第7部第8話
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少女が目を開けると、瞳には見たことはない部屋が映った。
こじんまりとしていて、あまり広くない、どこかの屋敷の一室だろう、少女はそう思った。
そして、自分の身体の下には、ふかふかのベッド。
部屋を一通り見渡し、身体を動かそうとした途端。
「あら、気が付いたのね」
声が掛かり思わず振り向く。
「お前は?!」
反射的にベッドから飛び起きようとするが、そのまま、床へと転げ落ちる。
「くっ、ぅ」
冷や汗を垂らしながら、何とか身体を起こそうとするも、力が入らない。
「無理よ。丸十日以上眠っていたんだもの。動ける筈はないわ」
冷ややかな目で見下す魔王がそこに立っていた。
「気分はどうかしら?」
「最悪。何故、私を生かした?」
「そうね、その力に興味があったから、という答えでは駄目?」
「この力はお前達魔族には利用させない!」
「この状況で、まだそんなことが言えるのね。でも、あの状況で、私に一撃入れたのは褒めてあげる」
そう言って、ノエルは初めて微笑んで見せた。
その笑みに、少女は少し違和感を感じていた。
「そういえば、貴女の名は?」
ノエルが少女に尋ねる。
「まだ聞いていなかったわ」
少女は少し考え、そして、答える。
「セレス=シュトラ。光の精霊」
「何故、魔域に? 私の命を狙った理由は?」
「私の街は、お前たち魔族に滅ぼされた。その時に、父と母と、大切な友人を失った」
ノエルの表情が変わる。
「お前達魔族を滅ぼすには、魔王を叩けばいいと思って、ここを目指した」
「なるほど。でも、それでは、私達の力は削げないわね」
「何故だ? 魔王であるお前を殺せは、魔族たちは戦意がそがれるのではないのか?」
ノエルは首を振る。
そして、魔王ゼクスが死んで以来、魔域は多くの派閥に分かれてしまっていることを説明した。
「私が死ねば、次の魔王の籍を虎視眈々と狙っている者ばかり。事態の好転は望めない」
そこでノエルは少し間を置く。
「それに、私は元々、戦いは好まない。私の指示で街を滅ぼすことはないわ」
「では何故、サファイア様をっ?!」
セレスの口調が変わる。今にも掴みかかるような勢いだ。
「サファイア様は、私に直接頼んできたのよ、殺してくれ、と」
「そんなの嘘! そんなことは聞きたくない!」
両手で耳を押さえるセレス。
「結局、そこが一番理解されない所なのよね。判って貰えるなんて思っていないわ」
セレスに背を向ける。
「待て、何処へ行く?」
「貴女の相手を呼ぶだけよ。2人とも、出てきなさい」
『はい』
返事がしたと同時に、ノエルの足元の影がうごめく。
「うわっ?!」
ずるり、と影から人の形をしたものが現われた。
「お呼びでしょうか、ノエル様?」
「この子の相手をお願いするわ。お客様だから丁重にね」
「畏まりました」
そして、ノエルは闇に消えた。
「さてと。とりあえず、この子ベッドに移動させましょうか」
「はい」
二人がかりで、セレスの身体を持ち上げる。
が、セレスが両手で振りほどこうとする。
「っ、さわるなっ!」
「わ、ちょっと、暴れないでっ」
「貴女、動けないんでしょ? 折角手伝ってあげるんだから、おとなしくしなさいっ」
両手を振って抵抗するセレスを、なんとかベッドの上に持ち上げる。
そのまま両手両足をベッドに固定した。
「動かれると厄介だから、我慢してくださいね」
「くっ……自由になったら、こんな奴らなんかに……」
そのまま、服を脱がせ、血染めになっている包帯もはがしていく。
「傷は……だいぶ塞がったみたいね」
セレスの胸部にあった傷口は、かさぶたになっているが、出血は無い。
「意図的に、急所を外した様ね、でなければ、この怪我で生きていることが不思議なくらい」
「そのくらい、判っている……」
「さて、ちょっと我慢してくださいね」
そう言って、不敵な笑みを浮かべる。
「あ、いッ!! ぎゃあぁぁぁぉっ?!」
突如、セレスが悲鳴を上げる。縛った紐が張り、ベッドが軋む。
「ちょっとマナ、あまり乱暴しちゃダメでしょ?」
「大丈夫です、ただの消毒薬ですよ。ただ、特別に、一番しみるヤツ、用意しておきましたけど」
「……貴女、鬼でしょ……」
「お前達は魔族なのか? さっきから魔のオーラがあまり感じられない」
ようやく落ち着き、手足が開放されたあと、セレスは先ほどから気になっていた疑問を二人にぶつけた。
二人をよく見ると、見た目的にはセレス自身と変わらない女性の姿をしていることに気が付いたからだ。
「なるほど。精霊って、そういうものまで判るんですね」
先に背が低いほう女が口を開く。見た目には少し幼く、少女といった風貌だ。
「私達は元々人間です」
「え、人間?!」
セレスは驚いた。何故人間がこのような魔域奥深くに居るのか。
「私はマナといいます。で、こちらが……」
「ユキよ。力そのものは魔のものだから、純粋に人間とはいえないのだけど」
長身で、少し大人びた風貌の女も紹介されて口を開く。
「お前達は何故、こんな所にいるんだ? あの魔王に連れて来られたのか?」
セレスは、一瞬、彼女たちは、自分と同じ境遇なのではと思った。
しかし、返って来たのは、またもや予想に反する答えだった。
「いいえ。私たちは自分からここに来たのです」
「自分から……自分からだと?」
「はい。私達は、ノエル様のお役に立ちたいと思って、自分の意思でここに居ます」
セレスは、ショックを受けた。
光の精霊であるセレスにとって、魔族は、存在せざるもの。
そのようなモノと共に暮らす人間が居ることが、信じられなかった。
「魔族に魂を売った人間か……哀れな……」
「いいえ、私達は、助けられたのです」
マナと名乗った少女が、首を振る。
「助けられた?」
「ええ。私達は、別の魔族によって、一度命を失っています」
「この力は、私達の魂を繋ぎ止めている鎖のようなものよ」
二人は、定期的に、魔王から力を分けて貰っている。
「この力が無ければ、私達は存在できませんから」
「理解できないな。魔の力で生き長らえるなど。しかし……」
死んだ人間を生き返らせるなどといった芸当が出来るのは信じがたい。
だが、セレスは目の前の二人が嘘を言っているとも思えなかった。
「あの魔王は、それだけの力を持っているということか」
「今、この魔域で彼女に逆らえる人は、居ないと思うわ」
「まあ、ダテに魔王は名乗って無いわよね」
「あのルビス様でさえ、勝てない相手ですからね」
セレスは一瞬耳を疑った。
「待て、魔王とルビス様が戦ったのか?」
「ええ、圧倒的にノエル様が勝ってましたよ」
「最後の方はいたぶってたわね。それでも止めを刺さないところがノエル様らしいけど」
「そんな、馬鹿な……」
セレスの心は、恐怖と絶望に打ちひしがれていた。
あの、コランダムのルビス様でさえ、勝つことができない相手なのだ。
自分はそんな強大な相手に戦いを挑んでいたのか。
「……どうせ私は殺されるんだろう。こんな事をしていないで牢屋にでもぶち込んだらどうだ」
処刑を覚悟した上での言葉だったが、返って来たのは意外な一言だった。
「殺される? 絶対ないわ」
「……どうして、そう言い切れる?」
「お気に召されて命を助けて頂いたのだったら、そんなことは絶対ないです」
「そうよね。まあ、魔族にしては珍しいと思うけど」
「とにかく、あまり気にしないことですよ。この部屋は好きに使って構いませんから」
「私達も隣の部屋に居るから、何かあったら気軽に呼んでいいわよ」
二人は、そう言って部屋から消えた。
セレスは混乱していた。
自分は一体これからどうなってしまうのだろうか。
(魔王ノエルか……)
瞳を閉じて、考える。しかし、考えても答えは出なかった。
そのうちに、セレスに睡魔が襲ってくる。
そして直ぐに、寝息を立て始めるのだった。
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クリスティア家の晩餐会。
今日はコランダムとクリスティアの集落の境目に程近い森の中にある別荘地に来ていた。
境目、といっても、完全に集落は離れているから、違う都市国家と言った方がいいかもしれない。
この二つの国は、同じ火の一族でありながら、すこぶる仲が悪い。
元々、火の一族は、色んな種族の集まりからできている、多民族国家のようなものだ。
本来から、血の気の多い火の一族だから、争いが昔から絶えなかった。
魔族のごたごたで力を付けたコランダムとクリスティアが、今現在の2大種族になっている。
初代プレヴァリア様の即位で、コランダムが王権を握って以来、クリスティアを従え、支配する動きが強まった。
特に、二代目のガーネット様の頃は、弾圧や迫害が酷かったと聞いている。
これは、他人から聞いた話だけど、裏には、こんな問題が潜んでいたらしい。
そんなガーネット様も、魔族との大戦で亡くなってしまったが。
その後は、魔王を勇者と共に討ち取ったサファイア様が三代目の王位に就いてだいぶ収まってはいるけど。
まあ、そんな訳で、クリスティアの人たちは、コランダムのことを毛嫌いしている訳。
で、そのコランダムに住んでいて、分家で、混血の私はもちろん相手にされて無かった。
今までは。
違うことは2つ。
まず、今回は、クロード様の正式な婚約者として招待されている点。
2つ目として、今日は私の周りに誰も居ないこと。ひとりぼっちだ。
父さんは相変わらず、薬草作りに没頭している。
母さんは光の人で一般の市民だから、こういうのに連れてくる訳にはいかない。
それにしても、だ。
「ううう、やっぱり綺麗な人多いなぁ……」
こんなことなら、一人で来ないでリュートでも誘えばよかったかもしれない。
ただ、家柄的には大丈夫だけど、違う種族だから白い目で見られるだろう。
特に、リュートは水だ。
以前の争いの頃はお互いを傷つけることもあった火と水。
その頃に比べれば、大分打ち解けてきてはいる。
でも中には、水というだけで受け付けないという人も火の中にはまだ結構居る。
それにやっぱり視線が痛い。
出席者の話題は、やはりというか婚約者の話で持ちきりだった。
あちこちからささやくような声が聞こえてくる。
私は、あえてあまり聞かないようにしていた。
凄く気になるけど……聞かないほうが良いに決まってる。
「やっぱり場違いだよ、私がここにいるのは」
そう呟いて、席を外そうとした時だ。
会場の戸が開き、どよめきが起こる。
直ぐに扉に人だかりができ、その人だかりのまま、こちらに近付いてくる。
凄く嫌な予感しかしない。
床をヒールが叩く音が段々と近付いてきて、私の目の前で止まる。
「クロード様の婚約者が決まったと聞いて来てみれば……」
私は顔を上げる。今、一番会いたくない人物が、そこには居た。
「貴女のような分家で血が薄まった者、私は認めないわ」
「アゼリアさん……」
燃えるような、それでいて流れるような長い髪。
一見、ルビス様と見間違うくらい美人で、綺麗。
もちろん、ここに居る人たちはルビス様のことは見たことはないだろうけど。
周りの男性達からはもちろん、女性達からも憧れの視線で見られる。
いつもこの人の周りには人だかりができている。
「それにしても、何故貴女なの?!」
これは、一族の女性誰もが思っているだろう。
でも、この人の場合は特別だ。
周りには、クロード様の婚約者候補第1位と言われていたアゼリアさん。
私が許婚になっていたことは隠していたから、余計に頭にきているんだろう。
「ふん、どうやってたぶらかしたのかしらね……どうせろくでもないことでもしでかしたのよ」
ちょっと今のは、頭に来た。
少し不機嫌な顔で睨み返してみた。黙ったままで。
「何よ、その目は。何か言ったらどうなの?!」
私はゆっくりと椅子から立ち上がり、アゼリアさんに言い返した。
「確かに、私はアゼリアさんから見たら、見劣りするかもしれない。でも」
彼女の目を見ながら、私は言い放った。
「私は……誰よりもクロード様のこと、愛してます」
周りがどよめいた。ここまではっきり言うとは思わなかったのだろう。
でも、ここまできたら、引くわけにはいかない。
「何も知らないくせに、他人を馬鹿にしないで下さい!」
気付いたら、少し声が大きくなっていた。
「まあ」
「アゼリア様に向かってなんて事」
「無礼ですわね、分家の方は」
取り巻きの女性の非難が私に集中する。
そんな中、アゼリアさんは、一瞬ムッという顔をしたけど、直ぐに落ち着いた顔になって。
「……言うわね。その度胸だけは認めてあげる。でも、恥をかくのはあなたのほうよ」
それだけ言って、アゼリアさんは出て行ってしまった。
取り巻きの女性達と一緒に。
彼女達が出て行った後、会場は微妙な空気に包まれていた。
言い過ぎたかな。少し経ってからそう思った。ちょっと熱くなってしまった。
「ふふ。アゼリアったら、けしかけて、思わぬ反撃を喰らったわね」
いつの間にか居たのか、私の隣から声が掛かる。
「シルフィさん……」
「今晩は、アイリ。外で話しましょ。貴女、そのつもりだったでしょう?」
やっぱりこの人には叶わない。
私は笑って返事をした。多分、顔は引きつっていただろうけど。
シルフィさんは、クロード様の母方の従妹に当たる。
やっぱりこの人も凄く美人。
その金髪で、よく光の人に間違えられるみたいだけど、純粋な炎の人だ。
本人は謙遜してるけど、実は第2候補と言われている。これは私も判る気がする。
私によくしてくれる、数少ない人だ。
「あの女を撃退するなんて、なかなかやるじゃない」
そう言って、微笑む。
「あの言い方だと、クロード様が悪いみたいじゃない。言い方がよくないよ」
「そうね。私もあれは言いすぎだと思ったわ」
シルフィさんも同意してくれる。
「ね、ところでどこまで進んでるの?」
「え……っ?」
「婚約者になったんだから、何も無い、なんてことは無いわよねぇ」
「べ、別に、そんな……何回も会っている訳でもないし、その……」
シルフィさんは凄く楽しそうだ。その探るような目が怖い。
「そういえば、話を小耳に挟んだんだけど」
「なんですか?」
「貴女、あのリヴァノールに通っているんですって?」
「ぶっ?!」
私は一瞬耳を疑った。
「な、何でシルフィさんが知ってるんですか?」
誰にもしゃべったこと無いのに。何時の間にバレたんだろう?
「クロード様に聞いたの。私が一番身近にいるから、そういう話が聞けるのよ」
ああ、納得……
「アゼリアさんは、知っているんでしょうか?」
「さあ? でも、私は知らないと思うわ。この事だって、やっとのことで聞き出したんだから」
流石に前の事件のことはシルフィさんも知らないみたいだ。
私がルビス様の護衛兼付き人だって知ったら、どう思うだろう。
驚くだろうな……幻滅しちゃうかな?
シルフィさんはルビス様の事、どう思っているんだろう。
嫌っていたら、ちょっとイヤだな……
「どういう事を学べるのかしら? 凄く興味があるわ。だって、一握りの者しか入れない所だもの」
「そんなに変わらないと思いますよ。実際、学ぶ科目はそんな特別なものはありませんし」
――武術訓練を除けば、だけど。
シルフィさんの潜在的な力は、今の私より、何倍も大きいだろう。
訓練したら、ものすごく強い人になるんじゃないだろうか。
あまり自分の事を知られたくない私は、適当にはぐらかすことにした。
口を開くとつい、余計なことまで喋ってしまうので、最近は意識して話をするようにしている。
「クロード様って口が堅いのよね。だから、そうやすやすと他人に話はしないと思うの」
そう言った後、シルフィさんは何時に無く真剣な目で私を見た。
「私だってね、アゼリアが居なければ、って思ったこともあるのよ」
「シルフィさん……」
私は少しだけ罪悪感を感じた。
シルフィさんだったら、クロード様ときっと釣り合うし、周りの皆も納得する。
「私やアゼリアを差し置いて奪い取ったんだから、幸せになりなさい。ね?」
私は、どんな事を言えば判らず、ただ頷くことしか出来なかった。
その日の夜……みんなが寝静まった頃、異変が起きた。
『魔獣だ! 魔獣が出たぞ!』
その声に私は慌てて飛び起き、窓から外を覗き込んだ。
目に見えるだけで、5,6匹の魔獣が見える。
「この辺も、もうダメか……」
最近、また、魔獣たちの活動範囲が広がってきている。
最初は、コランダムの街の周りだけだったのに、ウインズ、クリスティアの方まで拡大している。
この辺りは、比較的そこから離れた位置にあるのだけど、こんなに早く広がるとは思ってもみなかった。
魔獣化する動物の多くは、狼、狐、野犬などの肉食獣だ。
魔物や、魔族の残した瘴気、陰気による、森の獣達の成れの果て。それが魔獣。
まずは彼らのテリトリーの中の、餌となる草食獣が全滅する。
腹を空かせた彼らは、活動範囲を広げ、森中に広がり、死の森と化す。
森の餌が全て尽きると、新たな餌を求めて、人間や精霊を襲うようになる。
こうなると、もうどうしようもない。
騎士団が定期的に駆除してはいるが、広がるスピードが速すぎて、間に合わない。
「この辺の森は、騎士団も把握していないんだろうな……まずいなぁ……」
窓の外では、男性達が、手に剣や弓を取って、必死に応戦している。
けど、数で勝る魔獣たちに押され気味だ。
手伝いに行きたい。けど、駄目。今は目立つことは避けなきゃ。
そう思っていた矢先――
「アイリ! 無事?!」
部屋にシルフィさんが入ってきた。
「大変なのよ! 窓の外!」
言われて私は再び外をのぞく。と。
「あっ?!」
見ると、アゼリアさんの部屋の窓の周りに、数匹の魔獣が。
遠くで見え辛いけど、魔獣たちの足元には、無残に引き裂かれた護衛の亡骸らしきものが。
「いけない!」
「あ、アイリ?! 何処に行くの?!」
「決まってるじゃないですか! アゼリアさんを助けます!」
「助けるって……貴女、どうするつも――え?! 剣っ?!」
壁に立てかけてあった剣を手にとって、一瞬、しまったと思った。
旅の途中に、魔獣が潜む森を通るので、持ってきていた騎士団の剣。
思わぬ形でカミングアウトすることになってしまったが、こればかりは仕方ない。
迷っている暇は無かった。
シルフィさんの呼び止めの声を無視する形で、私は部屋を飛び出した。
アゼリアさんの無事を願いながら。
続く