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3 脱出

「では、ナイアス神聖国までの道筋と今後のそなたたちの予定について説明する」


 そう言って、デロス司教は彼の大きな執務机に地図を広げた。

 教会の司教執務室。例によって部屋の長いガラス窓の表面には雨水が絶え間なく流れ落ち、昼間というのにどことなく薄暗くて寒々しい。


 そんな薄闇をかすかに照らす机上の燭台を、司教が地図に近づける。すると、その黄ばんだ紙に描かれた絵や文字が光りの中に浮かび上がり、ヒエイの目を奪った。


「これが……世界か」

「正確には、その一部だがな。巷にはフレイアの地図しかないから驚いたろ。ここが王都ルシフェル」


 司教は地図の左端の方を指さし、それを少しずつ右へとずらしていく。


「商業都市コロネルを経由し、南東へしばらく行くと、マキ村がある。そこから国境の山岳地帯へと入り、峠を越えてその向こうに行くと、砂漠地帯にでる。砂漠地帯にはオアシス都市が点在し、そのオアシス都市をつたっていけば、やがて港街ムールに到達する。ムールから船に乗って東へ行くこと数日にして……」


 司教の指が地図の右端の陸地をトントンと叩いた。


「ナイアス神聖国じゃ」


 視線を地図からあげた司教が、どうだと言わんばかりの顔をする。


 一方ヒエイとアトラスはポカンと口を開けて地図に見入るばかりだった。


「海……。本で読んだことがあるぞ。すごく広いんだろ」

「船か。川船より大きいんだろうか。それでそんな広い所をどうやって渡るんだ」


 しきりに首をかしげる二人を交互に見つめ、司教はにこやかに白髭をなでる。


「まあ、見ればわかるよ。色々教えてやりたいことはあるが、残念なことに、あまりくわしく説明している時間はないんじゃ。今後の予定だが、すぐにでも出発してもらいたい」

「なぜです」

「イワンの失踪事件のせいじゃよ」


 ヒエイの胸がドキリと波打つ。そんな彼の姿を一瞥してから司教は何食わぬ顔で説明をつづけた。


「憲兵隊が調査に乗り出している。彼が所属していたこの教会が取り調べられるのも時間の問題だろう。監視が厳しくなる前に出発しないと、出るに出れなくなる」

「すみません」


 ヒエイは肩を落として司教に頭を下げた。先日イワンを魔法で吹き飛ばしたことについては司教に報告した。司教はきかなかったことにしてくれたが、イワンの姿が消えたことは隠し通すことはできない。あのときイワンをやっつけたことは後悔していない。しかしそのために司教やアトラスの足を引っ張ってしまうことに対しては申し訳なく思った。


「なんのことかな。それよりも、これからのことじゃ。旅に必要な物資はすでに用意してある。当面必要な衣類や食料を荷車に積んで、教会の厩舎の一角に待機させてある。それをもって、できるだけ早く王都を出るのじゃ」

「はい。……ところで、先生」


 ヒエイはうつむいたまま少し逡巡し、そして訊ねた。これから長い旅に出る。楽な旅ではないだろう。幾多の困難に見舞われることだろう。だから、知っておきたかった。


「なぜ、我々にこのお役目を託してくださったのですか」

 アトラスはともかく、こんな頼りなくて思慮の浅い、未熟なこの僕に。


 司教は真剣な眼差しでヒエイをほんのわずかな間見つめてから、頬をほころばせた。


「お前は国教会で唯一魔法を使うことができる。わしと同じ風の魔法をな。自慢の弟子だ」

「不詳の弟子です」

「謙遜するな。そしてアトラスは救民の高い志を持ち、不屈の精神を備えている。ふたりともこの国の現状を憂うわしの考えに賛同している。そして何より……」


 その時、窓の外で何人かの人間が慌ただしく駆けていく気配がし、ほどなく表玄関の方から大きな物音が響いてきた。


 司教は大急ぎで地図をたたみヒエイにそれを押し付けた。そしていつかも見た大きな封筒を引き出しから出してアトラスに渡す。


「ヴォルヴァ様への紹介状だ。たのんだぞ」


 言い終わるが早いか、執務室の扉が激しくたたかれる。


「司教様! 憲兵隊の方々がいらっしゃっています」

「うむ。今、行く」


 わざとおっくうそうにゆっくりと返事をしながら、司教は部屋の出口へと向かう。


「それでは、無事を祈る」

「はい、司教様」


 執務室から出たところで、ヒエイとアトラスは深々と司教に頭を下げ、教会の裏口へと向かった。司教が言いかけた言葉が気になったが、それを問いただしている暇はなさそうだった。


     〇


 細い通路の先の木のドアを開けて外に出ると、冷たい水滴が降りかかって頬を濡らした。細かい雨粒が、霧のようにあたりに立ち込めている。


「霧雨だ。視界があまりよくないな」

「好都合だ。なんとかこのモヤに紛れて街を抜けることができればいいが」


 王都ルシフェルは広大な都市だ。ヒエイたちの教会のある中央区から東の城門まで、歩けば半日はかかる。荷馬車をひいて城門を抜けるまで、憲兵に見とがめられずに行けるだろうか。


「なるべく目立たぬように。なおかつ自然にふるまわねば。この憲兵隊もどきのコートが役に立てばいいが」


 そう言ってアトラスは灰色の外套のフードをかぶった。


 ヒエイとアトラスのふたりは厩舎で司教の言っていた旅用の荷車に馬をつなげ、裏門を潜り抜けた。門の外の路地には人はいない。二頭立ての馬車の御者台にはヒエイが座り、アトラスは荷台にて荷物の番。どことなく軍服っぽい灰色のコートは僧衣よりも軽く、裾も短くて動きやすかった。


「ところでアトラスよ。その棒は何だい」


 ヒエイは手綱をとりながら、チラチラと背後に視線を送る。教会から出る途中、自室に立ち寄ったアトラスは一本の棒を持ち出した。ただの棒ではない。今も荷台で彼が抱えているその棒の姿は、なんだかとても物々しい。長さは長身のアトラスの背丈よりも、頭三つ分ほども長い。太さはヒエイの腕ほどもある。表面が黒光りしているところをみると、金属製なのだろうか。素材は何かわからぬが、非常に重々しく見える。両の先端は円錐形の金具がつけられており、これで突かれたらさぞかし大きな穴が開くことだろうと思われた。


「ああ、これかい。これは、護身用だよ」


 そう答えて、アトラスはその重そうな長棒を軽々と掲げてみせた。


 この男とは喧嘩しない方がよさそうだ。

 そう思いながら手綱を握りなおした時だった。


「とまれ。そこの馬車」


 突然馬車の前に二人の男が立ちふさがった。二人とも灰色の外套を身にまとっている。金色の肩章は間違いなく憲兵隊のそれだ。


「お前たち。どこから来た。これからどこへ行くのか」


 ひとりが厳しい口調で問いかけてくる。もうひとりはフードのしたから鋭い目つきでアトラスの持つ黒棒を見つめている。どうやら怪しまれているのは明らかだ。


「ええっと……東の方から、西の方へ……」


 ヒエイはしどろもどろになって答えようとするも、うまい答えが出てこない。こういう時のための文句を考えていなかったことが今さらながら悔やまれるが、時すでに遅し。警戒感をあらわにした憲兵は振り返るや、仲間を呼ぼうと声を張り上げる。


「おい。こっちに来てくれ。あやしい奴が……」


 その言葉が終わる前に、ヒエイは馬に強く鞭をくれた。

 もう、取り繕っている暇はなかった。ここは強行突破するのみ。


 前足を高々と上げていなないた馬は、憲兵二人を突き飛ばして前方に突進する。表通りに出ると数人の憲兵が駆け寄ってきたが、かまわずに勢いそのまま突き進んだ。


 目指すは隣区のストレイ地区。そしてその先にある東の城門。そこに続く教会通りの石畳の街路を一目散に駆けていく。五階建ての石造りの建物が次から次へと視界の脇を通り過ぎていき、雨粒が激しくヒエイの顔を叩く。


 ガクリと荷車が少し沈み、若干馬の速度が鈍くなる。追いかけてきた憲兵が車にとりついたのだ。


「俺に任せろ」


 言うやいなや、アトラスが雄たけびを上げ、例の黒棒をひと振りした。荷台に乗り込もうとしていた憲兵はあっという間に薙ぎ払われ、路上に転げる。それにもめげず憲兵はひとりまたひとりと果敢に荷車に攻め込もうとするが、そのたびにアトラスの棒の餌食となった。重い音が空気を裂くたびに、ある者は胸を突かれまたある者は頬を打たれて、うめき声をあげながら次から次へと路傍に落ちる。追いすがる憲兵の怒鳴り声が取り残されて後方に遠ざかっていく。


 目の前に木材を組んで作った簡易的な門がみえた。検問所だ。門の前には数名の憲兵がたむろしている。


「検問所か。どうする」

「このまま突っ切る」


 ヒエイは馬車を操りながら半目になり、息を吐きながら集中する。


「風よ駆け抜けよ。検問所を吹き飛ばせ」


 とたんに馬車の速度が上がった。荷車が少し浮いた気がする。着ている外套の裾や袖がバタバタとなびき身体が前に投げ出されそうになる。


「しっかりつかまっていろよ」


 アトラスに声をかけながらヒエイは馬に鞭をくれる。後方から街路を勢いよく吹き抜けていく風に乗り、馬車はますます速度を速める。


 前方に鎮座する急ごしらえのゲートは今にも吹き飛ばされそうだ。その前で憲兵たちが腕で顔をかばいながら右往左往している。彼らの姿があっという間に迫り、馬車の両脇を驚いたいくつかの表情が通り過ぎたと思う間もなく、目の前で木片が飛んだ。


「待て、曲者め。とまれー」


 後方であがる憲兵の怒鳴り声にもちろん返事はしない。ゲートを破壊した勢いのまま、ヒエイは真っすぐストレイ地区へと街路を駆け抜けていった。

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