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12 8人の刺客

 雨を裂いて二本の矢が、左右から飛来する。

 ヒエイが風の刃を飛ばして、矢を両方とも弾く。

 それを合図としたかのように正面から、上半身裸の大男が飛びかかってきた。


「こいつの相手は俺がするぜ。援護を頼む」


 そう言ってアトラスが大男の繰り出した拳を棒で受け止めた。


「ああ。まかせてくれ」


 ヒエイは一歩退いて左右に視線を走らせる。矢の飛んできた方向、広場の両側の倉庫の屋根の上に一人ずつ射手がいる。


 この広場に入るまでに感知した敵は八人。眼の前の大男とその背後に三人。屋根の上に二人。あと二人は集積された荷箱の影からこちらを伺っている。


 そう考えている間に、ヒエイの左斜め後ろの上方から矢が飛んでくる。ヒエイは振り向くこともせず身構えもしない。彼の頭部に届くかと思えた矢はしかし、空中でポキリと折れて地面に落ちた。


「風刀陣。僕の周囲は風の刃で護られている」


 アトラスにも同じ術をかけたいところだが、それはしてはいない。彼は接近戦を行うためかえって邪魔だからだ。彼を遠距離攻撃から護るのはヒエイの役目だ。


 ヒエイを打ち損じた直後、すぐに二発目の矢が同じ方向からアトラスを襲った。それと同時に右斜め上からも攻撃が飛んでくる。しかしそれらもヒエイの風の刃が難なく叩き落す。


(左側の屋根の敵は移動しながら攻撃しているな)

 ヒエイは意識を周囲に張り巡らせながら考える。

(そして右と左では攻撃してくる頻度が違う。矢の長さと太さも。頻度の多い左は細長く、頻度の少ない右は太く短い。おそらく左は弓で、右は弩なのだろう)


 いずれにせよ、二人ともかなりの手練れだと思われた。彼らの矢は、味方と近接して動き回っているアトラスだけを、正確に狙っている。


(だけど、それがどうした)


 ヒエイは左の倉庫の屋根を一瞥する。右が弩ならば次の攻撃まで少しだけ時間がかかる。一方左の屋根の上で矢をつがえた暗殺者は、弓を引き絞っているところだった。

 目の前では拳の連打をさばいたアトラスが、相手から間合いを取った。敵としては絶好のチャンスだ。


「そうはさせるか。切り裂け、風の刃よ」


 ヒエイが念じる。透明な風の刃は弓矢をはるかに凌ぐ速度で敵に襲いかかった。

 今まさに射出されようとしていた矢が折れ、張り詰めた弓弦が切れる。胸から鮮血を噴き出させた射手は、声もなく屋根から転がり落ちた。


 視線を前に戻すとアトラスの黒棒の突きが大男を圧倒していた。

 先ほど己が繰り出した連打に倍する数の突きを総身に受けた大男は、荷箱の山まで吹き飛ばされて動かなくなった。


     〇


 拳男に続いて襲いかかってきたのは、これまた筋肉隆々の大男。ただしちゃんと服を着ている。彼の手にする得物は大きな槌だ。どんな杭も一撃で地面にめり込ませてしまいそうなその重そうな槌を、男は軽々と振りかぶる。


 振り下ろされた槌の一撃をアトラスはまともに受けず、左側によけながら黒棒で軽くいなした。勢いのついた槌は地面に激突して水しぶきをあげる。それを再び振り上げようと力む男の横っ面を、アトラスの黒棒がしたたか打つ。


 一瞬頭が吹っ飛んだかと思うほどの勢いで、槌男の首が曲がった。槌の柄から手を離してたたらを踏む大男。その腹に黒棒の先端がめり込む。そう思った次の瞬間には槌男の身体はその場からかき消えて、はるか後方の荷箱の山を崩していた。


「これで三人目!」


 アトラスが景気よく叫ぶ。しかし喜んでいる暇はない。槌男が吹き飛んだ直後にはまた右の建物から矢が飛来する。


 それをすかさず風の刃で防いだヒエイは、間髪入れず二撃目を矢の飛んできた方向に放った。しかし手ごたえはない。風の刃は建物の壁に当たり、レンガと窓ガラスを砕いただけだ。屋根の上に敵の姿はない。どうやら建物の中に移動したようだ。


(壁を盾にして窓から撃ちこんでくるか。やりにくいな)


 そうこうしているうちに、次の敵がアトラスに襲いかかってきた。

 今度は二人がかり。剣の使い手と鉞の使い手だ。


 援護をせねばと身構えたヒエイは、しかし背後に殺気を感じて振り返る。

 いつの間に接近したのか、荷箱の陰にいたはずの人物がすぐ目の前にいた。灰色の外套を着た小柄な人物。かぶったフードの下で、紅い唇の端がつりあがった。


 女か。


 そう気づくと同時に、彼女の左腕がヒエイに向かってのばされる。その袖の中で、何かが小さく煌めいた。

 ヒエイは風刀陣で護られていることも忘れて飛びのく。その判断は正しかったようだ。避けた彼の肩先を鋭い刃がかすめていった。振り返ってみると地面に鋼鉄の矢尻が突き刺さっている。


 ヒエイの首筋を汗が伝う。

 これは袖箭だ。筒に仕込んだ矢尻を、バネの力で射出する武器。袖に隠し持つことができる暗器だ。

 実際に見るのは初めての武器ではあったが、ヒエイの心胆を寒からしめたのは袖箭の存在自体ではない。その攻撃が彼の風刀陣をすり抜けたからだ。


(この女。僕の風刀陣の隙を縫って攻撃を放ったんだ)


 舌打ちをしながらヒエイは風の刃を放って反撃する。

 しかしそれは女に当たらない。舞うように体を回転させながら上手く攻撃をかわし、そして再び左の袖をヒエイに向ける。


(連射式か。何発入っているんだ)


 避けるヒエイの頬と二の腕を矢尻がかする。この女、完全に風の刃の動きをよんでいる。

 なんとか敵の攻撃を避けたものの、足を躓かせてしまった。地面に倒れるヒエイ。そこをもう一発の矢が襲う。地面を転げて避ける彼の首の横に、危うく矢尻が突き刺さる。

 転げた勢いを利用して地面に片膝ついて起き上がり、反撃の姿勢を取る。次の矢尻は飛んでこない。弾切れか。


 好機だ。


 ヒエイは地面に刺さった矢尻の一つを引き抜いて、風刀陣を解く。立ち上がりざまにその矢尻を女の額に向かって投げつける。


「フン。悪あがきを」


 女は首だけ傾げて難なく矢をかわし、冷笑を浮かべた。そして右腕を伸ばし、その袖口をヒエイに向ける。


「右袖にも仕込んであるんだよ」

「そうだと、思ったよ」


 ヒエイは今度は退かなかった。地面を蹴って女に飛びかかっていく。放たれた矢が左肩に刺さる。しかしひるむことなく相手の懐に飛び込んだ。

 初めて動揺の色を見せた女の瞳を、ヒエイは冷徹に睨みあげる。


「僕が、遠距離攻撃専門と、誰が言った?」


 右手の五本の指を揃えて伸ばす。その指と手のひらが緑の光で覆われていく。

 まるで一振りの刀のようになった手刀を、ヒエイは相手の右わき腹から左肩へと斜めに斬り上げた。

 手刀の軌跡を追うように、緑の閃光が空間を裂く。その光が消えたとき、硬直した女の身体は音もなく地面に倒れた。


 ほっと息をつくヒエイ。しかし、安堵するには早かった。


「あぶない!」


 アトラスの怒鳴り声に振り返る。

 いつの間にか鉞男を倒し、剣の使い手と切り結んでいるアトラスをヒエイは一瞥する。その視界の隅にもう一人の男の姿が入った。


 それが荷箱の陰にいたもう一人だと、気づいたときには遅かった。


 男は飛び上がり右手で空気をはらったところだった。その手から放たれたらしいいくつのも刃が、ヒエイのすぐ目の前に迫っていた。


 投剣だ。近い。避けられない。


 とっさに魔法を放てず身体も動かせないヒエイの瞳に、四本の短剣が、やけにゆっくりとくっきりと映った。


     ○


 死の直前には走馬灯を見るというが、ヒエイには見えなかった。見えるのはただ、己の命を奪わんとする四本の刃のみ。走馬灯は見えないが感覚は研ぎ澄まされているようだ。その刃たちの速度は亀の歩みよりも遅く、すぐ目前に迫りながらなかなかヒエイに到達しない。ただし研ぎ澄まされているのは感覚だけで身体は動かない。


 アトラスは間に合わない。このままでは、やられる。


 やけに冷静に、来るべき死を予測した。その時だった。

 突然高い硬質な音が響いて、刃が全て弾かれ眼の前から消えた。

 それと同時に時間の速さが戻る。


 助かったのか。


 ヒエイは大きく息を吐く。久しぶりに呼吸をしたと思った。

 そんな彼の頭上に、大きな影がかかる。

 見上げると、上空にいたのは人だった。顔を地上に向けて今まさに宙返りをしている。ヒエイの顔のすぐ上をよぎっていくその人物の顔は、よく知っている人のそれだった。鋭い目つき。不機嫌そうなポーカーフェイス。


「アンジュ!」


 ヒエイは思わず彼女の名を叫ぶ。信じられなかった。まさか彼女が助けに来てくれるなんて。


 驚いたのは敵も一緒だったようだ。

 唖然と彼女を見上げていた短剣男は、我に返ると歯ぎしりをして懐に手を差し込む。


「この裏切り者め」


 しかし二度目の投剣は繰り出されることはなかった。アンジュが空中で操る九節鞭が、彼の右手と頭をしたたか打ち据えたからだ。


 剣を取り落とした男は立ったまま白目を向いて失神する。


 その背後に着地したアンジュは、剣を抜いて、ためらうことなく彼の胸を背中から突き刺した。


     〇


 アトラスが雄たけびを上げ、片手に持った黒棒を頭上で振り回した。勢いのついたその棒を、剣をかざし防御の構えをみせる相手に向けて振り下ろす。

 その一撃を受けた相手の剣が砕け散り、雨空に無数の鈍い光を散らす。吹き飛んだ敵の身体は倉庫の壁に激突し、二度と動くことはなかった。


「これで、七人……」


 肩で息をしながらつぶやくヒエイの隣に、アンジュが何事もなかったかのような顔をして立った。


「いいえ。八人よ」

 こともなげに言って、頬についた血を袖でぬぐう。

「倉庫の中の奴は、さっき始末したから」


 ヒエイは思わず彼女の顔をみた。相変わらずのポーカーフェイス。あんな戦闘があったというのに、全く息もきらせていない。そこから彼女の感情を読み取ることは難しい。だけど、ヒエイにはわかった。彼女の今見せた行動が、ヒエイの命を救ってくれたという事実が、それを雄弁に語っていた。


「ありがとう」


 ヒエイの発したその言葉には、それ以上の意味が込められていた。命を救ってくれたことへのお礼。そのために駆け付けてくれたことに対する喜び。和解したいという願い……。それらの感情を込めて、もう一度、彼はしみじみと言う。


「ありがとう。きてくれて……ほんとうに。うれしいよ」

「借りを、返しただけだよ」


 ぶっきらぼうに答えたアンジュは、ヒエイのまっすぐな視線から逃れるように顔をそらした。

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