36 一掃
振り返ったヒエイは息を飲んだ。
回廊から庭園に溢れ出た無数の兵士が、銃口をヒエイたちに向けていたからだ。白い軍服。親衛隊だ。
「そこまでだ反逆者ども」
隊列が割れ、隊員たちの後方から数人の男女が前に進み出た。どれもでっぷり太った、初老の人々。絹の上質な衣装やターバンのあちらこちらに、宝石を散りばめた装飾品を付けている。
「商務大臣。鉱山の支配人。財閥の理事たち。親衛隊長官……」
大地の乙女が顔を上げて、彼らの方に目を向けつぶやく。
「私の取り巻きたち。なぜ、ここに……」
それが聞こえたわけではないだろうが、取り巻きたちのひとりが声を張り上げた。
「大地の乙女を、返してもらおう」
「断る」
反射的に答えたのは、バルバロス王だ。
「そなたら、そしてまた彼女を利用して民を虐げ、己等だけ利益を貪ろうというのだろう」
「それの、何が悪い」
取り巻きたちは恰幅の良い腹を揺らして哄笑した。
「我らは皆、努力し知恵を働かせてこの地位を手に入れた。相応の利益と幸福を享受するのは当然のこと」
「努力も知恵も足りない奴らが搾取されるのは、奴ら自身の責任だ」
「そんな無能な連中は、奴隷となって我らの利益のために働く以外に、存在価値はなかろう」
「そうそう。有能な我らだけが富み栄え、潤えば良い。民草など、そのための捨て駒よ。アイツラがどんなに苦しもうが、知ったことか」
「虫を踏み潰しても痛みを感じないのと一緒よな」
口々に言いつのり、そしてまた大きな腹を抱えて笑う。
「くそっ。外道どもが……」
アトラスが黒棒をきつく握りしめる。その隣でアンジュも、銃を構えようとしていた。
それを制したのはヒエイだ。
「よせ。ふたりとも」
「とめるな、ヒエイ」
「あいつら、許せないよ」
「僕も許せない。でも、敵が多すぎる」
ヒエイたちに銃を向ける親衛隊員の数は、数十人はいる。アトラスとアンジュが飛び込んでいっても、その銃弾をかわしきることは難しいだろう。
「ここは、僕に任せてくれ。考えがある」
「何を企もうが、無駄だぞ」
軍服に勲章をたくさんつけた男が勝ち誇ったように怒鳴り散らす。
「怪しげな術を使う前に、我らの銃弾はお前らの体を蜂の巣にするからな」
ヒエイはそれに答えずに、メルラを一瞥する。
(たぶん、これで僕の力は尽きるだろう。その後は、あなたが何とかしてくださいよ)
相変わらず無感情に虚空を眺める彼女にそう、視線で語りかけてから、目を伏せて息を吐いた。
ヒエイの態度を、降参の意思表示ととったのだろうか。彼らは得意になって急き立ててくる。
「さあ、早く大地の乙女をこちらによこせ。そうしたら命ばかりは助けてやる」
「メドさま。そんな奴らと一緒にいると汚れます。早くこちらに」
取り巻きたちの声に応じて、大地の乙女は立ち上がった。しかし前に進み出ようとはしない。意思の強そうな瞳で親衛隊員たちを睥睨していたかと思うと、バルバロス王の手を握りしめ、そして決然と言い放った。
「私は、行きません」
取り巻きたちの表情が一変した。ある者は顔を青ざめさせ、ある者は怒気をあらわに眉を吊り上げる。地団駄を踏む者、何事か喚き散らす者、様々だ。
「我らの役に立たぬというのなら……」
さきほどの、軍服の勲章男がサッと右手を振り上げた。
「皆殺しだ。放てっ!」
号令とともに、轟音が……。
轟音は、鳴らなかった。
かわりに静寂が辺りを支配する。
「あ……あれ?」
勲章男は動揺をあらわにして、左右を見る。
「なにをしておるか。撃て! 撃ち殺せ!」
顔を真っ赤にして叫ぶが、やはり同じ。親衛隊員たちは必死に銃の引き金を引くが、その筒の先から銃弾が発射されることはなかった。
「そんなものに、いつまでもやられていると思うなよ」
ヒエイは会心の笑みを浮かべて勲章男を睨む。
「な、なぜ……」
「銃の構造と理屈を利用したのさ。銃弾は、撃鉄がおとされた時に発する火が銃身内の装薬に伝わり、その爆発によって発射される。つまり火がつかなければ無効化できるんだ」
「発火しないようにしたというのか。そんなこと……」
「できたよ。風の魔法を使って、銃の中の空気を抜き、真空にした。真空では、火はつかないからね」
「そんな馬鹿な、何十という数の銃があるんだぞ。その全てにそんな細かい魔法をかけるなんて、そんなこと……」
「はい。おしゃべりはそこまで」
メルラの声が響いたかと思うと、広場の地面に張った水がざわめき、その数か所から幾本もの水の柱が吹き上がった。それらは巨大な手の形に変形したかと思うと、次々に親衛隊員たちの上に降り注いで彼らを飲み込んでいく。
「そんな、たすけ……」
勲章男が水の中で、見苦しく喉を掻きむしっている。
大臣だとか支配人だとか理事だとかいった者たちも例外なく、次々と水に飲み込まれる。
「がぼぼ……、金は、いくらでもやるから」
水の手の中でもがく彼らを、メルラは冷ややかな目で見つめる。
「あなたたちは潤いたいのでしょう。存分に潤ってください。砂漠では貴重な水を、死ぬまで飲ませてあげますから」
「げぼぼ……。ゆ、ゆるひ……」
取り巻きたちは白目をむき、ばたつかせていた手足の動きも弱くなっていく。やがて力なく水の中に浮遊する彼らの身体は、ひとつ残らず全く動かなくなった。
「死にましたか。あなたたちの言う通りでした。痛みは感じませんね。虫を踏みつぶしたときと同じ。不快感があるだけ」
淡々とつまらなそうに言って、メルラは振り返った。
「王と大地の乙女よ」
汚れたドレスのスカートのすそをつまみ、今度は丁寧に、優雅に腰を折る。
「それでは我々もおいとまします」
バルバロス王と大地の乙女が無言でうなずく。
一緒にうなずこうとして、しかしヒエイは首を傾げた。
我々も、だって。我々もおいとましますとは、どういうことだ。我々って、もしかして……。
「ちょっと、待って……」
「ヒエイ、逃げるぞ」
アトラスがヒエイの肩をつかみ、アンジュがハザムを抱き上げる。それと同時にメルラが手を振り上げた。つられて空を見上げると、頭上から今まさに巨大な水の手のひらが降ってくるところだった。
衝撃とともに、たちまち視界が白く染まった。視覚だけではない。感覚のすべてが、まるで白く塗りこめられていくように希薄になっていき、やがてヒエイは意識を失った。
〇
目覚めると、ヒエイは薄暗い部屋の床に横たわっていた。
視界に入ってきたのは薄汚れた天井、漆喰のはげた壁、ところどころ擦り切れた安物の薄い絨毯……。あの王宮の庭園広場ではない。それとは似ても似つかぬ、みすぼらしい部屋だった。
(ここは、どこだ)
自分がどこにいるのか皆目見当もつかず、ヒエイは目をこすりながら身を起こす。よく見ると、同じ部屋にアトラスもアンジュもハザムもいる。みんなまだ眠っているが傷はなさそうだ。安心して吐息をつくと腹が盛大に鳴った。ずいぶん腹が減っている。意識を失ってからすぐに目覚めたような気がしていたが、かなりの時間がたっているようだ。懐中時計を取り出して確認したら、明け方の時刻だった。
「まったく。突然術を使うなんてひどいな。ここはいったい……」
ぼやきながら振り返って、しかしヒエイは言葉を呑んだ。後ろにいると思っていたメルラの姿がない。この部屋に彼女がいないことに気付いた彼は、立ち上がって部屋から出た。
よもや、フレイアに連れ戻されたのではないだろうか。
冷静に考えれば、その可能性が一番高い。今まで会うたびに帰れ帰れと言ってきたメルラだ。その技をもろにくらったからには、ついに強制送還されたとみるのが妥当だろう。
部屋の外は狭い階段状の路地だった。まだ暗い路地の両脇には黒々とした建物が立ち並んでいる。積み木のような立方体の建物たちのシルエットの上には澄んだ瑠璃色の空が広がっていて、その空の彼方はかすかに明るかった。どうやらここはフレイアではないようだ。
路地に人はおらず、しかし小鳥の鳴き声がかまびすしかった。口を開けて澄んだ空を仰いでいると、さわやかな風が注ぎ込んで気持ちよい。その風に誘われるように、ヒエイは路地の階段を上へと登って行った。展望台のようなものが見えたのだ。あそこまで行けば、空がもっとよく見えると思ったから。
展望台には程なくついた。やはり人の姿はなく、人より早起きな鳥たちばかりがにぎやかだった。そこはこじんまりとした公園で、見晴らし台からはまだ薄暗い街の風景が一望できた。寝静まっていると思えた街のいたるところに灯が煌々とともり、しかもそれは見渡す限りの広範囲にわたっていた。どうやらここはかなり大きな街のようだ。
(街の向こうに、何か見えるな)
街の風景をもっとよく見ようと、ヒエイは見晴らし台の端の柵まで進み出ようとする。しかし数歩進んではたと足を止めた。
誰もいないと思っていた公園に、人の姿があったから。
ヒエイははじめ、それが誰だか分らなかった。まだ陽の射し込まぬ公園の、片隅のベンチに腰をおろして背を丸めている。その姿は老人のそれを思わせた。しかしよく見ると、それは若い女だった。金髪の少女。疲れきったように膝に手をついてぼんやりと街の風景を眺めている。その女は間違いなく、メルラだった。
「こんなところで何をしているんですか」
ヒエイが近寄って声をかけると、メルラは億劫そうに振り返って目をしばたたいた。
「朝日を、見ようかと思って」
けだるい口調で答えて自分の横を手で示す。
「あなたも、見ますか」
「ええ」
すすめられるままにメルラのとなりに腰を下ろしたヒエイは、再び風景に目をむける。先ほどよりはすこし明るさが増したと思われる街の向こうに、不思議な広がりが見えた。平原のように平らで、でも空に溶け込むような色をしている。
「あれは、何だろう」
ヒエイの独り言のような疑問にメルラが答える。
「あれは、海です」
「海?」
「そう。ここは港街ムールです」




