第7部第5話
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魔域――深い闇の世界――
その一番底に、その宮殿はあった。
周囲には一面の闇が広がり、雷鳴が轟く。
その宮殿の中を、一人さまよう少女の姿があった。
「ノエル様! ノエル様ぁ! 何処ですか!?」
小柄な背格好に、金髪のツインテールという、この場所にはひどく不釣合いなその少女――
「ったく、何だってボクが……マナの奴、めんどくさいからって!」
ぶつぶつ言いながら、片っ端から部屋を覗いていく。
彼女の名はフェージュ――魔域で随一の弓使いである。
フェージュはしきりにここの主の名を呼ぶ。
「全くもう、どこ行っちゃったのかな、ノエル様ぁ!」
その宮殿の最深部。
一番奥の部屋にあるベッドルーム――
そこに、ここの主がいた。
「あ、いたいた、ノエル様、起きてくださいよぅ!」
ふかふかのベッドの中で寝息を立てている魔王ノエル。
その姿からは、魔王の威厳は全く感じられない。
「んん~……」
ベッドの中でもぞもぞと動くが、起きる気配がない。
ばさっ、と布団を剥ぎ取る。とたんにフェージュは顔を真っ赤にする。
「の、ノエル様?! なんて格好で寝てるんですか?!」
ノエルは服はおろか、下着すら付けていないあられもない格好。
寝る直前まで何をしていたかは一目瞭然だった。
(くっ……ノエル様は何であんな男となんか……)
「ノエル様、起きてくださいっ、今日はお客がいらっしゃるんですから……ひゃぁ?!」
突然、ノエルの手がフェージュの身体を掴む。そのままベッドの中に引きずり込んだ。
「の、ノエル様?! 何を?!」
「折角気分よく寝てたのに……誰ですか、邪魔をするのは……」
鋭い視線に睨まれ、フェージュはビクリとすくみ上がる。
「ひっ……」
「そんな悪い子には、こうです」
突然、ノエルはフェージュの服を掴む。
「の、ノエル様!? 何を?! や、やめてください!」
「うふふふふふ。お仕置きです」
「あ、駄目です、服を引っ張らないでくだ、あ、そこは! ひゃあぅ?!」
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「大変ですノエル様!!」
しばらくして、眞奈美が部屋に駆け込んでくる。
だが、様子がおかしい。
「ノエル様?」
「お、おはよう、マナ」
ぎこちない笑顔。そしてその向こうには……
「フェージュ?! 戻ってこないと思ったら! ノエル様に何したのよっ?!」
「し、してないよっ、ボクはなにもしてないっ!」
「嘘おっしゃい! じゃあ、何でノエル様とベッドに入ってるのよ?!」
しかも、見事に二人とも真っ裸で。
「だ、だって、抵抗なんかできるわけないじゃないか!」
眞奈美にも、フェージュの言っている事くらいは理解できる。だが。
「ノエル様……いくら自分の力に目覚めたからって、手当たり次第襲うのはやめてください」
先日、自分の母親が不死の淫魔であった事を知ったノエル。
それ以来、毎晩自室に誰か呼びつけては自分の欲望を満たしていた。
「そうは言ってもねぇ……こんな可愛い子、ついつい虐めたくなっちゃうじゃない」
そう言いながら、隣にいるフェージュの耳に息を吹きかける。
「ひゃあぁ?!」
「遊ぶのも程々にしてください……」
呆れながらも、そう忠告する眞奈美。
今や、ノエルと対等に話ができるのは、魔域中探しても、ラウルと眞奈美の二人しか居ないだろう。
「って、こんなことしてる場合じゃないんですよ、ノエル様!」
「何かあったの?」
「侵入者です!」
一瞬、ノエルの思考が止まった。
「なっ?!」
信じられない、という驚愕の表情を見せるが、すぐに表情は戻る。
「状況は? 被害は出てるの?」
「上層の下級魔族たちが……そうですね、少なく見積もっても100は超えているかと」
「そう……何者?」
ノエルの問いにも首を振る眞奈美。
「判りません。ただ、目撃者の話だと、光を纏った女だということですが」
「女一人? 他には?」
「いえ。単独でこちらに向かっているようです」
「……厄介ね」
一人でここまで来るということは、相当な腕の持ち主だろう。
ゼクスの時代は、このような奥地まで敵に侵入されるということはなかった。
ノエルは自問する。
自分の統率力がないためか。それとも――
女王ルビス以外にも力を持つものが存在したのか。
「確かめなくてはならないわね、その者が何者なのかを」
「はい」
スッと立ち上がり、そのまま部屋を出て行くノエル。
眞奈美はその姿を見送り。
「……の」
そして叫ぶ。
「ノエル様っ! 服! 服くらい着て下さい!!」
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ルビスの前に現われたのは、リヴァノールで、彼女と同期のスカイ=コバルトであった。
「王はどうされました? 本日はいらっしゃらないのですか?」
スカイの表情が少し曇る。
「体調を崩されていてな、代わりに俺が呼ばれた訳だ」
「そうですか……」
ルビスは少し考え。
「と、いうことは、貴方は今かなりの地位にいると理解してよろしいのですね?」
「理解が早くて助かるよ。代行者ってのは、そういう意味だと思ってくれ」
ここ半年ほど、彼がこの国を執り動かしていると言う事実に、ルビスは少し驚いた。
「なるほど……でも、貴方の実力なら確かにおかしくはありませんね」
ルビスの言葉に、スカイはふっと笑みを浮かべた後。
「リヴァノール主席卒業はダテじゃないだろ。な、万年次席」
「……っ、スカイ!!」
スカイの顔の近くで風切り音がする。
「おっと」
ルビスが顔を真っ赤にしながら飛ばしてきた平手を、すっとかわして、余裕の笑みを浮かべる。
そのままルビスの腕を掴むと、上にひねり上げた。
「っ?! 痛っ!」
その顔には笑みを浮かべたままで。
「思わず地が出たようだな。女王様。変わってなくて安心したぜ」
「くっ……あなたも、相変わらず他人を馬鹿にするんですね」
「お前は、もっと冷静にならないとな。少し感情的すぎる。火の一族の血のせいか?」
そこまで言って、スカイの表情が若干曇る。
「それにお前、こんなに弱っていたのか」
「……気のせいですよ」
「俺の知っているルビス=ティアナの力はこんなもんじゃねぇ。何があった?」
「……」
しばしの沈黙。
「少し長くなりますよ」
―――
「……なるほど、それで、そこの女が勇者って訳か」
ルビスの話を聞き終わったスカイは、ふぅ、と溜息をつく。
「人間なんか連れているから何かと思ったらそういう訳か。なるほどね」
「元々この子をあなたに紹介したいと思っていましたから」
玲子はスカイの前に一歩歩み出て、ひざまずく。
「私達の命運は、間違いなくこの子が握っています」
「お前は昔からそうだったからな。俺が見向きもされない理由が何となく判った気がするぜ」
「どういう意味です?」
「ま、あまり気にしないこった。さてと」
そういって、スカイは、ルビス達に目配せをする。
視線の先――部屋の片隅には、簡素ながら机と椅子が並べられていた。
「ま、とりあえず、食事にしないか。疲れたろ」
「感謝します」
「こちらの方は、あまり魔族達の被害には遭っていないようですね」
「もともと、海に浮かんだ、言ってみれば孤島みたいなものだしな」
このアクアリウムには、大陸のコランダム、ウインズからは陸路で行くことはできない。
「この国と、連合国にはあまり被害は出ていないようだ。無い訳ではないそうだが」
「そうですか。魔族の足取りが掴めると思って来てみたのですが、無駄足でしたね」
少しルビスの顔が曇った。
「そんなことはない。こんな風にコランダムの王族に来て頂くなんて事は滅多にないから有難い。それに」
「それに?」
「久しぶりにお前の顔を見ることができたしな」
笑顔。
「え、ちょ、何ですか、それは?!」
途端に、顔を真っ赤にして、慌てふためくルビス。
「リュートさん、ルビスさんって、もしかして」
「いけませんわ、レーコさん。あまり他人の事に首を突っ込まないほうがよろしくてよ」
「聞こえてますよ、二人とも」
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「もう帰るのか。残念だな」
「ええ、この後予定もありますし……また来ますよ」
立場上、いつまでも城を開けているわけには行かないだろう。
「いつ来れると言えない所が王の辛い所ですね」
「それは御互い様だがな……おっと、そうだ」
スカイは、何かが頭の中に思い起こされたらしい。
「俺がこの役目を与えられた時に聞いた話だがな」
「なんですか?」
「この国の西側に、上流階級たちの住まいが立ち並んでいるのだが」
丁度、今日舟で通ってきた運河沿いの家々がまさにそれのことである。
「その一番奥の家に眠り姫が住んでいるらしい」
「眠り姫、ですか?」
ルビスはその言葉に引っかかった。
「ああ、何せ千年以上眠りっぱなしらしいぜ」
「千年とは……また随分と長い話ですね」
「しかも少女の姿のままでだ。年を取らないらしい」
四人は顔を見合わせた。
「気になりますね」
「一度、見てみるといい。もっとも、俺はまだ見たことないが」
「良いんでしょうか?」
「コランダムの女王様が会いたいと言えば断る奴は居ないと想うぞ」
ルビスは内心複雑だった。
あまり自分の権力や身分を示すのを好まない性格だからだ。
「案内させるよ。目立たない方がいいだろうからな」
一人の女性が一歩前に進み出て一礼をした。
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別れの挨拶を済ませ、来た時と同じくらいの舟に乗る。
狭い水路をジグザグに進んでいく。
「ルビス様、到着いたしました」
そして、一軒の屋敷の前で、舟は止まった。
「結構立派な御屋敷ですね」
「そうですね……」
周りを見渡すが、この家より立派な家――規模の大きな家は見当たらなかった。
4人はそのまま屋敷の中へ通される。廊下を真っ直ぐ進んだ突き当り――
「こちらが、システィア様でございます」
部屋の中央には豪華に飾られたベッドが置いてあり。
「これは……」
ルビスと玲子は驚いた。
そこには見たことのある者が横たわっていたからだ。
淡いブルーの長い髪。可愛らしい少女の身体。
「ご存知なのですか?」
二人の反応を見て、案内役の女性は少し面食らった様子だった。
「いえ、私の知り合いにそっくりなので少し驚きました」
「システィア様は、眠りについてから、1000と2年目を迎えております」
少女は、ずっとその時の姿のまま、眠り続けているらしい。
「この子は、ここの生まれなの? 何故、このようなことに?」
「はい、システィア様は、このシュプール家の御生まれです」
そして、ルビスたちは、この少女の生い立ちを聞くことになる。
ここの両親には、子どもはシスティアしか生まれなかった。
そのため、両親の目いっぱいの愛を受け、可愛らしく育った。
だが、およそ千年前、一人の魔族の男が現われ、システィアと恋に落ちた。
周囲は反対をした。だが、二人はそのようなことは気にせず、愛を育んでいた。
二人にとってつかの間の幸せ。それも長くは続かない。
恋人である魔族の男の兄が、二人の恋に反対し、少女の身体に術を施す。
それにより、二人の愛は引き裂かれ、少女はその日から、目を覚ます事はなかった。
恋人の弟は、兄に強制的に連れて行かれた。その後の彼らのことは誰にも分からない。
三百年ほど前に、両親も他界した。
今ではこの屋敷に住んでいるのは、この少女一人だけだという――
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アクアリウムを後にしたルビスたち。
連絡線が、港から離れる。
そして、このときを待っていたかのように、玲子が口を開く。
「ルビスさん、あの子、フィアさんですね?」
その言葉に、ベルゼとリュートは驚愕した。
「フィア……って、あの『水迅のフィア』ですか?!」
「ええ、間違いなく、フィアの本体でしょう。
「と言うことは、魔族の兄、と言うのが魔王ゼクスなのですか?」
「おそらく、そう考えていいでしょう。彼女が戻っていないと言うことは……」
ルビスの頭の中に最悪のシナリオがよぎる。
おそらく、魔王ゼクスの魂は、まだどこかにある。
そのしがらみがあるから、フィアはまだ本来の器に戻ることができないのだ。
「……急がないといけませんね」
「彼女は、元に戻るのですか?」
「ええ。ただ、あの子をこの場所に連れて来て、同化の処置を施す以外ないでしょう」
「そうですか……」
「そろそろあの子自身の寿命も近づいています。急がないとフィアも、あの子も助からないでしょう」
何処までも広がる水平線を眺めながら、ルビスはポツリと呟いた。
「多分、ノエルが居場所を掴んでいるでしょうけど……」
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その頃……魔域最下層の入り口に、一人の少女の姿があった。
黄金の髪が、漆黒の風に吹かれて大きくたなびく。
「……」
魔族たちにやられたのだろうか、少女の身体には無数の傷があり、息も荒い。
だが、その身体には、依然として光のオーラを纏っていた。
雷光に照らされた巨大な建造物が、少女の視界に飛び込んできた。
「……」
一瞬、はっとした表情を見せるが、すぐに、険しい表情に戻る。
そして、その建物に向かって駆け出す。
こここそが、この少女が目指していた場所であった。
駆けて来る少女に気づいた下級魔族たち。集団で少女に襲い掛かる。
数匹の爪や牙が、少女の身体を傷つける――
が、その時には魔族たちは光り輝く剣で身体を分断されていた。
「……ッく」
纏っていた光が弱まり、少女は一瞬顔をしかめるが、すぐに再び輝きを取り戻していく。
倒された魔族たちは、悲鳴を上げた後、灰へと変化し、崩れ落ちた。
少女は、ふう、と一息ついて、目の前にそびえ立つ建物に視点を移す。
一見すると、宮殿か城のようにも見えるこの建物こそ、この魔域の王の居城である。
「――よし」
意を決したように、そう呟いて扉を開ける。
何かと鉢合わせすると思った少女であったが、見張りも居らず、簡単に中に入ることができた。
慎重に歩を進め、最初の扉を開き、部屋の中に入る。と。
「――驚いたな」
「……ッ?!」
突如、少女の背後より声が聞こえる。
「本当に女一人とは。だが、その身体もそろそろ限界のようではないか」
現われたのは、背の高い、黒い長髪の男だった。
「誰っ?!」
「貴様こそ何者だ。侵入者は早々に立ち去れ。そうすれば、これ以上の危害は加えん」
少女は無言のまま、輝く剣を男に向けた
「なるほど。それが貴様の答えか。これ以上の進入は許さん。覚悟す……」
男が言い終わる前に、少女の足が地面を蹴る。
「ちっ……」
「捉えた!」
少女の剣が、男を薙いだ、と思った瞬間、姿がふっ、と掻き消えた。
「な?! 幻?!」
少女は辺りを見渡す。すると、少し離れた場所に、男が現われる。
「何処を見ている?」
男の姿が扉の奥に消える。
「っ! 待てっ!」
それを追って少女自身も扉の中へと駆ける。
どれくらい走っただろうか、急に視界が開ける。
奥には、果てしないほどの深い闇が広がっている。
「! これは……」
気付いたら、自分の周りは一面の闇。自分がどちらから走ってきたのかさえ、判らなくなっていた。
少女は今になって気付いた。
「罠、か」
「その通り」
声が聞こえたと同時に、何かの魔法が発動したようだった。
とっさに身構えたが、そのまま後方までふっとばされた。
「かはっ……げほげほっ」
叩きつけられ、全身を打ったらしく、激しく咳き込む少女。
身体に纏った光はより一層弱まった。
「侵入者は、排除します」
現われた魔導士風の女。もう既に次の魔法陣を発動させていた。
大量の火の玉が、少女の周囲で炸裂した。
「うあああっ!」
「どんな女かと思ったけど。こんなにあっさり終わるとは思わなかったわ」
そう言いながら、女は少女に近付いてくる。
少女は動くことができない。
「残念だけど、貴女にはここで死んでもら……」
「今だ!!」
倒れていた少女が、突然起き上がる。
ずっと伺っていたこの機会を逃すはずもなく。
「ぐっ?!」
女の胸に、光り輝く剣が突き立っていた。
「そんな……馬鹿な……」
女はそれだけ言って、動かなくなり、やがて灰になった。
そして、部屋に充満していた闇が消え、壁、扉、そして、新たに、1人の男が現われた。
少女は身構えるが、対峙した男は、少女を攻撃しようとはしなかった。
「ローリエを殺すとは。なかなかの力を持っているようだな」
「……」
少女は無言のまま剣を男に向ける。
体は既にボロボロだったが、戦う意思は全く揺らいではいない。
「待て、俺はお前とやりあう気はない」
そういって、男は少女の剣を下ろさせようとする。
「魔族の言うことは信用できない」
「それもそうか。だが、約束しよう。俺はお前を攻撃しない。これはこの意思表示だ」
そう言って、男は持っていた一振りの剣を床に投げ捨てた。
「これで俺は丸腰だ。これでも俺を殺すというのなら好きにするがいい」
「……判った。今は信用するわ」
「それに、俺はいくら敵とも言えども、傷付いた女を攻撃などしたくないのでな」
男はそういって、少しおどけて見せた。
「俺はナーベル。この魔域髄一の魔剣士と自負している。お前は?」
「私は……光の――」
そう言いかけた所で、ふと、上からの殺気に気付く。
「しまっ……!」
一瞬の判断の遅れ。それが命取りになる。
次の瞬間、少女の腹部を、漆黒の矢が貫いた。
「がは……ッ」
吐血し、そのまま自分の流した血溜まりの中へ、びちゃり、と崩れ落ちた。
身体を纏っていた光のオーラは、完全に消え去っていた。
「ナーベル、こいつ殺しちゃっていい?」
吹き抜けの上から、弓を持ったフェージュがふわり、と飛び降りてきた。
「まあ待て、フェージュ。このままノエル様のところに連れて行く。この怪我では、抵抗などできまい」
「そうだね。じゃあ、マナを呼んで来るよ」
そう言ってフェージュは扉の向こう側に消えた。
「手間をかけさせやがって。お前のような小娘一人にここまで手を焼くとは思わなかった」
「ひ、卑怯者!」
ナーベルは、ふっ、と鼻で笑う。
「俺は嘘はついていない。お前が油断しただけだ」
「くっ……」
その時、部屋の奥から巨大な力がやってくる気配がした。
カツ、カツ、とヒールの音が響いてくる。
「ほう……わざわざこちらまでいらっしゃるとは。面白くなってきたぞ」
現われたのは、漆黒の衣装を身に纏っている、一人の女だった。
その強大なオーラは、紛れもなく、その女が解き放っていた。
そして、女が口を開く。
「ようこそ、我が宮殿へ。可愛い精霊さん――」
続く