34 王の叫び
家を掴めそうなほどの大きさの岩の拳が降ってきて、庭園の地面をえぐった。
全速で駆けてそれを避けたヒエイは、アトラスとともに庭園の隅のメルラの立つ場所へと避難する。
「だめだ。全く歯が立たない」
絶望的な気持ちで岩の巨人を見上げながら弱音を吐く。こんなもの、どうやって倒すというんだ。メルラの力もない今、どうやって。
すがるように仲間の様子を窺えば、さすがのアトラスも何も言えずに相手を睨むばかり。メルラはクソ落ち着いているが、何をする様子も見せない。バルバロス王は観念したように目をつぶっている。
そんな一行をあざ笑うように、大地の乙女の高笑いが巨人の頭から降ってくる。
「きゃはは、どうした虫けらども。抵抗しないのかい」
「ふん。これからするさ」
「ふん。やせ我慢を」
岩の巨人は一歩ヒエイたちのほうへと足を踏み出す。それだけで立ってる地面が揺れ、踏まれた大地がひび割れる。
次の瞬間、またも岩の拳が落ちてきた。ヒエイはとっさにメルラの身体を抱いて飛び退った。二人一緒に地面を転げながらなんとかその一撃を避ける。見るとアトラスもバルバロス王も無事だ。
ほっと息をつくヒエイの胸を、メルラの白い手が押す。
「何をしているのです」
「何って、あなた、潰されるところでしたよ」
「わかっています。でも、なぜ、あなたが私を?」
「そんなこと、言っている場合ですか」
ほとんど怒鳴るようにそう言ってヒエイは立ち上がり、すぐに飛び退れるように身構える。しかしなぜか、次の攻撃は降ってこなかった。
「そうだ。いい提案がある」
ヒエイたちを見下ろした大地の乙女は、突然そう言って低く笑った。
「そのお姫様を差し出しな。そうすれば、お前たちの命だけは助けてやる」
「今さら何を……」
「私の望みは最初からそれだけよ。その生意気なお姫様を下僕にしたいだけ。あんたたちに恨みは特にないの」
ヒエイは黙り込んで、巨人を見上げながら考える。
このまま戦っても勝機は薄い。全員あの巨人に踏み潰されて終わりだ。メルラを差し出してみんなの命が助かるのなら、安いものかもしれない。それにもともとメルラは自分たちの前に立ちはだかる敵なのだし、そもそもこのように命をかけて守る相手ではないのだ。屈するのは面白くないが、ここは大地の乙女の要求を受け入れるのが利口ではないか。自分たちにとっていちばん大事なのは、ナイアスへとたどり着くことなのだから。
「アトラス。ちよっと……」
ヒエイは顔を伏せ、アトラスを呼んだ。隣に身を寄せてきた彼に、小声で語りかける。
「あいつの声、巨人の頭部から聞こえるよね。つまり、頭部を割れば、本体が出てくるのではないだろうか」
「ヒエイ、お前……。やるのか」
「ああ。僕はあいつの攻撃をなんとしても防ぐから、その間にあいつの頭部を割って、本体を攻撃してくれ」
アトラスはニッと笑って黒棒を構える。それと同時にヒエイは顔を上げ、巨人に向かって怒鳴った。
「大地の乙女よ。人の自由を奪おうとするあなたには従えない。メルラは渡さない。彼女は、誰のものでもないのだから」
「……そぉ」
大地の乙女の冷めた声に続いて、しばしの沈黙が流れる。彼女はもう、何も言わなかった。沈黙を破ったのは岩の軋む音。ただヒエイたちを叩き潰すべく、巨人が黙々と右拳を振り上げた。
〇
落下してくる岩の拳に向けて、ヒエイは両手をかざした。
「風よ集え。盾となりて我を守れ」
大気が動く。庭園の各所、回廊、屋根の向こうから風が吹き込んできて、かざしたヒエイの両手の前で激しく渦を巻いた。
岩が見上げるヒエイの視界を覆い、衝撃がヒエイの身体を襲う。しかし彼らが潰されることはなかった。今にもヒエイたちを押しつぶそうとした岩は、かろうじて彼のかざした手の少し上で止まっている。風の盾が巨人の攻撃を押しとどめたのだ。
止めはしたものの、巨大拳の一撃はそのまま風の盾を押してくる。その圧力にヒエイは己の全身が砕けるのではと思う。両足を広げて踏ん張り、歯を食いしばって盾を支えるも、彼の立つ地面はお椀状にへこんで足元に亀裂が走る。
「アトラス。今だ!」
声をからさんばかりにヒエイは叫ぶ。アトラスの姿はもう傍らにはいない。今頃巨人の腕を駆け上っているであろう彼の無事を祈りながら、渾身の力を込めて風の盾を押す。渦巻く風が、岩の拳の表面を削っていく。
「砕けえっ!」
次の瞬間、突然彼の視界が開けた。小さな岩の塊が空に散らばっていく。ヒエイの目に、手を失った巨人の腕とその先に続く青空が映った。その青空に向かって、男がひとり跳躍する。巨人の右肩を蹴り、振りかぶった黒棒を今まさに振り下ろそうとする、アトラスの姿だった。
アトラスが棒を振り下ろす。つづいて静寂が訪れる。巨人は動かない。失敗したのか、と思いかけた時、巨人の頭のあちらこちらにひびが入り、そして首から上が木っ端みじんに砕け散った。
「やったか……」
全身から力の抜けたヒエイは、その場にへたり込んで巨人の頭部があった虚空を見上げた。
首の切断面から女が上半身だけをのぞかせている。それは大地の乙女に違いなかった。
〇
体の下半分を巨人の頸部に埋め、上半身だけを外にさらす格好になった大地の乙女は、歯がみをし額に青筋を立てながらヒエイたちを見下ろしていた。
「おのれ、よくも……」
心底悔しそうに声を絞る。そんな彼女に向かってアトラスが棒をふるう。
「さあ、これで終いだ。ちょっと痛いが安心しろ。殺しはしないから」
「ふざけるな」
キッと横目でアトラスを睨んだ大地の乙女は、巨人の左腕を動かした。揺れ動く右肩の上でバランスを崩したアトラスに、巨大拳が襲い掛かる。それをかわした彼が左腕にのりうつり左肩へと駆け上ろうとすれば、今度は右腕が牙をむく。
巨人の身体のあちらこちらに飛び移り、頸部を目指そうとするアトラス。それを阻止しようと両腕を振り回す巨人。ヒエイも援護のために風の刃を飛ばそうとするが、息切れがしてうまく魔法を放てなかった。
「力がつきかけていますね」
隣に立ったメルラの指摘に、ヒエイは力なくうなずく。
「はい。さっきので、ずいぶん消耗してしまいました」
彼らの使える魔法は無尽蔵ではない。魔法を使いすぎれば消耗するし、体力がなくなれば魔法を使えなくなる。さきほど巨人の攻撃を防いだ風の盾で、ヒエイは力をほとんど使い果たしていた。
「だが、それはあのお嬢さんも同じようですね」
そんなヒエイを気遣う様子もなく、相変わらずけだるそうにメルラは巨人を見上げた。
「砕けた首も、右の拳も再生しない」
再生しないどころか、無傷のはずの胴体や足からもポロポロと岩の破片が零れ落ちている。ほんのわずかではあるがそれは、大地の乙女もまた巨人を維持できなくなりつつあることを示す兆候だった。
「そろそろ、終わりですね」
しかし大地の乙女の攻撃は終わらない。
「何が終わりだ。お前たちなんか地べたを這いつくばる虫けらのくせに。お前たはただ私の言うことをきいて、私を崇めていればいいのよ。このクソがッ」
ヒステリックに叫んで巨人を暴れさせる。それはもはやだれかを標的としたものではなく、近くにあるもの何にでも拳をふるう、ただの破壊活動になっていた。
「あれは……なんだ」
「大地の乙女様か」
「なんてこった」
囚人たちを中心とする反抗勢力の者や、親衛隊員が、入り乱れながらぱらぱらと庭園に侵入して来、巨人を見上げて口々に声をあげた。広場から始まった騒乱は今や城内にも広がってきたようだ。大地の乙女の攻撃は無差別に彼らにも降りかかる。巨人の左手が親衛隊を薙ぎ払い、右腕が城の壁に穴をあけ、囚人たちの通ろうとした回廊を右足で踏みつぶす。
「ああ……」
ヒエイの背後でそう、悲痛な声をあげたのはバルバロス王だった。ヒエイが振り返って見ると、彼は目に涙をためて庭園の惨状を眺めていた。
「あの日……外敵から王都を守った二十年前のあの日、この庭園のあの舞台で、彼女はわしに言ったんだ。良い国をつくりましょう、と。皆が幸せに暮らせる、平和で豊かな国にしましょう、と。彼女とわしは誓いあった。この国と国民のために、この身をささげると。メドよ……」
王が一歩前に踏み出す。その両手が強く握りしめられている。
「これがお前の、目指したものか」
王の怒鳴り声が響きわたると、庭園広場が静まり返った。
巨人も動きを止める。その頚部に上半身だけつき出させた大地の乙女は眉間にシワを寄せて、怪訝そうに王を見下ろしていた。
王はそんな大地の乙女を見上げながら、よろよろと彼女に近づいていった。全くの無防備で、たったひとりで巨人の前に立つ。
「どうして。お前は、そんな人間じゃ、なかったろ。平和を、人々の幸福を目指すことを誓い合ったお前は、どこにいったんだ」
「……それは、私じゃない……」
しばしの沈黙のあと、大地の乙女はか細い声で答えた。
「はじめは私もそう思っていた。あんたは私と誓ったのだと。だけど何年もかけて気づいたよ。あんたが信頼し、あんたが望んだのは、私の能力だったんだ。何かを達成するたびに、あんたが与えるのは次の要求だった。私はただ、よくやったと頭をなでてほしい、それだけだったのに。あんたにとって私は目的を達成するための道具でしかなかった。あんたが誓ったのは私とじゃない。私の能力とだ。あんただけじゃない。私にかかわるすべての人間が……」
大地の乙女の目から、一筋の涙がこぼれた。
「ただ、私を利用しようとした。大臣、議員、起業家たち……。みんなみんな、私をものを作る道具として扱い、要求ばかりを突きつけてきた。私がどんなに疲れても、誰も気遣ってはくれない。私を一人の人間としてみる者はいなかった。私は誰にとっても都合の良い道具だった。だから私は、自分に誓ったんだ。私も他のやつらみんなを利用してやろう。ただ私のための、都合のいい道具にしてやろうって。だから……」
巨人の左腕がきしみながら動く。それはゆっくりと振り上げられて、空の一角を隠した。
「だからあんたは、どこかへゆけ」
岩の拳がバルバロス王の上に降りかかる。
「危ない」
ヒエイは彼を助けようと飛び出そうとするが体が動かなかった。王は避けようともしない。ヒエイがのばした手の先で、観念したように突っ立っている。
だめだ。王が死んでしまう。
そう思ったときだった。
一発の銃声が、庭園広場に響き渡った。
大地の乙女の身体から血が飛び散ったかと思うと、彼女はがっくりと頭を垂れる。そして、巨人はその動きを止めた。




