23 砂漠の少年 前
今日もクソみたいに晴れだな。
少年は額の汗をぬぐって、恨めしそうに空を見上げた。
澄み渡った青空には今日もひとかけらの雲もない。乾いた大地には白い陽光がギラギラと照り付け、日干し煉瓦の建物も、ヤシの葉も人も今にも干からびてしまいそうだ。この小さなオアシスを支える泉には鉛を溶かしたような光が漂い、今にも茹だって蒸発してしまうのではと危ぶまれた。
「いい加減にしろ、このクソ天気め」
この世に生を受けてから十五年、変わることのない殺伐とした風景だ。先ほど露店で盗んだ果物をかじりながら悪態をついて、少年は道端に座り込んだ。小さなオアシスの、小さな商店街の裏道。自分を追跡する者の姿がないことを確認してから、白い上衣の懐を探る。
「さて、今日の成果は……と」
取り出した巾着を逆さにして、落ちてきたのは銀貨一枚。思わず少年は舌打ちをする。ケッ。本当にしけた町だぜ。
しけた国のしけた町。しけた人生……。
手首に巻いた布をおさえながら顔を通りの出口に向ける。そこはちょっとした丘の上で、その通りから見晴るかすと、砂漠の向こうに長大な山脈を見ることができた。
あの向こうに行ってみたいな。
独り言が少年の口から洩れる。それは彼の小さなころからの夢だった。あの山の向こうに行ってみたい。このクソみたいな砂漠の国を抜け出して。あの山を見るたびに彼はそう思って生きてきた。
しかしそれは実現の望めぬ願いだった。あの山の向こうの国、フレイア王国は現在鎖国中で、しかも山には恐ろしい魔物が住んでいるという。それを裏付けるかのように、山の向こうに行こうとしたものは二度と帰ってくることはなかった。
それでも。いつか……爺さんのように。
そう念じながら少年は、膝を抱えてうなだれる。今日も一段と暑い。陽光が痛いほどに肌をあぶり、座っているだけで消耗する。時々吹きわたっていく風も熱風。ほんとうに、鬱陶しい光と暑さだ。
今日はもう、帰るか。
そう思って腰をあげた時だった。賑やかな声が表通りのほうから風に乗って流れてきた。思わず裏道から出てそちらをうかがったのは、交易所の親父が助けを求めていたからではない。このアタナミ国では聞きなれない言葉が飛んでいたから。
見れば交易所の前には異様な格好をした三人組がいた。二人は若い男で一人は若い女。どれもこのクソ暑いのに肌の隠れる厚そうなコートを身にまとっている。それなのに暑さにめげることなく、それどころかどこか高揚している風である。しかも背の高い髭面の男と目つきの鋭い女は威圧感ばつぐんで、困り顔の親父につめよっている。手振り身振りでコミュニケーションを図ろうとしているが、いまいち通じていないらしい。
(これは、これは……)
少年は目を細めると舌なめずりして交易所のほうへ足を向けた。
〇
「もし……旅のお方。お困りですか」
少年が話しかけると、髭面の大男は驚いた顔をして彼を見た。
「お前、俺たちの言葉がわかるのか」
「ええ。少しですが。祖父が貿易商をしていたもので、幼いころに習ったのです」
愛想笑いを浮かべながら少年は心の中で昔の記憶をたどる。そう。この大男たちが話す言葉はたしかにフレイア語。かつて俺の爺さんが交易していたという、山の向こうの国の言葉だ。
「私でよろしければ通訳しますよ。このアタナミ国には観光で?」
実際のフレイア人に使うのは初めてのはずなのに、不思議と言葉はするすると出てきた。きっと、何度も何度も山の向こうに行く妄想をしてシミュレーションしていたからかもしれない。
「まあ、ちょっとその向こうまで行きたくてな。馬が欲しいのだが……」
「ああ。それでしたら、我々はラクダを使います」
「ラクダ?」
「そう。砂漠の旅には、ラクダです」
そう言って少年は振り返り、交易所の親父を見る。そして目だけで彼に語り掛ける。ほら、早くラクダをもってこいよ。
「しかし、ハザムよ……」
親父が少年に何か言おうとすると、ハザムと呼ばれたその少年は彼に向けた目つきを鋭くした。その眼光に気おされた親父は渋々といった様子で店の裏へと姿を消す。
「すまないね。少年」
そう言ってハザム少年の手を取ったのは、大男のとなりにいた小柄な青年だ。口調も表情も優しそうな青年だった。
「ところで、ここでは我々の貨幣は通用するだろうか」
そう尋ねながら青年は腰の巾着から一握りの金貨を取り出して見せた。ハザム少年の視線がその金貨の輝きに吸い込まれる。喉をごくりと鳴らしてから、彼はまた愛想笑いを浮かべて手を振った。
「いいんですよ。お代なんて。私が後で返しに来ますので」
そう答えたところで、親父が四頭のラクダを引いて戻ってきた。そのラクダの手綱をひったくり、
「もしよろしければ、私が目的地までご案内いたしましょう」
「いいのか?」
大男が嬉しそうに髭面をほころばせる。
「願ってもない。ありがとう」
小柄な青年も、にこやかに言って微笑んだ。
もう一人の若い女だけが、何も言わず不機嫌そうにそっぽを向いていた。
なんであの女は怒ってるんだ?
女を見つめながら首をかしげるハザム少年の前に、大きな手が差し出された。
「俺はアトラスってんだ。よろしくな」
髭面の大男はそう言って彼の手を握りしめた。
「ヒエイだ。よろしく」
小柄な青年は礼儀正しく頭をさげた。
ヒエイと握手しながら、またも少年は女のほうをちらりと見やる。彼女だけはそっぽを向いたまま名乗ろうともしない。
「ああ。あいつはアンジュ。気にするな。いつもああなんだよ」
「そうなんですか。私はハザムです。どうぞよろしく」
薄く笑いながら、ハザムは慇懃なお辞儀をした。
〇
三人のフレイア人を宿に案内した後、ハザムはひとり街はずれの酒場をたずねた。
「やあ、マスター。『親方』は来てるかい」
彼が話しかけると、カウンターでグラスを拭いていたマスターは、黙したまま目だけで店の奥を示す。
「ありがとう」
礼を言ってハザムは奥の階段から地下へと降りていった。
蝋燭の光が点々と灯る地下の部屋には数人の男がたむろしていた。どれも筋骨隆々の腕をむき出しにした、ガラの悪い男たちだ。彼らは部屋の各所で酒樽をテーブルに、めいめい酒を飲んだり肉をほお張ったりカードゲームに興じたりしている。その一番奥の革製の大きなソファで、スキンヘッドの大男が両隣に女を侍らせて大きなグラスを傾けていた。
「親方」
ハザムが大男の前にひざまずくと、彼はグラスを口から離してジロリと細い目を向けた。
「ハザムか。どうだ。今日の成果は」
腹の底に響くような低い銅鑼声。自分の手足や腹の筋肉が萎縮してしまうのを感じながら、恐る恐るハザムは懐の巾着を親方に差し出す。
逆さにした巾着から手のひらに落ちてきた銀貨を見た、親方の眉間にしわが寄る。
「銀貨一枚? ふざけてんのか」
凄む親方の声がハザムの背筋を電流がはしったようにしびれさせる。彼は慌てて親方の足元の床に額をこすりつけた。
「とんでもございやせん、親方。実は、いいカモを見つけてきたんです。やつら旅人です。ずいぶん金を持ってそうなんです」
「ほう?」
親方の表情が和らぐ。
「女はいるのか?」
「はい。つんけんした、生意気そうな女です」
「そうか。そいつはいい。今、どこにいる?」
「ダルマの宿に」
「よし」
グラスの酒を飲み干した親方は、口髭についたよだれを拭って立ち上がった。
「今夜、襲うぞ。そのカモどもの身ぐるみはいで、女はかっさらう。野郎ども、支度をしろ」
〇
夕刻、ハザムが民宿「ダルマ」を訪ねると、フレイアの旅人は部屋に敷かれた絨毯の上でぐったりとしていた。上半身裸のアトラスは大の字になって寝っ転がり、ヒエイは壁にもたれてうなだれている。アンジュの姿は見えない。おそらく部屋の一角にしつらえられた仕切りの向こうにいるのだろう。ジグザクに立てられた板の隙間から、覗いた者をタダでは済まさないような殺気が黒いとぐろを巻いて漂ってくる。
「みなさん。大丈夫ですか」
ハザムが声をかけると、ふたりは彼を見て弱く笑いかけた。
「まあな」
アトラスはそう答えるものの、その表情は明らかに苦しそうで、まるで重い風邪でもひいているみたいだ。ヒエイも「大丈夫」とうなずくけれど、その様子はしおれた葉っぱのようにしか見えない。
「ふたりとも。水を飲んで」
ハザムはアトラスの傍に寄って、自分の持ってきた革袋を差し出した。それから二粒の半透明の丸い物体をふたりの手に握らせる。
「塩飴です。脱水したときは水だけ飲んでも効果はうすい。これもなめて塩分も補給してください」
「すまない」
「ありがとう。たすかるよ」
壁に頭をもたせかけたヒエイが祈るように目を閉じた。窓にかけられたカーテンが揺れ、風が部屋に吹き込んでくる。砂漠の熱風ではない。不思議なことに湿気を含んだ、清涼感のある風だった。
「服装もこれではいけませんね。気密性はいいが、通気性がよくありません。明日服も用意しましょう」
風を吸い込んだハザムはそう言い残して踵を返し、部屋から出ようとした。
何やってるんだろう、俺は。
そう、自分のしたことに戸惑いを覚えながら。俺はただ、こいつらがちゃんとここにいるのか様子を見に来ただけだ。それなのに、なんでこんなことしてるんだ。ほおっておけばいい。どうせ今夜殺すつもりの相手なんだから。
「ハザム」
呼び止められて、ハザムは思わず振り返った。壁に背を預けたヒエイが、今しがた与えた塩飴をなめながら、穏やかな表情で彼を見上げていた。
「いろいろ助けてくれてありがとう。君の無償の親切には感謝しかない」
胸が一つ鼓を打った。見透かされているような気がした。
「い……いやだなあ。俺は親切ってわけではないですよ。ガイドですから」
首筋に流れる汗を冷たく感じながら、彼は答える。
「無償なんかじゃ、ないです」
無償の親切なんて馬鹿らしい。そんな事するやついるもんか。
ハザムの腕に、胸に、腹に痛みが走る。痛みとともに刻み込まれた記憶が、頭の中を走馬灯のように駆け巡る。
(世の中、利益が全てだ。利益を生み出さねえクズに、存在する価値はねえ)
彼の頭の中に響くその声は、親方のそれだった。
小さなときから事あるごとに殴打され、蹴りつけられながら、そう言い聞かされてきた。
そのとおりだと、ハザムは思う。
事業に失敗した途端、父からみんな離れていったではないか。俺が利益をもたらす限り、親方は俺をあの組織において養ってくれるではないか。たとえそれが人から奪ったり騙したりするような仕事でも。俺は今までそうやって、なんとか生きてきたんだ。
「無償なんかでは、ないです」
腹の底に蘇る怒りを作り笑顔でとり繕いながら、ハザムはもう一度言う。
「報酬はいただきますよ」
だから俺は、お前たちからも利益を吸い取ってやる。お前たちの身ぐるみはいで、命奪って、女を捕らえてな。
「そぉ……かぁ」
水と塩飴で少し元気を取り戻したらしいアトラスが、起き上がって大きく伸びをした。
「ところで、君のおじいさんは貿易商をやっていたといったね。ひょっとして、山の向こうにも行ったことがあるのかい」
ハザムは遠くを見るようにアトラスを見つめ、やがて自嘲的に笑って首を振った。
「いいえ、私は。祖父がフレイアに行っていたのは何十年も前です。フレイアが鎖国してからは落ちぶれてしまったようです。でも、幼いころ、祖父からは若いころに行ったフレイアのことをよく聞かされました」
「そうだったか……」
一瞬神妙な顔になったアトラスは、ハザムに歩み寄ると彼の肩をポンとたたいた。
「じゃあ、ハザム君。夕飯食べに行こうか。もちろん俺たちのおごりだ」




