描けないストリー***
***描けないストリー***
「亜咲先生」
編集部担当の中田真由美が、僕の所へ来たのは11月も過ぎた、晴れた秋の空が気持ちい日だった。
「先生、読者アンケートの集計出ましたよ。今のシリーズ本当に好調ですよ。ほら、こんなに読者からのメッセージが来ていますよ」
ワードでまとめた読者アンケートの声の一覧を僕に見せた。
僕はそれを見ながら、彼女は言う
「先生、本当にこのシリーズ今ので終わりにするんですか。こんなに反響あるのに、勿体ないですよ」
田中真由美は編集長からの依頼をそれとなく僕に伝えているようだ。
「そうだな、正直勿体ない気もするけど、あと少しなんだ。最終話」
「え、もうそんな所まで書き上げちゃったんですか」
「ああ、あと少しなんだ。でも今は少し時間を掛けようかと思っている」
彼女は不思議そうに僕の言葉を訊いていた。
最終話の最大の盛り上げに何か考えているのか、それとも、やっぱり愛着もある物語に終止符を打つのをためらっているか。
彼女の顔からは僕がそんな事思っていると考えているみたいだ。
「さてと、小休止だ。中田君、何か飲む」
彼女は少し下を俯いて
「先生、私今度先生の担当を外れるんです」
「え、どうして」
「あ、いえ、先生が悪いわけじゃなくて、担当編成があったんです。この前……」
「そうか、それじゃ寂しくなるな」
「そうですね、私が入社して初めて担当させて戴いたのが、亜咲先生ですからね。私も本当はすごく寂しいんです」
「そうか、それで今度は誰に就くんだ」
「それがね、有田優子先生なんですよ」
僕はその名を訊いて飲みかけたコーヒーを噴いた。
「ご、ごめん。でも君は今も優子の担当もしているんじゃなかったのか」
「ええ、そうなんですけど」
彼女の話によれば、今度優子はこの出版社から全10巻に及ぶシリーズとその他エッセイなどの依頼を受けていたらしい。
さすが作家でありながら、売り込み営業もしっかりと熟している。
そして、その全てをおよそ2年間でこなさなければいけなかった。
2年間で10巻のストーリー構成。彼女は他にも執筆を掛け持ちしている。
だから彼女を全面的にサポートするため単独担当を選任した。 それが彼女中田真由美だったのだ。
「先生、私に出来るんでしょうか。あの有田先生のサポートなんて」
ま、不安にあるのも不思議ではない。あの優子の専属担当となれば……
「大丈夫じゃないか、君なら」
とは言ったものの、かなり性根を据えないと泣きを見るぞと言ってやりたかった。
「それで僕の担当は何時まで」
「あ、それなんですけど。一応正式には今年いっぱいと言う事らしんです。でもその間も有田先生の方を優先することになりますけど」
「ああ、それなら大丈夫だ。僕の方は心配しなくていいよ。優子の方に全力を掛けてくれ」
「そう言って戴けるとありがたいです」
そして、彼女はまたあの話に戻す。
「先生このシリーズ終えるって事は、もう彼女へのメッセージを出さないっていう事になるんですか」
「多分な」
「それじゃ諦めたと言う事ですか」
「……多分」
僕はあの日、偶然沙織に出会った。
その時見た沙織は、もう自分の新しい生活を営んでいた。一目見ればわかる。
だから、僕がいつまでも拘るのはもう、辞めようと。
今更、今更。沙織がもし記憶を取戻したとしても彼女も今の新しい生活がある。
もしかしたら新しい彼氏がいるやも知れない。
そうなれば僕の存在は沙織にとって苦しめる存在になりかねない。
僕はそう思った。あの時交差点で落とした本を拾って渡した時。僕はそう感じた。
それにこのシリーズも、これで10巻になる。
節目としては切りがいいだろう。
あの二人で描いた小説も今や絶版となっている。あの数少ない中、さおりが手にしているとも思えない。
これでいい。
僕らの思い出は時の流れに、消えた行ったのだから。
意固地な自分は嫌いだ。
だって自分の気持ちに嘘をついている事だから。
本当は知りたい、私が失った記憶を。
取り戻したい。
でも今は我慢する。まだ早いと彼が言っていたから。
夢の中で……
私は何時しかまた夢を見ていた。
その夢に出てくるのはあの作家
「亜咲達哉」をはっきりと彼の姿が見えてくる。
姿、彼の顔に彼の笑顔。
夢の中で見る彼はいつも優しい。私を優しく包み込んでくれる。
悲しい夢じゃない。暖かい、安らぐ夢。
今は夢を見るのが楽しみになっている。
でも彼は、達哉は言う
「まだだよ」って「まだその時じゃないよ」って
だから私は……意固地になっている。
僕はこのストリーの最後を結ぶにあたって悩んでいた。
根本的にどうするか。
つまり最後を、バットエンドにするかハッピーエンドにするかだ。
もうこの巻のストリーは最後を描くだけになっている。
もちろん流れを無視する訳ではない。流れ的にどちらかと言えば、バットエンドに近いかもしれない。でも、今の段階からならハッピーエンドに転換させる事も可能だ。
さてどうしたものだろうか。
中田真由美がこの前一緒に持ってきたファンレター。
このファンレターは必ず読んでいる。いいとこも、悪いことも全部受け止めている。
読み手の声はそのまま僕の小説の評価となる。
そんな中、一通の手紙に目が留まる。
それはあの、増版が止められた受賞作の感想だった。
しかもまだ、大切に持っていて何度も読み返してくれていた。
その読者はこう語っていた。
最後、どうして、空登は記憶を消してしまったのかと。
青華は消えうせ、空登の記憶からは水菜と青華の記憶、そして二人と一緒に過ごした日々までも消し去る。
そして、また空登は青華と水菜に出会う前の記憶に戻る。
ならばどうして、水菜の記憶はあるのかと。
消すならばすべてを消すべきだったんじゃないかと。
それが先生のストーリーであるのなら今、出ている小説はなんの意もないのではと。
あれから発売されている小説も読んだ。その全てに何かを常に訴えている。それを強く感じる。メッセージの様な何かを。
でも、あのデビュー作はそれらを全て否定している様に感じる。
どうして……
デビュー作の最後に
…………この物語を僕の最愛の人に贈る…………
と合った。でもその言葉も否定される。
なぜなら、水菜だけが記憶が残されていたから。
青華はもしかしたら先生自身ではありませんでしたか。
先生のその彼女はどうなされたかは解りませんが、空登はその彼女の分身。
現実に先生の彼女が消えた時、先生も消えた。
そして水菜は元々先生の彼女の設定。
水菜は物語では、そのまま残っていた。
つまり、先生は自分で作り上げたその彼女と自分自身を消し去って、本当に大切だと思う実際の彼女一人を、一人っきりにして投げ出した様にどうしても思えてしまいます。
素人が先生の作品批評している失礼は十分解っています。
それに先生のプライベートまで勝手に想像してしまいました。
大変申し訳ありません。お詫び申し上げます。
最後に
どんな事情があったかは解りません。でも、本当に大切だと思う人であるのなら手を放すべきではないと思います。
もし、仮にその人がこの世に存在し得ているのなら……
…………………………
この手紙を書いてくれたのは、男性名だった。
その時はこんな見方もあるんだなあ。と思っていたその男性名を見て。
でも、その文面
「先生は自分で作り上げたその彼女と自分自身を消し去って、本当に大切だと思う実際の彼女一人を、一人っきりにして投げ出した様にどうしても思えてしまいます」
この文面が頭から離れなかった。
そして自分には、あの時自分の取った行動は正しかったと、そう自分に言い聞かせていた。
その時は…………
それが原因かどうかは解らないが、この物語の最後が描けなくなっていた。
そろそろ意固地はやめたい。
自分が辛いだけだから……でも彼は「まだだ」と言う。
それが何を意味するのかは私には解らない。
消えた記憶。消された記憶。
それはもう、取り返すことは出来ない。前の私のスマホからデータが消えたのと同じ。
特殊なことをすれば、消えたデータを取り戻す事が出来るらしいスマホは。でも私の失った記憶はどんなことをしても取り戻す事は出来ない記憶。
もう二度と戻すこともない記憶になった。
誰と行ったかは分からない。誰かと一緒に映画を見に行った事がある。
その映画の中でも大切なものを失っていた。
確か、物凄く泣いたような。そしてその傍に誰かがいたような……その空白に誰かを埋め込む。でもあまりしっくりこない。それなのに、夢の彼「亜咲達哉」を埋め込もうとすると、そのピースはまったく合わなかった。
そしてそれを「どうして」と否定する自分もいなかった。
今見る達哉の顔、そして優しい笑顔、もしかするとそれは私が無理やり想像して創ったものかもしれない。でも私はそれで十分だと思っている。
いつまで私は意固地になっていなければいけないんだろう。
もう12月。街にはすでにイルミネーションが夜の街を幻想的に映している。
そう、もうじきクリスマスを迎える。
私はクリスマスが嫌いだ。クリスマスになれば、私の心にはぽっかりとした大きな穴が開いてしまう。そして、その時見るイルミネーションの輝きが私を悲しくさせる。
もう時期そんな時が来る。毎年の様に。
ねぇ、達哉、いつまで待てばいいの。いつまで……
でも、私には待っている事の意味さえ解っていない。そして、待って私はその次、何をすればいいのかも……解らないままだ。
あれから僕はあの言葉にずっと悩まされている。
自分のやったことは正しいと、でもそう思わせる気持ちにいけなかったと言う気もちが沸いてくる。僕はその時正しかったと自分に言い聞かせる。毎日がその繰り返し、心の中で葛藤する。
もうじきクリスマスと言うのに、まだ最後のストーリーは描けていなかった。
中田真由美から
「私が亜咲先生の担当の内に仕上げてくださいよ」と催促はいつもの事だ。
どうしたものだろう。どうしたことだろう。こんな事初めてだ。これがスランプと言う言葉に当てはまるのなら、そうしてもらいたい。
でも、どうやらスランプではないらしい。他の仕事は勢力的に熟している。あのストーリーだけが描けない、どうしても。
いよいよ明日は12月24日クリスマスだ。
明日、中田真由美の専属担当への移行を今まで担当をしていた作家達で激励することになった。
なにせあの優子の専属になるのだから、みんな激励させずにはいられなかったからだ。
優子は北海道へ旅だっていた。実母である榊枝都菜と一緒にクリスマスと年を越すために。これから忙しくなるのを見越してだった。
ま、中田にとっては鬼の居ぬ間に何とかと言った感じで、優子への対策を僕らから聞いて置きたかったこともあり、正直喜んでいた。
今日は、雨が降っている。少し強く降っている。
昨日から雨は降っていた。ずっと。
生徒は冬休み、でも教師は休みではない。やる事があるのだ。
ナッキから今日はどうすると訊かれた。でも、今日は一人でいたかった。
学校を後にして帰宅する途中。街のイルミネーションは雨に濡れていた。
今日、雪が降ればホワイトクリスマスになるだろう。そう知ればこのイルミネーションも雪に輝き幻想な雰囲気をさらに醸し出してくれると思う。
駅の周辺は人でいっぱいだ。誰もが今日と言う日を楽しむように、街はしっとりとした賑わいを見せる。
また今年も開いてしまった私の心の大きな穴。
夕暮れ時、電車は混んでいた。物凄く混んでいた。
「あーあ、これじゃ乗れない」そう呟き「今日は贅沢にタクシーを使おう」そう意気込んだがものの見事にタクシー待ちの長い列を見る。
がっくりと肩を落として改札を抜けた。
中田の激励会は、午後の少し早い時間から始めた。何分予約が取れたのがこの時間からだったからだ。
まあ、5人の猛者たちが「一人は一応うら若き乙女なのだが……」飲む場と言ったらそこは知れている。
早くに始めて早くに終わる。これが、今日と言う日には一番いいと感じる。
みんな知れた仲、色んな好き勝手なことを言って中田に優子の対策を伝授した。
時間も終わりになろうとしていた。中田が「皆さま大変お世話になりました」と挨拶をしたが
「おい、退社するわけじゃないんだから、そんな肩ぐるしい事いうなよ」とこぞって言った。
確かに担当は外れるが、中田も僕たちもまだ十分に仕事で関わることは知っている。だから今日は激励会なのだ。
会が終わると他の奴らはそれぞれに散って行った。取り残された僕と中田は、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら
「先生はこの後どうなされるんですか」
「ん、まあ、この後すること無いしホテルへ直行かな」
この日のホテルは、仲間の一人がコネを使って押さえてくれていた。でもそのホテルは、あの学生時代暮らしていた大学病院のあるあの町だった。
「そうですかぁ。クリスマスなのにお互い寂しいですね」
中田はため息交じりに言う。
「僕はいいとして、中田は彼氏とか作らないの」
ちょっと訊いてみた、うら若き乙女に
「ああ、あ。彼氏ですかぁ、もっと早く担当の内に言っておけばよかったなぁ」
「なんだよ」
中田は自分に呆れた様に
「先生に好きだって」僕は思わずコーヒーを噴いた。
それを見て中田は「先生ってよくコーヒー噴きますよね」と笑いながら言った。
「それはお前がそうさせてるんだろ」と中田の頭をクシュとしてやった。
「なんだか今の恋人同士みたいですね」と少し恥ずかしいそうに言う。
そして「恋人同士かぁ」と僕が呟くように言うと
「やっぱり先生、あのシリーズまだ未練あるんでしょ。だから今日も私に平誤りしたんでしょ」
「それは……」
まだ書けないでいた…………
「それに先生、まだ諦めていないんですよね。記憶を失った彼女の事。全然諦めようともしていないみたいですし」
「それは……」
「だったら続ければいいのに、それも出来ないでいる。原稿拝読させて頂いた時に感じたんですけど、最終の結末あれじゃ終われないですよね。良きにしても悪きにしても、あんな形で終わらせるのは読者に対して失礼じゃないですか」
中田は言う、少し下を俯きながら。編集担当の中田真由美としてではなく、一人の女性として一読者として、中田真由美として言っているのだと思う。
「読者に対して失礼じゃないですか」その言葉が彼女の気持ちを現していた。
「先生……今からでも遅くはないんじゃありませんか。たとえどんな結果が待っていたとしても、その先生の気持ちの中にあるわだかまりを消さない事には前に進めないと思います」
自分にあるわだかまり。
「僕にあるわだかまりか……」
「そうです。多分……」
中田の顔を見ると、彼女の目から涙がこぼれていた。
「私、先生の担当になれて本当に良かったと思います。だってこんなに素敵な作品を世に羽ばたかせる仕事が出来たんですもの。それに、こんなに……素敵な人と仕事が……出来たんですもの……ありがとうございます。亜咲先生」
中田はそう言って、カバンからティッシュを取り出し「ズズズツ」と豪快に鼻をかんだ。まるでどこかのおやじの様に、豪快に音をたてながら。
「私、有田先生のとこ行っても先生にはちょっかいだしに行きますからね。知ってるんですから、有田先生と亜咲先生の事」
思わずまたコヒーを噴く。
「また噴く、さ、そろそろ帰りましょか」と呆れるように言った
「ここは俺には華を持たせろ」そういって会計を済ませた。
「うわ、寒い」店を出ると華やかなイルミネーションとは逆に寒さが体を刺した。
そこで中田と別れ、僕は歩いてホテルへと向かった。あの町まではそんなに遠くはない。歩いても十分に行ける。
雨は止んでいた。その変わりこの街の空からは、白い雪が舞い落ちていた。
今日はクリスマス。電車はいつになく混んでいた。
ようやく押し込められる様に電車に乗る。
今日はひどい、すし詰め状態いやそれよりひどい、人が人で押され圧縮される。ふと見た窓は曇り水滴が流れていた。
身動きが取れない、体がいたい、立っているのではなく、人で押し上げられている様な感じ。むせる空気、息が出来無いくらい、苦しい……とても苦しい。
次第にどこかに落ちていく感じがする。落ちていく、意識がどこかに落ちていく、そのままスーと落ちていく感じがする。電車の音も車内の人の声も聞こえなくなってきた。
なんだろうこの感じ。
こんなに最悪な状態なのになぜか心地いい、そしてとても気持ちが暖かくなってくる。どうして……そう思った瞬間
「随分待たせたね沙織。もういいよ、ごめん苦しませて」
頭のなかで囁き出された。頭のなかで声が聞こえた。
彼の達哉の声が……
電車が止まり人が動く。でも身動きは取れないまま……
電車は動く音をたて、人に押されそして止まる。それを繰り返す。私が降り立った駅。そこは懐かしさが込みあげてくるあの大学病院のある駅。自分の降りる駅は過ぎていた。
駅のホームで人が流れる。一斉に同じ方向に人々が流れる。
一人取り残されたホームには、空から雪が舞っていた。
寒い、外の空気は僕の体を寒さで犯す。
雪はだんだん強くなっていく、街のイルミネーションの光に落ちる雪が照らされ溶けていく。
歩くたびに寒さが募る……心の寒さが。
正直僕は限界だったかもしれない。沙織を待つことに。それはいつまでも続くこと。もしかしたら遠泳に続く事かも知れない。
初めは待つつもりだった。待てると思っていたどんなに辛くてもどんなに時間が経とうとも、僕は待ち続けると誓ったはずだった。
でも、もう限界だ。こんな読んでもくれるかわからない僕の小説を、記憶を消した沙織が読んでくれるかなんて、そして僕の事を思い出してくれるかなんて……そんな奇跡ある訳がない。
…………そんな奇跡……ある訳がない。
もう少し、通りを外れればそこはあの公園の入り口がみえる。
行くもんか。行ったらいけない。行けば今度こそ、多分何かが崩れるだろう……今まで自分が耐えて来ていた事に。
でも気持ちとは裏腹に、足はその方を向く、そして足は歩む、前へ、その公園へ歩いている。
私は駅を出た。乗り換えをせずにそのまま駅を出た。
寒い。外の雪は強くなっている。コートの襟を立て肩をすぼめ向かい歩く。どこへ、それは解らない。体が勝手に覚えている。自分は知らないでも足は動いている。勝手にまるで昔からその道を知っているかの様に……勝手に自分の体はその方に向かっている。
公園にもイルミネーションがされていた。それは小さく街のイルミネーションからすれば、本当に小さく一つの点の様にも思えるほどの小ささ。
公園の街灯が、その小さなイルミネーションの存在を抑え込むように輝いている。
来てしまっていた。僕はあの公園に来た。
あの大きな木の下でその木に乗りかかり、街灯が照らす舞う雪を眺めている。
僕の目がら自然と涙が溢れ出てくる。
黙っていてもあふれ出てくる沙織との思い出に。あふれ出てくるあの笑顔に、あの優しさに……涙が止まらない。
涙と共に次第に込みあげる嗚咽。苦しい、苦しすぎる心の中が……和らぐことのない苦しさと悲しみ。
泣けるだけ泣きたかった。泣けるだけ……雪の中で……泣けるだけ。
見えて来たのは街灯の光の中で、静かに光る小さなイルミネーション。
ここは、病院の帰りにたまに立ち寄る公園。しばらく来ていなかった。懐かしい……でも込みあげてくるのはその懐かしさではなく、心の中から込み上げてくる暖かさの懐かしさ。
なにかがこみ上げてくる。解らない何かが心の奥底から込み上げてくる。
大きな木の下、一人の男性を見る。彼は泣いていたその木の下で、声を出しながら泣いていた。
その声、そのしぐさ、でも彼の顔は見えない。光が、降り注ぐ雪が、彼の顔を隠している。
でもとても懐かしい声、その彼の声に惹かれる。
ふと顔を上げた時、少し離れた所にいる女性に気づく。でも顔は見えない。街灯の光に反射する雪で、その人の顔は見えない。
少し前に出る、その彼に少し近づく。
少し近づいてくる。僕に少しずつその人が……
私はその人の顔を見て息をのむ。その人の顔は、はっきりと覚えている。いつも夢で逢う私の夢の恋人「亜咲達哉」
僕はその女性の顔を見る。全身が固まる。涙がとまる、そして心臓の鼓動が高鳴る。その目の前にいる女性、それは
「沙織」
私は思い切って声を出す、その人に「どうして泣いているんですか」と
沙織は僕に訊いた「どうして泣いているんですか」と。そして僕も問う「あなたもどうして涙を流しているんですか」と。
私は涙を流しているのに気が付いていなかった。彼に言われるまでは。溢れる、込み上げてくるこの涙に。
どうして初めて会う人なのに、どうしてこんなに涙が込み上げてくるんだろう。止まらない。でも……どうしようもなく止めたくなかった。
……沙織……
頭の中で、心の中で、体の奥底から私の名前が聞こえる。それは夢の声と同じ、そして今、目の前にいる人と同じ声。
体が勝手に動いた。無意識に体がそうしたいと言うように私の体がそして声が……その人に抱き着きながら叫んだ
「達哉」
僕は始め何が起きたのか解らなかった。
でも僕に沙織は抱き着いた。そして叫びながら僕の名前を呼ぶ。何度も何度も何度も……呼ぶ
「達哉」と。
僕も呼んだ。沙織を抱いて、沙織を強く抱きしめて、何度も呼んだ叫ぶように、何度も何度も何度も……呼んだ
「沙織」
私は、ようやく出会えた気がした。私の失った部分に……
私の失われた記憶はもう戻らない。でもこの体がちゃんと覚えてくれた。
達哉の事を。
また出会えた。それは運命が悪戯をしていたかの様に私たちはまた出会うことが出来た。
再び
「もしも、私があなたの事を……見失ってもまたあなたの前に来られる様に……お願い」
達哉は、私にちゃんと約束を守ってくれたのだから。
その白いキャンバスにまた思い出と言う記憶が、新たに描きだされた。
白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように。
**To become white canvas as again drawn memories**
End
最後までお読み本当にありがとうございます。
多々至らない点だらけですが、ご感想やご意見ありましたらよろしくお願いいたします。
それでは・・・次の作品もよろしくお願いいたします。
さかき原枝都は




