第7部第9話
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数刻後。
私はアゼリアさんの部屋の前まで辿り着いていた。
壊された窓。複数の魔獣の気配。
周りを注意しつつも、扉をこじ開け、部屋に突入した。
そこでは、数匹の魔獣がアゼリアさんを取り囲み、まさに飛び掛らんとしているところだった。
壁際に追い詰められ、恐怖で顔を歪ませている。
「こ、こないで! 嫌ぁぁ!!」
一匹がアゼリアさんに飛び掛る。
「アゼリアさん!!」
私はとっさに、魔獣の背中に剣を突きたてた。
驚いた獣は、今度は私に向かって飛び込んできた。
「っ?!」
左腕に激痛が走った。見ると、魔獣の爪が2本食い込んでいた。
少し経って、血が溢れて、綺麗なカーペットをボタボタ汚していく。
痛みに耐え、アゼリアさんを背後に庇いながら、何とか剣を魔獣に突き立てる。
断末魔の悲鳴を上げ、魔獣は灰になって崩れ落ちた。
「アゼリアさん、お怪我はありませんか?!」
「え、ええ……」
背を向けながらなので、表情は見えないけど、とりあえず、無事だったようなので一安心。
でも、まだ油断できない。
今の一匹が倒されたことで、周りの魔獣たちが殺気立っている。
「大丈夫です。ここは任せてください!」
私は、剣を構える。
部屋の中だから、魔法を使うわけにはいかない。
この剣と、自分の腕にかけるしかない。
それから数刻。
腕に、足に、お腹に。何度も一撃を受け、その度に痛みが全身を駆け巡る。
「これで終わりっ!」
私の剣が、獣の喉を突く。最後の一匹の姿が四散し、消滅した。
ふう、と一息つく。
気が付くと、辺りが静かになっていて、周りでも終わったことが判った。
窓から、外をのぞく。
周りで武器らしいものを持っているのは、皆男性ばかり。
女性では、多分、私しかいないだろう。
そして、足元には、魔獣に引き裂かれた男性の遺体があった。
私はその場にひざまずき、十字を切って祈った。
(どうか安らかに眠ってください)
「終わったみたいですよ、アゼリアさん」
部屋に戻り、声をかける。けど、返事がない。
アゼリアさんは、まだ部屋の隅で、硬く瞳を閉じたまま、身体を丸めたまま震えていた。
「アゼリアさん、終わりましたよ?」
はっと我に返った彼女は、私の姿を見て、表情をこわばらせる。
「あ、あなた、怪我を! なんて量の血?!」
そういえば、全身引き裂かれて血みどろだったんだっけ。
夢中で戦ってたから忘れてたけど。
「この位なら大丈夫です。それより、アゼリアさんこそ」
「え?」
彼女の太ももには、さっくりと裂け目ができていて、血があふれ出していた。
自分の足を見た瞬間、床にへたれ込んでしまうアゼリアさん。
安堵と緊張が解けたせいか、痛みを感じ始めたらしい。
力が入らないらしく、立ち上がれなさそうだった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よっ、貴女に比べたらっ!」
弱みを見せたくないのだろう。気丈にふるまっているけど、全身が震えている。
「ちょっと我慢して下さい。直ぐ良くなりますから」
魔力を指先に集中させ、その指でアゼリアさんの傷口をそっとなぞる。
指が触れたところから、出血が止まり、傷が癒えていく。
「え?」
リヴァノールで覚えた唯一の魔法キュアライト。何故か炎じゃなくて、光の魔法。
つまり、これって父さんの炎の血より、母さんの光の血の方が濃いってことだよね。
炎の精霊としてはちょっと複雑だけど、いろいろな種類の魔法を覚えられるのは混血の特権。
うん、そういういうことにしておこう。
アゼリアさんは自分の傷と、私の顔を見比べ、あっけにとられたような表情をしていた。
「見ての通り、治癒魔法です。もっとも、私のちっぽけな力じゃ、血を止める程度ですけれど」
「アゼリア! アイリ! 無事?!」
「あ、シルフィさん」
「あ、アイリ?! ッ……」
私の姿を見た途端、額を手で押さえて、床にうずくまる。
全身血で染まっている私の姿。一瞬血の気が引いたのかも。
「だ、大丈夫なの!? そんな怪我で! と、とにかく治療を!」
「大丈夫ですよ、この位。こんなの、しょっちゅうですから」
「しょっちゅうって、貴女、一体どういう生活してるのよ?!」
「平気です。自分の怪我くらい、自分で面倒見れますから。私、部屋に戻ります」
こんな状況、何も知らない人に見られたら、どんな騒ぎになるかわかったものじゃない。
「あ、それから、この事はできれば他言無用にしてもらえると助かります。それでは」
部屋を出る前、二人に少し釘を刺しておいた。多分、黙っててくれるだろう。
自室に戻って、早速、治癒の為の魔法陣を張って、その中心に座り込む。
だけど、さすがにまともに魔獣の一撃を受けた深い傷じゃ、そう簡単には治らない。
ゆっくりと傷を治していたら、結局朝まで掛かってしまった。
……あれ? もうお昼回ってる?!
気付いて時計を確認。ガバリと布団を跳ね除ける。
しまったなぁ。今日は昼食会の予定だっけ。完全に遅刻だよ。
今から行っても逆に白い目で見られるだけだし。欠席しちゃおう。
まだ体力も完全に回復していないし、だるいし眠い。
もう一眠りしちゃおう。そう思ったその時だった。
ドアのノック。そして。
「アイリ、居るかい?」
(く、クロード様?!)
思わず声を出しそうになって慌てて自分の口を押さえる。
これは予想外。ど、ど、どうしよ……とりあえず……寝たふり。どうせ眠いし。
布団をボフッとかぶる。
「寝てるのかい?」
部屋の扉が開く。ゆっくりと私が潜っているベッドに近付いてくる。
どうしよう……気付かれちゃうかな。
「仕方ないか、昨日の今日だしね。疲れているのか」
ベッドマットの足の方が少し沈んだ。クロード様が座ったんだろう。
「昨日は手伝いにいけなくて済まなかった。アゼリアを助けてくれてありがとう」
鼓動が速くなる。脈も速くなる。胸が苦しい。
「確かに伝えたよ、アイリ。それじゃ、おやすみ。ゆっくり休んで」
(え?)
もしかして、起きてたの、ばれてた?
そっと布団の隙間からのぞく。
もうそこには声の主はなく。
「クロード様……すみません」
こんな態度をとってしまう自分が、ちょっと卑怯だと思った。
昼食会が終わった頃を見計らって、部屋を出る。
まだちゃんとクロード様に挨拶してないし。アゼリアさんの様子も気になる。
すると、正面からアゼリアさんが歩いてきた。
珍しいことに、一人らしい。
「こんにちは。珍しいですね、お一人なんて」
「あら、私だって一人になることだってあるわよ」
「あー、そーいえばそーですよねー。何言っちゃってるんだろ、私……たはは」
「あなたは少し言葉ががさつになるときがあるわ。気をつけなさい」
少し機嫌を損ねたらしい。
「まったく、少しはクリスティア家の者である自覚を持ちなさい。先が思いやられるわ」
え?
「ああ、そういえばお礼がまだだったわね」
そう言うと、アゼリアさんは私の目を正面から真剣な瞳でじっと見つめた。
「昨日は助かりました。ありがとうございました」
深々と頭を下げるアゼリアさん。
「クロード様が貴女をお気に召されている理由、判りました」
いきなりの事だったので、私は少し面食らった。
「貴女のことを馬鹿にした態度をとってしまってごめんなさい」
「アゼリアさん――」
と。向こうから人の話し声が聞こえてきた。
「っ!」
アゼリアさんは、急に視線をそらし、その声から逃げるように物陰に隠れてしまった。
まあ、流石に、こんな所他の人に見られたくはないか。
やって来たのは、いつもアゼリアさんの周りを囲んでいる人たちだった。
不自然にならないように、気を付けてっと。
「こんにちは」
「あら、貴女、昼食会参加しなかったでしょう」
「そうですわ。クロード様が貴女のことお探しでしたよ」
そうだよね、さっき私の部屋に来てもらったもん。わざわざ。
「すみません、私、朝は弱いんです」
そういってはぐらかしておいた。
「朝って……もうとうにお昼は回っていますわよ」
「全く、クロード様に迷惑をかけるなんて」
「婚約者にあるまじき行為ですわ」
これは、指摘されるまでもなく、私もそう感じている。
「そうですね、気をつけます。すみません」
だから、素直に謝った。
「アゼリア様も参加されなかったし……」
「貴女は……今まで寝ていらしたんだから、ご存知ではありませんよね……」
ふう、と溜息をつく女の人。
「アゼリアさんなら、さっきあっちに歩いていきましたよ」
逆の方を指差す私。
それを聞いた女性達は、その方向に向かって歩き出した。
「アゼリア様、どちらにいらっしゃるのかしら」
ワラワラと去っていく。
なんか、アゼリアさんも大変だなぁ……
辺りが静かになった頃、ほっとした表情でアゼリアさんが現われる。
「どうして、嘘を教えたの?」
「多分、アゼリアさんは今一人で居たいだろうと思っただけですよ」
「貴女……どうして?」
何で私の心が読めるんだ、というような表情。
「私だったら、あんな大勢の人たちに毎日囲まれていたらうっとおしい、と思ったので」
アゼリアさん、ホントは、静かな自分の時間が欲しいんじゃないだろうか。
「私、余計なことしちゃいましたか?」
首を横に振るアゼリアさん。
「そうじゃなくて。私、貴女にしょっちゅう辛く当たっていたでしょう?」
「そんなの関係ないですよ。私、アゼリアさんみたいに素敵な人に憧れていますし」
自然に笑っていた。
「……ありがとう。アイリさん」
あれ? 今、名前……?
「何よ、突然呆けたりして」
「アゼリアさんが、私の名前、呼んでくれたの、初めてですよね?」
「そうかしら? 記憶に無いのだけれど」
「これで、私とアゼリアさんお友達ですね! ぁ、痛ッ?!」
平手打ちが飛んで来た。
「全く、調子に乗らないで頂戴。貴女と私では身分が違うのよ」
一瞬にしていつものアゼリアさんに逆戻り。ま、こっちの方がこの人らしいかも?
「でも、たまにはこういうのもいいかもしれないわね」
「そう言って、アゼリアさんは、微笑んだ」
アゼリアさんが始めて私に見せる表情――二人の距離が一気に縮まった、そう思えた瞬間だった。
「そうそう、一つ聞きたいことがあるの」
「なんですか?」
「貴女、本当に血が薄まっているの?」
どういうこと?
「今さらですけど、私の母は、光属性の一般市民ですよ?」
「それならますます判らないわ」
私の身体を上から下まで舐めるように見渡す。
「昨日の夜は、あんな状態だったのに、傷一つ無いじゃない。ここまで綺麗に治るだなんて」
私の手を取ってまじまじと見つめる。
背中を悪寒が走り抜けた。
「貴女、どうして今まで隠していたの? シルフィに聞いたわよ」
「何がですか?」
「リヴァノールよ。まさか、貴女が入学していたなんて」
これは……さすがにトボけられないか。
「すみません……本家の方にはどうしても言い辛くて」
「あら、そんなに卑屈になることはないじゃないの」
コランダムの軍養成機関でもあるリヴァノールに居るということはつまり一族を裏切るみたいなもの。
それに、女の私が剣を振るっているなんて本家の方たちは変だと思うかもしれない。
クリスティアでは、女性が戦いに参加するということはめったにない。
男女の役割は分けて考えられていることが多いからだ。
だから、コランダムみたいに女性が前線に出るのを毛嫌いする人も中にはいる。
「アゼリアさんは、私の事を野蛮だと思わないのですか?」
「貴女はこれからこのクリスティアをまとめるのだから、力が使えるのを責める方は居ないわよ」
私を助けてくれたしね、とアゼリアさんは付け加える。
「魔法を使うってどんな感触なのかしら?」
「え?」
そして、彼女の口から思いがけない一言が。
「アイリさん、リヴァノールへの入学手続き、お願いできないかしら?」
まぢですか。
続く