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5 暗殺者

 王都ルシフェルから脱出したヒエイとアトラスは、街道を東へと向かった。さしあたり目指すのは王国東部の中心都市、コロネルである。


 王都の城壁をデロス司教の力で超えたあと、着地の際に荷車を壊してしまった。故にふたりは、二頭の馬にそれぞれ荷を括り付け、自らも背負って旅をつづけた。司教の用意してくれた物資はいくらか減ってしまったが、先々のことを考えると、馬と人だけのほうが速いかもしれなかった。なにせすでに追われる身なのだから。荷車がついていたら、いざという時足手まといになることもあろうかと思われた。


 王都を出る前から計画が露呈するとは、司教も予想していなかっだろう。なんとか勢いで王都から脱出することはできたが、このまますむとは思えなかった。王宮からの部隊が追って来るかもしれない。メルラがどこかに術を仕掛けているかもしれない。雨の中、来るべき追手に警戒しての旅だ。馬の蹄の音に耳をそばだて、時に茂みに身を潜め、農家の納屋に忍び込んで眠りを貪るそのさまは、旅というよりは逃避行といったほうがよかった。


     ○


 このフレイアという国は、本当にどこまで行っても雨なんだな。


 砂利の敷き詰められた道の先を見渡しながら、ヒエイはため息混じりに思った。


 どす黒い雲がどこまでも垂れ込め、降り続く雨の飛沫で風景がかすんでいる。水滴が大地を叩く音が絶えることはなく、草や樹木の葉のざわめきは天に対する怨嗟の声に聞こえた。


 王都ルシフェルを旅立ち、十日ほどが過ぎた。ここは平原のど真ん中で、山も見えない。コロネルまではあと少しとのことだが、街の城壁はまだ見えない。見えるのは街道に敷き詰められた砂利と、湿地に群生する草木と、荒れた小麦畑ばかりだ。


「飽きたな。この風景も」

「まあ、そう言うなヒエイ。コロネルにつけばちょっとは気も晴れるさ」

「コロネルまであと何日かかるのか……。まずは今日の寝床を探さなくてはな」

「昨日通り過ぎた集落がミネ村だったそうだから、もうすぐ、イルマ村があるはず」

「それにしても、アトラス……」


 言いかけて、しかしヒエイは言葉を飲み込んだ。

 街道のわきに、人がたたずんでいたからだ。

 気づかなかった。道行く人の動きには警戒していたはずなのに。それとも王都をたって十日余り、誰の襲撃もなかったために気が緩んでいたのか。


 その人物は全身黒の装束で身を包み、黒いフードをかぶっていた。表情は良く見えない。道端で、道に背を向け、街道脇に広がる湿地の風景を眺めている。


「あの……すみません」


 その人物から距離をとりながら通り過ぎようとすると、呼び止められた。ささやくような男の声だった。


「コロネルに向かう途中、財布を落としてしまいまして。茶色い革の財布なのですが、見ませんでしたでしょうか」

「いや……。なかったと思うが……」

「そうですか。困ったなぁ。もうちょっと引き返して探してみます。ありがとうございました」


 そう言いながら頭を下げ、王都の方に向かって足を踏み出した。意外と気さくな男はフウドの下でニコニコと笑みをつくり、しきりにお辞儀を繰り返しながらアトラスの馬の近くを通り過ぎようとする。


「あれ。お兄さん。馬の荷が解けそうですよ」


 突然男がアトラスの隣で素っ頓狂な声をあげた。


「え? 何だって」

「ほら。お兄さんの馬に担がせた荷の紐が緩んでいる。ほら、ここですよ」


 男がアトラスの馬に近寄る。それに合わせてアトラスも身をひねり、男に指さされたところを確認しようとした。


 次の瞬間。


 血が飛び、アトラスが身体をのけぞらせた。


「刺客か」


 肩をおさえながらアトラスは黒棒を一閃させる。しかしそれは相手には当たらず、空をきっただけだった。

 アトラスの傍にはもう、黒衣の男はいない。道端にも。いったいどこに行ったのかと視線をめぐらす間もなく、アトラスの怒鳴り声が飛んでくる。


「ヒエイ危ない! よけろ」


 振り返ると目の前に黒衣の男の姿があった。宙に舞い、右手に白刃をきらめかせ、今まさにヒエイに襲いかかろうとしている。

 笑みの形を作った口もとがわずかに開いて牙のような歯が見えた。男の光のない灰色の瞳に、狼狽するヒエイの表情がうつしだされる。


「風よ!」


 とっさに念じる。とたんに突風が横殴りに吹きすさび、ヒエイの身体も馬も吹き飛ばした。


     ○

 

「アトラス。無事か」


 湿地のぬかるみから起き上がったヒエイはすかさず相棒の姿を探す。緊急のことだったので、力を制御せずに魔法を放ってしまった。それは有無を言わさずアトラスをも吹き飛ばしたはずだ。不意を突かれて怪我などしていなければいいが。


「ああ。俺は大丈夫だぜ」


 近くの茂みから頭をのぞかせたアトラスは、肩をおさえながら苦笑した。


「ひどいな。いきなり風を吹かせるなんて」

「すまない。突然だったから。……肩をやられたのか」

「まあな。かすり傷だ。あの野郎、恐ろしく身軽だな。だからこそ、あの突風は効果的だった。お前さんの判断は正しかったようだな」


 言いながらアトラスは周囲を見渡す。ヒエイもその視線を追う。かなり遠くにそれと思しき黒衣が見えた。ずいぶん吹き飛ばせたようだ。馬を盾にできた自分たちより、身軽でしかも飛び上がっていた奴の方が風の影響はもろに受けると思った。さらに奴にだけより強く風があたるようにしたのだが、うまくいったみたいだ。制御しきれず自分たちも余波を受けてしまったのは、まあしょうがない。


「それより、はやくこの場から逃げよう」

「闘わないのか」

「君は怪我をしている、アトラス。長旅で疲れているし、腹も減っている。おまけに不意を突かれて動揺もしている。ここはいったん逃げて体勢を立て直すべきだと思う」

「わかった。そうとなったら急ごうぜ」


 言い終わらぬうちにアトラスは馬に駆け寄る。ヒエイも素早く己の馬の手綱を引いた。逡巡している暇はない。相手はまたすぐに追ってくるだろう。身軽で動きの素早い敵だ。逃げるとなればできるだけ急がねばならない。


「風よ。敵の行く手を遮れ」


 湿地の草々がなびき、黒衣の方へと風が吹いていく。奴の足が少しでも鈍るよう、奴の行く手にだけ強い逆風を吹かせた。これで追ってくるのに難儀するはず。


「まずはイルマ村に避難しよう」


 街道の先の雨煙の隙間に、身を寄せ合う小さな家々とそれを囲む林が垣間見えていた。

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