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幕間2-2 メルラ対デロス

 王宮の前庭には、武装した十人ほどの兵が整列して待機していた。王室直属の神官戦士たちだ。魔法が使えるわけではないが、それぞれ優れた武技を持ち、薬学や自然科学などの学問にも通じた、一騎当千のエリートたちである。統一された白銀の甲冑も翼の模様の重厚そうな盾もみな、顔が映りそうなほどピカピカで、誇らしげだ。


「メルラ殿。いつでも出撃できますぞ」


 そう言って話しかけてきた隊長のわきを、しかしメルラは立ち止まりもせずに通り過ぎた。


「あなたたちだけで、勝手に行きなさい」


 そう、無造作に言葉を投げつける間にも、てくてくとひとり城門へと向かっていく。


「待たれよ。摂政様のご命令ですぞ」


 隊長の口調に不快感が滲む。彼は名門貴族の出であり、選りすぐりの戦士たちも当然貴族の子弟であるから、おそらくプライドが傷つけられたのであろう。しかし隊長の責めるような言葉も戦士たちの非難の視線も意に介さず、メルラは黙々と歩を進めた。貴族どもの感情など彼女にはどうでもよかった。不快なのは彼女のほうだった。この天使の付き人たるメルラが、摂政ごときの命令に従ういわれはない。


 後方で隊長の聞えよがしな舌打ちが鳴った。


「ふん、傲慢な魔女が。いいわ。デロスごとき、我々だけで充分だ」


 吐き捨てるような隊長のつぶやきがきこえても、メルラはそれを無視をして前庭をあとにした。

 デロス司教がお前たちごときに討伐できるわけがなかろう。

 そう、心の中で言い返してほくそ笑みながら。


     〇


 王宮を後にしたメルラが向かったのは、午前にも訪れた中央市場である。持ち帰ったパイを全部ゼノに食べられてしまったから、再び購入しようと思ったのだ。彼女にとっては、摂政の要求よりもパイのほうがよっぽど重要だった。


 石造りの建物に挟まれた街は、雨と霧の幕に覆われて寂しく沈黙し、道行く人の姿もない。午前は雨脚も弱く日差しもわずかに射し込むほどだったが、今はすっかりどす黒い雲に空は覆われ、激しい雨が建物の屋根や窓をたたいている。


 街路の石畳にできた水たまりの水を跳ねあげながら、メルラは中央市場へと急いだ。この降りようだと、人々は早めに店をたたんでしまうかもしれない。そう危惧しながら足を進める彼女の頭には、市場についてからの計画が次から次へと浮かび上がる。


 パイのほかにもお菓子を買おう。目星をつけていた店がいくつかある。それから、花屋さんにも寄らなくては。部屋にもっと花を飾りたいから、おじさんにアドバイスがもらえるといい。結婚式はその後どうなったろうか。二次会は宴会だと言っていたが、にぎやかなんだろうな……。


 ふと異変に気づいてメルラが足を止めたのは、中央市場の入り口の、教会の曲がり角であった。

 あの繁華街の入り口付近まできたというのに、人がいない。空気に、水の香りに混ざって焦げたようなにおいがする。空に黒煙がたっている。


(まさか……)


 嫌な予感に襲われて、メルラは市場へと駆けこんだ。

 その光景の前に立ったメルラの、いつもは眠そうな半開きの目が、驚愕に大きく見開かれた。


 中央市場は無茶苦茶に破壊されていた。

 ほどんどの出店はつぶれ、その所々から小さな火がチロチロと舌を出している。つぶれた出店たちの前には、瓦礫や木の破片やその他いろいろなものが、所狭しと散乱していた。そのいちいちに、メルラは見覚えがあった。湯気を拭きあがらせていた大きな鍋の、黒焦げになった胴。棚に美しく飾られていた食器やグラスの破片。カラフルで美しかった衣服の、ボロボロに破れた切れ端。山積みにされていた艶やかな果物や野菜の皮や肉片。そして必ずその傍らに横たわる、物言わなくなった人間たちの骸……。


 午前中には、みな、あんなにも活き活きとして輝いていたのに。

 鍋はおいしそうな匂いを漂わせて湯気をまき、食器や衣服はその形や絵柄の美しさで人々の目を楽しませ、食べ物たちは可愛らしくテントの下で山をつくっていた。そしてそれを売る人、買う人、皆がにぎやかに話し、笑っていたのに。ついさっきまで確かにすべてが生きていたのに。それが今、ゴミのようにばらばらになって散っている。


 ふと、自分が何かを踏んでいることに気づいて、メルラは足をずらしうつむいた。その瞬間、ハッと息をのんで、飛び退る。

 彼女が踏んでいたのは、花束だった。黒焦げになって元の色もわからなくなった無数の花が、メルラの周囲には散乱していたのだった。

 急に体から力の抜けたメルラは、がっくりとその場に膝をついた。頭上から声が降ってきたのはその時である。


「まるでゴミのようじゃないか。なあ、メルラよ」


 メルラは反射的に顔をあげる。崩れた建物のがれきの上に腰掛ける人の姿があった。影になっていて顔や表情はわからないが、それが誰であるかメルラにはすぐに分かった。


「これは、あなた様がなさったのですね」

「ああ」


 人影は何でもないことのように答えた。


「なんか、むしゃくしゃしてたんでね」


 なぜ、とはメルラは問わない。彼女にはわかっていた。ただ、そんな気分だから。それだけなのだ。それだけで、天気の天使は雷を落とし水を流し、すべてを壊してしまう。

 あきらめと疲労感が全身を襲い、メルラは自然と頭をたれた。


「恐れ入りましてございます」

「どうしたメルラよ」

「は」

「なぜ、そんなに悲しんでおる」

「悲しんでなど、おりませぬ」


 その返答に、天使の低い笑い声が降りてくる。


「何百年も人界にいると、人間に情が湧いてしまうのかの」

「人間に対して情など、ありませぬ」


 今度は天使は鼻で笑った。


「まあ、よいわ。それはそうと、そなたは、配下の死ももっと重く受け止めねばならん」

「メンフィスとカルーアのことでしょうか」

「そうだ。配下の防人をふたりも死なせて、そなた何とも思っていないことはあるまいな」


 黙ってメルラはうなずく。ふたりの防人の死は、たしかに彼女にとって痛手であったし、寂しいことでもあった。ただ、しょうがないこととも思う。

 攻撃を仕掛けたのは自分たちなのだ。天使を守護して戦う、それが自分たちの役割だから。その中には当然、戦いの結果としての死も含まれる。メンフィスもカルーアも、ただ、与えられた自分の役目に従った。そして、ヒエイたちは彼らの信念に基づいて反撃し、これを倒した。彼らは飛びかかる火の粉をはらったにすぎない。だから、ヒエイたちを恨む気持ちにはなれなかった。


 だが、天使の気持ちは違うようだ。彼は怒気を含んだ声で言う。


「ふたりを屠った者どもを、ほおっておくのか」

「あなた様が我らごときの生き死にを気にかけてくださるとは、意外です」

「うぬぼれるな。我は、我に反逆するものが、我を崇めるものを殺して何の報いもないのが気に食わぬのだ」

「では、これよりナイアス神聖国に……」

「もうよい。奴らのことはそなたには任せぬ」

「では、何をしろと」

「デロスを、殺してこい」


 メルラは一瞬返事をためらった。デロス司教はこの国の良心だった。天使に叛意を抱きヒエイたちを送り出した張本人だが、国や民を思う気持ちは本物で、きっと世の中のためになる人物だと、メルラは思っていた。王室や政府の圧迫により罷免され今は隠遁しているが、いずれ説得するつもりだったのだ。


 反論しようとして開きかけたメルラの口は、しかし逡巡ののちに静かに閉じられた。天使に逆らっても意味がないことは、彼女が一番よくわかっていたから。


「かしこまりました」


 深々と頭を下げたメルラの胸にまた、重たい疲労感がこみあげた。


     ○


 ルシフェル郊外、サンタマリアの森に入ってしばらくすると、先行していた神官戦士たちの姿を発見することができた。

 もっとも、動いている者はひとりとしていない。ある者は道に倒れ、ある者は木の根本に座り込んでうなだれ、またある者は、木の枝に洗濯物のようにぶら下がっていた。出撃前はピカピカだった彼らの鎧は見る影もなくボロボロだ。薄汚れて砕けるか裂けるかしているそのさまから、戦士たちの受けた攻撃の激しさを、メルラは容易に想像することができた。


 そこから少し行くと急に視界が開け、宮殿の内庭ほどの広さの草原にでた。もっともそこにあったのは宮殿ではなく小さな丸太小屋だったが。


「あれをやったのはあなたですね、デロス司教」


 メルラが呼び掛けると、どこにいたのか小屋の前に忽然と人の姿が浮かび上がった。木の杖を手にした白髯の老人。粗末な野良着を着ているが間違いない。デロス司教だった。


「殺したのですか」


 メルラの問いかけに、デロスは片頬だけで笑った。


「死んではおらん。しかし、やつらは二度と、人に暴力をふるうことはできぬであろう」

「相変わらずお優しいのですね。私なら、皆殺しにしていました」

「相変わらず恐ろしいお方じゃ。メルラ殿も、わしを、殺しに来ましたかな」

「ええ」


 短く答えると、メルラは右手を前にかざした。デロスの頭上を指差して、命じるように唱える。


「アクア・カデンス」


 上空の大気がガラスを押し曲げたみたいに急に歪んだかと思うと、次の瞬間には歪みの底が割れて大量の水が一気にデロスに降り注いだ。それは飛沫を散らしながら巨大な一本の柱のように、天から地へと流れ落ち続ける。


「大瀑布の水の圧力はいかがかしら。その下では、何人といえども生存は不可能。あなたは、どう?」


 メルラが歌うように問いかける。すると、それに答えるように瀑布の下から緑色の光が湧き、それがまぶしく四方へ弾けると同時に、水の柱が押し返されて砕け散った。

 いったん散った水滴が、雨と混ざってきらめきながら降り落ちる。その下に、両手を空にかざしたデロスの姿があった。彼の両の掌の上では、緑の光を内包した風が、激しく渦巻いていた。

 その様子を眺めるメルラが目を細めた。


「アタナミで、それに近い魔法をみました。あなたのお弟子さんは、元気でしたよ」

「自慢の弟子です。でも、まだまだ教えたいことがある。はやく帰ってきてほしいものじゃ」

「帰ってくると、思いますか」

「もちろん」


 デロスの手の上で渦巻いていた風が、ひときわ強い光を放ったかと思うと、それはガラスを地面にたたきつけたみたいにして砕け、無数の光に分かれて大気中に散った。


「千の疾風鎌」


 唱えながらデロスが、かかげていた両手を振り下ろす。それを合図に散っていた光が一斉に動き出し、メルラに向かって飛んできた。


「襲い来る幾千もの刃を、避けきれますかな」

「笑止。『水滴乱射』」


 メルラは右手の人差し指を突き出して、己の前方に円を描く。すると無数の数滴が、まるで銃の一斉射撃のようにその円の内側から放たれた。

 絶え間なく放たれ続ける水滴の弾は、襲い来る風の刃をことごとく撃ち落としてゆく。己に向かってくる緑の光が消え失せても、メルラは手を緩めない。


「まだまだ。『アクアレイ』」


 メルラの前方の大気の数か所に光が浮く。そのそれぞれの光のたまり場から、同時に、淡い水色の光線が放たれた。何本もの光線は一度に、一直線にデロスに襲い掛かり、彼の立っていた場所ははじけ飛ぶ水と光で白くかすむ。


 終わって、しまった。


 手を下ろしたメルラは目を伏せる。彼女の口から、ため息が漏れた。


「残念です。デロス司教。私はあなたを……」


 水がしぶきをあげる音がした。

 ハッと顔をあげたメルラの視線の先で水と光のもやが裂け、そこからデロスが飛び出だした。あっという間に目の前に迫る彼の手には、エメラルドグリーンに光る剣が握られていた。


「風神剣!」


 デロスが剣を振り上げる。それを見上げるメルラの口もとに、はからずも笑みが浮かんだ。


「水神剣」


 振りかざす彼女の右手にサファイアブルーの光が浮かんだかと思うと、一瞬でそれも一振りの剣へと姿を変えた。

 二つの剣が交わり、緑の光と青の光が弾け飛ぶ。デロスとメルラ。両者を取り囲むように風が激しく吹き荒れ、雨滴が強く降り落ちる。


「やるではないですか、デロス。さすがは風の使徒」

「その称号で呼ばれるのは久しぶりじゃ。あなたにあこがれていた昔を思い出すわい」

「あなたは、小生意気な若者でした」

「すこしは、成長したでしょう」


 うなずいたメルラは目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。


「ああ、いい風です。この風を、とめたくはなかった」

「とまりはしませんよ。風をおこす者は、他にもおりますから」


 メルラはまた、ほほ笑んだ。

 それと同時に青い光が強くなる。緑の光を消し飛ばした彼女の光はあっという間に膨張し、デロスをも飲み込む。

 草原一帯を包み込んだサファイアブルーの光は、やがて宝石を砕いたようにはじけ飛び、無数の光の粒を森の上空に散らした。

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