44 告白
船上から眺める夜空は、砂漠のそれほど星に埋め尽くされてはいなかったが、それでも宝石をちりばめたようで、その様子はフレイアで見たそれを彷彿とさせた。
甲板に仰向けに寝転がって空を見上げながら、ヒエイはふとそれを思い出して目をしばたたかせる。
「ねえ、アンジュ。フレイアの雲をすべて取り払ったら、こんな感じかな」
彼の右隣に横たわっているアンジュから返事はない。彼女が寝息を立てているのに気づくと、ヒエイはまた星空を見上げて鼻をすすった。アンジュには治癒の魔法を施したが、まだ全回復するには時間がかかるだろう。骨や傷は治るだろうが、心に受けた傷は、癒せたか自信はない。
アンジュの代わりに答えたのは、ヒエイの左隣に横たわっていたアトラスだ。彼は無傷だが、ここから動けないヒエイとアンジュに付き合って、こうやって一緒に夜空を見上げている。ちなみに様子を見に来たハザムも、いつの間にか彼の隣で寝転がっていた。
「思い出すなあ。イルマ村やコロネルでのことを」
「ああ。懐かしいね」
しみじみと言ってヒエイは目を細める。フレイアの雨雲を割ってスージーやアンジュに星空を見せたあの夜のことが、遠い昔のことのように感じられる。思えばあれからずいぶん遠くに来たものだ。その長い道のりをずっと一緒に歩んできたこの相棒が、こうやってちゃんと隣にいてくれることに、今ヒエイは言い知れぬ喜びを感じるのだ。あのカルーアという防人によって、それが当たり前ではないと思い知らされた後だから。
「ところでアトラス」
「なんだ」
「なんで君には、あのカルーアの術が効かなかったんだい」
「さあ……俺もよくわからんが」
アトラスはしばらく黙って物思いにふけっていたが、やがてのんびりとした口調で言った。
「俺はただ、あいつをぶっ飛ばしたいと思った。あとは何も考えなかったな。俺の仲間をもてあそんでいたぶったクソ野郎の顔面を、この拳でゆがませてやる。それだけだった」
そしてクックッと、押し殺したように喉の奥で笑う。
「術が通用しないとわかった時のあいつの顔。無様で面白かったな」
「ああ」
ヒエイもつられて笑い出す。アトラスと一緒に笑いながら、彼はなんとなく理解する。あのカルーアの術は、人の精神の乱れにつけ込む術だったのかもしれない。何かしらの葛藤、迷い、動揺、恐れ……。人間の持つそういった感情を自分の力に変えて、人を操る。だから葛藤していたアンジュや、アトラスが死んだと思って動揺していた自分は、簡単に操られてしまったのだろう。だけど純粋に目の前の敵を倒すことしか考えていなかったアトラスには効果がなかった。
(じゃあ、アンジュがあいつの術を破ったのは……)
あのときの状況に思いをはせようとしたとき、ヒエイの隣で静かに声があがった。
「うるさいよ、ふたりとも」
振り向くと、アンジュがいつの間にか目を覚ましていて、その切れ長の目を夜空に向けていた。
「きれいだね」
しんみりとつぶやいて、あとは何も言わず、一心に星を見つめている。星の光を映したその瞳が、心なし濡れているように見えて、ヒエイは彼女の横顔に思わず見とれた。
「あのさ……」
星空を見上げたままアンジュが突然話しかけてきたので、ヒエイはとっさに返事ができなかった。
アンジュは構わずにつづける。まるで独り言のように、
「あんたが、あのとき言ってくれた言葉。あれは……あれは、あんたの本当の気持ち……なの?」
「あのとき?」
ヒエイは素っ頓狂な声で聴き返す。それまで考えていたことが霧散し、「あのとき」とはいつのことかあわてて思い出そうとするが、意表を突かれてすぐに答えが出てこない。
「いいんだ。野暮なことをきいたね」
ヒエイが窮していると、返事を待たずにそう言ってアンジュは笑った。そして星空に手を伸ばすと、思い切ったようにその言葉を発する。
「好きだよ。私も」
晴れ晴れとした彼女の声は、凛と、ベルを鳴らすようにくっきりと星空に響いた。




