コランダム 第5話
サファイアが報告を受けている間、ルビスとルーシィは雑談をしていた。
「ねえ、ルーシィ、あの人……第1騎士団の副隊長よね?」
「そうよ。騎士の中ではトップクラスの腕前なのよ」
第一騎士団副隊長、ベルゼ=クライン。
水の国アクアリウム出身であり、150年前、魔の森から向かってくる魔獣を討伐した。
当時その森の魔獣には、コランダムの騎士団でも手を焼かされていた。
その功績がサファイアに認められ、コランダム騎士団の一員となる。
元々の実力があった上、人当たりも良かったことから出世し、副隊長にまで上り詰めたのだ。
「へぇ~……でも、水の人だよね。他の国の人がなれるもんなの?」
「あんた、何にも知らないのね」
ルーシィはやれやれといった感じで腰に手を当てる。
「この国はね、生まれた国は関係ないの。実力があれば、上に上がれるのよ」
もっとも、王だけはコランダム家の世襲制であるのだが。
「ふうん……」
「ふうんって、あんた、次の女王様だっていう自覚持ってる?」
「私、そういうの疎いから」
「あのね……」
「まあまあ、ルーシィ、その位にしておきなさい」
「あ、すみません、サファイア様っ」
いつの間にか、副隊長は退席していたようだ。
「そうね、確かに、ルビスは世の中のことをあまり知らないでしょうね」
リヴァノールに入学するためには、他の学校で、成績上位になる必要がある。
さらにそこから試験が行われ、一握りの者しかその門をくぐる事は出来ない。
その為、一般教養は、知っていて当然と考えられ、授業で取り上げることは多くない。
ただし、ルビスに限っては、違っていた。
母親の血を引き、魔力に恵まれていた為、そのステップを踏んでいないのだ。
「本来なら、普通の学校に入れてからなのでしょうけど」
王族が普通の学校に入るのには、色々と問題がある。
世間の目、周囲の反対などの理由から、親の意思だけではなかなか出来ないもののようだ。
「私自身、少し焦り過ぎました。もう少し、学ばせてからでも良かったかもしれません」
「ごめんなさい、お母様……」
サファイアは首を振った。
「ううん、私の育て方が悪かったから。ルビスが悪い訳じゃないわ」
サファイアはそこで少し考えていたが、何かを思いついたようにポンッ、と手を打った。
「そうだ、ルーシィ、しばらく付きっ切りでルビスの教育をお願いしていいかしら」
「え、でも、騎士団の方は……」
「しばらく貴女達の出る幕はなくなると思うの」
魔族が絡んでいるとなれば、危険も多くなる。
新米の二人には過酷だろう。サファイアはそう判断した。
「だから、これからしばらくは時間が作れると思うから」
「判りました、徹底的に教え込みます」
「宜しくね、ルーシィ。じゃ、私は用事があるから行くわね」
「あ、はい。泊めて頂いてありがとうございました」
サファイアが部屋を出て行く。
ルーシィはルビスの方に向き直って、不敵な笑みを浮かべた。
「じゃ、手始めに、書物庫の歴史書、全巻ね」
「えぇ~……手加減してよぉ、ルーシィ……しくしく」
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魔族遺跡襲撃事件から数ヶ月。
未だに事件全貌の究明は出来ないでいた。
しかも、逃げた魔の正体も目的も特定できていない。
「……弱りましたね」
しかも、今回魔が逃げた場所は、精霊達にとって、未知の国だった。
その事が、捜査を難しくしていた。
しかし、放って置けば、その世界の住民にかなりの犠牲が出ることだろう。
「仕方ありませんね」
サファイアは何かを決意し、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
書物庫では、今日も勉強会が開かれていた。
そこにサファイアが入ってくる。
「頑張っているようですね、ルビス」
「はい、お母様」
サファイアは隣に居たルーシィも労う。
「ルーシィもご苦労様」
「いえ、これもルビスのためですから」
机の上には、この世界の地図、文化、民族などの書物が所狭しと積んである。
「それにしても、物覚え早いわよね、あんた」
「そうですね、私自慢の娘ですから」
「お母様、親バカみたいですよ……あ、痛っ!」
サファイアの平手が飛んできた。
「今日は、二人に、お願いがあって来たの」
「お願い、ですか」
「何ですか、お母様?」
サファイアは、普段とは違う、少し真面目な顔になった。
「二人に、異世界に行って欲しいの」
「異世界に?!」
二人は一瞬、自分の耳を疑った。
「冗談……では無いんですよね、お母様」
「ええ、事は一刻を争うの。あまりのんびりとはしていられないんです」
「何が起きているのですか……?」
「そうですね、どこから話しましょうか」
サファイアは、二人に驚愕の事実を告げた。
「……近い内に、魔王が復活します」
「魔王?!」
「魔王って、あの悪名高き、‘魔王ゼクス’ですか?!」
「そうです。もしかしたら、もう既に復活してしまっているのかもしれません」
「そんな……っ」
およそ900年前、この世界全体を恐怖と混沌の渦に陥れた諸悪の根源。
世界を震撼させた、魔王ゼクスは、一人の人間によって闇の奥深くに封印される。
この世界の住民は、その人間を‘勇者’と呼んでいた。
「で、でも、今は勇者によって封印されているって学園でも習いましたよ」
「それに、その時お母様も一緒に居たんですよね?」
サファイアは当時、その勇者と行動を共にしていたのだ。
「ええ。でも、時空の扉が襲撃された以上、その可能性は否定できないのです」
「どうしてですか?」
「あの結界は、そんな簡単に破られるものではありません」
サファイアの話に2人は息を飲んだ。
「私ですら、1人では壊せないのですから」
「お母様の魔力でもですか?!」
「そう。もちろん、解除の方法は知っています。でも、無理矢理破壊することは私には出来ません」
「そんなに強力な結界なのに、どうして?」
ルビスとルーシィの表情がどんどん暗くなっていく。
「今回、こういった話をするのは、第三騎士団の一員である貴女達だからこそなんです」
「でも、私なんかに出来るでしょうか……」
ルーシィは、そのような強大な力に対抗できる自信は無かった。
そんな2人の様子に、サファイアは少しだけ表情を緩ませた。
「大丈夫です。貴女は彼らに対抗できるだけの力は既に持ち合わせていますよ」
「サファイア様……」
「マイカ=テヴェアとは知り合いですよね、ルーシィ」
突然サファイアに尋ねられ、少し困惑するルーシィ。
「はい、そうですけど……それが何か?」
「彼女は今、第三騎士団の特殊部隊として、これから貴女達が向かう街で生活しているの」
「え、そうだったんですか?!」
ルーシィは全くの初耳だった。
「確か、暫く戻ってこられない、とは聞いていましたが……異世界に行っていたなんて」
特殊部隊は、極秘に行動することが多い。
そのため、自らの行動は親しい友人や家族にも話すことはあまり無い。
「ルーシィ、誰?」
「私の幼馴染よ。引っ越す前からだから、もう何十年ものお付き合いね」
ルーシィは、昔を懐かしむように、目を細める。
「そっか。マイカが行ってるんじゃ、心強いわ」
2人は、そこで暫く一緒に生活しながら、情報を集めて下さい。
「判りました、何とか頑張ってみます」
ルビスの言葉に、満足そうに微笑むサファイア。
「最初は判らない事も多いと思うけど、普通に生活していれば、大丈夫ですよ」
そう言って、サファイアは、そのマイカと言う人物が住んでいる場所の地図を二人に渡した。
「でも、いきなり行って大丈夫なんですか?」
「そうですよ、極秘任務じゃ、私達が行っても会ってくれないかも知れないじゃないですか」
二人の意見はもっともだった。
するとサファイアはルーシィに紋章のようなものを渡した。
「これを見せれば大丈夫です。但し、見せるのはマイカだけにして下さい」
「判りました」
「それから、ルビスはこれを」
ルビスは、首になにやら宝石のようなものを掛けられる。
「お母様、これは……コランダム家の……」
「そう、これは我が王家一族が代々継承してきた宝珠です」
「でも、私にはまだ……」
突然のことで、ルビスは困惑している。
「大丈夫、貴女にはこれを持つ権利があります。私の自慢の娘なのですから」
「お母様……ありがとうございます」
「ルーシィ、ルビスをお願いしますね」
もう何度聞いただろうか。
ルーシィは今までで一番、サファイアの言葉を重く受け止めていた。
「はい! 必ずや、命に代えても、ルビスを……いえ、ルビス様をお守り致します」
「頼みましたよ、ルーシィ」
敬礼するルーシィ。その横でルビスは、少し涙ぐんでいた。
「行ってらっしゃい。気をつけるんですよ」
「はい、行って参ります」
サファイアの魔法陣が輝き始める。
蒼く透き通った光の中に、二人の身体が溶け込んでいく。
こうして、2人は未知なる世界へと旅立って行った。
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謁見室に戻ったサファイア。
だが、一抹の不安は残る。本当にあの二人に任せて良かったのだろうか?
「どうかされましたか、陛下」
そんな様子を心配してか、スヴェンが声をかけた。
サファイアは、スヴェンにでさえ、話をしていない。
それだけ今回の任務は重要なのだ。
「ううん、ちょっと昔を思い出していたのです」
そう言って誤魔化す。
「勇者と共に、“蒼い彗星”として活躍されているお姿、一度拝見したかったですよ」
サファイアは少し苦笑いを浮かべた。
「もう、私はあの頃の様な事は出来ません。それにそろそろ後継の事を考えておかないと」
その一言に、スヴェンは驚いた。
「何を仰っているのです……この国には、まだまだ貴女様が必要なんです」
「いいえ。私の力は、時と共に薄れつつある……これは本当なの。だから――」
サファイアは出掛かった言葉を呑んだ。
(だから、時空の扉の結界が緩んだ)
「だからこそ、あの子達にもっと力を付けて貰わないと」
(あの忌々しいモノが、完全に復活してしまう前に……)
続く