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46 風対炎

 ホノカが口の中で何やらもごもごと唱えると、ヒエイたちを取り囲んだ炎は形を変え、ピンク色の光を放つ何本もの樹木となった。

 それはまるで満開の桜のようで、異常事態だというのにその美しさにヒエイは思わず見とれてしまう。


「なんだ……これは」

「それに、触れないほうがいいわよ」


 光る花に手を伸ばそうとしたヒエイを止めたのは、ホノカの声だった。


「それは、炎の塊だからね」


 そう言われて思わず手を引っ込めたヒエイを鼻で笑いながら、ホノカは腕を組み、四人を睥睨した。


「さあ、侵入者たちよ。おとなしくナイアスから立ち去るがよい。嫌というなら、この炎の花弁がお前たちを焼き払うであろう」

「君は一体……」


 呆然とするヒエイに得意げな顔を向け、ホノカは改めて名乗りをあげる。


「私は、炎の使徒。ホノカ。私の操る炎から、あなたたちは逃れることはできないわ」

「しと?」


 きょとんと首をかしげるヒエイ。アトラス、アンジュ、ハザムも同じだ。それは初めて耳にする単語だったから。


「あなたたち。使徒も知らないの」


 あきれ顔になるホノカに、まず食って掛かったのはアトラスだ。


「しとってやつは知らんが、あんたが不思議な力を持ってるってのはわかった。だが、まずは話ぐらい聞いてくれてもいいじゃないか」


 アトラスの訴えに返ってきたのは嘲笑だった。


「聞いたさ。さっき。ヴォルヴァ様を連れ出そうなどと言語道断」

「別に連れだそうだなんて……。ちょっと力を貸してほしいと、相談したいだけだよ」

「そして言葉巧みに誘い出そうという魂胆だろう」

「まあ、たしかに、そうなってくれたらありがたいとは思っている」


 ホノカの指摘にアトラスは真正直に答えてしまう。

 それはアトラスなりの誠意なのだが、それが通じる相手ではなかった。アトラスの返答をきいたとたん、ホノカの両目が見開かれ、その大きな瞳が紅色に光り輝く。それと同時に周囲を取り巻く炎の木の枝が、怪しく明滅しながらざわめきだした。


(これは、まずいぞ)


 直感的に危険を感じたヒエイは、ホノカの前に身を投げ出し、拝むように彼女に向かって手を合わせた。


「待ってください。我らの国の民は皆困っているんです。お願いです。助けてください。せめて、ヴォルヴァ様に一目だけでも会わせていただけませんか」

「なんで、ヴォルヴァ様がお前たちの国のために働かなければならないのだ。あのお方はこの国の宝なんだ。そう気やすく外国人などに会わせるものか」

「わが師デロスは、昔、ヴォルヴァ様にお仕えしていました。そのよしみで何とかなりませんか。ほら、こうして、デロスからの手紙も持参しておりますので」


 アトラスから手紙を受け取ったヒエイは、それをホノカに差し出した。

 教会を出てからずっと、肌身離さず持っていた、大事な大事なデロス司教の手紙だ。長旅のせいでしわくちゃになり、ところどころ汚れている。しかしどんなにつらい時でもこれだけは放棄せずに守り抜いてきた、この旅の苦労の結晶といってもいい手紙だった。


 その手紙を、ホノカは摘まみ上げるように受け取った。と思うや、それをはらりと地面に落とした。

 ヒエイが口を開けて地面に落ちた手紙を見下ろす。声をあげる暇もなかった。ただ反射的に手を伸ばす。その手の先で、ホノカの足が、手紙を無情に踏みつけた。


     〇


 その瞬間、自分でも思っていなかったほどの激しさで、ヒエイは己の頭が熱くなるのを感じた。


 炎のためではない。怒りと屈辱感のためだ。手紙を踏みつけられているということは、まるでデロス司教その人が踏みつけにされているようであり、自分たちの今までの経験……苦しみ、喜び、傷ついたことや感動したこと……のすべてを踏みにじられたようでもあった。それは到底ヒエイには許せることではなく、怒りはマグマのようにフツフツと、身体の中から沸き上がっておさまることがなかった。


「その足を、どけてください」


 ヒエイはホノカの前にかがみこみ、手紙に手をかけ、押し殺した声で訴える。しかしホノカからの返事はない。そのかわりに、手紙を踏みつける彼女の足が、さらに強く紙面に食い込んだ。


「その足をどけろぉ!」


 ヒエイは怒鳴った。

 それと同時に、彼の周囲に烈風が巻き起こり、轟音をあげながら駆け巡った。

 突然目の前に出現した天変地異に、ホノカの表情がたちまちこわばり、驚愕に目が見開かれる。


「こ、これは……」


 強風にあおられながらあわてて飛びのいた彼女は、ヒエイから距離をとって身構える。


「そんわけがない。わけのわからぬ外国人が、それもこんなひ弱そうな男が、使徒なわけが。私は信じぬぞ」


 そう言って、両手を前にかざした。その瞳が先ほどのように紅く光り輝く。すると周囲に林立した炎の桜たちが、再び枝を揺らしてざわめきだした。


「もう面倒だ。消し炭になれ。『桜吹雪』」


 桜の枝々が大きく波打ち、小さな花弁が一斉に舞い散った。無数の花弁は薄桃色にきらめきながら、渦を巻くようにして、ヒエイたちに襲い掛かる。


「その花弁の一片一片が炎の塊よ。さあ、数千万の炎の花弁からどうやって逃げる」

「逃げる必要なんか、ないさ」


 ヒエイは目を閉じ、大きく息を吐いて念じる。

 風が一層強くなる。


「吹き抜けよ『地吹雪』」


 ヒエイがカッと目を開き気を放出するや、彼を中心に放たれた風が、爆発のような勢いで一帯を薙ぎ払い、あっという間に彼らを囲む炎の花びらと木々を吹き払った。辺りを照らしていたピンク色の光は消え失せ、薄曇りの空と、西に傾きつつある陽の光を散らしてゆれる海とが、再び視界一杯に広がる。


「そんな……。いや、まだまだ」


 歯を食いしばって風に耐えたホノカが、右手を突き出す。その手のひらに紅い炎がともる。


「火炎飛鳥」


 ホノカの手のひらに宿った炎が、大きな鳥の形に姿を変えてヒエイに襲い掛かった。


 しかしヒエイは動じない。右手の指をそろえてのばし頭上にかかげると、戦士が剣でそうするように力いっぱいその手刀を降り下ろした。


「薙ぎ払え『疾風鎌』」


 ヒエイの手から発した風の塊は、屈曲した刃の形を成し、浜の砂を裂きながら炎の鳥に襲い掛かる。風の鎌と炎の鳥。両者はヒエイとホノカの間の空間の、丁度中ほどで激突した。


 緑の光と紅い光がはじけ、砂浜に散る。

 ふたつの光のせめぎあいは、すぐに勝負がついた。緑の光に押されて紅い光は弾け飛び、炎の鳥は四散する。


「そんな……馬鹿な……」


 巨大化した刃はその勢いのままホノカにも襲い掛かり、唖然とする彼女を吹き飛ばした。


 風が吹きすぎ、再び静寂の戻った浜辺には、ただ寄せては引く波の音だけが響いている。その波打ち際に、ホノカが仰向けに倒れていた。


 服はところどころ破け、髪は乱れ、鼻にひっかかった眼鏡は壊れている。しかし彼女は生きていた。もっとも大きなダメージは受けているようで、かすかに吐く息は弱々しく苦しげだ。ヒエイが近寄ると、その弱い呼吸の合間に彼女は振り絞るように言った。


「貴様も……使徒……だったのか」

「知らないね」


 彼女の言葉にそっけなく答えて、ヒエイは踵を返す。手紙を拾い上げ、アトラスに歩み寄った。彼はもちろん、アンジュとハザムも無事だった。アトラスが盾になって二人をかばってくれていたのだ。


 ほっと安堵の息を吐いたヒエイは、手紙をアトラスに返しながら頭をさげた。


「ありがとうアトラス。みんなごめんね。とつぜん乱暴に魔法を放ってしまって」

「かまわねえさ」


 アトラスはそう言って、愉快そうにほほ笑んだ。


「むしろ、スッキリしたぜ。なあ」

「ああ。格好良かったよヒエイ。もっとやってやれ」

「どさくさに紛れてのろけないでくれよ、アンジュ」


 ハザムの頭にアンジュのげんこつが落ちる。そこでようやくヒエイの表情も少しほころんだ。


「さあ、行こう。まずは今日の宿を探さなければ」


 砂浜を後にしようとしたところで、しかし立ち止まり、背後を振り返る。


「僕たちは、自分たちで勝手にヴォルヴァ様に会いに行きます。あなたの力はかりません」


 ヒエイが呼びかけると、波打ち際に倒れたまま、ホノカは大きく息をついた。その頬に笑みが浮かんでいるように見えたのは、ようやくヒエイたちの覚悟を理解したということだろうか。その表情からは先ほどまでの攻撃的な色合いはすっかり消え、もとの穏やかなそれに戻っていた。


 それを見て取ったヒエイはさらに言う。


「もう、僕たちに手出しをしないでください。それを約束してくれるなら、あなたを治してあげましょう」


 ホノカの壊れた眼鏡の奥のその瞳が、弱々しく見開かれた。

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