ギルドマスターの憂鬱
文章力のなさ
そっと二階から降りてくる人影が一つ。ここに自分がいるということを特定の人物に知られたくなかった男は、階段が軋まないように忍び足でそろりそろりと一段ずつ降りていく。しかし、足元を注視しすぎてしまった彼は、下で待ち構えていた女の陰に気づかなかった。
「ふぅ、よし、あとは裏口から……」
「マスター」
「ふぁ!!?」
間抜けた声が響き渡った。
「………」
「な、なんだよ…」
「遅刻です」
「う、うっせ」
「では報告書に……」
「だあぁ!悪かったって!」
ギルドの受付奥にいるとある男女で、そんな会話がなされた。
男は太ってもいなければやせすぎてもいない普通の中年男性。対して女は、理知的な雰囲気を感じさせる若くて綺麗な女性である。あまりにも容姿的に違いすぎている二人の男女。男と女が薄暗い場所にいるとそういうことが懸念されるわけだが、もちろんそんなことはなかった。ただの上司と部下である。
「で?なんかあったのか」
これ以上この話が長引くと過去の遅刻や欠勤のことにも飛び火してしまうと推測した彼は、彼女の持つ紙の束に気づいて問いかける。
「……まあいいです。ではこれを」
「どれどれ……」
露骨に話題をそらされたことに気づいたが、彼女はそれを咎めることなく彼に持っていた報告書を手渡した。彼はそれを受け取ると一つあくびをして読み始める。最初は気だるげで眠そうであった男の顔が次第に険しくなっていく。それはページがめくられていくごとに顕著になっていき、最終的には彼の顔から眠気なんてものは吹き飛んでいた。
読み終わった報告書を隅にある机に放り投げる。
「……はぁ」
「……」
「…………これは本当なんだな?」
「そのようですね」
「まじか………」
出来れば嘘であってほしかったと、目頭を押さえながら天井を仰ぐ。そして自らが机にたたきつけた報告書をもう一度手に取った。
『第一王子が公爵令嬢を婚約破棄』。
字面で見ると大したことないかのように聞こえるかも知れないが、もうやばすぎて語彙力低下でやばいしか言えなくなるほどの大事である。
まず、婚約破棄というのがめったにない。解消ではなく破棄するとなると、よっぽどのことがない限り不可能である。他人との婚前交渉や、もみ消せないほどの事件を起こしたなど。
さらに婚約破棄をした理由が同じ学園に通っているクラスメイトである平民の少女へのイジメである、とのことだ。別に大した事件でもない。そしてさらにこれが大きな事件であったと仮定したとしても、確たる物証はないとのことだ。
あほすぎるにもほどがあるだろう。王子様よ。
まあしかしこの報告書もそこまで詳しく調べたわけではないようで、詳細なことは何もわからなかった。
つまり現状どっちが本当の悪なのかはわからないということだ。
「……まぁ、王子が頭おかしいだけだと思うがなぁ……」
「えっと、不敬罪で通報してもよろしいでしょうか?」
「ふぁ!?」
「失礼。冗談です。あと驚き方がキモイです。主に顔が。」
「辛辣すぎない!?いい加減にしないとおっぱい揉むよ!?」
「今度はセクハラですか………。やはり通報しますね」
「すみませんでした!」
男はこの女が少し苦手であった。なぜなら会話していると知らず知らずのうちに自分が謝らなければならないことになっているからだ。
自業自得である。
「……で?結局ソーニャはどう思う」
「まぁ黒いのは王子の方かと」
「第一王子は馬鹿だからなぁ………」
今代の国王は賢王と呼ばれている。歴代の王の中でも一番と言われており、圧倒的知識からくる自信と生まれ持った統率力により様々な政策を打ち出し様々な問題を解決してきた。顔もよく、国民への配慮も怠らない国民の理想を体現したかのような王である。
そうなると当然跡継ぎにも期待が高まる。彼から生まれる子供なのだからと、過度の期待をかけられた中生まれ落ちた王子は、期待外れであった。顔はいいのだが、なにもない。それだけ。
学ぼうとする気力もなく何かしら突出した才能も彼は持ち合わせていなかったのだ。しかし、才能ではないが王子にも一つ凡人と比べて突出していたものがあった。………自尊心である。
彼は大きくなると、考えて行動し始めた。当たり前のことである。だが彼は物事を深く考えるだけの頭を持ち合わせていなかった。何にも裏打ちされていない自信程こわいものはない。そして無駄に高いプライドが、そのどこからか湧き出る自信をより増長させるのだ。
それにより王子はいままで数々の問題を起こしてきたが、国王の息子ということで許されてきた。
しかし今回のこれは…………
「まぁ、最悪処刑だよなぁ……」
なにせ今までが今までである。国民も我慢の限界なのだ。今まで何をしてもお咎めなしだったことは国民の不満として蓄積されている。しかも賢王が良い統治をしているためにより王子の失態が目に付くのだ。そして今回の平民でも異常なことだとわかる事件を王子が起こしたのだ。最悪処刑である分まだましな方である。
「じゃあ、こっちは俺が調べてみよう。ソーニャは受付にもどってくれ」
「わかりました」
この話はこれで終わり。
あとはそれぞれの仕事に戻る…………はずだった。
彼らを襲う突然の寒気。
続いて謎の咆哮が響き渡る。
「AGarRRRRrrrarararrrrrr!!!!!」
聞こえてきた声はほんの数秒で終わった。
冷や汗が頬を伝う。
「なんだ今のは……おい。大丈夫か」
「は……はい。なんとか」
どこかくぐもった叫びだった。
しかし、そんなことは関係ない。今にも重圧で崩れ落ちそうであった彼らは分かってしまう。あれは自分たちに向けられたものではないと。他人へ向けられたものの余波でこれであると理解してしまったかれらは、この木でできた薄いドア一枚を隔てた向こうの受付に、化け物がいることに恐怖した。
そしてそれに会わねばならない。ギルドの頂点である彼と、受付嬢でありながら副マスターである彼女は、ギルドを守る義務がある。それが国との契約であった。
おそらく向こう側にはたくさんの気絶した冒険者とギルド職員がいるだろう。彼らも助けねばならない。
「いくぞ」
「…えぇ」
二人は一斉に飛び出す。扉を開けずにけり破った先にいたのは
鎧と侍女であった。
時間もない
何があるのだ………




