操る強大な力を持った者。そんな人、彼は一人しか知らなかった。


「メルラ……」


 ほとんど音にならないほどの震え声でその名をつむぎだすと、ヴォルヴァ様は少し寂しそうにほほえんだ。


「もう、三百年ほどになるか。あの娘は、元気だったかい」


 三百年……。その途方もない数字に、ヒエイの頭は混乱する。その一方で、いろんな場面で彼女のみせた表情がいくつも思い出され、それにはじめて納得する思いでもあった。そうだったのか。だから、彼女は……。


「いつも……、いつも彼女は、うんざりしたような物憂げな顔をしていました。見た目は十代の少女なのに、まるで擦れた中年みたいに疲れきっていて、どこかあきらめたようで」

「苦労しているみたいだね。彼女は才能豊かな娘だった。それでも変えられなかった。それなのに、彼女は帰ってこない」


 ヴォルヴァ様が目を伏せる。


「だからもう、彼女のような者を生みたくないんだ」

「そう、ですか……」


 ヒエイは肩を落とした。何かがガラガラと音をたてて崩れていくような気がした。もともとそんなに希望を抱いていたわけではない。しかし、ここまで苦労して旅を続けてきたから、その分だけ積み重なっているものがあったのだ。これだけ頑張ってきたのだから、それだけの報いはあるものと、どこかで思っていた。


「道は……ないのでしょうか」


 ヒエイは絞り出すように言う。なおも食い下がろうとする、そんな気力が湧いてくるのが不思議だったが、その当然の原動力に彼はすぐに気が付く。

 アトラス……。彼の死に、この結果は断じて見合わない。


「ない、わけではないが……」


 ヴォルヴァ様が初めて困ったように言葉を濁した。


「とてもシンプルなことだが、わしはあまりお勧めしないよ」


 ヒエイの返答は明確だった。


「ぜひ、それを教えてください」


     ○


 ヴォルヴァ様の御座所の北の丘には、墓所がある。

 マホロバの盆地をよく見渡せるその墓所の隅に、アトラスの墓は築かれていた。


 ヒエイが墓の前にたどり着くと、すでに到着して黙とうしていたアンジュとハザム、そしてホノカが顔をあげ振り返った。彼女らの視線に迎えられながらヒエイは進み、友の名の刻まれたその立派な石柱の前で直立した。


「どうだった? ヴォルヴァ様との面会は」


 アンジュの問いかけに、ヒエイは首を振って答える。


「ヴォルヴァ様は、フレイアに行けないそうだ。側近の派遣も無理らしい」

「そんな……」


 ハザムが頬を膨らませる。


「あんなに苦労してここまで来たのに。ヴォルヴァ様ってのはひどい奴だな」

「仕方のないことなんだ。ヴォルヴァ様を責めてはいけない」

「ヒエイは悔しくないのかよ。アトラスは……」

「ハザム、よしなよ」


 アンジュがヒエイに食って掛かろうとするハザムの肩を掴んでたしなめる。彼女は怒る気配も悲しむ気配も見せない。きっと彼女にはなんとなく予測できたのだろう。自分の苦労や努力とはかかわりなく、人には不幸が訪れるものだということを、よく知っている人だから。


 一番申し訳なさそうにしているのはホノカだった。


「みんな。……ごめん」


 憔悴してうなだれる彼女の目の下にはクマができている。あの夜以来、彼女には元気がない。アトラスが死んだのは自分がヴォルヴァ様を連れてくるのが遅かったからだと自分を責めているのだ。自分がもっと速く、救援を呼ぶことができたら……。そして自分を責めているのは彼女だけではなかった。アンジュも、ハザムもそうだった。


 しかしヒエイは、誰も責める気にはならなかった。

 アトラスの死は、誰の落ち度でもなかった。ただ、彼は強大な敵に力いっぱいぶつかって死んだ。そこにあるのはただ、まっすぐな彼の意志だけだった。きっと彼は、あの瞬間、後悔もなく納得して死んでいったのだと思う。


「いいんだよ、ホノカ。君のせいじゃない。誰のせいでもない」


 ヒエイはホノカにほほ笑みかけて言い、その笑みをハザムとアンジュにも向けた。


「それにね。ヴォルヴァ様はひとつの解決策を授けてくださったんだ」

「え。それって、何?」


 アンジュとハザムが身を乗り出す。ホノカだけが不安そうな顔をしている。三人の顔を順番に見つめてから、ヒエイはおもむろに答えた。


「僕が、ヴォルヴァ様の代役を務める」


 アンジュとハザムがほおけたように口を開けてヒエイを凝視した。


「……言いたかないけど」

「ヒエイには、無理なんじゃ、ないか」


 ふたりの反応は当然だ。普通に考えればヒエイごときにヴォルヴァ様の代わりが務まるわけがない。どうひいき目に見ても、彼の力が大聖人の足元にも及ばないのは明白なのだから。しかし、そんなヒエイが代役を務めるための秘策を、ヴォルヴァ様は提示してくれた。


 ホノカだけは、それを知っていたようだ。


「まさか、あれをするんじゃ……」


 言いかけて言葉をのんだ、その唇がふるえている。彼女の代わりにヒエイはその秘策の名を口にした。


「そう。刻印の儀式を行う」

「だめですよ!」


 ホノカが即座に言い放つ。その顔は、今までの憔悴に加えて、恐怖で蒼白になっている。


「下手したら、あなた、死にますよ」


 その言葉に驚いてホノカに目を向けたアンジュとハザムに、彼女は説明した。


「ヴォルヴァ様の側近、四人の真なる使徒様から試練を与えられ、それに耐えたら刻印を受けるのです。四つの刻印を無事受けた者は、真なる使徒様をも凌駕する力を得られるとか」

「試練に耐えるだけかい。簡単じゃないか」

「簡単じゃないです。いままで四つの刻印を受けた者はほとんどいません」

「なぜ」

「まず、資格が厳しい。それを受ける資格があるのは穢れなき清らかな心を持ち、その力を正しいことにのみ使うことができる使徒だけです。邪な心を持っていたり、ただ力を追い求めるだけのものが受ければたちどころに命を失います。そして、たとえ資格を持っていても、試練の途中で命を落とすか、放棄します。もし、無事に試練に耐えて刻印をうけることができたとしても……」


 ホノカはつばを飲み込み、少し間をおいてからつづけた。


「私は実際みたことはないのですが……。刻印を受けた者は、その力のかわりに感情を失うと、言われています」

「ヒエイなら、資格は、ありそうだけど……」


 アンジュがヒエイの様子をうかがいながら、ためらいがちに言う。


「あんたに、耐えられるの? 感情や命と引き換えても」


 アンジュの気づかわしげな声とまなざしに、ヒエイは苦笑を浮かべる。彼女の案じていること、言いたいことが、ヒエイにはよくはわかった。彼女には自分の弱いところをたくさん見せてきたから。弱音も吐いた。愚痴も言った。後ろ向きなところも散々見せてきた。そんなヒエイの弱さを見てきたアンジュの目は語っている。お前は、大丈夫なのか。お前はそんなキャラじゃないだろう。と。


 その通りだと、ヒエイは思う。僕は弱い人間だ。フレイアのことが嫌いで、あそこから抜け出したくて、そこから逃げてきた。でも……。


 ヒエイは石柱に寄ると、そこに刻まれた友の名に手を置いた。

 それは昨日までの自分だ。アトラスよ。君がいなくなってしまった今、君の意思を引き継ぐのは僕意外にいない。そうだろう?


「僕は、耐えるよ」


 そう断言して、ヒエイはアンジュを見た。

 少し驚いた様子でヒエイを見返していたアンジュは、やがて表情を引き締めると無言で強くうなずいた。

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