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異邦人と魔法の旅  作者: 中森 壮
2/4

No.2 記念すべき旅立ち a

 いつだって、夢をみたあとの目覚めは悪かった。


 まったく、埃くさい。


 カビのにおいがまじる。


 あたまの毛穴からでてくる皮脂も鼻につく。


 こいつらが僕の夢を調理しているのだ。


 じつに忌々しかった。


 このごろ、よく眠れていない。夢は眠りが浅いときにみるとされる。ならば、夢は睡眠の質が低いことを実証するものであり、夢をみることはからだに悪いものと思う。


 今日の夢はへんてこで、おかしなものだったから、余計そう感じるのだ。


 全身に蓄積された疲労。むしろ寝ないほうがよかったのではないか。


 奇妙なそれとはこうだ。


 僕は素っ裸で街中を歩いていた。


 汗をかき、風が吹くと寒い。人目を気にしながら、だれかに見つかるかもしれないという嫌悪にさらされながら、街中を歩いていた。


 どうして嫌なのか、嫌なものは嫌なのである。素っ裸を見られたらおしまいだ。このときは、なぜかそう思ったのである。


 こそこそするのは好きじゃないけれど、仕方ないよね。ときどき、草むらや低木の植え込みの影に隠れてあたりを見回す。ランナーズハイになるまで走ったりしながら、どうにか自分の部屋にたどりつく。


 自分の部屋とは、散らかった部屋である。本とプリントと服下着で埋め尽くした。ここにあるものの置き場所は把握しているつもりだった。僕は、中世後期日本社会における農民の集住と村落の形成について研究するために『室町人の精神』をさがしたけれど見つけることができない。漫画『PLUTO』の主人公ゲジヒトの髪量が英俳優ダニエル・クレイグに似ている気がして、映画『007 スカイフォール』をさがしたけれど見つけることができない。結論として、あきらめてベッドに入った。


 ベッドのなかはすでに生温かい。汗をかいていた僕は手足を伸ばして冷たいところを求める。


 すると、やわらかい体温をもった、なめらかなものにふれた。


 感触から、僕のベッドのなかに、先客の女の肉体があることがわかった。


 掛布団をめくると、なにも身につけていない、白い肌に、艶やかだけどぼさぼさの黒いショートカットがみえる。


 そいつは僕に背を向けている。


 手を伸ばして転がしてこちらに向けてみると、女は真理(まり)だった。


 起きていても可愛らしいが、寝ている姿もまた可愛らしい。この、十四歳のとてもあたまのよい女の子は、僕がいることに気づいたのか、指先で自分の両目をこすりやがてこちらを見る。


「お兄ちゃんいつ帰ってきたの?」


 と言った。


 僕は真理の前髪を払っておでこにキスをし、頬ずりをして彼女のからだを抱き寄せる。


 そうしているときに、目が覚めたのだった。まだ眠かった。


 埃くさい、かび臭い、あたまの脂くさい毛布のなかにくるまる。


 僕は、一連の出来事をどのように捉えたらいいのか。


 出来事は、僕のなかにあるものを原材料にしてできている。ならば、経験か願望か、それともサイケデリックな幻想か。


 だれかが言っていた、寝ている人間は夢をみることで記憶を整理し、あたまをスッキリさせているというのだ。


 ところが、いまの僕のあたまはモヤッとしている。


 当然だろう。僕の人生に、真理とのいかがわしい触れあいは存在しない。ねつ造の記録を有機的ライブラリに無理やり植え付けられたのだから、宇宙の調和をかき乱された気分になってしかるべき。


 ほかの女が登場したのであれば、話は終わりだった。なにも悩む必要はない、今日も世界は楕円にまわっている。


 しかし、名前も思いだせない女は真理に差し替えられた。たしかに、そっちのほうが効用は高い。でも、現実にはなかったことだ。まるで真円の太陽系だ。


 それでは、出来事を願望といわれると、悩ましいが完全な否定はできない。


 ああ、なんてこと。


 僕はとんだ糞野郎だ。忌むべき権威主義者の連中とおなじなのだ。


 僕と真理は十ほど齢がはなれているが、これは問題ない。真理の年齢はひくいけれども、じゅうぶんに知性のある人間だ。僕らの間柄は血のつながった二親等である。明治民法は四親等よりはなれていないばあいは婚姻を結べないと定めているけれど、べつに愛しあうのに結婚が必要とはかぎらないから、ルールが僕をさまたげているわけではない。


 いけないのは血縁そのものだった。


 そばにいて、おなじ血がながれていると感じるとき、僕の真理への思慕は萎縮する。


 そう、僕はとんだ糞野郎。血統主義者であり権威主義者。


 つまり、これは感情だ。


 生物として数万年あるいは数億年にわたって刻み込まれてきた本能が、血縁者にむけられた抑え難き愛情を掻き消そうと躍起になっている。


 より具体的には、真理が赤ん坊だったころの()()()()がいまも彼女に残っているような気がして、僕はつい遠ざかってしまう。真理が、理想のひとであるにもかかわらず。


 知的である。明るく、好奇心に富み、精神と肉体のバランスもとれている。


 一般相対性理論よりはるかに平易な特殊相対性理論の理解にさえ至らぬ僕に、三平方の定理を用いて時間の遅れを説明してくれたのも真理だし、リフティング十三回目で力尽きる僕に、デニス・ベルカンプのごときトラップ技術を伝授してくれたのも真理だった。なんでか、“泣きのギター”は教えてくれなかったけれど。


 真理への想いは理性からきている。


 帰納と演繹を箇条書きと方程式にし、弁証を重ねていった先にある真テーゼが「真理」なのである。


 それなのに、血がつながっているというだけで、幼少の面影にくわえて俗世間の目というきわめて反知性的な有機物のことを気にして身が縮こまってしまう。そいつらの言い分が、僕の出した命題に傷ひとつつけることができないと知っているのに。


 遺伝のリスクについては問題にする必要もない。かんたんなことだ、僕たちのいる世界では、生物学上の見解よりも正義が優先されるからだ。


 たとえば、永遠の愛を誓いあって結婚したカップルに、「あなたがたは遺伝子検査の結果、子どもを成すことができません」と伝えたら、そのカップルは別れるべきだろうか? または、別れさせることはできるのだろうか?


 カップルのあいだには、永遠の愛の誓いという「契約」が成立している。日本の婚姻届には永遠の愛などという反証強度の低そうな記入欄は存在しないのだけれど、とにかく、この「契約」を、遺伝子検査の結果を理由に破棄することは、正義に反しないのか。


 日本では子どもをつくらない夫婦を法で罰することはないが、離婚するときに、まれに、慰謝料と賠償金の支払いを行うことがある。


 離婚調停で慰謝料が発生するのは、片方が浮気など不貞行為でもした場合である。つまりは、永遠の愛の誓いについての「契約」の不履行というやつだろう。そうしてはじめて有責が認められる。正義が下されるのはこういう場面でのことだ。


 民法の第何条にかかれているかは失念したけれども、裁判所に訴えて強制的に離婚できる場合のうちに不妊は含まれていないはずだ。だから、カップルに子どもをつくるという義務はない。


 ならば、そういうことではないか。おお、なんとも美しい! 僕らの栄えある小さな大帝国は、なにごとも正義に基づいてなしとげられているのだ!


 もちろん、そうでなくちゃあならない。法の根底には正義がある。「基本的価値観を共有している」とする政府の文言は、このことでもあるのだから。正義に反する法は法にあらず。


 同性愛のカップルも同様に適用されるべきだ。僕の知識の範囲では、同性愛のカップルの存在が正義に反することも、おびやかすこともあり得ない。正義は両人が愛する権利を等しく保障する。


 同性愛というものが産業資本主義社会における労働力および需要の再生産性に敵対していることはたしかだけれど、産業資本主義成立の前提に正義があることを考えれば、正義が経済原則より優先されることは明らかと考える。


 現行法における婚姻制度そのものが、家と家をつなぐものである「故実」に基づいているために彼女らもしくは彼らに対し認められないとしても、それと同等の権利を有する事実上の婚姻関係は認められなくてはならないと思う。


 つまり、従来の婚姻制度のとなりに、全性愛に関する新しい婚姻関係の制度を用意しておけばいいのだろう。婚姻契約の著しい不実行についてカップルの一方の申出があるなら、新制度の利用者も等しく違約金を支払わなくてはならない。


 よって、僕と真理についてもおなじことがいえる。公平にいって、僕らは結ばれるべきなのだ。これは、何人たりともさまたげることはできない。


 もし、真理に「誠意とは価格である」と言われれば、僕はよろこんで誠意の寡占と管理を受け入れるであろう。つまり僕の財布は真理のものである。


 確実だ。実証済みである。すでに、理性は結論をくだしている。


 であるからして、感情が問題なのだ。


 動物の本能は、意識のなかに感情を生み出す。よろこび、いかり、好感、嫌悪。


 だいたいの人間は、感情をむきだしにして生きている。そうした連中による、理論的裏付けのない作用は、僕らの世界に迷信や矛盾を育んでいく。


 プラトンは感情を野蛮な本能だと言った。クラプトンはジョージの妻パティ・ボイドと不倫した。チャールズ・ロバート・ダーウィンは人間が動物であったころの名残りで、もはや役にたたないものとしている。紀元前四世紀から脈々とあって、いまだ解決の目途も立ってないとは怠慢だ。


 ときどき、はねの生えたオオカミが子羊たちをまどわしてきた。


 具体的にいえば、そうだ、江戸城内と江戸市街地の刹那的な気分が、吉良浅野両家の者どもを破滅にみちびいたように。


 旧暦の日付がおぼえやすい。14は僕の好きな数字。さよなら、フライングダッチマン。


 元禄十四年三月十四日、御城中松之大廊下にて浅野内匠頭が吉良上野介を刀傷。怒れる公方綱吉は赤穂内匠頭家に当主の即日切腹と御家お取り潰しを申し付け、一方の吉良家に咎めはなく遭難見舞いのことよくお伝えになる。市井の者ども、内匠頭家に情を同じくし、当世の侍の腑抜けっぷりをなじりもしたが、翌年十二月十四日、いざ吉良屋敷に討ち入りと相成れば、武家町人の別なく喝采し「あなめでたや」とな。御公儀、松之大廊下一件にて上野介に卑怯の振舞いあるとし、上総三郎こと足利義氏が長子・吉良長氏以来の名門三河吉良家はめでたく改易、内匠頭家四十七士は無事の切腹となった。


 なんのことはない。権力と権威と民主主義が、行政と司法と立法が、ようはそれぞれ三権が入りまじっているのだ。


 当時の“まつりごと”もまっとうにやっているといえる。僕の曽祖父は、「政治とは人の気持ちを汲んであげることだ」なんて言っていた。あれこれの理屈を盛りつけて、みんなのあたまをたてにふらせるのだ。現世人類と変わらない。理屈も筋道も、郎党感情を逆なでしないようにやる。


 伍子胥も皇帝ネロもグスタフ・アドルフもみんな激情な人物たちだった。范蠡、オクタヴィアヌス、オクセンシェルナだってそうだろう?


 行動をおこすときに立ち止まって大脳新皮質で考えたものもあるだろうが、考えるまえの瞬間には強い感情の揺れ動きがあったに違いない。


 歴史上の出来事に「現代的な合理主義」の観点から理由をつけるのが最近の史学の流行りである。だれど、けっきょく、論理の奥底には人間の情のようなものがみえることが多い。


 ああ、僕だってわかってはいるのだ。


 所詮、理性は感情によって支配される。


 理性の底には感情があった。


 これは真理(しんり)である。


 理性は、感情の定めた方針に沿って成り立っている。あれやこれやの事柄に対して、自分の動物本能と矛盾しないかたちで、もっともらしい理屈をならべているだけなのだ。


 僕がいま考えたこともそうなのだ。僕の真理に対する愛について、世間や両親や友人、それに僕自身が認めてくれない。現状がいやでたまらないから、寝起きのモラトリアムをいいわけにして、ぐだぐだを考えつづけている。


 そもそも、真理への想いが理性からきてるなんてのがまちがいなんだ。僕の感情は、正直なところ、この世界の常識というものに非常な畏れを抱いている。にもかかわらず、自身の妹の肉体と精神に欲情している。


 無秩序に肥大していく欲情の塊が、自己の安全保障に都合のよい定理を権威とし、これを笠に着て知性を気どっている。


 なるほど、僕は糞野郎どころではない。糞を創り出すはらわたに巣くう寄生虫なのだ。


 なにをいっているのか、じぶんでもよくわからない。


 19世紀以前の哲学者が考えていた世界は、数学と物理学の進展でひっくり返された。


 イデア論者やナーランダ大学の僧、陰陽寮の官人が「素粒子の相互作用・自然界の四つの力」についての講義を受けたら、いったいどんな顔をするだろうか。


 正義は、論理的には絶対に覆らないからこそ正義なのだけれど、いずれそうなるときがくるとしたら、たぶん、僕の顔はのっぺらってるだろうね。


 本当は、最初からあやふやなもののうえに立脚しているのかもしれない。明確で動じないようにみえる座標系が、ニュートン力学の時代よりはるか昔から慣性のうえにのって宇宙を旅しているように。


 次は、医学と生物学が僕たちの正義を葬り去る番だ、きっと。


「基本的人権の尊重もしくは厳守。また、これらの諸権利は不可侵たる所有権より生ずる」


「君、そういうことなのだ。すべての権利は所有権をもとにしてできている。これは、僕らのいる世界が真の真空に相転移するか、ダークエネルギーの急速な膨張が重力を追い越してすべての物質を最小単位にまで解体してしまわないかぎりは、絶対に正義だと言えるのだよ」


 そうでなくちゃ困る。けれども、いつか困ることになるのだろう。


 生命の神秘がとけてしまう時代がすぐそこまできている。


 やはり、夢はからだに毒だったね。


 いつだって、夢をみたあとの目覚めは悪かった。


 『A Hard Day’s Night(邦題:ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』を聴きたくなった。


 羊毛布は、埃とカビと皮脂のにおいがまじりあっていっぱいだ。


 のどがかわいた。


 ただ、ひとくちの水が飲みたい。


 だれか人を呼ぶか、ここを出て水を汲みにいかねば。この部屋の湿り気だけでは、どんなに優れた水魔法を用いてもティーカップ一杯分の飲料水もつくれん。


 あおむけになった。見知らぬ天井である。


 そうであったか。これが見知らぬ天井か。むきだしの、古い木板が細長く、斜めに走っている。それをたどって、左上から右下へと視線を落としてゆく。うん、しらない。


 知らぬのはそれだけではない。寝具も、壁も、空気も、ちらかった床も机も。バスケットボールほどでしかないちいさな窓と、そこから差し込むうすい光にかがやく埃の幕も、僕の知らないものだらけ。世の中がそうであるように。


 なるほど。ここは、僕の部屋とはちがうところである。


 よくもまあ無防備でいられたものだ。


 僕は旅行先で気が張って眠れないことが多い。環境の変化に対する弱さ自覚していたけれど、今回は浅いとはいえ睡眠に成功している。


 あまり清潔な部屋ではなさそう。いや、単なる汚れ具合でいったら僕の部屋と大差ないだろうが、この部屋はより古めかしく、まるで、父の子どものころの部屋に入ったときのようなきがした。


 かび臭さがそう思わせている。視覚的にも、なんとなく煤ぼけている。


 起き上がってみると、なんと! strange, 奇妙な、またもじぶんが素っ裸でいることがわかった。


 ちょっぴし、さむい。


 毛布をあたまからかぶり、からだにまきつけてベッドから降りて立ち上がると、床のちいさくきしむ音がした。床も天井とおなじで、古くて細長い長方形の木板が、部屋のそれぞれの壁に対し斜めになるようにしきつめられている。


 本を散らかしているのは僕の部屋と似ている。けれど、プリント用紙の類はあまりなく、衣類もすくない。


 かわりに、僕の背丈よりも高い、絨毯らしきものの巻物が壁に立てかけられていて、あまり広いとはいえないこの室内の空気を圧迫していた。


 足元には、球のない地球儀っぽいものが置かれている。ひざ丈くらいの大きさの、木でできた円がいくつも組み合わさった造形物。まあ、天体観測の器具だろうとは思う。


 床に落ちていた本を一冊手に取ってみる。


 ハードカバーでえらくお堅い。持ち運びには不便そうな重さ、ダンベルいらず、A4くらいのサイズ。細やかな凹凸のある、さらさらした表紙には、金の刺繍でローマ文字の筆記体と天秤の図がかかれている。


 法律関係の書籍だろうか。


 背表紙は、竹の節々のようだね、浮き出た五本の線によって区切られており、一節ごとに横文字の並びや簡単な図画が記してある。


 ふたつの窓から淡い光が差し込む。ちいさな丸い窓で、にごった白ガラスがはめ込まれている。その下まで行って、本を開いた。


 最初のページは絵だった。


 まだなにも植えられていない畑。そのなかに農夫とその妻がえがかれている。絵の右上には人間の顔をした太陽がいた。口をすぼめて大風をふたりにむけて吹きかける。カラーページ。総天然色の冊子を見ると、つい、コスト計算をしたくなるのはなぜだろうか。農夫たちは鍬にしがみついてとばされまいと必死だが、太陽のほうはそれについてどこ吹く風であり、無表情で正面をみつめている。いったい、なんの趣向だろうか?


 めくって、次の見開きは文章である。イタリック体のローマ文字がつづられていて、余白の部分がやたら広い。


 本文は真ん中の狭いところに追いやられて縮こまっており、本のサイズの割に文字は小さかった。ページの上下左右が大きな余白となっているのは、古書にありがちな特徴でもある。


 文章の最初の一文字は絵画的な金色の装飾で“L”としてあった。この字は、あとにつづくほかの字より十倍は大きい。絵画的というのはそのままの意味で、“L”の縦線のなかに、槍を持った兵士が立っている。


 ほかに、一字一句の不均衡さを感じた。文字の並びがガタガタで、それぞれ大きさも微妙に寸法がずれているのだ。字がすこしかすれているところがあり、これが印刷されたものとわかる。


 グーテンベルク聖書をおもわせるつくりだけれど、字体はイタリックである。フラクトゥールで書かれるとクソ読みにくいからこれで正解だ。


 内容はやはり法律関係だった。「神の御名において王国が法を定める。王国の法は、神の法を補って記されるものである。故に王国の法は破られるときに、取り決められた刑を処すものとす」などとかかれている。なかなか理知がある。


 まて、なんでだ? 僕はどうしてこれを読めるのだろうか?


 この文はフランス語に似た言語で書かれていることはわかる。でも、僕はフラ語を読めない。学生時代の第二外国語であるので簡単な文法は知っているが、仏単語の大部分はおぼえていない。


 フラ語翻訳については経験があった。2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会を思いだした。僕は、仲違いをおこして崩壊したフランス代表の実情を知るべく、仏和辞典片手にフランスメディアのフットボール記事を訳そうとしていた。当然、日本のサッカーメディアより情報が出回るのは早い。のちに日本語記事でも伝えたはずだけど、星座占いの結果を選手選考に反映する、統率力のない監督に対する批判や、人畜無害そうにみえてじつは有害だったフルバックの選手が、“Les bleus” に致命的な分裂をもたらしたことなど、さまざまひどい書かれようだった。ニコラ・サルコジが代表チームに介入したことを伝えたル・モンド紙とレキップ紙の記事を読んだ記憶がある。政治家の圧力なんて、アジアの国々(モレノフレンズ・済州島プロレスの国をのぞく)がやったらFIFAから一発退場だろうね。SNSのコメント欄書き込みを読むのも面白かった。泣きわめくフランス人をみているのはじつにたのしい。フランス人は、自らの代表チームを美しいフットボールをするチームであると勘違いしていたようだが、はっきりいって君たちの美しさは白い炭酸果実酒などではない、ウナギゼリーのそれと大差ないのだ。アフリカ人だらけになったのが悪いと書き込むやつもたくさんいたけれど、アフリカにルーツを持つ選手を半分でも追放したなら、フランスなんてアイルランドにも勝てなくなるにきまってる。とにかく、2002年大会のことも理由にあるのだろうが、日本代表および贔屓の球団の監督については、フランス語を話すやつだけはごめんだと思ったことは、いまは懐かしい記憶だった。


 さて、フランスか。いつかは行ってみたいと思っていた。これはたしかなのだが、動機に具体性がないのもたしかであった。


 僕は庭園をめぐるのが好きだ。小石川後楽園や江戸城、天龍寺や龍安寺、はがきを出して予約して西芳寺などにでかけたものである。


 フランスも庭園で有名な国だ。


 世界遺産の一覧本で西ヨーロッパながめていると、見事なフランス式幾何学庭園が相対性バロックな宮殿とともにあらわれる。地上からも空からも美しいのは、フランスぐらいではないだろうか。


 でも、どうも好みとちがったりする。


 確実な技術、計算によってなしとげられるシンメトリィなフランス庭園は実証性が高くてうれしいけれど、こころを惹かれるのは、同じ欧州であればイングリッシュガーデンであり、または寒冷地に住むドイツ人のブラックウォーター・アクアリウムだった。


 だから、とくにこれがみたいというものに乏しく、固有名詞が僕のあたまのなかにない。この構造はほかのジャンルでも同一で、これが僕のフランス旅行の具体性を失わせている。


 腕の筋肉がつりそうだ。僕はごついハードカバーの法律専門書をもとの位置、散らかる床に置いた。


 前腕筋の半分と、上腕二頭筋に気持ちのいい痛みと張りがのこった。


 胸が苦しい。緊張と興奮。吐き気。


 さっき置いた本をみた。こころのなかで、なんとなく「rentre ラントレ 帰れ」とつぶやいてみた。


 この法学書は、ひとりでむくっと起き上がった。本は、急に立ち上がった。


 寒いのだろうか? ぶるぶるっと震えている。その場で、テクテクと足踏みをしながら、辺りの様子をうかがうようにひと回りする。


 本は、こちらに背を向けると、とつぜん、糸を引いた直線的動作で本棚へすっ飛んでいき、がら空きの棚の中央やや左のところに腰を落ち着けた。


 それからは動かなくなった。静かなものである。


「へくしゅっ」


 おーれィ。僕はくしゃみをした。


 鼻水がわずらわしい。鼻をかむハンカチのような布きれをさがそうと思ったけれど、面倒なのでやめることにした。ハンカチだと? そんなもので鼻をかむとは、まったくブルジョワだね。


 僕はハウスダストアレルギー持ちだけれど、おかげで埃が舞っていることを探知することができる。


 つまり、こういうことだ。


 あの本は、運動したのである。


 足元に置かれていた古めかしいハードカバー装飾が、シンプルな長方形の木製本棚のほうへ、運動したのである。


 彼は彼女のところへ運動したのである。


 とくになんの予備動作もなく、位置エネルギーの低いところから位置エネルギーの高いところへ、なにもない空中をたどって運動したのである。


 なんと、STRANGE !! 奇妙な‼


Oh, you are kidding me.


 正直に申し上げますと、こうした場面に出くわしたとき、感情を表に出さないほど僕の人格は成熟しきっていませんでした。


 ゆびからちからがぬけ、痙攣を止められない。


 ひざの筋肉のコントロールができなくなっている。がたがたである。運動不足だから? いや、そうではない‼


 飛んで行ったのだ‼ 本が! 僕がそう思ったから! 飛んで行ったのだ‼


 君は、いったいなにを見ていたんだ‼


 ありえない! こんなことは高校の物理の教科書にも載ってない、ジェームズ・クラーク・マクスウェルも南部陽一郎も知りっこないことである。


 重たいハードカバーの書籍が、床から本棚の中腹めざして飛んでいくなどという現象は、僕の知る限りでは実証されていない。


 反復せねばなるまい。


 そうである、これは、反復せねばならない課題である。


 床にはまだまだ書物が散乱していた。僕は、これが片づくよう切に願った。


 中学二年の二学期末に、ワックスがけのために机と椅子をすべて外に出した2年A組の教室を思い出した。


「君たちは、片づけられなくてはならない。おい! 片づけられるべきなのだ!」


 しかし、よくぞここまで散らかしたものだね。ところどころ隙間があって、そこから木床がのぞく。そこだけが埃もなくきれいにしてあって、本の表紙や部屋の隅にはちいさなごみや抜け毛が積もっている。


 部屋のすべては僕をのぞいて座して動かず、片づけは一向に進まない。


 静かだった。なんにもおこんない。


 なるほど、そのようなものか。


「おい、立て」


 といって、近くにあったハードカバーを蹴った。足が痛いだけだった。


 くしゃみがでそうになったけど、鼻を手でつまんで、なんとかこらえる。


 また、ベッドの上に寝転んだ。毛布を開いて、全身あおむけになった。


 素っ裸なので、お腹が寒い。


 生殖器のポジションを調整する。陰嚢を触ってみると、冷たさのせいか縮こまっていた。


 寝返りを打ちながら毛布にくるまる。僕ならどうするだろうか?


 ちいさな窓からさしこむ光が、だんだんと、ゆっくり、弱くなっていく。


 部屋は暗く、暗く、底の方へと沈んでいく。


 本棚と書物はそれぞれに対応している魔法陣があり、そこに向けて飛んでいくのだ、いわば、これは引力である。さっき、「ラントレ」と声に出さずにつぶやいた。詠唱術というのはインスタント食品のようなもので、べつのやりかたもある。ようは、イマジンだ。本当の意味で国境のない世界を思い浮かべるのだ。あたまのわるい音楽ファンにはとても望めないだろう。国境のない世界は、国境という概念を持たない人間のみが存在し、動作するということを。こんなシンプルで複雑なこともわからないのか、君は。この宇宙は単純でコンプレックスにできているんだよ。そうだね、ジョン。理科準備室にある薬品をぜんぶまぜてみる勇気が必要だ。この世界は爆発から始まったのさ。うん、そうだね。イマジン、目に見えない、本棚、魔法陣、本、砂粒のきらめき、動く…、動け


 ダン! と音がした。見ると、床の上で数十もの本が立ちあがっていた。


 彼らはみなガタガタと振動し、くるりとまわってこちらに背表紙をむけ、一斉に本棚へ飛んで行った。


 本棚のまえで何冊かぶつかり合っていたものの、とりあえずきっちり収まった。


 けど、ぶつかり合う姿はじつに見苦しく、この魔法については改善の余地があると思った。


「へきしゅっ」


 また、僕はくしゃみした。


 鼻をかむための「布きれ」を思い浮かべたら、


「すうっ」


 と白いものが飛んできたので、それを右手でキャッチした。ジェダイかな?


 飛んできたやつは、乾燥してすこし繊維が固くなっており、よくみると茶色と黄色と白とをまぜたシミがいくつかできている、ハンカチのようなものだった。


 面倒なので、これで鼻をかんだ。


 なるほど、そういうことか。


 僕は、魔法貴族である。


 僕は、“南出真司”であるとともに、“オットー・フリードリヒ・フォン・ヴィーダーベレーブング”なのだ。

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