第7部第3話
>Naomi
目が覚めた。
随分と長い間、眠っていたような気がする。
目を開けると、目の前にルビスの顔があった。
「よかった。気が付きましたね」
「あ、あれ、私――」
そこで、記憶が蘇ってきた。
「……セラはっ?!」
そうだ、私、セラに捕まって、拷問にかけられてたうちに気を失ったんだった。
「大丈夫です。ここはコランダムですから」
どうやら気絶していた私をここまで担ぎ込んでくれたらしい。
「ナオミ、3日ほど眠っていたんです。心配しましたがどうやら大丈夫のようですね」
「え……そうなんだ、ごめんなさい」
かなり皆に心配かけてしまったようだ。
「気にすることはないですよ。貴女は悪くありませんから」
「そういえば、姉さんとか、他のみんなは?」
周りには、ルビス以外の顔が見当たらない。
「皆さん、この国に居ますよ。それで、後でナオミに紹介したい人が居るんです」
ルビスが紹介したい人?
「その必要はないわよ、ルビス」
見ると、扉の所に知らない女の人が立っていた。
スラリとした背丈に、サラサラの長い金髪……この人一体誰?
「ソフィア。居たんですか」
「全く、何であんたの所には、こうも人間が大勢居る訳?」
「そんな事言っても、あ、ナオミ、彼女が風の国のソフィアよ。覚えているかしら」
状況が掴めず、ボーっとしていたのが判ったのだろう。
ルビスがそう言って女の人のことを紹介してくれる……って、ちょっと待って……
「風の国って……ああ、そっか」
確かに見たことがある。最初にここに来たとき、会議に混じって座っていたような。
「そっか……会えたんだね、良かったね、ルビス」
「ええ、ナオミにも心配かけましたね」
「ううん、私こそ、ごめんね。ルビスに迷惑ばっかかけて」
「全くだわ。双子の姉妹揃って。これ以上私達にかかわらないで。もう貴女達の助けは不要よ」
「ソフィア、そういう言い方は無いでしょ。ごめんなさい、ナオミ」
双子の姉妹……って事は、先に姉さんと会って何か問題でも起こったのかな?
「姉さんが何か粗相をしたのならすみません」
「ナオミ、別にたいしたことじゃありませんから……」
「でも、ソフィア様、私、この国が好き。もちろんルビスのことも」
「……言うと思ったわ。でもね、私は貴女達のことは認められない。どんな理由があってもね」
それだけ言うと、フイッと背を向けて歩き出すソフィア様。
そのまま部屋から出て行ってしまう。
「私、ソフィア様に何か失礼なこと言ったかな、ルビス?」
「……ごめんなさい、ナオミ。あの子は昔っからああだから……」
どうやら、ソフィア様は、かなりの人間嫌いらしかった。
「ううん、やっぱり、好みの問題ってあるんじゃない?時間が解決してくれると思うよ」
「そうだといいですけど……しばらくはそっとしておくしかなさそうですね」
溜息をつくルビス。
この先が思いやられそう……
>
その頃。
下ではちょうど、戻ってきた陽子達とソフィアが出くわしていた。
陽子は軽く会釈をして通り過ぎるが、ソフィアは目さえ合わせない。
と、陽子の後ろから歩いてくる二人に目が行く。
(水の精霊? 珍しいわね。もう一人は……また人間か、全くルビスは……え?!)
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
「何ですか?」
陽子が振り返る。
「貴女じゃないわ、その剣よ、剣!」
玲子が手にしている剣をまじまじと見つめる。
「どうして貴女がこれを持っているの?」
「え、えと、その」
いきなり振られて、玲子はしどろもどろになってしまう。
「封印されているはずの剣が、ここにあるのはおかしいわ」
「この間、ルビスが封印を解いたそうですよ。私はいなかったんですけど。ね」
「え、ええ……」
「……ちょっと一緒に来なさい!」
「え、え、あ、あの、ちょっと待……」
有無を言わさず、玲子の手を掴み、そのまま来た道を戻っていく。
残された二人は首を傾げるばかり。
「……どうなってるんでしょう」
「さあ?ともかく、追いかけるしかないんじゃない?たぶん、ルビスのトコだよ」
>
「ちょっとルビス!」
騒がしく戻ってきたソフィアににこやかな笑顔を向けるルビス。
「あら、お帰りなさい、早かったのね」
「早かった、じゃない! これはどういうことよ!」
ルビスの前に玲子を突き出すソフィア。
「あら、レーコ、いらっしゃい」
「ど、どぅも……」
玲子はどこかぎこちない。
「こんにちは、鷹野さん」
直美が声をかけると、玲子の表情が少し明るくなった。
「あ、直美さん、気が付かれたんですね! 良かった……」
「ごめんね、鷹野さんにも心配かけたみたいで」
「いいえ。とにかく無事で良かったです」
「どうでもいいから、いい加減説明しなさいよ、ルビス!」
詰め寄るソフィアにもルビスは余裕の表情で切り返す。
「別に。彼女が剣に選ばれた。ただそれだけよ」
「選ばれたですって?! そんな訳ないでしょ?!」
「私がこの目で見たんですよ。この子が後継者で間違いないでしょう」
「……」
ソフィアはジッと玲子を見る。不服そうな表情を浮かべながら。
玲子はどうしていいか判らず、ただ突っ立っているしかない。
「貴女のことを紹介したかったから来て貰ったのよ」
ルビスからソフィアのことを紹介された玲子は、少し驚いた。
「あ、そうだったのですか! 私、コランダム第3騎士団所属、鷹野玲子と申します」
玲子は、名乗りながら敬礼をした。
以前の彼女であれば、日本式のお辞儀をした所であろう。
騎士団という特別な場所に慣れつつあるようだった。
「あの村が魔族に襲われたから、回収を優先したの。貴女には事後報告でいいと思っていたわ」
そういった後、ルビスの表情が少し暗くなる。
「その後直ぐに国が亡んだって話を聞いたから、そっちの方に頭が回らなかっただけですよ」
「そう……つまり、忘れていたのよね」
「そうとも言う」
ソフィアの指摘に引きつった笑顔で答えるルビス。
「貴女のような者が出て来たということは、何かが起こる前触れなのかしらね」
「あのね、ソフィア。そういう事は思ってても口に出して言うものではありませんよ」
「そういうあんたもそう思ってたんじゃないの」
「ま、まあ、それは後で二人のときに話すとして……ところでソフィア」
「なによ」
「いつまでここにいるつもりですか?」
「なによ、随分と冷たいじゃない」
ジト目で睨むソフィア。
「あのね、私は命を狙われているのよ。そう簡単に国に帰れますか」
「じゃあ、しばらく一緒にいられるんですね?!」
ルビスの顔がぱあぁっと明るくなる。
「よかった!」
ルビスはソフィアに思いっきり抱き付いた。
「ちょ、ちょっ、ルビス!」
「もう絶対に離さないからね、ソフィア!」
「帰ったわよルビ……す?!」
一瞬ギョッとする陽子。
「あ、ああ、お帰りなさい、ヨーコ」
パッと離れる両者。弾みでソフィアは床にごすっ、と頭を打ち付ける。
「ぶっ?!」
「あ、ご、ごめんなさい! 大丈夫っ?!」
「全く、仲のいいことで……」
陽子は呆れた。
そこで、視界に直美の姿が目に入ったとたん。
「なおみぃぃぃぃぃ」
「う、うわわっ?!」
思いっきり直美に抱きついていた。
「馬鹿っ! 心配したんだからっ!」
「ごめんなさい」
「良かった……直美が生きててくれて……」
抱きついたままボロボロ涙をこぼす陽子。
「姉さん――」
直美は遥の事を聞こうかどうか迷ったが、思いとどまった。
(やっぱりやめとこう。何か複雑な事情があるみたいだったし)
遥の思いつめたような表情。それが直美の頭の中に焼きついていた。
「それでね、ソフィア。私明日アクアリウムに行こうと思うのよ」
「アンタ、何言ってんの? 水の国とは仲悪いんじゃなかった? やめときなさいよ」
ぶつけた頭をさすりながら反論するソフィア。
「別に、アクアリウムとは和平交渉は終わってますし」
「そういう意味じゃなくて。オニキス様に任せておけばいいんじゃないの?」
「お父様は今、リーフに行ってるんです。だから私が行った方がいいですよ。
王就任の挨拶もまだですから、早いに越したことはないでしょう」
「まあ、アンタがそうするんだって言うんなら別にいいけどね」
「それに、お母様はあまりこういった事をしていませんでしたし。
他の国としても、私の考えを直接聞きたいと思っているんではないでしょうか」
「まさか、一人で行くわけじゃないでしょ?」
ルビスは、頷いた後、
「元々ベルゼとリュートには来てもらうつもりでいたのですが……」
そこで玲子と目が合った。
「レーコにも来て貰おうかしら」
「え、私、ですか?」
まさか自分が指名されるとは思っていなかった玲子は、少しうろたえた。
「貴女を正式な勇者の後継者として紹介せねばなりません」
‘後継者’――玲子はその言葉に重みを感じた。
「『勇者』の名は、このガイアでは、精霊誰もが知っていることですから」
「そうですか……わかりました。でも」
そこまで言って少し考える。
玲子には、これまで以上に、責任と重圧がのしかかってくることは明白だ。
それに耐え切れるか、自分の役割を果たせるか、まだ彼女には自信がなかった。
「どこまでルビスさんの……いえ、精霊さん達の期待に答えられるか判りません」
「大丈夫、貴女は肩の力を抜いて、普段通りに振舞っていればいいのですよ」
「でも――」
と言いかけて、止めた。
今は何を言った所で、彼女の状況が変わるわけではない。
「判りました……自分なりに答えを見つけてみようと思います。あまり期待はしないでくださいね」
「今はそれで十分ですよ」
普段と変わらず微笑を浮かべているルビス。
玲子にはその胸中を察することは出来なかった。
「それで、ヨーコには悪いけど、雑務全般をお願いするわね」
「いつ戻ってくるの?」
「そうですね。何もなければ3日後。遅くても10日後の定例会議までには戻ってきますよ」
定例会議は、月に一度、王宮内の上層部が一堂に会して、話し合いを行う場所である。
そこが、穏健派と守堅派の意見を交わす数少ない場となっている。
「了解。また、あの連中がうるさいからね」
陽子の言葉に、少し複雑な表情を浮かべたルビス。
「あれでも一応、私達の同属ですからあまり事を荒立てたくはないですけどね」
>Naomi
次の日の早朝。
まだ太陽の出ないうちに、ルビスは出立の準備を整えた。
「じゃ、行って来ますわ」
「すみません、アイリさん」
一人だけ置いてけぼりを喰らう事になったアイリさんは、少し寂しそうだった。
「私が行ってもいい顔はされないんだろうから、仕方ないよ」
「大丈夫ですわ。観光でしたらどなたでも歓迎いたしますわよ」
政治の交流は少ないが、文化面での交流は盛んであるそうだ。
特に、この時期、アクアリウムは雨季であるため、水位が上がり、幻想的な風景になるそうだ。
「夕日に映える水面と街並みは最高に美しいですわよ」
「いいなぁ……見てみたい……」
「ウインズ経由のルートは封鎖されているから、西の港から定期便で行くのが一番早いわよ」
「あれ、ルビス、移動魔法は?」
私たちの街に来ていた頃みたいに、移動魔法を使えないのかな?
「テレポートの魔法は、扉を介して行われるの。つまり、扉のある場所でのみ可能なのです」
てことは、あの神社と公園に扉の出口があるってことかぁ。
移動魔法を使いこなすには、ほぼ全ての扉の場所を把握する必要があるらしい。
そこで、私は知った顔がないことに気付いた。
「そういや、ユミちゃんは?」
シイルとメルの姿もまだ見てない。
「師匠と久しぶりに会ったから、しばらく一緒に過ごすって言ってたよ」
「魔法の訓練でもしてるんじゃないの?」
また、だいぶ差がつけられちゃうなぁ……
「さて、早くしないと定期便が出てしまいますね。それでは留守を頼みますよ、スピカ」
「は、お任せ下さい!」
漆黒だった空が段々と東の空から蒼味を帯びてきていた。
段々と明るくなってくる。
そんな中、ルビス達は、騒ぎにならないように、こっそりと出発して行った。
翌日の朝、急に慌てふためいたような足音が聞こえ、目が覚めた。
「な、なにごと?」
あわてて扉を開ける。と。
「あれ、カルス?」
ちょうどカルスが部屋の前に来る所だった。
周りには、精霊たちが慌てたように動き回っている。
「お、ちょうど良かった。オニキス様がお帰りになられたぞ。お前らも来い」
カルスにそう言われ、私と姉さんは謁見の間に案内された。
「君たちが、ルビスの命を救ってくれた人間だね。妻と二人で良く話をしていたよ」
いつもルビスが座っている定位置に、知らない男の人がいた。
この人が、オニキス様――
黒い長髪のその人は、見た目ほぼ私たちと年は変わらない様に見える。
でも、実際は1000年位生きているらしい。
この人も炎の精霊なんだろう。瞳の色が赤みがかった色をしている。
サファイア様から感じたように、この人も独特のオーラを持っている。
なんか、近寄りがたい感じの人。そんな印象だ。
「はじめまして、水口直美と申します」
「ルビス様の侍女をやらせて頂いております、樋口陽子です、オニキス様」
私達は二人揃ってその場にひざまずく。
「君たちには本当に感謝しているよ」
「いえ、私達は何も。ルビス様にはいつも御世話になってばかりおりました」
姉さんが言ったことは本音だ。
私達は何もしてない。実際、ルビスに助けられてばっかりだった。
「それに、攻め込んできた魔族達を退けたそうじゃないか」
「いいえ、それは違います」
姉さんが口を挟む。
「それは、どういう事だい?」
一瞬オニキス様が怪訝な表情を見せる。
「魔族を退けたのは私たちではありません。確かに、魔族と戦ったことは事実です」
そこで姉さんは一呼吸置いた。
「でも、実際魔を退けたのは、サファイア様と……とある一人の魔族です」
今度は明らかに変わる表情。驚いているみたい。
「魔族が魔族を退けた……? どういうことだい?」
「私たちが実際にそれを目撃したわけではありません」
姉さんは動転することなく、続けた。
「ですが、ルビス様の話を聞くと、魔を退けたのも、サファイア様を殺したのも、同じ魔族であると」
「その魔族の名は?」
「……魔王ノエルだと聞き及んでおります」
少しオニキス様は考えているようだったが、再び口を開く。
「君は今、魔を退けたのはサファイアと魔王だと言ったね」
「はい」
「それがどうして、殺されなくてはならないんだい?」
オニキス様の口調は相変わらず、優しいままだ。
でも、彼の体から発せられるオーラが強くなっている。
少し声のトーンが高くなってきた。
「判りません。しかし、ルビス様はこうも言っておられました」
「サファイア様は、自ら望んで命を絶――」
「……黙れ人間」
表情が一変した。鋭い眼光が私たちの目を捉える。
「ですが、オニキス様……」
「黙れと言っている!!」
空気が張り詰める。
そんな中、姉さんだけはじっとオニキス様の眼を見つめ返していた。
「……少し取り乱したようだ。だが、そんな話は信用できない」
怒鳴ったことで、落ち着きを取り戻したのか、オニキス様のトーンが少し下がった気がした。
だけど、相変わらず、異様なオーラが部屋に溢れている。
「ルビス様はお話になっておられないのですか?」
「聞いていない。まあいい、これは本人に聞いてみないと判らないからね」
そこまで言って、席を立つオニキス様。
「本当なのかどうかは直ぐにわかる。スピカ、部屋の準備を」
隣に控えていたスピカさんに声をかける。
彼女もあっけにとられていたのか、一瞬、何を言われているのか分からなかったようだ。
あわてて敬礼をする。
「は、はっ、畏まりました!」
二人が部屋を出て、空気が変わる。
フッと抜けたように緊張の糸が切れた。
カルスが駆け寄ってくる。
「お前ら、何て失礼なことを?!」
「なによカルス、ありのままを話しただけよ」
姉さん、私もヒヤヒヤしたよ。ここでの生活に慣れた所為で、大胆になったんじゃない?
「もう、開き直るしかないじゃない。ルビスが戻れば、直ぐに誤解は解けるわ。大丈夫よ」
「まったく、無茶な奴だ……」
今回ばかりはカルスの気持ちに同情するかも。
>
「失礼致します――オニキス様、御食事をご用意いたしました」
スピカが部屋に入る。
そこには先ほどとは違い、笑顔のオニキスが出迎えていた。
「全く、たいした子達だよ、彼女らは。僕の叱責にも全く動じない。あんな人間は初めて見た」
オニキスは、心底少女たちのことを驚いていた。
今まで出会った人間と言えば、大概恐れおののくか、怯えるか、はたまた平伏するか。
「あの目を見る限り、嘘をついているかどうかは判断できない。あれで嘘だったら、迫真の演技だ」
「……」
スピカの反応がない。見ると、壁にもたれかかって、苦しそうに息を荒げていた。
「おい、どうした?!」
「すみません、大丈夫……で」
スピカの手から、持って来た食器が滑り落ち、派手な音を立てて砕け散った。
そのまま彼女は、床に倒れこんだ。
「おい、しっかりしろ! くそっ、駄目か!」
オニキスはすぐさま廊下に飛び出し、大声で叫んだ。
「誰か――誰か居るか?!」
扉の直ぐ傍に、一人の少女の姿があった。
武具防具を装備していないので、使用人であろう。
だが、彼にはそんなことはどうでも良かった。
「頼む、急いで救護班を呼んでくれ!」
少女は、急に飛び出してきた人物を見たとたん、慌てふためいた。
「お、ぉおオニキス様っ?! ゎわわ私がですかっ?!」
「他に誰がいる?! 急病人なんだ、急いでくれ!」
「は、はいいぃっ!!」
オニキスの剣幕に押され、少女は逃げるようにその場を後にした。
続く