25 銃
「お前たち。昨晩はよくもやってくれたな」
酒場から出たところで、ヒエイは数人の男たちから取り囲まれた。灼熱の陽光が照り付けるオアシスの道。時刻はもう昼頃だがオアシスの酒場の前の道端には、彼らのほかに人の姿はない。それもそのはず、ヒエイとアトラス、アンジュそしてハザムの四人を取り囲む男の数は十人以上。しかもそのすべてが白い軍服を身にまとい、目を血走らせて長い筒をヒエイたちに向けているのだから。まるでこれから戦闘でも起ころうかという雰囲気だ。
「まあ、お待ちになってください。昨晩のことは酔ってのことですし……」
なぜ、こうなってしまったのか。昨日の盗賊の襲撃に続いてついてない。
穏やかな声で男たちをなだめようとしながら、ヒエイは内心舌打ちする。
目の前の軍服の男たちは、昨晩アトラスが酒場で叩きのめした奴とその仲間だ。たしか親衛隊とかいったか。先に手を出したのは奴らだし、アトラスは手加減していた。そもそもあれは酔ってウエイトレスを執拗になじっていた奴らが悪い。この期に及んで仕返しとか見苦しい真似をするとは思っていなかった。恥の上塗りではないか。こいつら身分のあるやつではなかったのか。プライドはないのか。
「こんなことで争いをしたら、あなた方の名誉に傷がつくのでは」
こんなことなら朝早くに街を去ってしまうのだったと、ヒエイは後悔する。昨晩仲間に入ったハザムに連れられて、今はもぬけの殻の盗賊団のアジトをあさっていたのが悪かった。確かに金も衣服も食料もたんまり手に入ったが、盗人のものとはいえ人のものに手を付けようとした罰が当たったのかもしれない。
「ご無礼の段はお詫びしますから。ここはどうか穏便に……」
となりでアトラスが鼻を鳴らしたが、あくまでヒエイは低姿勢を貫いた。相手は大地の乙女の親衛隊。昨日のハザムの話だと、王さえ口出しできぬ強力な権力を持った組織だ。この未知の国に入って早々に問題を起こすわけにはいかない。
しかし相手はヒエイとは違って穏便に済ます気はないようだ。十人以上の親衛隊員の誰もヒエイの言葉に反応せず、構えた筒の先をおろそうともしない。
「やかましい、下賤の者め。親衛隊にたてついて許されると思うなよ。ここでお前ら全員処刑してやる」
真ん中の兵が額に青筋をたてて答える。そいつには見覚えがあった。昨日の酒場でアトラスに殴られた隊員Aだ。
「へっ。やれるもんならやってみろ」
しびれを切らしたアトラスが一歩前に出る。黒棒を握る右腕に力がこもっているのが見て取れた。その得物の一閃で相手を一気に薙ぎ払ってしまう心づもりのようだ。
ドラゴンをも両断してしまうアトラスの一撃。たかが人間の十人や二十人ごとき、瞬殺であろう。ヒエイも相手をなだめるのをあきらめて、アトラスに任せようかと思った。ここでおとなしく処刑されるわけにはいかないのだ。
「いけません。いけません」
ハザムが震える声でつぶやいている。振り返ってみると、ハザムはおろか、アンジュまでもが表情を曇らせていた。
「まずいね。あれは……」
敵を睨むアンジュの瞳が、きらりと光る。
「みんな、伏せて!」
彼女が叫んだのとほぼ同時だった。「放て」という号令とともに親衛隊員の持つ武器から白煙が上がり、轟音が鳴り響いた。
「いったい、何が起こったんだ」
地面に伏せたヒエイは顔をあげ、そして息をのむ。目の前にアトラスの背があった。三人の盾になるように立つ彼の背中には血が滲んでいた。
「どうしたアトラス。大丈夫か」
「クソ。飛び道具か。なんだありゃあ……」
アトラスの身体が揺らぐ。後ろから飛び出てそれを支えたのはアンジュだ。アトラスを抱きかかえた彼女は、ナイフを二発立て続けに相手に投げつけてからヒエイに指示を飛ばす。
「逃げるよ。はやく」
「わかった。アンジュはアトラスとハザムを連れて先に行って。殿は僕が」
立ち上がったヒエイは兵士たちに向かって右手をかざす。親衛隊員たちはあの謎の筒を再び構えてアンジュたちに向けようとしていた。
「させるか。風よ、吹きあがれ」
視界がとたんに黄色く曇った。地面から吹きあがった風が砂を巻き上げたのだ。小さな砂嵐の中から先ほどの飛び道具のものと思しき攻撃が散発的に、見当違いの方向へと飛んでいく。
ここは長居は無用だ。
砂嵐に飲み込まれた親衛隊員の怒号と悲鳴を背に、ヒエイはアンジュたちを追って酒場の裏のラクダの係留場へと急いだ。
〇
「いったいあれは何だったんだ」
砂漠をしばらく駆けたのち、砂の丘陵のふもとで止まったヒエイは、もう追手はないことを確認してから大きく息を吐いてぼやいた。
彼の目の前には見渡す限り赤茶けた砂の大地が広がっている。ところどころに干からびたような樹木がぽつんとたたずむばかりの、乾ききった平原。森も村も畑もない。ただただどこまでも砂が敷き詰められた地面の上を、これまたどこまでも蒼い空が覆いかぶさっているばかりだ。日はまだ高い。親衛隊員がまだ追ってくるかもしれないから、もっと先まで進んだほうがいいかもしれなかったが、それよりもアトラスの怪我のほうが気になった。
ハザムに手伝ってもらってテントを張り、アトラスを寝かしつけ傷の様子を見る。心臓の近くがえぐられている。思っていたより深い。
「あれは、銃だね」
ヒエイの傍らでそうつぶやいたのは、アンジュだった。
アトラスの胸に手を当て念じ始めていたヒエイは、アンジュのほうを振り向いた。
「銃? あれが」
「ああ。フレイアで見たことがあるのとちょっと違うみたいだが、たぶんそうだよ」
銃。その武器の名はヒエイも聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。火薬に点火しその爆発の力を使って筒から玉を発射する武器。その威力は弓矢の比ではないらしいが、フレイアでは武器として実用されていなかった。
頻繁に雨が降り、湿気が多いためだ。そんな環境下では火薬が湿気て不発になることが多く、しかも命中精度も低いため、信頼のおける武器として認識されていなかった。珍しい機械として、せいぜい飾り物になるくらいだ。しかもフレイアは鎖国中で外国との戦もなく、それを発展させる必要がなかった。
「私も使ったことはない。使えない武器だからね。でも、なるほど乾燥したこの国なら発達していてもおかしくない」
「あんたたち。銃を知らないのか?」
素っ頓狂な声をあげたのはハザムだ。荷物の中から包帯を取り出して捧げ持った彼は、不安そうな顔でヒエイとアンジュをみつめている。こんな奴らについてくるんじゃなかったと、いまさら後悔しているのかもしれない。
「だったら、何だい」
立ち上がったアンジュはハザムに歩み寄ると、彼から包帯をひったくって睨みつけた。
「怖かったら帰んな。それとも、またあのクズ野郎たちに襲わせるかい」
「やめなよ、アンジュ。ハザムはもう仲間なんだから」
「そんなの、私はまだ認めてないよ」
「なら、これから認めてくれよ。お願いだから」
ヒエイが困ったような笑みを向けて頭を下げると、アンジュは腕組みをしてフンとそっぽを向いた。
「ほんと、お人よしだね、あんたたちは。甘いんだよ」
吐き捨てるように言う。
苦笑をしたヒエイは、しょんぼりと立ち尽くしているハザムに視線をなげ、思いついたように言った。
「そうだ、ハザム。アンジュに銃の使い方を教えてくれないか」
ハザムとアンジュが同時にヒエイを見、そして同時に心底嫌そうな顔をした。
◯
「構え方は、左手で銃身を支えて、右手指を引き金に添えて……そう」
ハザムの指導のもと、銃を構えたアンジュは筒先をピタリと的に向けて静止する。的といっても、砂の上に無造作に置かれた汚い板の切れ端だ。彼女のもつ銃は盗賊団のアジトからかすめてきたもの。周囲の風景は相変わらずの砂漠だが、ハザムのオアシスをたってからもう五日は過ぎている。その銃をアンジュが手に取るまで何日もかかったのは、彼女が頑なに拒否していたからだ。
「うん。いいね。きれいな姿勢だ。アンジュはセンスがいいね」
ハザムが褒めてもアンジュはニコリともしない。無愛想に、不機嫌そうに灼熱の大地に置かれた的を睨みつけている。
「じゃあ、次は弾丸の装填の仕方だ。ここをこう、開いて、ここにこめて……」
説明を続けるハザムは気まずそうだ。その頭には大きなたんこぶがついている。
「ところでさ……」
アンジュがポツリとつぶやいた。この日初めての発言である。
「なんで私、こんな格好させられてるの?」
アンジュの今身につけている衣装のことである。フレイアの気密性の高い服は砂漠では不自由だからと、ハザムが用意してくれた。正確には盗賊団のアジトからくすねてきたものから引っ張り出したものなのだが……それは何とも艶めかしい衣装だった。胸を覆うだけの短い上衣。腰から下げられた薄い布は長さはあるものの、両脇が大きく割れていた。脚も腹も肩もむき出しのその格好にアンジュが困惑し、赤面し、やがて怒りだしたのは当然といえば当然だった。ハザムの頭のコブはアンジュがつくったものだ。たんこぶだけで済んだのは幸運だったと言えよう。
その頭のコブをさすりながらハザムは今日何度目かの弁解をする。
「もう許してくれよアンジュ。アタナミでは女は室内ではああいう格好をするんだ」
「正確には、そういう格好をする人もいる……じゃないのかな」
ヒエイがたしなめるとハザムも少々気まずそうにうなだれた。
「ま……まあ、女全部があの格好をするわけじゃない。踊り子さんとか、一部だけだよ。アンジュはスタイルがいいから似合うと思って、調子に乗ったんだ。悪かったよ」
小声で謝るハザムに対し、アンジュは返事の代わりに引き金を引いた。
轟音が鳴り響くとともに、的の板が砕け散った。
「ふーん。面白いね、これ」
さして面白くもなさそうにそう言って、アンジュは次の弾を装填する。
「いろんなものを撃ってみたくなるよ。たとえば……」
そして銃口をハザムに向けた。
顔を青くしたハザムは悲鳴を上げて、アトラスの身体の影に一目散に逃げ込んだ。
ハザムをかばいながらアトラスがアンジュをからかう。
「ちょっとやりすぎだぜアンジュ。それに、俺もその格好はなかなかいいと思うぜ」
「うるさい筋肉ゴリラ。もう一つ銃創をつけてやろうか」
「アンジュ。銃を下げて」
厳しい声をあげたのはヒエイだ。ようやくアンジュの口の端に苦笑が漏れる。
「やだなヒエイ。もちろん冗談だよ。そんなに怒らなくても……」
「いや、そうじゃない。人がいる」
ヒエイの指さしたほうに、三人が同時に目をむける。
砂の原のはるか先に、数頭のラクダと十何人かの人間の一団がいた。




