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15 国境の町マキ

「三十五……三十六……三十七。ナナマガリソウ三十七本だね。たしかに」

「ああ。間違いなく、本物のナナマガリソウよ。これでいくらになる?」


 アンジュの問いかけに、口ひげを生やした小太りの親父は肥えた顎肉をつまんで考え込んだ。カウンターテーブルに並べられたヒョロヒョロの細長い植物たちを一瞥し、小声で答える。


「全部で、三百ザルク」


 その数字が親父の口から出たとたん、アンジュの眉根が寄せられた。


「安すぎる。これは正真正銘のナナマガリソウ。コロネルの相場でも一本二十ザルクはするのに」

「この辺じゃ、はいて捨てるほど生えてるんだ。三百でも、高いくらいさ」

「なに……」

「まあ、まあ……」


 ヒエイは苦笑してアンジュと親父の間に割って入る。


「落ち着いて。まずは話し合いましょうよ」


 さほど広くない店内を見渡せば、フロアの壁際やカウンターの奥にしつらえられた棚々には、所狭しと袋や瓶が並んでいる。辺境の街とは思えぬほどの豊富な品ぞろえが、この店にはあるのかもしれなかった。


「でも、僕たちもこれを採取するには苦労したんです。もうちょっと高く買い取っていただけるとありがたいのですが」


 腰を低くして親父に語りかける横で、アンジュが鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 コロネルから仲間に加わったアンジュは、いろいろな面からこの世慣れぬ二人組をサポートしてくれている。マナウス会長の秘書を務めただけあって、戦闘だけでなく事務的な仕事や資金の運用においても彼女は優秀だった。特に薬草について豊富な知識を持っていて、道中貴重な薬草を採取しては街道の村や町で買い取ってもらい旅の資金を調達してくれたのだ。


 だが、アンジュにも欠点はあった。それがこの不愛想さと融通の利かなさだ。初対面の時からヒエイを悩ませたポーカーフェイスはどうやら彼女の素の個性のようだ。そのせいで悪気はないのに不要に角がたって交渉が難航することがある。そこで相手の気持ちを和らげて話を丸く収めるのがヒエイの役割になっていた。ちなみにアトラスは面倒ごとには首を突っ込まず、いつもそ知らぬふりだ。


「わかったよ。あんたの顔を立ててやろう」


 ほら、話せばわかる……と頬をゆるませたヒエイに、親父はずる賢そうな笑みを向けた。


「じゃあ、全部で三百五十ザルク」


 ヒエイの表情がこわばる。隣のアンジュの鋭い目がキラリと光った。

 瞬きする間に親父の背後に回り込んだアンジュが、ドスの利いた低い声でつぶやく。


「……殺すか?」


 よく見ると、いつの間にか取り出したナイフが親父のわき腹にあてられていた。


 アンジュに呼応するかのようにアトラスが親父の前に進み出る。彼の方は特に何も言わずにただ相手を睨み下ろすだけだ。しかしそれはとてつもない威圧感を相手に与える。ただでさえ体が大きいのに加え、このマキ村までの一月の間にすっかり伸びた髭が、彼の顔半分を覆ってその人相を凶悪なものにしていた。口を開けば気のいい好青年なのだが、無言で顔をしかめていると悪漢にしか見えない。それはちょっかいを出してきた盗賊が恐れおののいて逃げ出すほどのものだった。


 前門の虎後門の狼ならぬ、正面のアトラス背後のアンジュ。ああ、気の毒に……と思う間に、親父の顔はみるみるうちに青ざめて、その額からだらだらと滝のような汗が流れ落ちた。


「わ……わかりまちた。は、八百ザルク、ご用意いたします。ただいま、すぐに」


 縮みあがって金庫へと向かう親父を眺めながら、ヒエイはヤレヤレとため息をつく。交渉の六割がたはこうやって解決する。殺し屋の殺気をまき散らすアンジュと無言の圧力をかける悪漢面のアトラス。なんか、無法者にしか見えないな。そして己のいくらかやつれた頬をなでながら彼は思う。ところで僕は、どんなふうに見えているのだろうか。


     〇


「さしずめあんたは……疫病神だね」


 そうヒエイに教えたのはアンジュだ。八百ザルクを懐に入れ、薬屋を出たところで、空を見上げながら。ポーカーフェイスは変わらぬものの、その声は少し弾んでいる。


「俺たちのことを悪人面と思ってるかもしれねえがよ、ヒエイ。お前さんが一番ひどいぜ」


 アンジュに同調してアトラスも笑う。


「疫病神というか死神だ。そんな面で薄笑い浮かべながら優しい声を出されちゃあ、相手は生きた心地がしないだろうよ。殺し屋や巨漢なんぞ、可愛いもんだ」

「ひどいこと言うなあ。心外だよ」


 そう言い返しながらも、ヒエイの声も弾んでいる。

 自分たちの気分がどことなく高揚している理由を、ヒエイは知っていた。彼は白い息を吐きながらまわりに広がる風景を見渡す。石造りの家々に挟まれた坂道。赤い瓦を葺いた屋根が折り重なる、その街並みの上に、空を支える壁のような巨大な山脈がそびえている。


 ここはマキ村。フレイア王国の東の果て。国境の街だった。


「ついに来たんだな」

「ああ。あの山を越えれば、フレイアの外だ」


 ついついしんみりした口調になってしまう。ここまで来れるとは思っていなかった。フレイアの外に出るなんて、ずっとそれを願ってはいたけれど、しかしそれは飛べたらいいなと思うくらいの非現実的な願いだった。だが、国境をなす山脈を目の前にした今、それはすぐにも実現可能な出来事として認識することができた。あの山の向こうには、違う世界が広がっているのだ。この雨ばかりの、天気も政治も狂った国とは別の世界が。ナイアス神聖国にたどり着くのももはや造作ないことのようにさえ、思えてしまうのだった。


 国境の山を前に浮かれていたことは否定できない。


「しっ!」


 というアンジュの声で我に返ったヒエイは、一瞬警戒を怠ったことを悔いた。振り返れば、今出てきた薬屋の店先に、あの小太りの親父が立っている。

 親父は眉を寄せ、怖い顔でヒエイたち三人をみつめていた。


「あんたたち……あの山を、越えるつもりか?」


 ヒエイの表情が凍り付く。アトラスの髭面も、アンジュのポーカーフェイスさえも。


「いやいや親父さん。そうではなくて……」

「……」

「……殺すか」


 アンジュが懐に手を入れ殺気を解放しようとした、その時だった。坂道の少し上の曲がり角から数人の男が姿を現し、薬屋にむかっておりてきた。上等のスーツの上に外套を着こんだ役人と、護衛の兵士だった。


     〇


 眉を吊り上げ大股で歩み寄ってきた役人たちは、しかしヒエイたちの前を素通りし、薬屋の親父の前で立ち止まった。


「おい、親父。収められた薬草の中にオウゴンソウがなかったぞ」


 役人の剣幕に、親父はさっきアンジュにナイフを突きつけられたとき以上に狼狽した。


「申し訳ございません部長様。しかし今年はどういうわけか、オウゴンソウの生育がわるく、手に入らないのです……」

「つべこべ申すな。薬草の納品はおぬしらの義務ではないか。お前らの事情など知ったことか。何があっても指定の薬草を指定の数だけ収めよ。言い訳は許さぬ」

「しかし、ないものはないのです」

「うるさい」


 一喝とともに、役人の平手が親父の頬を打った。


「それを何とかするのがおぬしらの仕事だろう。だまって薬草を用意しろ。できぬとは言わせぬ。期日は十日後だ。わかったな」


 居丈高な態度で一方的に命令すると、役人は道に唾を吐き捨てて踵を返した。来た時と同じくヒエイたちには見向きもせず、傲然と胸をそらせて彼らの前を通り過ぎていく。その様子は王都の憲兵や貴族連中をふと思い出させた。


「どこにでもいるんだな。ああいうのは」

「ああ。うんざりだ」

「でも、よかったじゃないか。あいつらが無能で」


 アンジュの言葉にヒエイもアトラスもしみじみとうなずく。あの役人たちが威張るのに夢中で三人のことに気づけなかったのはありがたかった。


「親父さんも、なんか大変そうだな。悪かったよ。すこしお金は返すから……」


 そう呼びかけながらヒエイが振り返ると、親父はまだ打たれた頬に手をあてながらうつむいていた。だが痛がっている様子はなく、その口元はわずかに笑っているようにさえ見えた。


「なあ、あんたたち。あの山を越えるつもりなのかい」


 ヒエイの背に緊張が走る。そういえば、この親父にさっきの話をきかれたんだった。もしこの男が密告でもすれば、せっかくここまで来た苦労が水の泡になってしまう。

 アンジュが懐に手を忍ばせる。アトラスも棒を握る手に力をこめた。

 しかし次に親父が口にした言葉は意外なものだった。


「あんたたちにいいことを教えてやる。そのかわり、わしの頼みをきいてくれ」

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