18 国境の支配者
ハヤーの邸宅は、街はずれの丘にそびえる、城と見まごうばかりの建物だった。
重厚な城門を抜けて高い石の城壁に囲まれた敷地内に入れば、砂利の敷き詰められた道の向こうにそびえるのは、これまた石造りの無骨な館だ。その建物の四隅に円柱形の櫓が構えられているさまは、要塞と言って差し支えない。
しかし無骨なのは外面だけで、大広間に入れば宮殿のような華麗な内装がヒエイたちを迎えた。
光をちりばめる宝石のようなシャンデリア。床に敷き詰められた紅い絨毯。白壁や柱を飾り立てる鳥や動物をかたどった彫刻達。その広さときらびやかさは、その持ち主たるハヤーの権勢が都の貴族たちにも劣らぬことを示している。
「ふん。みんな、民から搾り取った金で作ったんだ」
カンゾウがワイングラスに口をつけながら、吐き捨てるように言った。今日の彼は正装だ。タキシードなどを着て髪と髭を整えていると、その小太りの身体も肉付きの良いあごも禿げあがった額も、なんだか貫禄があるように見えてしまう。
かくいうヒエイたち三人も正装だ。ヒエイとアトラスはダブルボタンのスーツ。アンジュは深紅のドレスに身を包んでいる。
「このドレス。なんかスースーするね」
アンジュが仏頂面で自分の体に視線を落としながら、今日五度は口にした文句を繰り返した。それもそのはず、彼女のドレスは身体のラインが強調されたタイトドレス。胸を強調したデザインで肩が露出し、背中も大きく開いている。さらにはスカートには深くスリットが入っていて、太もももチラチラのぞく。
「文句言うなよ。ハニートラップとか言い出したのはお前だろ。そのためにピッタリの衣装だろうが」
アトラスが小声でしかりつける。
ヒエイはとりなすように彼女に優しく言い聞かせた。
「よく似合っているよ、アンジュ。スカートと肩についたコサージュが素敵だね」
「ま、まあ……。ヒエイがそう言うなら……」
おくれ毛を指でいじくりながら視線を斜め下に流して、アンジュは大人しくなる。
そんな彼女には聞えないようにアトラスがそっとカンゾウに耳打ちした。
「衣装をそろえてくれてありがとう。しかし、あれはあんたの趣味だな。まったく、このエロ親父が」
「何を言うか。相手はエロジジイだぞ。エロ親父の視点は重要だ。……あー。コホン!」
カンゾウがすました顔で咳払いする。アンジュを褒め殺ししていたヒエイと、彼の言葉にむずがゆそうにもじもじしていたアンジュが振り向いた。
「君たちの役柄は覚えているな」
「うん。僕はウササン。コロネルのゴードン商会の重役で、カンゾウ氏のオウゴンソウの手配を手伝うためにマキ村にやってきた」
「俺はクマサン。ウササンの助手だ」
「私はネネコ。クマサンの妹だよ。……なんか変な名前だね」
「しっ。標的のお出ましだ」
カンゾウが口に指をあてて広間の奥に視線を送る。
そこにはひときわ大勢の紳士が集まっていた。その中心に、笑みを振りまきながら片手をあげて、周囲のあいさつに応えている男がいる。豊かな白髪をなであげた背の高い男。脂ぎった顔に自信をみなぎらせ、必要以上に胸を張って衆人をおしのけていく。年齢は七十を超えているそうだが、それよりはるかに若く見える。それがハヤーだった。
カンゾウはヒエイら三人を引き連れて、さっそくハヤーのもとに歩み寄っていった。腰をかがめ、揉み手をし、卑屈な笑みを顔に貼り付けて彼に挨拶する。
「ハヤー様。今晩もご機嫌麗しう……」
「おう。カンゾウか。御苦労。薬草の納入のめどはついたのであろうな」
「それはもちろん」
「よろしい。薬草も金も美術品もすべてわしのもとにあるべきなのだ。愚民などに貴重な薬草など本来不要。やつらは搾取されるためにいるのだから。やつらは畑の作物と一緒だ。ほおっておいてもいくらでも生えてくる。そのままにしておけば腐るだけなのだから、摘み取って有効活用してやらねばな」
そしてハヤーは大きな腹を抱えて笑った。
カンゾウも追従笑いを浮かべる。さすが長年仇を前に耐え忍んで生きてきた中年。演技力が違う。一方ヒエイたちはこの傲慢な権力者の発言に、怒りを抑えるのに精いっぱいだった。
(クソ野郎め。ここで殺してやろうか)
アンジュの小さなつぶやきがヒエイの耳もとできこえた。ヒエイは思わず前に進み出そうになる彼女の腕をつかんで、すんでのところでそれを阻止する。
(だめだよ、アンジュ。ここでやっては)
(わかってるって)
小声でやりとりするふたりの前で、カンゾウはますます背中を丸めて猫なで声でハヤーに同調した。
「まったくハヤー様のおっしゃる通りですなぁ。このカンゾウめもハヤー様のためにますます精を出して貢がせていただきますので、これからもなにとぞお引き立てのほどを……」
「うむ。よい心がけだ。容赦いたすなよ。野菜は新鮮なうちに食うのがよい。特に女はな」
ぐふふ……。と下卑た笑いを漏らす。ハヤーのその下品にゆがんだ顔がガマガエルのそれのように見えた。それではガマガエルに失礼かもしれない。人間の財と肉体を貪り食う妖怪。そう言わずにおれないような不気味さと不快感を、ヒエイはこの男に感じないわけにはいかなかった。
「女」と口にすると同時に、妖怪がギロリとアンジュの方に目を向けた。
「ところでカンゾウ。そこの者は?」
「ああ。この者ですか。ご紹介が遅れましたな。この者たちはゴードン商会の方から派遣されまして。小柄な男がウササン……」
「いや。男はいい。女は」
「ウササンの助手クマサンの妹で、ネネコといいます」
アンジュが一歩進み出て、ハヤーを睨みつけながら自己紹介した。胸を突き出し、右足をあげてスリットから太ももを見せつけるその様は、誘惑というよりは、喧嘩を売っているみたいだ。
「ほう……」
ハヤーがいやらしく口もとをあげ、舌なめずりをした。唾液をすする音がきこえてきそうな、下品極まりない表情で、アンジュの頭から足の先までねめまわす。特に胸と腰回りと太ももを重点的に。
「おい。カンゾウ」
しばらくアンジュを視姦したハヤーは、やがて居丈高な口調で命じた。
「あとでこの娘をわしの寝室に連れて来い」




