第2部第9話
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日が傾きかけている。今日も平穏な一日だった。
「さて、と。お布団入れなくっちゃ」
そう呟くと窓を開ける。夕方の涼しい風が部屋に入ってくる。
ベランダに干している布団を取り込む。
日の光を浴びた布団は、ふんわりと柔らかく、暖かい。
「うん、今日も良く眠れそう」
そこに上から声がかかる。
「久しぶりじゃない、ノエル」
「ひゃぁ?!」
ノエルは思わず素っ頓狂な声をあげる。
「び、びっくりした……セラじゃないですか」
セラと呼ばれた女性は5㎝程しかないベランダの手擦りに立っていた。
燃える様な紅いショートヘアーに、真紅のマントを羽織っている。
彼女は「紅蓮のセラ」と呼ばれ、恐れられるほど強力な炎を操る魔族である。
ノエルは、魔王ゼクスに拾われた時以来、ゼクスの部下であった彼女と友達になっていた。
「ビックリしたのはこっちよ。相変わらず隙だらけなんだから」
セラは呆れと驚きの表情をみせる。
「それで、何の用ですか? あなた確か魔剣の捜索に行っていた筈じゃないですか」
「終わったわ。それで遠征から帰ってみたら、こっちに来てるって聞いたから」
「それで、どうだったの? 作戦は?」
「全然手応えが無くてつまらなかったわ。部隊はほぼ全滅ね」
「そう……」
「まだ隠れてるのもいるだろうけど、そこまで荒捜ししようとは思わないし」
これでまた、部族が一つ消えたのだろう。
ノエルは、そう考えて、少し感傷に浸っていた。
「それにしても、ここは自然が少ないわね。こんな所に長くいたら、消耗しちゃうわ」
気の持ち様だと思うけど、とノエルは思った。
「それに、あんた、何よその格好は」
すっかり人間に溶け込んでいる彼女を見て、呆れた。
「何って……これは、ゼクス様が、こっちに行けっておっしゃったから」
「ふうん、そう。ほんとにあんたはお気楽でいいわねぇ」
セラは、ふっ、と笑みを浮かべる。
「何ですか、それ」
「まぁ、精々がんばることね。私はあなた達のような失敗はしないわ」
「……どうするつもり?」
「まあ、みてなさい。私に考えがあるのよ」
嫌な予感がする。ノエルは直感的にそう思った。
「それから」
顔をズイっと寄せる。
「そうやっていつまでも呑気に過ごしてるといいわ」
そう言うと窓の外に消えていった。
「セラ、まさか、あれを始めるつもりなの?」
数時間後、ノエルはとある店の前に来た。
噂に聞いた話では、ここで王女は働いているという。
(何で私ここに来ちゃったんだろう)
「やっぱり、私、魔族失格ですね……来る必要なんか無いのに」
そう呟くと入り口に向かって歩き出した。
自動ドアが開く。そこに目的の人物がいた。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
そこに居たのは、赤茶色の髪をした一人の女性。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「ええ、あなたを探していたんですよ。ルビス王女様」
「なっ?!」
殺気を感じ、ルビスは反射的に飛びすさる。
次の瞬間、ルビスの後ろの棚に、ノエルの拳が突き刺さった。商品が散らばる。
「さすがですね。まさか避けられるとは思ってませんでしたよ」
「な、何者ですかっ?!」
「私の名はノエル。直接会うのは初めて、ですわね。ルビス様」
その人物の名前を、ルビスは知っていた。
「ノエル――疾風のノエルですかっ?!」
魔王の側近であり、5将軍の中でも高い力を持っている。
今まで相対した二人よりもさらに手ごわい相手である。
その魔族に居場所を知られてしまった。しかも、今日は一人である。
ルビスは全身が強張っていくのを感じていた。
「魔族が、こんな所に何の用?」
「貴女様の命に用がある――といったらどうしますか?」
「ッ!」
赤い瞳がじろりと睨む。
「冗談ですよ。買い物に決まっているじゃないですか」
両手をパタパタと振る。
「こっちに来てるの?」
「ええ。アパート借りてます」
本当は住んでいた人間を殺した、なんて言える筈が無かった。
「そう……なら油断出来なくなりましたね」
「暗くなったら出歩かない方がいいですよ?」
「――そうね、肝に銘じておきます」
「それで、今日は何の用なの? まさか本当に買い物に来ただけじゃないですよね?」
見透かされてる。ノエルはそう思った。
そして、少し間を置いてから答える。
「あの人間の少女達に危険が迫っています。注意して下さいね」
ルビスは驚いた。
「会ったことあるんですか?」
「ええ、一度だけ。挨拶だけでしたが」
殺そうとして、返り討ちにあった、とはノエルには言えなかった。
「でも、何でそれを私に? あなたの立場が危うくなるのではないですか?」
「私、本当はこういう事は嫌いですから」
ルビスの顔から思わず笑みがこぼれた。
「あなたってほんと可笑しい人ですね」
「そうですか?」
「ふふ。私、あなたとはやりあいたくないわ」
「次会う時も、こうだといいですね。それでは」
そう言葉を交わして二人は背を向ける。
次会う時――それが私の最期かもしれない。ノエルはそう感じていた。
その時、ルビスが思い出したようにポツリと。
「で、ノエル」
「はい?」
振り返る。
「もちろん、弁償はしてくれるんでしょうね?」
「あ、やっぱり駄目?」
笑いが込み上げる。もうさっきまでの険悪な雰囲気は無かった。
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うちに帰るとルビスがもういた。
「ただいま、ルビス」
「お帰りなさい。ナオミ。疲れたでしょう」
「まあね。そういえば、お姉ちゃんは出てったの?」
「ええ。明日からまたしばらく来れないそうです」
「そっか。ま、寮生活だからね」
「ヨーコもうちから通えばいいと思うんですけどね。誰か友達でも出来たんでしょうか?」
「そうだといいよね」
「そういえば今日、店で“疾風のノエル”に会いました」
ノエルって、あの風の魔族?!
「え、嘘! それで、大丈夫だったのっ?」
「はい、彼女買い物に来ただけでしたから」
買い物にって、そんな呑気な。
その後、詳しい話を色々聞いた。
「そっか。そんな事言ってたんだ」
「多分あれが彼女の本音なんだと思います。魔王に何かの恩があるのでしょう」
「本音、ねぇ」
あの夜のことが思い出される。漆黒の衣装……風……鋭い眼つき……
あの魔族が見せるもう一つの表情。そんな事想像もできなかった。
「そうでなければ自ら嫌なことを進んでするはずがありません」
もしかして私が思ってる以上に、彼らも大変なのかも。
「それから、彼女からのメッセージです。『あなた達に危険が迫っている』だそうです」
「危険? 何なの?」
「それは、教えてくれませんでした」
「それじゃ、対処のしようが無いじゃない」
「そうなんですよね~」
はぁ~、とため息をつく。
「また、新たな魔族が来るのかな」
「その可能性は高いですね。でも、それだけでわざわざ私に言いに来るでしょうか?」
「そっか、それだったら別に言わなくてもいいもんね」
「でも、魔族である彼女が警告を発する程なんです。注意するに越した事はありません」
「そうだね。気をつけなくっちゃ」
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「フフ。見つけたわ。ここね……」
深夜。ある学生寮の前に佇む人影がいた。セラである。
「まだあまり魔力は高くないわね。だけど、雑草は早めにむしっておく必要があるわね」
そう言ってニヤリと笑う。
「これで……ゼクス様に認めて頂ける」
そう呟くとある部屋のベランダにそっと降り立つ。
その部屋は……そう、彼女の部屋である。
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「こんにちは。樋口陽子です。
みんながんばってるんだもんね。私ももっと強くならなくっちゃ」
「ふふ。そうはいかないわよ」
「誰? 邪魔しないでよ」
「炎舞!!」
あっという間に炎の渦が陽子を覆った。
「きゃぁぁぁ!」
一瞬にして部屋全体が炎に包まれる。
「ちょっと、何するのよ! みんな燃えちゃうじゃない!」
「大丈夫よ。燃えるのはあなただけだもの。」
そう言うとセラは指をパチッと鳴らす。
炎が集まり、一斉に陽子に襲い掛かった。
「な、何これ? 火が!!」
「ふふふ。特製フレイムロープの餌食となるがいいわ」
炎が紐状になり、陽子の体を縛り上げた。
「あ、熱ぅ?!」
「フィアやツヴァイを退けたって聞いていたけど、大した事無いわね」
「く、力が……抜けるっ」
「あとがきに見せかけて襲うっていうのもなかなか良いわね。滅多に使えないけど」
「も、もしかしてっ……まだ終わって、無かったのっ?」
「うふふふ。誰も「続く」とは言ってないでしょ」
「あ、あなた何者?」
「そうね。自己紹介が遅れたわ。私はセラ。魔族よ」
「く、卑怯よっ! 早く解きなさいよ!」
もがいて、動けない陽子の前に顔を近付けて囁く。
「私はね。勝つためなら手段は選ばないの。分かる?」
「ぐっ……」
「さ、一緒に来てもらうわよ。あなたには少し役に立ってもらうわ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
(助けて! ルビス! 直美!!)
続く