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50 アトラス対ゼノ

 川原に立ったゼノは、アトラスとアンジュの姿に気づくと、黄色い目を細め大きな口を開いて声もなく笑った。


「お前らを、探してたんだぜ。なぜかは、わかってるよな」


 牙のようにとがった歯が、ギラギラと不吉に輝く。

 黒棒を構えたアトラスは、ゼノを睨みつけながら背後のアンジュに指示をする。


「お前は宿に戻れ。みんなを逃がすんだ」

「どういうことだい。あいつは……」


 アンジュの声が少し震えている。彼女はゼノを見るのは初めてのはずだが、ゼノの放つその禍々しい殺気は、彼女にさえ畏怖を与えたようだ。


「あいつはもうひとりの天使の付き人だ。強いぜ」

「ああ……わかるよ」


 そう返事をしたかと思うと、アンジュは退くどころかアトラスの隣に進み出てきた。腰に巻いていた九節鞭を解いて構える。


「だから、私も一緒に戦うよ」

「馬鹿。なに、言ってんだお前……」

「だって、あいつが私を逃すとは思えないし、それに……」


 ゼノを睨みつける彼女の目が鋭く光る。


「今、あんたをここに置いていく気持ちになれないんだよ」

「そうか」


 アンジュを一瞥して苦笑したアトラスは、顔を引き締めて黒棒を構えなおした。


「よし。じゃあ一緒にあいつを倒そうぜ」


     〇


 両足を広げ腰を落としたアトラスは、地面をけるや一直線にゼノへと向かっていった。


 瞬く間に近づいていくゼノの目と口が、おもちゃを目にした子供のように、楽しそうに開かれる。

 その表情めがけて、アトラスの黒棒がうなりをあげて振り下ろされた。


 金属がぶつかるような音が響き、そして黒棒の動きは止まる。ゼノの右腕でガードされたためだ。


「くっ」


 アトラスは歯を食いしばって力をこめるが、びくともしない。

 それに対しゼノの表情は余裕だ。


「俺様と戦う気か。その度胸はたいしたものだ。もっとも逃げ出したら即ぶっ殺そうと思ってたがな」


 弾んだ声で言って、左拳をふりあげる。


「その度胸に免じて、すこし遊んでやるぜ」


 その時、ゼノの背後に殺気が立ち昇った。

 アンジュだ。

 アトラスの攻撃と同時にゼノの背後に回り込んでいたアンジュが、九節鞭を舞わせて飛び上がる。月光を浴びて銀色にかがやきながら、九つの金属の棒はヘビのようにゼノの後頭部めがけて襲い掛かった。


「甘いな」


 ゼノは後ろを振り返りもせずに、振り上げた左手を回して九節鞭を掴む。そして無造作につかんだ鞭をひっぱると、アンジュの身体ごとそれを放り投げた。


「アンジュ!」


 背後に飛ばされたアンジュに視線を向けようとした瞬間、アトラスの背筋に悪寒がはしった。

 ほとんど本能的に彼は背後に飛び退る。それと同時に轟音と土煙がゼノの足もとであがった。


「よそ見してると危ないぜ」


 ゼノがアトラスに笑いかける。そのにこやかな表情とは裏腹に、奴の振り下ろした拳の下の地面は大きくえぐられていた。


 アトラスの背筋を冷や汗が伝う。ゼノの拳は全く地面にあたった形跡はない。どうやら地面をえぐったのは奴の拳自体ではなく、その拳を振り下ろしたときに放たれた空気の圧力……拳圧だったようだ。それでもまるで隕石が落ちたみたいに地面は深くえぐれている。


(攻撃を当てていないのにその威力かよ)


 さすがのアトラスもその破壊力にひそかに戦慄する。

 ゼノは何事もなかったかのような顔で鼻を鳴らす。


「おいおいどうした。俺はまだ、全然本気じゃないぞ」

「なにを」


 アトラスは気持ちを奮い立たせて立ち上がり、再び地面をける。

 低い姿勢でゼノの懐に入り込み、奴の胸に向けて渾身の突きを繰り出した。


 今度はゼノはガードをしなかった。アトラスの黒棒の先端は狙いたがわずゼノのむき出しの胸板にヒットする。


 岩を砕き怪物をも打ち倒す黒棒の一撃。しかしその攻撃があたっても、ゼノの身体は微動だにしなかった。ゼノは表情を変えず、相変わらずニヤニヤと笑っている。


「まったく、痛くないな」

「まだまだ」


 アトラスは再び黒棒をゼノに突き入れる。まるで手ごたえはない。分厚い鋼鉄の壁を相手にしているみたいだ。

 あきらめずに三発。四発と突きを繰り出し続けるも、ゼノには全く通じた様子はない。


(やはり。駄目か)


 アトラスの頭が自然と下がる。そのとき、彼の頭上を鳥のようなものが飛んでいった。


 顔をあげたアトラスの目に、アンジュの姿が映る。それと同時に彼女の九節鞭がゼノの頭に降り下ろされた。

 ゼノの頭はもちろん九節鞭の攻撃も跳ね返す。しかしゼノの背後に降り立ったアンジュはかまわずに、奴の背中に再び九節鞭を打ち込んだ。


「あきらめないで。二人で滅多打ちにしよう」


 アトラスの顔に笑みが戻る。アンジュにうなずき返した彼は、黒棒を握りなおすと渾身の力をこめてゼノに突きを入れた。今度は三度や四度ではない。何度も、何度も。その速度は加速してゆき、しまいには目に見えぬほどの連打となった。


 アトラスと呼吸を合わせるようにして、アンジュも九節鞭でゼノの背中を撃ち続ける。前から黒棒、後ろから九節鞭が、ゼノの身体に激しい連打を浴びせる。


(これでどうだ)


 黒棒をがむしゃらに繰り出しながらアトラスはゼノの様子をうかがう。前後からこれだけの攻撃を浴びせているんだ。さすがの天使の付き人にも少しは効いて……。


 アトラスの両目が驚愕に見開かれる。

 両手を広げて無防備に攻撃を受けるゼノの表情には、苦痛の色は全くない。それどころかまるでシャワーでも浴びているみたいに気持ちよさげだ。


(効いて、ない!?)


 そのとき、ゼノの背後でいくつかの短い鉄の筒がきらめきながら散った。アンジュの九節鞭が分解したのだ。


 それを見るやアトラスは攻撃をやめ、ゼノの背後に回り込むと、アンジュの身体を抱え込んでゼノから距離をとった。


「なんだい。もう終わりかよ」


 ゆっくりと振り返ったゼノの表情は相変わらず楽しそうだ。その身体には、傷ひとつついてはいなかった。あれだけの攻撃を浴びせたのに、まったくの、無傷。そよ風に吹かれたほどのダメージを負わせてはいない。

 その鋼のような肉体が、かすかにほの赤く発光する。


「じゃあ、こっちからいくぜ」


 そう言うと、ゼノは腰を落として、対戦をはじめてからはじめて構えの姿勢をとった。


     〇


 ゼノの全身の筋肉が盛り上がり、その皮膚から発する光が強くなる。浮き出た血管のひとつひとつさえ光っているみたいだ。


 地面が揺れている。ゼノの身体の発光が強くなるにつれそれは大きくなり、カタカタと鳴る川原の石の、小さなものがいくつも宙に浮いていく。


 その大きな口の端をあげて牙を光らせたゼノは、右手を大きく振り上げた。


「天使の斧」


 唱えるや、それを思いっきり地面へと振り下ろす。


「避けろ、アンジュ!」


 とっさにアトラスはアンジュの身体を突き飛ばし、己も渾身の力で横に飛ぶ。

 それとほぼ同時に大地が跳ねるように大きく振動し、轟音とともに土煙が吹きあがった。


「大丈夫か、アンジュ」


 振動と土煙が収まってから身を起こしたアトラスは、自分たちのいた川原を見渡し、その変化に言葉を失った。


 川原の地面が、大きく裂けていた。人の背丈ほどの幅の亀裂が、どこまでもつづいている。その深さは、闇に飲まれて計り知れない。


 背中にも首筋にも汗がつたう。これをくらったら、まず生きてはいられない。

 アンジュの身が余計に案じられて、アトラスは彼女の姿を探しその名を呼び続ける。


「アンジュ。どうした。大丈夫か。アン……」


 視線をめぐらしたアトラスの視界に、程なくアンジュの姿が映りこんだ。亀裂の向こう側に、しりもちをついている。


 安堵したアトラスの表情は、しかしすぐに緊張にこわばる。

 アンジュの目の前に、ゼノが立っていたから。


「どうした。はやく逃げろ、アンジュ!」


 呼びかけるも、アンジュは身動き一つしない。尻もちをついたまま、呆然とゼノを見上げるばかりだ。

 そのアンジュに向かって一歩にじり寄ったゼノが、とどめとばかりに右腕を振り上げた。その手頸のあたりが再び赤い輝きを放つ。


 それを見たアトラスは、とっさに地面を蹴って飛んだ。

 攻撃は通じない。逃げることもできない。だが考えている暇はなかった。

 ゼノの拳がアンジュに届く寸前、二人の間に着地したアトラスはアンジュの身体を突き飛ばす。


 そこからはまるでスローモーションのようだった。

 赤い光が頭上に迫る。

 その光に向けてアトラスは黒棒を掲げる。

 光に触れた黒棒が真っ二つに折れ、赤い血が飛んだ。

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