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45 ナイアス神聖国

 船からおりた四人は、港のそばに流れる川の土手に並んで立ち、その国の風景を唖然と眺めていた。


 川面に瞬く光の粒が眩しい。その向こうにのびる土手は緑色。草が生い茂っているのだ。土手の上には彼らの頭上で揺れているのと同じであろう、柳の木が列をなしている。

 柳並木の向こう側に立ち並ぶ家々も、光を放っている。


「家の屋根が、光っている」

「あれは、瓦だよ」


 ハザムがぼんやりとした口調で説明してくれる。土を焼いて作った板を何枚も並べて屋根にのせる。瓦葺きの屋根は、日光を浴びるとあんなふうに魚の鱗のように光を放つのだそうだ。


 瓦屋根たちに浮かぶ白い光を包み込むように、木々が、様々な緑を重ねて生い茂っていた。黄緑、浅緑、深緑……。所々ピンク色や白色の靄がかかったようになっているのは、おそらく花が咲いているのだろう。


 街の背後に横たわる丘も緑。まるでフカフカの毛皮をかぶせたみたいに柔らかそうだ。その上に広がる空はもちろん晴れている。アタナミのようなはっきりとしたコバルトブルーではなく、眠たげな、白っぽい水色の空だった。


 へぇ……。

 と、ヒエイの口から嘆息が漏れた。アトラスと、アンジュの口からも。

 ため息しか出なかった。

 それほどに、目の前の風景は美しかった。フレイアのような雨に閉ざされた景色ではない。アタナミのような、植物の育たぬ乾ききった大地でもない。

 光に溢れ、温暖で緑豊かな土地が目の前に広がっていた。


「これが……ナイアスか」


 ヒエイは万感の思いをこめてつぶやいた。

 おとぎ話の世界だと思っていた。伝説のような、あり得ない世界だと。そんな土地があるわけないと。ひょっとして永遠にたどり着けないのではないかと、旅の途中何度も思った。 


 でも、伝説でも夢でもなかった。その世界はこうして、ちゃんと存在していた。そしてその世界は、初めて見るはずなのにどこか懐かしかった。ずっとずっと恋焦がれ、頭の中で思い描き続けた風景だったからかもしれない。そして実際に目にしたそれは、思っていた通りに美しかった。


「どうしたの?」


 隣に立っていたアンジュがヒエイの顔を見て言った。


「あんた。泣いてるよ」


 頬をぬぐうとたしかに、指先が濡れた。しかし、泣いているのはヒエイだけではなかった。アンジュだって彼を見つめる目を潤ませている。アトラスですら、いつもは見せないようなしんみりした表情で風景をながめている。


「そりゃ、まあ、泣くわな」


 元気よく言って、最初に動き出したのは、もちろんアトラスだ。


「さあ、ヴォルヴァ様に会いに行こうぜ」


 ヒエイ、アンジュ、ハザムはうなずいて彼に続く。旅のゴールははもうすぐそこだと、誰もが思っていた。


     〇


「ヴォルヴァ様に……会いたい?」


 カウンターの向こうの頭の禿げあがった中年紳士は、素っ頓狂な声をあげて眼鏡の奥の小さな目をぱちくりさせた。


 この都市の役場のホールである。木造の平屋の多い街の中でひときわ立派な石造りの三層の建築物。道行く人に聞きながら、あちこち歩き回ってようやくたどり着いた。昼前にたどりつけたのは、目立つ建物だったのとナイアスでもアタナミの言葉が通じたからだ。このころになると、アトラスとヒエイとアンジュの三人も、アタナミの言葉を不自由なく操ることができるようになっていた。


 雑然としたホールが一瞬静まり返り、人々の目が今しがた声をあげた中年の職員と、彼の向かいに立つヒエイたちに注がれる。職員は気まずそうに咳払いをして身を乗り出し、声をひそめた。


「突然何を言い出すのです。あなたたちは何者ですか。……ヴォルヴァ様に会うって、どうして?」

「ヴォルヴァ様に、わが国を救ってほしいのです」


 そう言って前に進み出たのはアトラスだ。彼は職員たちの視線を気にすることもなく、堂々と胸を張って名乗った。


「我々はフレイア王国から参りました。フレイア国教会デロス司教の使者アトラスおよびヒエイ」


 いったん言葉をきってから、息を吸って言い放つ。


「どうかヴォルヴァ様にお願いしたい。我が国に害をなす、天気の天使をやっつけていただきたい」


 職員は目をしばたたかせながらアトラスの顔を覗き込む。


「あなた、それは本気で言っているのですか」

「もちろん」


 職員の視線がヒエイにも向けられる。それに対してヒエイもまた、うなずいて返した。ただし、アトラスよりも控えめに。注目されているのが恥ずかしかったし、職員の警戒するような表情が少し気になったから。


「もちろん、貴国に迷惑をかけるつもりはありません。ただ、偉大なるヴォルヴァ様のお力をすこしお借りしたいと思っておりまして……」


 取りなすようにそう付け加えたが、職員の表情は変わらなかった。彼はアトラスとヒエイを交互に見てから、その後ろに控えるアンジュとハザムにも目をむける。


「すこし……待っていてください」


 しばらく難しい顔でヒエイたちをみつめていた職員は、やがてそう言って席を立った。


「嫌な目だったね。信用してないよ、あれは」


 職員の姿が見えなくなってからアンジュがポツリとつぶやく。それに対しアトラスが心外そうに答える。


「でも、包み隠さず、洗いざらい話したぜ。あれ以上、何を言えっていうんだ」

「あけっぴろげすぎて、逆に怪しまれたんじゃないかい。だいたい、この国でヴォルヴァ様がどんな立場でどう思われているかもわからないんだ」

「僕たちは怪しい者ではない。誠実に話せばきっとわかってもらえるよ」


 ヒエイが穏やかな声で言うと、アンジュの口もとがホッとほころんだ。


「あいかわらず甘いね、ヒエイは」

「でも、そこが好きなんだろ」


 ハザムの言葉には、返事の代わりにげんこつが落ちた。

 そんなやり取りをするうちに職員が戻ってきた。今度はふたり。眼鏡の職員は、さっきとは打って変わって愛想笑いを浮かべている。


「さきほどは失礼いたしました。長旅ご苦労様です。ご使者殿には、今日のところは宿所にてお休みいただき、御用の件につきましては、明日あらためてご案内いたしたく存じます」


 彼がそう言って目くばせをすると、傍らにいた人物が前に進み出た。眼鏡をかけた、小柄な女の人だった。アンジュと同じくらいの若さに見えるが、アンジュとは違って眼鏡の奥の目も表情も温和だ。


「宿所には、この者がご案内いたします」


 職員の言葉に応じて、女の人は頭を下げた。


     〇


「私の名はホノカと申します」


 案内の女性はそう名乗ると、あとは黙々と目的地に向かって歩を進めた。その表情には微笑が含まれているが、どこか話しかけずらい空気をはなっている。黒い髪を頭の後ろで束ね、黒い地味な衣服を身にまとった女の後を、ヒエイたちも言葉少なについていった。


「その服は、職場の制服ですか」


 ヒエイの発した問いに返ってきたのは、あいまいな頷きだけだった。ホノカのまとっている黒服は、フレイアのメイド服からエプロンをとって、スカートの裾も短くしたような服。生地も薄そうで動きやすそうではある。周囲を見渡すと、道行く人たちの服装は、アタナミよりもフレイアのそれに近かった。シャツやズボン、スーツにスカート。基本は同じだ。ただ、その色合いは全体的に明るく、袖の長さやスカートの丈が短く見える。やはり温暖な気候だからだろうか。


「ナイアスは、いつもこんなに暖かいのですか」

「はあ。まあ……」


 ホノカからの返事はまたしてもあいまいな頷き。ナイアスのことをもっと知りたいヒエイは、なおも果敢に質問を投げようとする。


「じゃあ、あの花は……」

「ちょっと、やめときなよ。ヒエイ」


 ヒエイの袖をアンジュが引っ張る。 


「どうしてさ」


 ひそひそ声で食って掛かるヒエイに、同じくひそひそ声でアンジュが応じる。


「だって、あんまり話しかけてほしくなさそうじゃない」


 みるとホノカは物思いにふけっている様子で、まっすぐ伸びる街路の先を、目を細くしながらながめていた。


 左右に立ち並ぶ街路樹の、浅緑の葉の茂る枝が道に覆いかぶさっている。さわやかな風がそよぐたび、緑のトンネルみたいになった路上のあちらこちらで、木漏れ日が眠気を誘うようにゆれる。そこを行き来する人々の足取りはゆったりとしていて、表情はみな穏やかだった。


 ああ、この国は平和なのだ。

 その風景を、人々の姿を見てヒエイは思う。この国はきっとフレイアよりもアタナミよりも平和だ。この国の気候も政治もまだ知らないけど、そのことだけはほとんど直感的に、確信をもって感じることができた。


「さあ、着きました」


 ホノカがようやく言葉らしい言葉を発したのは、中心街の街路樹の通りを抜け、塀の続く住宅街を抜け、低い丘をひとつ越えたあとだった。歩き始めたころは真上にあった陽が、かなり西に傾いていた。


 着いたと言われたものの、ヒエイは首を傾げた。アトラスもアンジュもハザムも不審そうな顔をしている。


 そこが、何もない砂浜だったから。目の前に海が広がっているばかりの風景。よせては引く波の音が、規則的に虚く響いている。建物などはどこにもない。


「えっと。我々は、ホテルに案内してもらえるはずでは……」


 困惑気にホノカに視線を送って、しかしヒエイはハッと息をのんだ。

 ホノカが笑っていたから。先ほどまでの控えめな微笑ではない。毒々しく、嘲るようなその笑い方だった。


「私が案内してあげるのは、地獄よ」


 彼女がそう言うと同時に、ヒエイたち四人の周囲を炎が囲った。

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