0-3:邂逅と契約
「おーい、おーい、ってば。聞こえてんなら返事くらいしろー」
どこからか声が聞こえた。
でも、体が動かない。声を出すこともできない。目も見えない。
止まっているのだ。空間が、時間が。
でもどうして?竜の爪は振り下ろされ、ゼノの体を引き裂き、亡き者に変えたはずだ。
何よりも気持ちが悪い。意識はあるのに体が動かせない感覚。
「あ、そか。止まってて動けないのか。ちょっと待ってな。――彼の者にこの場での行動権を与える――」
誰かがそう言うと、弾かれたようにゼノの体がその支配権を取り戻す。
「う、あ」
声も出すことができた。
自分の体を見ても切り裂かれた傷はない。
「それ以上前に動くと危ないぜ」
また声がした。ゼノは恐る恐る前を見ると、そこには鋭利な竜の爪があった。爪の先端がゼノの胸に触れ、一筋の細い血液が流れる。
「――ッ!」
声にならない音を発し、ゼノは後ろに飛び退いた。
そして、竜の全体像が露わになった。その悍ましさに思考が停止する。
30メトほどの巨体が目の前に存在するのだ。恐怖しないはずもない。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
次はまともに声が出た。今まで正気で動いていなかったため、竜が視界に映っても恐怖の感情を抑えることができていた。それが引き戻され、その存在を直視すると、恐れの感情が溢れだしてくる。
怖い、恐い。こんなものと戦っていたのか。一刻でも早くそれから目を逸らしたい、そんな感情がゼノの心を支配していた。
「だーかーら。返事くらいしろって言ってんだろ」
その言葉で一気に冷静さを取り戻す。後ろからだ。後ろから声が聞こえた。そう思って振り返ると、そこには人の形をした何かが浮いていた。
もちろん、姿がぼやけていた訳ではない。大まかには人の形をしているが、人とはかけ離れておいる要素があった。翼と角。本来人間にはないものがそれには付いていた。肌も普通の人間よりは黒く、歯も鋭い。手から生える爪は先端が細く鋭い。
そう、表現するならば、
――悪魔。
そう表現するのが正しいだろう。ゼノ自身、その存在は聞いたことはあったが、もちろん見たことはない。本などで知識だけはあったが、その存在については疑っていた。
それが目の前にいるのだ。人と似た見た目だったからなのか、ゼノの好奇心のおかげなのか、竜ほどの恐怖は感じなかった。
「悪魔、なのか?」
とりあえず聞いてみる。
「お?話せるじゃねーか。でもあれ?悪魔を初めて見た人間の反応はこんな感じじゃないはずなんだけどなぁ。「うわぁぁぁぁぁー」とか「きゃあぁぁぁぁぁー」とか期待してたんだが」
悪魔は不思議そうに首を傾げる。
「まあ、そんなことは置いておいてだな。悪魔ってのは大体正解だ、その認識で構わん。まずは自己紹介だな。オレはゼーレ。結構いい名前だろ?」
ゼーレと名乗った悪魔はニカッと笑う。時々くるくるとゼノの周りを回りながら、そのキリッとした鋭い目でゼノを観察する。
「俺はゼノ。聞きたいことは山ほどある。どうして俺はこんなところにいる?お前は味方なのか?」
ゼノも自分の名を名乗ってから、ゼーレに尋ねる。
落ち着いてきたとはいえ、まだ状況が理解できていない。
「ゼノか、いい名前だ。オレと名前の最初が一緒だからな。まずは、一つ目の質問については、オレがやった。この空間を作り出してるのはオレだ。村の一定範囲の空間を全て停止させた」
ゼーレは得意げに言う。
「そんで、二つ目だ。オレは敵でも味方でもない。敵にも味方にもなると言った方が正しいか」
「敵にも味方にも?」
「そうだ。オレはこの場を見過ごすこともできる。恐らく村は壊滅、村人は全員死亡、そんな感じだろうな。そう言う意味での敵だ」
これから起こるであろう最悪の事態を実際に言葉で聞いて、ゼノの顔に一筋の冷や汗が流れる。
竜の暴走によって村が消滅するのは時間の問題だ。
「そして、味方になるってのは、オレがこの極限的な状況を打破する手伝いをしてやる」
「ほんとか!」
「ああ、本当さ。もちろんタダって訳じゃないけどな」
どんな要求をしてくるのか分からず、ゼノは戸惑う。
最悪、その命を捧げろと言われても可笑しくない。
だって目の前にいるのは悪魔なのだから。
「命を寄越せなんてそんな酷いこたぁ言わねえよ。そんな酷いことを言うように見えるか?」
「・・・・」
ゼノは何も答えない。ただゼーレを見つめるだけである。
「おいおい酷いなっ!オレは優しい悪魔だぞ。命なんざに興味はねぇよ」
ゼーレは呆れた顔をする。
「こっからは、真面目な話だ。この空間もずっと維持できるわけじゃないしな。ゼノ少年!」
「な、なんだよ」
急に名前を呼ばれてゼノは驚く。
「この状況をなんとかしたいか?」
「当たり前だ!」
「それだったら、一つ提案だ。――オレと契約しろ」
――契約。その言葉の重みは子供のゼノにも分かる。
何かを差し出す代わりに何かを得る。
それが契約だ。
「契約・・」
「そう、契約だ」
「俺は何を差し出せばいい?」
「よくぞ聞いてくれた。オレが求めるものは――」
ごくりとゼノの喉が鳴る。
ゼーレの口から契約の代償が告げられる。
「オレを楽しませることだッ!!」
自信満々に。はっきりと。そう告げた。
「――――は?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。変な声が一音出ただけだった。
契約の代償があまりにも予想外で、思考が停止してしまう。
「おーい、聞いてるか?」
ゼーレがゼノの前で手を横に振る。
「はははははっ」
ゼノは急に笑い出す。
自信たっぷりに言い放つゼーレの姿がが可笑しくて、笑いが止まらなくなる。
「どうしたっ!頭でもおかしくなったか!」
急に笑い出したゼノに驚いて、声をかける。
「おかしいのはお前の代償だっ」
笑いすぎて涙が出てきたのを拭きながら応える。
「俺、面白いことなんてできないぞ、旅芸人じゃあるまいし」
「まあ、要するに、お前に付いて行ったら面白いことが起きそうな予感がしたってわけだ。勘だよ勘」
「そりゃどうも」
「というわけでこの件が終わったら旅に出てもらう」
「どういうわけか分かんねぇけど、そんなんで村が助けられるなら好きにしてくれ」
「じゃあ、契約成立だ。――よろしくな、ゼノ」
ゼーレは手を差し出す。
「ああ、よろしくな、ゼーレ」
その手をゼノは握る。
その瞬間、何かが光ったような気がした。
「うわっ」
ゼノは驚く。
「それは契約完了の合図だ」
「案外早いんだな」
「以外と大変なんだぜ」
ゼノとゼーレの契約が完了した。
「あんま時間もねーけど、とりあえず重要なことだけ説明しとく」
「おう」
「オレと契約したことによって、ゼノはオレの力が使えるようになったわけだ」
「強いのか!」
「ああ、強いぜ。でもその力を使うには、魔力がいるわけだ」
「魔力か」
魔力。魔法が使えないゼノには魅力的な言葉だ。魔法が使えるノアは魔力を感じるとかなんとかいっていたが、使えないゼノには全く分からない感覚だ。
「俺にも魔力があるのかっ!」
ゼノは興奮しながら言う。
「ほとんどの生物には必ずと言っていいほどにはな。ちょっと調べてみるわ」
ゼノは胸を躍らせながらゼーレが調べるのを待つ。
念願の魔力が分かるってだけで、興奮が収まらない。
「・・・嘘だろっ!」
「どうしたっ」
「落ち着いて聞いてほしいんだが」
「おうっ」
「ゼノ、お前魔力ねぇわ」
「え???」
「いや、俺も見たのは初めてだ」
――魔力が、ないー
ゼノの思考は真っ白になった。そのまま体まで白い灰になって消えていきそうなくらい真っ白になった。
あれだけ期待していたものがなかったのだ。当然といえば当然の反応だろう。
「ふははははそうだよね村のおれと同じ歳くらいの人はほとんど魔法使えたしおれも使えるようになるって勝手に思い込んでたけどそうなんだぁ使えないのかぁ前世でなにかわるいことでもしたんですかふはははは」
壊れた。突き付けられた現実が直視できずに、感情が破壊された。
「待て待て待て。話は最後まで聞くもんだ」
「え?」
「魔力ゼロってことはそれを入れる器的なものもないのかと思ったんだが、ゼノの器はめちゃくちゃ大きいってことも分かったんだ」
「それがなにかあるのか?魔法は使えるようになるのか?」
涙目になりながらゼノは言う。
「魔力の器のことについてはただでかいってことを言いたかっただけだ。魔法はオレの魔力を分ければ使えるようになる」
「ほんとうなのかっ!」
ゼノの表情が一気に明るくなる。
「ああ、本当だとも。今から魔力を少し流す。それで感覚を確認するんだ。この空間もあと少ししか持たねぇ。感覚を確認したら早速戦うぞ」
「戦うってあの竜とか?」
「そうだ」
「無理だっ」
「オレが支援すっから大丈夫だ。後は才能の問題だな」
そう言ってゼーレは魔力をゼノに流す。
「――ッ!これが魔力!」
なにか異質なモノが体に入ってくる。そしてそれはゼノの身体を循環し始め、馴染んでいく。
血液の循環ともまた異なった不思議な感覚。
身体を器として、それ全体を蠢いているような感覚だった。
「才能は悪くない。後は想像力の問題だ」
「想像力・・」
「そうだ。魔力をどう使いたいか、どんな風に変化させたいか、それが大切だ。想像できたな。じゃあ、空間を解除する」
「待ってっ!」
ゼノはゼーレを引き止める。
「どうした?今更怖じ気づいたのか?」
「そうじゃない。ただ、ありがとうと言いたくて」
「その言葉、確かに受け取った」
それから、とゼーレは言葉を付け加える。
「これからゼノはオレという存在と融合する。人じゃなくなるってことだな。名残惜しくないか?」
「皆が救えるなら構わない」
ゼノははっきりと答える。
「そうかっ、人間卒業おめでとう。――此の空間を解除する――」
ゼーレが作り出した空間に罅が入り、砕け散る。
そして、時が再び動き出した。
楽しんで頂ければ幸いです。次の話で、0章的なものを終わりにします。