"トリフティー"ゲインの憂鬱(3)
社員食堂はちょうど賑わい始めたところだった。食堂とは言っても社員数が膨大なため、ビルのワンフロアを使った広大なスペースに、いくつかのレストランが出店しているような感じである。つまり、大抵のものはリーズナブルな値段で食べられるようになっているというわけだ。
わたしはお財布に優しいパスタ、室長は昼からステーキとコーヒーをチョイスしていた。
「相変わらずランチからパワフルですね。そういえば室長、毎日ステーキだけでライスもパンも食べないんですね」
「どちらも特に必要はない。ところでイズィーくん、キャッシュレス率が9割を超えている今の時代に現金を持ち歩いているのはキミの信念か」
「ああ、そう言えば食堂でいつもニコニコ現金払いしてるのわたしくらいですね、この1週間でも現金使ってる人は数人しか見なかったかも」
「まあ、キミの自由だから特に口は挟む気はないが、ちなみにそのニコニコ現金払いって言うのはなんなんだ」
「気になりますか」
「いやまったく」
「もうっ!」
見る見るうちに減っていく肉の塊。わたしも室長になったら毎日ステーキ三昧出来るお給料を貰えるだろうか。とりあえずデザートはつけておきたいところ。
「デザートは食べないんですか、お給料いっぱい貰ってるはずなのに」
室長は無表情のまま肉を飲み込んでから、
「給料の額とデザートを食べるかどうかは無関係だと思うがキミの故郷ではそういうしきたりなのか」
「そういうしきたりでもわたしは断然ウェルカムですよ。まあ、わたしはお給料安くても食べますけれどね、ふふっ」
フルーツタルトとプリンが頭に浮かんで少し幸せな気分になった。室長が少しだけ体をのけ反らしたように見えたのは気のせいだろう。
「まあ、その調子でどんどんカロリーを取りたまえ、キミのウェストがどうなろうとキミ以外の人間は誰も困らない」
「なんてこと言うんですか、わたしの彼氏が困りますよ」
「それは仮説か」
「なんですかそれ!」
頬をふくらませても室長の心の海は憎らしいほどに凪いでいた。確かに仮説には違いないけれども!
「ところでデザートは元々地球の国家が3つに統合される前にあったフランスという国の言葉から来てるらしい」
「それくらい知ってます」
わたしはまた少しだけ鼻を高くする。
「片付けるって意味ですよね」
「そう、片付けるだ」室長はコーヒーに口をつけてから例の手紙を取り出した。封筒には室長の名前だけが記されている。「当面のところ我々のデザートはこれになりそうだけれどね」
「ちょちょちょ、ちょっと室長こんなところで」
「誰もこんなペーパーに興味は持たないさ」
そう言いつつも室長は手紙をしまう。さすがに人の目が多すぎるからだろう。
「それにしてもスパイって……産業スパイ……ということですか」
「そういうことだろうね」
「本当にいるんですねスパイって」
「この時代遅れのペーパーメッセージが真実を伝えてるのならね」
「嘘かもしれないと?」
「そうもしれないし真実なのかもしれない。が、少なくとも━━」
室長は僅かに口元を緩めた。
「これを僕宛に書いた誰かは、何か知らせたいことがあるってことだ。イズィーくん、これはどこに置いてあった?」
「バゲッジルームの第ゼロ開発室宛の棚の中です。室長のお名前が書いてあったので持ってきましたけど」
「ふむ、確かあそこは1階だったな。外部の人間の出入りもあるし、だとすると内部犯とも断定は出来ないわけか。いやしかし、僕宛というからには、この第ゼロ開発室のことをよく知っている人間……」
室長は眉間を2度ほど指で軽く叩いた。
「そろそろ教えて貰えませんか、第ゼロ開発室が何をする部署なのか」
彼は意外そうな表情でわたしを見た、ような気がした。
「キミ、まだわからないのか。勘は良い方かと思っていたが」
「勘には頼らないタイプなんです」
「直感力もなさそうだしな」
わたしの心に大昔にネットで流行ったという、叫びを表す顔文字が打ち込まれた。
「それで第ゼロ開発室はなにを?」
とびきりの笑顔を披露してみるも、「目が笑ってないぞ、視線で鉄板も貫通しそうだ」と真顔の室長に打ち返されてわたしは深呼吸を2度ほど余儀なくされた。
「まあいい、こんな怪しげな手紙を発見してもどこに報告するでもなく独自に調べようとしているということはだ」
「はい」
「つまりそういうことだ」
「わかりませんよ!」
やれやれと室長はわたしを指さす。
「さっきも言っただろう、これは我々の仕事だと。第ゼロ開発室は、会社内部で起きた事件、もしくは起きると予測できる事件に対して独自に調査、可能であればそれを解決する部署だ。そんな事がなければ普段のわたしは精神感応機構の開発に少しばかり携わっているわけだが、そしてキミは秘書」
「指をむけないでください」
わたしはまた彼の指のベクトルを力強く変えた。
「じゃあ、スパイを捜したり、スパイを捕まえたり、スパイと戦ったり!?」
「なんで全部スパイなんだ」
「とにかく、そんな危ない部署だったなんて!異動を要求します!」
「却下」
「うう……」
溜息をつきながらフォークでパスタをくるくると回す。
室長は僅かに目を細め、珍しく真剣な口調で声を低めた。
「稀にだが、ギフトを持った能力者を相手にするなんてこともあるな」
わたしは声を上げそうになったのを懸命にこらえた。
「そ、そんなの聞いてませんよ!」
「今伝えた、以上」
こうしてわたし達第ゼロ開発室の本当の仕事が始まったのである。