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幕間1 天使の付き人

 フレイアの王都ルシフェルの王宮の奥には、祭壇の間がある。

 東西の壁に三つずつ並ぶ長窓からは外の風景を望むことはできない。その代わりに青白い光をほのかに放つその窓たちは、広間の中央にしつらえられた方形の祭壇を淡く照らしていた。


 祭壇に描かれた円陣の真ん中に座し、目を閉じてうつむいていたメルラは、扉の開く音に反応して顔をあげた。


「来ましたか」


 振り返らずに問いかけると、背後の人物はわざとらしく咳払いをした。


「今日はまた、何のご要件で」


 その口調に滲む不快感を隠そうともせずに、彼はぼやく。


「吾輩は忙しいのだが」

「あの子たちに、刺客を差し向けていたらしいですね」


 メルラの投げつけた言葉に、背後の男は黙り込む。


「余計なことは、しないでもらえますか」

「な、なんでそれを……」

「私を誰だと思っているのです」

「しかし、秘密警察長官として、反逆の芽は摘んでおかねば。それは天使様のためでもあるのですよ」

「あなたたち、の、ためでしょう」

「同じことではないですか?」


 長官がむっとした調子で言い返してきた。


「我々を守ることは、天使様を守ることでもある」

「うぬぼれてはいけませんよ」


 静かに諭して、メルラは立ち上がった。振り返って、この秘密警察長官を名乗る貴族の男をみつめる。名前はよく覚えていない。覚えるほどの価値もないと、彼女は思っている。ただわかるのは、この男がほかの貴族連中と同じく傲慢で、身勝手だということだけだった。


「ご大層なことを言っても、あなたの暗殺組織は壊滅したのでしょう」

「まだまだ。あいつらの代わりならいくらでもいる。これから街の食いつめ者やごろつきを……」

「もう、結構!」


 ぴしゃりと、彼女にしては厳しい声音でメルラは長官の話を遮った。


「あの子たちのことは、私が対処します。それよりあなた方は、この国を治めることを考えなさい。ほら、今日も雨が止まずに民が苦しんでいる」


 長官が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。お前がよくもぬけぬけとそんなことをぬかすな。そう言いたいのがその表情からひしひしと伝わってくる。


「あんただって……」


 不快感をため息に紛れさせて吐いてから、長官は口をゆがめて苦笑した。


「先日、大規模な魔法を使ってストレイ地区を濃霧に沈めたではないか」

「あれは、あらかじめ人々は屋内に避難させ、街路だけを霧で満たしたのです、民に被害はありませんでした」

「ふん。お優しいことだ。しかしあんたがそんな心配りをするなど、不思議だよ。民など、虫と同じではないか。どんなに泣こうが苦しもうが、知ったことではない。我々貴族だけが安全ならば、それでいいんだ。そのための国であり、政府であり、王室なのだから……」


 そこで、男の声は途切れた。

 長官を睨むメルラの瞳が、水色の輝きを放っている。その視線の先では、長官の口や鼻や目から、水がとめどなく吹きこぼれていた。


「もう、お黙りなさい」


 メルラが冷たく言い放っても、長官からの返事はもうなかった。ただガボガボと水を吐き出し、呼吸もできずにもがく彼は、やがて白目をむいて地面に倒れこんだ。


     〇


「今日は、また一段と不機嫌じゃねえか」


 祭壇の間を出たところで話しかけられ、メルラは立ち止まった。

 振り向くと、廊下の柱のひとつに背を預けて腕を組みながら、こちらを見ている男がいた。赤い皮膚を持った、筋骨隆々の大男。正確には人ではない。もう一人の天使の付き人、ゼノだ。


「たったふたりの人間に、ずいぶんてこずっているようだな」

「三人になったようです。それから、てこずっているわけではありません。泳がせているのです」

「へっ。物は言いようだな。それで、それを邪魔した長官にキレてぶっ殺しちまったのかよ。優しいんだか冷たいんだか、わからんお方だ」

「キレてませんが?」


 メルラが眉をひそめてゼノを睨むと、彼は肩をすくませた。


「それで。奴らを泳がせて、メルラさんは、どうしたいんだ」


 どうしたいのだろう。


 メルラはゼノに言われて首を傾げた。実のところ今まであまり考えていなかったことである。あのふたりを泳がせて、自分は何をしたいのだろう。


 彼らは公職にありながら天使様に逆意を抱き逃亡した。本来ならばすぐにでもとらえて殺さなければならない。実際、いつでも殺すことができた。しかしそれをすることを、どこかでためらっている自分がいる。もちろんそれは優しさからではない。ならば、なぜ。


 それはあるいは余裕からかもしれない。と、メルラは思う。彼らがこの国から出ることができるとは思えないし、ましてや天使様をどうにかすることなど不可能だ。彼らがどんなにあがこうが、所詮自分の手のひらの上なのである。その不可能なことに躍起になってジタバタしているか弱い人間を、手に乗せて眺めているのは面白かった。


 そしてもうひとつは、興味があるからかもしれない。と、メルラは思った。不可能なことを目指してあがくその先に、彼らがどんなものを見出し、どういう境地に至るのか。本当に国境にいたることができるのか。そしてもし、自力で国境を越えることができるなら……。


「無理ですね」


 失笑が、メルラの口からついて出た。

 腕を組んでいたゼノが目をぱちくりさせる。


「え? 何が」

「彼らが国境を越えることです。彼らはそこで死ぬか、舞い戻ってくることになるでしょう」

「あいつらを殺したくないなら、あんたは無理に殺すことないんだぜ」


 そう言うとゼノは腕組みをといてメルラの前に立ちはだかった。


「この俺が、殺っておいてやるからよ」

「手出しは無用です」


 ぴしゃりと言い放って、メルラはゼノを睨み上げた。


「余計なことをすると、あなたも長官のようになりますよ」


 ゼノの口もとがゆがんで苦笑がもれる。


「おお、怖いねえ」


 そう言って、頭をかきながら道をあけた。

 そのわきを通り抜けようとして、メルラはいったん立ち止まる。


「あ、そうそう。その代わりにお願いが」


 目で問うゼノを一瞥して、


「私が留守の間、ここの貴族どもが勝手な真似をしないよう目を光らせておいてください。デロス司教にも手出しをさせないようにね」

「ああ。わかった」


 ゼノの返事にうなずいて、顔を廊下の長窓にむけた。

 折り重なる宮殿の屋根のはるか向こうに、雨靄にかすむ池の水面がみえる。元老院管理の貯水池だ。今頃また、水門が開かれていることだろう。


 メルラは目を閉じて意識を集中する。感じる。大量の水が粗末な水路を怒涛のように流れ落ちていくのを。よせばいいのに毎回毎回、貯めに貯めてから一気に放流する貴族たち。その勢いと量を支えきれない下の街が、いつもどのような有様になるのか、彼らは考えたことがあるのだろうか。

 水浸しになった街の姿を思い浮かべて、メルラは人知れず嘆息を漏らした。


     〇


「メルラよ。王都を留守にするのか」


 居室に戻り窓を開けると、雨粒とともに空から声が降ってきた。

 メルラは床に膝まづき、首を垂れる。


「は。東に。天使様に害意を抱く不届き者がおりますゆえ」

「気にすることはあるまい。人間の意志感情など」


 メルラが答えられずに口をつぐむと、雷鳴に入り混じって笑い声が響いた。


「まあ、好きにするがよい。はやく帰って来いよ。ただでさえ退屈でしょうがないのだ」

「今日も、ご機嫌はあまりよろしくないご様子。たまには雨をあげて、久しぶりに人界でもご視察なされては」

「なぜ、我がそのようなことを」

「今日は、花まつりが都の各地で催されています。楽しむ民をご覧になれば、少しは退屈しのぎになるかと」


 はるか雲の向こうでまた、雷鳴が轟いた。それと同時に、屋根や木々をたたく雨の音が急激に強くなる。顔を伏せていてもメルラにはわかる。空を覆う雲が重なってどんどん厚くどす黒くなり、街が灰色の幕を下ろしたように薄暗くなっていくさまが。晴れさせるようにお願いしたつもりだったが、天使はその逆に、大雨を降らしているのだ。


「なるほど、楽しいの」


 雷鳴と一緒に笑い声が降りかかる。


「笑っていた人間どもが、泣きながら散っていくぞ。愉快愉快」


 激しさを増す雨音と笑い声を聴きながら、メルラはじっと床を睨みつけていた。


「恐れ入りましてございます」


 やがてそう小さくつぶやいて、彼女は床に平伏した。

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